第十三話 武装錬金
講義終了を告げる鐘が鳴った時、キリオンはちょうど黒板へ最後の一文を書き終えたところだった。
『結果だけでなく、理由を考える』
最初に大きく書いた『なぜ』という一文字ほど目立つものではない。
だが、今日一日の講義を締めるなら、これくらいが自分らしいだろうと思った。
「……ということで、今日はここまで」
振り返ると、学生たちが一斉に顔を上げた。
最初のうちは、外部から来たよく分からない講師を見るような目だった。それが今では、少なくとも話を聞こうという顔にはなっている。
それだけでも、初日としては上出来だろう。
「本来の範囲、少し駆け足になって悪かったな」
キリオンは苦笑しながら教本を閉じた。
前半で寄り道をしすぎた。
自覚はある。
それでも、後半の講義自体は予定していた範囲まで何とか終えることができた。
マグヌス教授と事前に調整していた基礎事項を扱い、素材の性質、触媒との相性、魔力を加える際の注意点まで一通り説明している。
ただし、途中で何度も質問を挟んだ。
なぜこの順番なのか。
なぜこの材料なのか。
別の素材ならどうなるのか。
教本の文章をそのまま読み上げるより時間は掛かったが、学生たちが自分から考える時間は、最初より明らかに増えていた。
「次回は今日の続きから。教本は百四十ページから確認しておいてくれ」
「はい」
「あと」
キリオンは黒板を指差した。
「今日みたいに、教本に書いていないことが気になったら、別にその場で聞いてくれていいから」
一人の学生が手を上げる。
「答えていただけるんですか?」
「分かれば」
「分からなかったら?」
「一緒に考える」
学生たちの間から、小さな笑いが起きた。
「先生なのに?」
「先生だって何でも知ってるわけじゃないぞ」
「でも、セレスティア主席の先生ですよね?」
「それは関係ないだろ」
思わず即答すると、後方から笑い声が聞こえた。
そちらを見る。
最後列に座っていたセレスが、口元を押さえている。
「何笑ってるんだよ」
「いえ。先生らしいな、と」
「褒めてる?」
「もちろんです」
「最近、その返事が信用できなくなってきた」
「失礼ですね」
教室の空気が少し緩む。
そのまま学生たちは荷物をまとめ始めたが、すぐに全員が出ていくわけではなかった。
何人かが顔を見合わせている。
どうやら何か聞きたいことがあるらしい。
「先生」
「ん?」
前列にいた学生が声を掛ける。
「質問してもいいですか?」
「もちろん」
「今日、先生がやった実験についてなんですけど」
「うん」
「紅根草の温度を下げれば規定品質近くまで戻る、っていうのは、まだ仮説なんですよね?」
「正確には、結果は出たけど理由は仮説だな」
「じゃあ、まだ他にも条件があるかもしれない?」
「あると思う」
キリオンはすぐに答えた。
「例えば、薬草そのものの状態でも変わる可能性はある。収穫時期、乾燥状態、保存期間。昨日使ったのは学院の規格品だから条件が揃ってたけど、現場じゃそうはいかないことも多いからな」
「現場?」
「実際に、町で薬を作る時とかだな」
「ああ……」
「あと旅してた頃も」
学生たちの表情が少し変わる。
「先生、旅してたんですか?」
「昔な」
「錬金術師として?」
「まあ、そうなるかな」
キリオンは曖昧に笑った。
「薬作ったり、素材探したり、必要なら依頼受けたり。そんな感じ」
「魔物とも戦ったんですか?」
「そりゃ旅してれば多少は」
その言葉に、今度は別の学生が身を乗り出した。
「先生って戦えるんですか?」
「多少は」
「多少ってどのくらいです?」
「旅先で死なないくらい」
「分かりません」
「俺も説明しづらいよなあ、錬金術師同士で手合わせなんてしたことないし」
学生たちが笑う。
キリオンにとっては、本当にそれくらいの感覚だった。
旅をしていれば、危険な場所へ入ることもある。薬草や鉱石を採るために森や山へ行くこともあれば、街道で魔物に遭遇することだってある。
戦えなければ困る。
だから覚えた。
それ以上でも、それ以下でもない。
「じゃあ先生」
「ん?」
「今日やったやつ、続き調べてきてくださいよ」
「……え?」
「先生もまだ分からないんですよね?」
「まあ」
「じゃあ先生やってきてよ」
あまりに自然に言われて、キリオンは少し固まった。
「お前ら」
「はい」
「俺、外部講師で学院の人間じゃないんだけど」
「だからです」
「理屈おかしくない?」
「先生が分からないなら、一緒に考えるって言ったじゃないですか」
「言ったけどさ」
「だったら先生が先に実験してきてください」
「何で俺だけ」
「設備使えるから」
「君たちも学院生だろ」
「基礎課程は自由に実験室使えません」
「……ああ」
そうだった。
安全管理上、当然ではある。
「先生」
「何」
「お願いします」
「軽いなあ」
別の学生も笑いながら続ける。
「次回、結果教えてください」
「宿題出されてるの俺じゃない?」
「はい」
「先生なのに?」
「はい」
キリオンは頭を掻いた。
だが、不思議と嫌ではない。
「分かったよ」
結局、笑って頷く。
「時間あったらな」
「絶対やってください」
「努力します」
「それやらない人の言い方です」
「言葉って厳しいなあ」
また笑いが起きた。
その後もいくつか簡単な質問を受け、ようやく学生たちは教室を出ていった。
最後の一人が扉を閉めた頃には、講義終了からそれなりの時間が経っていた。
静かになった室内で、キリオンは大きく息を吐く。
「……疲れた」
「お疲れ様でした」
セレスが後方から歩いてくる。
「喉乾いた」
「水、ありますよ」
「助かる」
渡された瓶から水を飲む。
一息ついてから、キリオンは黒板を見る。
自分が書いた文字。
学生たちと一緒に考えた跡。
予定していた講義とは、かなり違った。
「どうだった?」
セレスに聞いてみる。
「何がです?」
「講義」
「素晴らしかったです」
「即答か」
「はい」
「もう少しこう、改善点とか」
「ありますよ」
「あるのかよ」
「時間配分です」
「……それは俺も分かってる」
「前半に時間を使いすぎました」
「はい」
「学生の質問を拾いすぎます」
「はい」
「脱線した際、先生自身が一番楽しそうになります」
「……はい」
セレスティアはそこで笑った。
「ですが」
「うん」
「私は、それでいいと思います」
「どっちだよ」
「時間配分は直してください」
「そこは駄目なんだな」
「当然です」
少し離れたところでは、見習い研究員が紙の束を見つめていた。
キリオンはそちらへ視線を向ける。
「どうした?」
「いえ」
「すごい顔してるぞ」
「……報告を、どうまとめるべきかと思いまして」
「ああ」
キリオンは苦笑した。
「マグヌス教授に?」
「はい」
「普通に書けばいいんじゃない?」
「普通に」
「講義した。寄り道した。実験した。終わり」
「そんな報告書を出したら私が怒られます」
「そりゃそうか」
見習い研究員は困ったように紙を見下ろす。
「内容自体は、教授から指定された範囲を扱っています」
「うん」
「ですが、その前段階が……」
「長かった?」
「それもありますが」
彼は少し迷ってから続けた。
「講義というより、研究討論に近い時間がありましたので」
「そう?」
「少なくとも基礎課程では、あのような形式はあまりありません」
キリオンは少し考える。
「駄目だった?」
「いえ」
見習い研究員はすぐに首を振った。
「学生たちの反応は良かったと思います」
「ならよかった」
「ただ」
「うん」
「教授がどのように受け取るかは、分かりません」
「そこは正直に書いてくれればいいよ」
キリオンはそう言って、教卓の上を片付け始めた。
「俺も別に、マグヌス教授の授業を否定したいわけじゃないし」
「それは講義中にも仰っていましたね」
「うん」
むしろ、キリオンは昨日の講義を高く評価している。
あれほど綺麗に整理された授業を、自分ができるとは思わない。
学生が必要な知識を効率良く学ぶ。
それは間違いなく重要だ。
「俺は俺で、違うことを教えればいいかなって」
「違うこと?」
見習い研究員が尋ねる。
「なぜ、って考えること」
キリオンは黒板を見る。
「マグヌス教授が正しいやり方を教えてくれるなら、俺はその横で、なんでそのやり方なんだろうって考えるきっかけを作る。それくらいなら邪魔にならないだろ」
「……なるほど」
「多分」
「最後で急に不安にさせないでください」
「俺も初めてだからなあ」
見習い研究員が少し笑った。
その横で、セレスティアは何も言わずにキリオンを見ている。
「なに?」
「いいえ」
「またそれ?」
「先生をこちらへお招きして良かったと思っていただけです」
「今日二回目だぞ」
「何度でも思います」
「重いなあ」
「慣れてください」
いつもの返事だった。
◇
講義室を出た後、三人は錬金学部棟の廊下を歩いていた。
午後の学院は、朝とは少し雰囲気が違う。
講義の合間なのか、学生の姿は多いものの、急いで走る者は少ない。中庭で本を広げている者もいれば、研究棟の方から箱を抱えて歩いてくる者もいる。
「次の予定は?」
キリオンが尋ねる。
「先生は特にありません」
セレスが答える。
「俺は?」
「はい」
「お前は?」
「仕事があります」
「じゃあ王宮に戻るの?」
「その予定です」
「大変だな」
「慣れています」
そう言いながらも、セレスはすぐに帰る様子を見せない。
「……送ってくれるの?」
「宿舎までなら」
「一人で帰れるぞ」
「知っています」
「じゃあ何で」
「先生が途中で何か見つけて寄り道しそうなので」
「俺を子供みたいに言うなよ」
「昨日、購買部で素材の棚を十五分見ていましたよね」
「気になったから」
「今日も同じことをされそうです」
「しないよ」
「本当に?」
「……多分」
「信用できません」
見習い研究員が小さく笑う。
そのまま階段を下り、中央棟へ続く渡り廊下へ差し掛かった時だった。
突然。
「おおおおおおっ!」
学院中に響くような大歓声が聞こえた。
キリオンが足を止める。
「……何?」
思わず周囲を見る。
窓が震えたような気さえした。
次いで。
少し間を置いて。
「うわああああ!」
また歓声。
今度は何かが強く打ち合うような、低い音まで混ざった。
「……祭り?」
「違うと思いますよ」
セレスが即答する。
「じゃあ……何?」
音の方向を見る。
中央棟から少し離れた先に大きな建物がある。
「体育館の方ですね」
見習い研究員が言った。
「体育館?」
「はい」
「何やってるんだ?」
また歓声が上がる。
かなり盛り上がっているようだ。
見習い研究員が考えるように視線を上げ、それから何かを思い出したように「ああ」と声を漏らした。
「もしかすると、武装錬金の実技講習かもしれません」
「…………」
キリオンが首を傾げる。
「何錬金?」
「武装錬金です」
「知らないなあ、新しい錬金術の体系か?」
見習い研究員は一瞬目を丸くしたものの、すぐに事情を思い出したように頷いた。
「そうか。先生が王都を離れられた後に、急速に体系化された分野ですから」
「そんなのあるの?」
「あります」
今度はセレスが答えた。
「先生が王都にいた頃にも、戦闘目的で錬金術を使う技術自体はありましたよね?」
「それはあった。戦闘用の薬とか、煙とか、爆発物とか。あとはその場で壁を作ったり」
「ええ。ただ、当時はそれぞれの錬金術師が経験や得意分野に合わせて使っている側面が強く、統一された戦闘体系とは言いにくいものでした」
「まあ、そうだな」
キリオン自身、旅をしていた頃は必要に応じて色々と試した。
敵の足を止めたいなら粘着性の高い素材を使い、視界を潰したいなら煙や光。追われれば地面を崩し、魔物の種類によっては匂いや音を使うこともあった。
だが、それを一つの学問や戦闘術として考えたことはなかった。
「現在では、それらの技法を整理して、攻撃・防御・妨害・支援を一つの戦闘体系として扱っています」
「へえ」
キリオンの声が明らかに変わる。
セレスはそれを見て、小さく笑った。
「興味あります?」
「そりゃあるだろ。錬金術を戦闘体系にしたんだろ?」
「はい」
見習い研究員も説明を引き継いだ。
「戦闘前に準備した錬成具や触媒を使う方式、その場で簡易錬成を行う方式、魔法と組み合わせて反応速度を高める方式などがあります。流派によって得意分野もかなり違います」
「流派まであるのか」
「あります。防御と陣地構築を得意とする者もいれば、短時間で反応を起こして攻撃に転用する者もいます」
「学院でも教えてる?」
「選択課程ですが、実技科目としてあります」
「学生が戦うの?」
「訓練ですよ。もちろん防護結界や専用器材を使いますし、一定以上の技術がない者は模擬戦には参加できません」
「なるほどなあ」
また体育館の方から歓声が響いた。
今度は、何か硬いものが激しくぶつかったような音が混じっている。
キリオンは完全にそちらへ意識を持っていかれていた。
「先生」
「何」
「顔に出ています」
「何が」
「見たい、と」
「……見てもいいの?」
見習い研究員を見る。
「職員立ち入り禁止の区域でなければ、問題ないはずです。見学席は学生にも開放されていますし」
「本当?」
「はい」
「じゃあ言質もらった」
「え?」
「職員立ち入り禁止じゃなければ見ていいって」
「いや、そういう意味では」
「セレス」
「はい」
「ちょっと見ていい?」
セレスは少しだけ困ったように笑った。
「構いません。ただ、私はそろそろ王宮へ戻ります」
「分かってるよ」
「一人で変なところへ入らないでくださいね」
「子供じゃない」
「先生は興味を持つと周囲が見えなくなるので」
「今日は大丈夫」
「信用しておきます」
セレスがそう言っている横で、見習い研究員が体育館の方へ目を向けた。
「それと、今日来ている方は、おそらく武装錬金の第一人者です」
「第一人者?」
「はい」
見習い研究員が頷く。
「確か、特別講師として呼ばれていたはずです。武装錬金を学んでいる学生からすると、かなり有名な方ですよ」
「名前は?」
「それは――」
その瞬間、また大歓声が上がった。声が完全にかき消される。
「……聞こえない」
「直接見た方が早そうですね」
「そうする」
キリオンはもう隠そうともせず、興味を体育館へ向けていた。
◇
セレスティアと別れた後、キリオンは見習い研究員と共に体育館へ向かった。
「君、実験とかは大丈夫?」
「私は先生の連絡係も兼ねていますので」
「俺についてくるのも仕事?」
「今日のところは」
「大変だな」
「先生ほどではありません」
「俺?」
「初日から予定外の実験を始める講師は珍しいです」
「……すみません」
「怒っているわけではありません」
見習い研究員は笑った。
体育館へ近づくほど、音ははっきりしてくる。歓声だけではない。何かが床を滑る音、重い衝撃音、空気が震えるような魔力反応の低い響きまで混じっていた。
「本当に授業?」
「今日は特別講習なので、実戦形式に近いものかもしれません」
「体育館とか、壊れない?」
「強化されています」
「そういう問題なんだ」
入口を抜け、中へ入る。
「……うわ」
キリオンは思わず声を漏らした。
広い。
講義室とは比べものにならない。
中央には大きな演習場があり、その周囲を段状の見学席が囲んでいる。天井も高く、壁面にはいくつもの防護術式が刻まれていた。
観客席にいるのは学生だけではない。
二十代、三十代、それ以上の者もいる。装備を見る限り、冒険者らしい者もいれば、軍人に見える者もいた。
「学生じゃない人もいるな」
「外部参加者でしょう。特別講習では、冒険者や軍関係者、現役の錬金術師が参加することもあります」
「へえ」
その時、演習場の中央で一人の学生が前へ出た。
手にしているのは、短い金属棒だった。
学生が床へそれを突き立てる。
次の瞬間、魔力が棒を通して床へ流れた。
足元に刻まれていた薄い錬成陣が光り、その光が扇状に広がった直後、床材の一部が盛り上がる。
低い音と共に、胸の高さほどの壁が一気に形成された。
「おお」
キリオンが身を乗り出す。
「早いな」
「防御の基礎技法でしょうね」
「地面そのものを材料にしてる?」
「はい。事前に触媒を仕込んだ錬成具を使っていると思います」
「なるほど」
ただ壁を作っただけではない。
キリオンの目は、壁よりも学生の手元を見ていた。
どこで魔力を入れたか。
どの瞬間に触媒が反応したか。
どこまでを錬成具に任せているのか。
考えているうちに、反対側から別の学生が動いた。
今度は手の中に小さな球体がある。
投げる。
球体は壁の手前で弾けた。
破裂音。
白煙。
その直後、煙の内側で強い光が瞬いた。
見学席から大きな歓声が上がる。
「目潰しか」
「発光触媒と煙幕材の複合です。武装錬金で事前に準備できる道具としては、有名どころですね」
「二段反応にしてるのか?」
「はい。先に煙を出し、その後に発光します」
「面白いな」
ただ光らせるだけなら、相手も目を閉じればいい。
先に煙で視界を奪い、その後に光を入れる。相手がどちらへ動けばいいか判断しにくくなる。合理的だ。
さらに、煙の中から最初の学生が飛び出した。
さっき作った壁の端を蹴る。
壁が崩れた。
いや、崩した。
壁を構成していた素材が足元へ流れ、今度は細長く形を変える。
「槍?」
「即席錬成ですね」
学生は生成した短い槍を構え、前へ出る。
だが、その瞬間。
相手が腕を振った。
手首に装着された錬成具が光り、透明に近い薄膜が腕から肩へ広がった。
槍が当たる。
鈍い音。
折れない。
それどころか弾かれる。
「硬化膜か」
「そうです」
「薄いのに強いな」
「魔力を流している間だけ、範囲内の空気を硬質化していますね」
「維持型?」
「はい」
「魔力食いそうだな」
「その通りです」
キリオンは思わず笑った。
「ちゃんと弱点もあるんだな」
「当然あります」
次の瞬間、硬化膜を使っていた側が一歩踏み込んだ。
拳。もちろんただの拳ではない。
腕の錬成具から、今度は拳を包むように魔力が集中する。
接触の直前。
拳の表面に薄い金属質の層が形成された。
相手へ直撃。
重い衝撃音が体育館に響く。
相手が大きく後ろへ滑り、拳を振るった側にスポットライトが当たる。
歓声が爆発した。
「……今のは痛そうだな」
「模擬用に威力は落としていると思いますよ」
「落としてあれ?」
「はい」
「怖いなあ」
そう言いながらも、キリオンの目は楽しそうだった。
武装錬金。
なるほど。
その名に反して、武器を作るだけではない。
地形。
煙。
光。
防御。
武器。
その場で必要な反応を選び、組み合わせる。
錬金術師が戦闘の中で、状況に合わせて答えを変えていく。
「これ、結構難しいな」
「そうですね」
「判断が遅れたら勝敗に直結する」
「はい」
「錬成速度だけじゃなくて、相手も見ないといけない」
「そのため、武装錬金を専門にする者は身体訓練も行います」
「そりゃそうだよなあ」
旅をしていた頃を思い出す。
魔物の前で、材料を一つずつ確認している暇などない。
敵の動き。
距離。
地形。
手元にあるもの。
全てを見て、その時に使えるものを選ぶ。
「昔はなあ」
「何です?」
「こういうの、自分で考えるしかなかった」
「先生も戦闘用の錬金術を?」
「多少は」
見習い研究員がこちらを見る。
「どのようなものを?」
「大したのじゃないよ。旅で困らないくらい」
「それが分かりません」
「さっきも言われたなあ」
キリオンは苦笑した。
「魔物相手なら足止めとか、目潰しとか。逃げるために地面崩したり」
「…………」
「何?」
「それを大したことないと言う基準が、よく分かりません」
「旅してれば必要だろ?」
「普通の錬金術師は、そもそもそこまで危険な場所へ行きません」
「ああ」
言われてみれば、そうかもしれない。
「素材が欲しかったからな」
「命より?」
「いや、命の方が大事だよ」
「本当ですか?」
「本当だって」
そんな話をしているうちに、演習場の空気が変わった。
それまで自由に動いていた参加者たちが、一斉に中央から距離を取る。
歓声も一度小さくなり、代わりに期待に満ちたざわめきが広がった。
「来た」
見習い研究員が小さく言う。
「何が?」
「今日の講師です」
演習場の奥から、一人の女教官が歩いてくる。
年齢は二十代前半ほどだろう。動きやすさを重視した服装で、腰にはいくつかの容器と錬成具が並び、片腕には細身の金属装具が巻かれている。
華美ではない。
むしろ実用一辺倒に近い。
それでも、彼女が姿を見せただけで周囲の学生たちが明らかに緊張した。
「……有名なんだな」
「かなり」
「第一人者だっけ?」
「はい」
「もっとこう、老練な達人を想像してたんだけどな」
女教官は演習場の中央まで歩くと、参加者の一人へ何か指示を出した。
すぐに模擬戦が始まる。
相手は成人男性。
体格も大きい。
その男が先に動いた。
腰の錬成具を引き抜き、床へ投げる。
地面に触れた瞬間、複数の細い金属片が放射状に伸びた。
足を取るための罠。
だが、女教官は止まらない。
一歩。
二歩。
三歩目で、足元へ小さな触媒を落とす。
床の一部が滑らかに変質した。
金属片が食い込まず、横へ流れる。
「……ん?地面の性質を変えた?」
「そうですね……!」
見習い研究員の声も、少し興奮している。
女教官はそのまま距離を詰める。
男が腕を上げて、防壁を展開。キリオンが自分でできる錬金速度の、限界近くの速さだ。
だが女教官は壁へ直接ぶつからない。
指先を軽く振る。
次の瞬間、壁の一部だけが急速に脆くなる。
「局所反応か……」
キリオンの声が低くなる。
女教官はそこへ拳を入れた。
壁が砕ける。
歓声が爆発する。
だが、キリオンは歓声を聞いていなかった。
「今の、触媒だけじゃないな」
「分かるのですか?」
「多分」
目を細める。
「相手の錬成した素材を見て、反応を変えた」
それが本当なら、かなり高度だ。
事前に準備した技ではない。
相手の錬成物を見て、その場で崩し方を選んだ。
男は後ろへ下がり、今度は二つの錬成具を同時に起動する。
一つは煙。
もう一つは、足元へ広がる硬化材。
逃げ道を狭めて。
視界を潰す。
良い。
キリオンは素直にそう思った。
だが女教官は、煙へ入っていった。
「え?」
見習い研究員が声を漏らす。
直後。
煙の中から一閃の光。
次いで風。
いや、急激な発熱と膨張。
煙そのものが上へ押し上げられる。
視界が開いた、その瞬間には。
女教官が男の懐へ入っていた。
腕。
金属装具。
魔力。
その全てが牙を剥く。
だが、殴らない。
男の胸元へ指先を添えただけだ。
一瞬の静寂。
そして体育館全体が、今日一番の歓声に包まれた。
「……すごいな」
キリオンは、本心から呟いた。
速い。
無駄がない。
そして、錬金術を使っているのに、錬金術だけを見ていない。
相手。
距離。
地形。
全部を見ている。
「武装錬金か」
「面白いでしょう?」
「うん」
キリオンは頷いた。
「本当に、よくできている」
その言葉には、かなりの感心が混じっていた。
旅をしていた頃、自分も危険に対処するため色々なことをした。
しかし、目の前の技術は、それらを個人の経験で終わらせず、体系としてまとめている。
誰か一人の工夫を。
他の者が学べる形にする。
そういう意味では。
これもまた、今の王都が積み上げたものなのだろう。
ただ。
「…………」
キリオンは、女教官の顔をもう一度見る。
何かが引っかかる。
歩き方。
視線。
横顔。
「先生?」
「いや」
眼鏡を少し上げて、もう一度見る。
「……あの顔」
「はい?」
キリオンは首を傾げた。
「あの顔、どこかで見たことある気がするんだよなあ……」




