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第十一話 失敗を見る

 マグヌス教授との打ち合わせが終わったのは、昼を少し過ぎた頃だった。


 明日からキリオンが担当するのは、まず基礎課程の一部。

 内容としては、素材の見分け方や簡単な反応の考え方、そして学生たちがすでに習っている触媒の扱いについて、既存の講義と重ならない範囲で教えることになった。


 マグヌス教授としても、いきなり現在の学院で研究されている最先端分野を任せるつもりはないらしい。


 キリオンとしても、それはありがたかった。


 ただ。


「……やっぱり気になるな」


 宿舎へ戻る道すがら、キリオンは何度目か分からない言葉を口にした。


「何がです?」


 隣を歩くセレスが尋ねる。


「午前中の授業」


「どの部分でしょう」


「失敗例」


「ああ」


 セレスはすぐに理解した。


 昼食は学食で取る案も出たのだが、セレスが顔を出せば落ち着いて食事をするどころではなくなりそうだったため、学院近くの店で軽食を買っている。


 パンに肉と野菜を挟んだものと、果物。

 それが二人分、キリオンの手の紙袋に入っていた。


「紅根草を先に入れると品質が下がる。灰晶粉を先に入れると反応が不安定になる」


「はい」


「そうなること自体は、授業で分かった」


「ええ」


「でも、実際に見てないからな」


 キリオンは歩きながら、少し考える。


「どう失敗するのか」


「先生」


「ん?」


「講義を聞いている時から、そればかり考えていましたね」


「分かりやすかった?」


「とても」


「そんな顔してたか」


「黒板を見る目が途中から変わっていました」


「……怖かった?」


「いいえ」


 セレスは、少しだけ笑った。


「懐かしかったです」


「懐かしい?」


「こちらの話です」


「最近それ多いな」


「先生に言われたくありません」


 宿舎へ戻る。


 自室の扉を開けると、キリオンは荷物を机へ置いた。


「とりあえず飯にするか」


「はい」


 二人で居間の小さな机を挟む。


 食事そのものは簡単だった。


 王都らしく、パンは田舎のものより柔らかい。挟まれている肉も香辛料が利いており、野菜も細かく切られている。


「うまいな」


「この辺りでは人気のお店です」


「学生にはちょっと高くない?」


「学生向けの小さいものもあります」


「なるほど」


 そんな話をしながら食べる。


 ただ。


 キリオンの視線は途中から、部屋の隅へ向いていた。


「先生」


「ん?」


「食事中です」


「分かってる」


「何を見ているのですか」


「いや、この部屋で簡単な調合くらいできるかなって」


「…………」


「なんだ?」


「もう実験のことを考えているのですか?」


「だって気になるだろ」


「食べ終えてからにしてください」


「分かってるよ」


 そう言いながら、食事の速度が少し上がる。


「先生」


「急いでない」


「急いでいます」


「普通だよ」


「昔からそうでした」


「何が」


「研究したいことができると、食事を必要事項として処理し始めるところです」


「そんなことないだろ」


「あります」


「覚えてないなあ」


「私は覚えています」


 結局。


 セレスに「ちゃんと噛んでください」とまで言われながら、昼食を終えた。


「それで」


 食後、キリオンは紙袋を畳みながら言う。


「材料、学院で買える?」


「何をお求めですか?」


「今日の講義で使ってたのと同じもの」


「でしたら、学院内の購買部で研究用素材も扱っています」


「外部講師でも買える?」


「あの程度であれば、恐らく何の問題もないでしょう」


「じゃあ行くか」


 立ち上がろうとする。


「先生」


「何」


「私が手配します」


「いや、買いに行くだけだぞ」


「同じ品質の素材を揃えるのでしょう?」


「ああ」


「講義で使用したものと同一規格の材料を指定した方が早いです」


「できるの?」


「できます」


「さすが主席」


「褒めても何も出ません」


「いや、本当に便利だなって」


「人を魔道具のように言わないでください」


 少し呆れながら。


 セレスティアは持っていた書類鞄から、小さな紙束を取り出した。


「必要なものを」


「いいの?」


「どうぞ」


 キリオンが名前を書いていく。


 薬草。

 触媒。

 溶媒。

 計量用の器具。

 温度計。

 小型の魔力測定具。


「結構あるな」


「先生」


「何?」


「これは?」


 セレスティアが、一つの品目を指す。


「ああ。それは比較用」


「講義では使っていませんでしたが」


「うん」


「こちらは?」


「それも」


「……増えていませんか?」


「せっかくだし」


「失敗例を再現するだけでは?」


「最初はな」


「最初は」


 セレスが目を細めた。


「先生」


「はい」


「おいくらまで使うつもりです?」


「え?」


「研究素材は、ものによっては安くありません」


「……あ」


 キリオンが止まる。


 町にいる時、薬草は基本的に自分で採っていた。


 農家から分けてもらうこともある。


 鉱物も、必要なら鍛冶屋から端材を譲ってもらう。


 だがこれは学院用。

 同じ感覚ではいけないらしい。


「じゃあ少し減らすか」


「結構です」


「え?」


「私が出します」


「いや、それは駄目だろ」


「何故です?」


「お前の金だぞ」


「はい」


「研究したいの俺だぞ」


「はい」


「じゃあ俺が払うのが普通だろ」


「先生」


 セレスは極めて真面目な顔で言った。


「私が見たいので」


「何を」


「先生が、その材料で何をされるのかを」


「…………」


「ですので、これは私の趣味です」


「趣味って言えば何でも許されると思ってない?」


「先生へ研究素材を提供することが趣味です」


「怖い趣味だな」


「今決めました」


「今なのかよ」


 結局。


 材料代はセレスが出すことになった。


 それも、


「名前を出した方が話が早いので」


 という理由で。


 発注者:セレスティア・レインベル。

 支払い:本人の私費


「……これ、後で変な噂にならない?」


「何がです?」


「宮廷主席が大量に研究素材買ってるとか」


「この程度ではなりません」


「この程度」


「はい」


 金銭感覚まで、昔とは違うらしい。


     ◇


 材料が届いたのは、思っていたより早かった。


 セレスが一枚書いた紙を使いの者へ渡し、それから一時間も経たないうちに、箱が二つ宿舎へ届けられた。


「早いな」


「学院内ですから」


「すごいな王都」


「先生、その感想ばかりですね」


「だってすごいから」


 中身を確認する。


「ちゃんと同じだ」


「講義用と同一規格で揃えてもらいました」


「助かる」


 キリオンの顔が、分かりやすく明るくなる。


「じゃあ始めるか」


「はい」


「……ん?」


 キリオンは器具を並べようとして、ふと止まった。


「セレス」


「何でしょう」


「帰らないの?」


「帰りません」


「仕事は?」


「あります」


「あるの?」


「はい」


「じゃあ戻りなよ」


「ここでもできますので」


 そう言ってセレスは、書類鞄を机の端へ置いた。


 中には大量の書類と、少量の筆記具、小さな印章。


「…………」


「何です?」


「本気でここで仕事するの?」


「はい」


「王宮の仕事を?」


「持ち出し可能なものだけです」


「それならいいけど」


「何か問題が?」


「いや」


 キリオンは少し考える。


「狭くない?」


「先生が実験する場所さえあれば」


「お前の部屋じゃないんだけどな」


「分かっています」


「まあいいか」


 キリオンはすぐに、興味を実験へ戻した。


「まずは講義通りやってみるか」


 器具を並べてみる。


 最初に入れる月白草。

 次に入れる紅根草。

 最後に入れる翠葉草。

 触媒の灰晶粉。

 溶媒としての水。


 それぞれの分量を量っていく。

 もちろん温度も、講義の条件に合わせる。


「成功例からですか?」


「一応な」


「失敗を見るためでは?」


「成功する状態を見ないと比較できないだろ」


「なるほど」


 キリオンは教本で手順を確認し、慣れた手つきで調合を行う。


 月白草を抽出。

 紅根草。

 灰晶粉。

 翠葉草。


 最後に魔力。

 素材の入った容器へ、魔力が流れていく。


 セレスが、書類へ落としていた視線を上げた。


「…………」


 キリオンは気づかない。


 液体の色。

 泡。

 香り。

 魔力の入り方。


 それらをただ見ている。


「なるほど」


 まもなく完成した。


 色は透明に近く、僅かに青みのある液体。


「規定品ですね」


「多分」


 キリオンは、品質測定用の道具を使う。


「うん」


「問題ありません」


「じゃあ次」


 今度は失敗例。

 講義であったように、紅根草を先に入れる。


 その他の条件は全て同じだ。


「…………」


 加熱。

 抽出。

 魔力。


 完成したものは、先ほどより明らかに濁っていた。


「本当に落ちるな」


「はい」


「面白い」


「面白い、ですか」


「だって」


 キリオンは、それぞれの瓶を光に透かす。


「これだけ違う」


 液体を少量別の器へ移し、試薬を垂らす。


「おー、薬効成分がかなり少ないな」


「教本通りです」


「でも」


「でも?」


「何か別の成分が増えているな」


 セレスの手が止まる。


「分かるのですか?」


「反応が違ったからな」


「…………」


「ちょっと待って」


 キリオンは、成功品と失敗品を並べる。


「加熱時間は同じ」


「はい」


「温度も」


「同じです」


「材料も」


「同一規格です」


「じゃあ順番だけ」


 キリオンの目が変わる。


 セレスは、その顔を知っていた。


「次」


「触媒を先に?」


「いや」


 キリオンは少し笑った。


「もう一回、紅根草が先だ」


「同じものを?」


「今度は温度を変える」


「……先生」


「何」


「失敗例の確認では?」


「確認してるよ」


「広がっていますが」


「気になるんだから仕方ないだろ」


 そして、もう一度分量通りに素材を測り直す。


 温度を下げる。


 ――今度は時間を延ばす。


 ――紅根草を細かく砕いてみる。


 ――逆に粗くしてみる。


「先生」


「うん?」


「一度休憩を」


「まだ大丈夫」


「二時間経っています」


「嘘だろ」


「本当です」


「そんなに?」


「はい」


「……あと一個」


「先生」


「一個だけ」


「昔からそう言います」


「今回は本当に一個」


「信用できません」


「じゃあ二個」


「増えましたよ?」


 セレスティアの声はもう、


 キリオンには半分しか届いていなかった。


     ◇


 セレスティア・レインベルは。


 その姿を、懐かしい気持ちで見ていた。


 いや、懐かしいだけではない。


 嬉しい。


 そして、誇らしい。


 目の前の男。


 キリオン・ハルフェン。


 自分が先生と呼ぶ人。


 王都へ連れて来たかった理由。


 それは決して、彼が強い錬金術師だから、というだけではない。


 技術だけで言えば。


 現在の王都には、先生と並ぶほど優秀な者がいる。


 マグヌス教授。

 宮廷錬金術師たち。

 王都学院の研究者。


 セレスティア自身も今や、頂点に近い場所にいる。


 それでもこの人だけは、違う。


「……変わらない」


 小さく呟く。


 キリオンには聞こえていない。


「こっちの方が反応強いな……なんでだ?」


 もう完全に、実験の中にいる。


 成功品。

 失敗品。

 温度を変えたもの。

 時間を変えたもの。


 何種類もの液体が並んでいる。


 ただ、セレスティアが目を奪われているのは、その結果ではない。


 手。


 キリオンの錬金術姿を見た機会は、セレス自身も多くはない。


 大工の方のために、薬を作る姿は見た。

 王都へ来る前、試験として解毒薬も作ってもらった。


 だがあれらは、本気で研究をしている時の先生ではない。


 今ようやく。


 昔の姿が、少しだけ戻っている。


「…………」


 キリオンの指先が淡く光る。

 錬金術を使う際の、魔力。


 だが、ただ流しているわけではない。


 セレスには分かる。


 今の学院。

 今の宮廷。

 今の錬金術は。


 魔力量。

 流入時間。

 経路。


 それらを測り、整え、再現する。


 キリオンも無論、それをしている。


 しかし、やり方が違う。


「……綺麗」


 思わず声が出た。


「ん?」


 キリオンが一瞬だけ、こちらを見る。


「何か言った?」


「いいえ」


「そう?」


「続けてください」


「うん」


 すぐに視線が戻る。


 セレスティアは少しだけ、自分の頬が熱くなっていることに気づく。


 恥ずかしい。


 錬金術を見て、綺麗などと。


 子供でもないのに。


 だが他に、言葉が見つからなかった。


 現在の錬金術は。

 魔力を決められた量、決められた経路、決められた時間、流す。


 キリオンは違う。


 素材を見ながら。


 魔力をその瞬間瞬間で、必要な場所へ、必要な分だけ、流す。


 微妙に強さが変わる。位置も動く。


 まるで液体の中、素材の中で、何が起きているのか見えているかのように。


 それを自然に。


 息を吸うように、行っている。


「先生」


「うん?」


「それ」


「何」


「魔力の量、変えていますよね」


「ああ」


「何故です?」


「今さっき、反応が強くなったから」


「どこで?」


「ここ」


 指を差されたのは、容器の端。


「…………」


 セレスが見る。


「……分かりません」


「泡出てるだろ」


「泡は」


「色も少し違う」


「……私には」


 見えない。

 いや、見えてはいる。


 しかしその泡の変化を、


 反応の変化として、認識できない。


「先生」


「何?」


「今のは、どなたに教わったのですか?」


「え?」


 キリオンが、少し考える。


「自分で?」


「…………」


「失敗してるうちに」


 それだけ。


「多分」


 あまりに簡単に、この人は言う。


「……そうですか」


「何?」


「いいえ」


 セレスが、書類へ視線を戻した。


 文字が。


 全く、頭に入らない。


 仕事をする。


 そう言ってここに残った。


 本当に、仕事もするつもりだった。


 しかし、無理だった。


 目の前で、先生が、錬金術をしている。


 それを見ないなど。


 できるわけがない。


「昔から」


 先生はそうだった。


 何か知らないことを見つけると、なぜ、と考える。


 誰かに答えを聞く。


 答えがなければ、試す。


 失敗しても、また試す。


 そして、その答えが分かった時。


 子供のように、嬉しそうに笑う。


「……あ」


 その顔を。


 数年の思い出の中で、一際輝いていた顔を


 今、している。


「セレス」


「はい」


「分かったかも」


「何がです?」


「紅根草を先に入れた時に、薬効が落ちる理由」


 キリオンが嬉しそうに、手招きをする。


「これ見て」


 セレスはすぐに立ち上がった。


 キリオンの目の前には、色や透明度が様々な薬品たちと、品質確認結果のメモが並んでいる


「成功品」


「はい」


「最初の失敗」


「はい」


「温度を下げたやつ」


「はい」


「そして、これ」


 最後の瓶。


「薬効が、戻っている」


「……本当ですね」


「完全じゃないけどね」


「規定値に近いです」


「だろ?」


 キリオンが笑う。


「順番だけじゃない」


「どういうことでしょう」


「紅根草を先に入れると失敗するんじゃなくて」


 紅根草を先に入れて、なおも成功した容器を持つ。


「紅根草を先に入れた状態で、あの温度にすると失敗する」


「…………」


「多分」


 一拍。


「月白草が入っている時は、紅根草の一部が別の反応に使われる」


「別の」


「でも紅根草だけだと」


 少し考える。


「熱で壊れてるんじゃないかな」


「それなら」


 今度はセレスが言葉を継ぐ。


「温度を下げることで」


「残る」


「……なるほど」


「面白いだろ?」


 子供のように言う。


 セレスティアはその顔を見て、


 思わず、笑った。


「はい」


 本当に。心の底から。


「とても」


 誇らしい。


 自分が宮廷主席錬金術師になったこと。

 史上最年少。

 多くの功績。


 それらは確かに、自分が積み上げた。


 誰かに、たとえ先生であっても譲るつもりはない。


 だがその最初。

 自分がなぜ、錬金術を面白いと思ったのか。


 それは、この人のせいだ。


「先生」


「ん?」


「私」


「うん」


「先生を王都へ連れて来て、やはり良かったです」


「急に何?」


「思っただけです」


「そう?」


「はい」


 キリオンは、よく分からないという顔をした。


 それから。


「じゃあ次」


 もう、実験へ戻る。


「灰晶粉が先」


「まだされるのですか?」


「当然」


「先生」


「何」


「夕食の時間までには終えてください」


「……善処する」


「善処ではなく」


「分かった分かった」


「返事が軽いです」


 セレスはため息をついた。

 しかしその口元は、隠しきれないほど緩んでいた。


 先生は変わっていない。


 知らないものを、知らないまま受け入れない。


 正しいと言われたものを、否定するわけでもない。


 ただ、どうしてそうなるのか。


 自分の目で見たい。

 知りたい。

 理解したい。


 その好奇心。

 その姿勢。


 そして。

 それらを可能にする技術。


「……やっぱり」


 小さく呟く。


「皆に見ていただかないと」


「何?」


「何でもありません」


「今日それ多いな」


「先生に聞かせる必要のないことです」


「怖いなあ」


 キリオンは笑う。


 もちろん、キリオンは知らない。

 セレスティアがその時、何を考えているのか。


 明日、学生たちの前へ、この人が立つ。


 今日の講義で、正しい手順を学んだ学生たちの前で。


 この人が何を教えるのか。


 考えるだけで、胸が高鳴る。


「先生」


「ん?」


「明日の講義」


「うん」


「必ず見に参ります」


「……やっぱり来るの?」


「もちろんです」


「前の席?」


「はい」


「後ろにしてくれよ」


「嫌です」


「何でだよ」


「よく見えませんので」


「何をそんなに見るんだ」


 セレスは答えなかった。


 先生を、とは。


 さすがに言えなかった。


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