7. 服薬と歌
「御ご馳走さまでした」
今日の夕御飯は、野菜と山菜に唐辛子の粉末が入った、少し辛めの鍋だった。箸休めの野蒜の酢味噌和えもあったから、味覚への刺激がたくさんあって、満足感が高い。
「今日も夕飯の支度まで任せちゃってごめんね。ありがとう、助かったよ」
「どういたしまして。錬成術のことは僕らには分からないし、気にしなくていいよ」
「ど、どういたし、まして」
「それで、錬成は終わったの? まだ途中?」
改めて二人にお礼を言うと、さらりと流される。二人とも本当に優しい。
「うん。若菜用の霊薬は作り終わったよ」
厳密に言えば、夕方していた分析は今回錬成した百薬酒には関係ないけれど、そこをわざわざ告げてややこしく言説を重ねる必要も無い。
全員で手早く片付けを終えて、錬成した霊薬、百薬酒を取り出し、若菜と哲金に効果について説明する。説明ついでに哲金の血を使って、拒絶反応が無い事を確認する。
「つまり、身体の不調はほとんど治るけど、代わりに酔っ払う霊薬ってこと?」
「うん、そんな感じ。幸い≪酒酔い≫の効果は、気付け薬で解消出来る範囲だから、百薬酒の服用後にすぐ気付け薬を飲めば問題無いよ」
「えっ。いやぁ……あの激マズの霊薬を飲まなきゃいけないのは問題でしょ」
「飲まずに醜態を晒したいってんなら、止めねぇぞ」
気付け薬の味を思い出したのか顔を顰めた哲金に、明黎が冷たく言い放つ。
「うっ。や、でも僕、お酒で酔ったりしないし……」
「うん、でも、この≪酒酔い≫の効果は、普段の酒精への耐性関係無く効くみたいなんだよ」
告げながら百薬酒と気付け薬、二種類の霊薬を若菜と哲金のそれぞれに渡す。若菜はじっと受け取った霊薬を見ているだけだが、哲金はやや引きつった顔で、こちらを伺う。
「えっと、姉さんと兄さんは、飲んだんだ?」
「うん。実際の効果を知っておきたくて」
「俺も飲んだ」
「…………酔ったの?」
「うん。哲金も一応効果を体感しておいた方がいいよ」
軽く促すと、観念したのか深くため息を吐いて、一気に百薬酒を呷る。
「……ひっ、っく、グッ…………ウッ…………マっっっズっっっ!!」
即座に気付け薬を飲んだ哲金は、酔った様子はほぼ見せなかったが、気付け薬の後味に呻きながら水を飲んでいる。
「う、うっ。マズい……っうえぇ…………辛くて渋くてエグいのに酸っぱい…………おえっ」
「……大丈夫? じゃ、なさそうね?」
私も気付け薬は不味いとは思っているけど、哲金は予想以上に悶えている。不味いだけで身体に害は無いけれど、少し可哀想だ。それに、哲金でこの反応なら子供舌の若菜にはもっと辛いかもしれない。
食糧を仕舞っている行李の一つを開けて、中から瓶を取り出す。
「哲金、口直しに一口飲む? 酒精を蒸留した残り粕の果汁だけど」
「飲む!」
湯呑みに注いだ果汁を口に含んだ哲金の表情が一気に緩む。蒸留酒の副産物であるこの果汁は、滅多に口に出来ない甘味の一種だ。
「はぁ〜…………甘い……美味しい……生き返る……これ、月雫榴?」
「うん。今回一番使ったから」
月雫榴も<園芸>の刻印を獲得するまで育たなかった霊草の一つだ。年に一度、新年初めの満月の夜しか花が咲かず、果実の収穫も開花一月後の満月の夜にしか出来ない。
収穫後に分厚い果皮の内側にある可食部の小さな白い粒を取り出す作業があることも含めて、非常に手間のかかる面倒な霊草だ。
ただし、治癒系の効果に加えて、時間に関する効果を組み込みやすい特性があるので手間をかける価値は充分に有る。
「若菜も、口直しに果汁があるから、頑張って飲んでね」
「う、ん………の、のむ」
哲金の様子を見ていたせいか、珍しく若菜が一瞬躊躇したように見えた。
若菜の服用量は、私達が飲んだ一口程度とは違って湯呑み一杯分はある。一気に飲み干すことは出来ないから、やや時間をかけながら、湯呑みに移した百薬酒を飲み干していく。
「ふぅ…………ぅ?」
「若菜、次はそっちの薬を……大丈夫?」
早速≪ほろ酔い≫の効果が現れ始めたらしく、赤く染まった頬で空になった湯呑みを眺める若菜に、気付け薬を飲むよう促した。なのに、何故か首を傾げられる。
「……おねえ、ちゃん」
「うん、何?」
「これやだ」
「…………え?」
渡していた気付け薬を返される。反射的に受け取ってから、間抜けな声が出た。
……若菜が、嫌だって言った?
「え? 若菜?」
「おねえちゃん、あたしも、あまいのがいい」
「え? え、それはダメ」
酒粕とはいえ、果汁も稀少だ。一度嗜好品として消費してしまえば、後々が辛くなる。
「なんで? アキはのんだのに」
「ええと、こっちの薬を飲んだ後ならいいよ」
「そっちはヤダ。マズいもん」
赤い顔で、イヤイヤと言って首を振る。いつもより更に幼い仕草は、酔っているせいだろう。いや、そんなことよりも。
「姉さん…………これ、若菜、治った……?」
「いや、どっちかっつーと酒酔いの症状だろ」
「う、ん……どうだろう」
予想では、百薬酒で治癒出来るのは吃音だけだと想定していた。けれど今の若菜の言動は、最も深刻な症状だった、意思表示の欠如が治っているように見える。
ただ、明黎が言うように酒酔いによって、一時的に自己防衛や自律心と言うべきものが異常反応しているだけだという可能性も高い。
そのあたりを判断するためには、気付け薬で酔いを醒ますか、<解析術>で詳しく調べるか、なんだけど……
「若菜。解析、じゃなくて診察……身体の具合を見るのに、少し霊力を流すけど我慢出来る?」
<解析術>を使う時は、対象に微量ながら私の霊力を流す必要がある。そして他者の霊力とは、基本的に異物だ。妖魔の魔力と違って魂を汚染されることは無いが、他者の霊力を流されるのは苦痛を伴う。
普段の若菜なら、要望には全て肯定を返すけど、意思表示が出来るなら嫌がるだろう。はっきり言って、普通は医者相手でも拒否するような生理的な拒否感を感じるものだ。
「れいりょくながすって、ぐわってなって、きもちワルイやつ? したくない……」
「うーん、じゃあ薬飲める?」
「そっちもヤダ」
「イヤかぁ」
どちらも拒否されるとなると、後はもう経過を観るくらいしか出来ることが無い。
「……無理矢理飲ませるか?」
明黎が目線で気付け薬を示すけど、それには首を振る。
「今のところ、顔が紅潮してる以外は良性の反応ばかりだから、無理強いしてまで酔いを醒ます必要は無いよ。効果が切れる半刻から一刻後には分かることだし」
私達が飲んだ百薬酒の効果は≪酒酔い≫だったが、若菜に飲ませたものは≪ほろ酔い≫だったので、酔いの程度が違うのだろう。
倒れたり暴れたりしないのならば、一刻程度、若菜のために時間を割いたって構わない。
「若菜。霊力は流さないから、熱と脈だけは測ってもいいかな」
「みゃく。て?」
「うん、手首をかしてくれる?」
「ん」
触診で熱と脈を測定しても、大きな問題は無し。
「若菜。せっかくだし、お喋りでもしない?」
「おしゃべりすき!」
「そっか。……そうなんだ」
魂に傷を負う前の若菜と過ごした時間はごく短くて、話したこともあまりなかった。それでも、とても明るい子だったのは覚えている。本来はお喋りが好きだというのなら、これからはなるべくたくさん話をしよう。
哲金も同じように思ったのか、上手く話題を振ってくれる。
「じゃあ、せっかくだし、若菜の好きなこと教えてよ」
「いいよー。うたうー」
言った次の瞬間には、若菜が歌い出していた。囃子歌の類だろう、元気な歌声が響く。その滑らかな発声に、吃音が治っていることを改めて確認して、ひそかに胸を撫で下ろす。
しばらくすると、一曲歌い終わった若菜がこちらを見てニコリと笑う。
「おねえちゃんも、うたう」
「え。うーん」
若菜の頼みだ。出来れば聞いてあげたい、けど。
「ごめんね、若菜。私は歌を知らないのよ」
私は、この曲輪に攫われてくる前の記憶が断片的にしかない。そして曲輪に来て以降は、人前で歌を歌うような人間がいなかった。鼻歌程度なら聞いた覚えもあるけれど、具体的な歌はというと、全く知らない。
「おねえちゃんは、うたわない?」
「うん。ごめんね」
「じゃあ、アキ。うたう」
「ん、わかった。去年聞いた流行り歌でいい?」
哲金は予想していたのか、すぐに了承して朗々と歌い出す。去年聞いたと言うことは、任務に出た時に覚えたのだろう。
どうやら王を風刺する歌らしく、穏やかな曲調ながらも皮肉な言い回しが多い。何となく、哲金が気に入る理由が察せられる。そして、こんな歌が流行るあたり、現王の治世はあまり芳しく無いのかもしれない。
「はい、こんなもんかな。どうだった?」
「すごいね。音が綺麗」
「アキ、じょうず」
「まあね。ありがと」
自慢気に言うだけあって、哲金の歌は上手だった。今まで知らなかった特技だ。
「哲金、歌が得意だったの?」
「や、僕が得意なのは発声方法かな。歌も、声が安定してればそれなりに聞こえるから」
実は音程は結構適当だよ、と笑っているが、それは普通に「歌も得意」でいいと思う。
私、哲金ときたので、次は当然明黎が歌をねだられている。
「おにいちゃん、うた」
「歌わねぇ」
「うたう」
「俺も歌なんざ知らねえ」
「ダメ、うたう」
「……皓理の時は納得してただろうがよ……」
ややウンザリした様子で断り続ける明黎と諦めない若菜の問答が繰り返されている。明黎は同じく断った私を引き合いに出すが、酔っ払っている若菜は引き下がらない。
「おにいちゃん、アキといっしょだった。うた、しってる」
「…………」
なるほど。
明黎は夏の間、哲金と共に曲輪の外に出る。哲金が知っているのだから、明黎も同じように歌を知ってると思って食い下がっていたのか。
若菜は酔っていても、意外と考えているらしい。
「ハァ。興味が無ぇから、本当に覚えるほど聞いてないんだよ」
「まあ、兄さん情報収集とか、ほとんど僕任せだもんね」
「そのぶん、実働はほとんど俺がやってるだろうが」
「そうだけどさ。それを僕に言ったって、今の状況の解決にはならないよ?」
「お前が連続で歌えばいいだろ」
「いやそれ喉潰すやつじゃん」
どうやら本当に明黎は歌を知らないか、もしくは絶対に歌いたくないらしい。言い合っている二人と不満気にそれを見ている若菜に、何か他のことを提案しようとしたら、急に言い合いがこちらに飛び火してきた。
「オイ、皓理。お前もなんか思い出せ。わらべ歌かなんかで、数えるやつとか、字を書くやつとか、なんかあんだろ」
「え? ああ、数え歌とか? ……ちょっと待って。思い出せる、かも」
習った記憶も歌った記憶も無いが、存在を思い出せるなら、歌も知識として覚えている可能性はある。
「えっと、たしか…………一色ひとつ、白々と、雪と山百合、咲き初めし…………」
歌うというよりは、読み上げるようなたどたどしさながら、短い音節を繰り返す。
「…………七色ななつ、黒々と、漆黒消し炭、また翌年」
最後まで歌い終わったけど、何故か三人は首を傾げている。
……あれ? そんなに下手だった?
「えっと、綺麗だったけど、それ数え歌って言うより詩吟に近くない?」
「はじめてきいた」
「数より色を覚えるやつじゃねぇか?」
言われてみれば確かに、数え歌、では無い気がする。しかし、私の記憶で思い出せる数え歌はこれだけだから、たぶん覚え間違いをしたのだろう。
「うん……色、というか一月毎の正式名称を覚えるための歌、だね?」
「せいしきめいしょう」
「ああ、一月を雪白月、って呼ぶアレか」
明黎が言うように、この国では、一日の時間の区切りにも、曜日にも、月にも色の名前が付いている。ただ、月の呼び方に関しては、利便性から一月、二月、と数字で呼ぶ人がほとんどだ。けれど正式名称は色名の方なので、それを覚えるためのわらべ歌があっても不思議では無い。
不思議なのは、それを数え歌として認識している私の記憶だ。
「久々に聞いたね。姉さんの、そういう妙な認識齟齬」
「うん。まあ、自分でもどうやって覚えたか分からないしね。あ、わらべ歌ならもう一つ思い出したよ。えっと、約束しましょ、っていう歌」
こちらも、どういった経緯で覚えたのかは分からない。一応脳内で歌詞を確認したけれど、こちらは子供同士が約束をする時の歌で、間違い無いはずだ。
「やくそくのうた。しってる」
「へぇ、僕は知らないかも。兄さんは?」
「……聞いたことはある」
哲金は知らなくて、明黎は歌う気が無い、と。
「じゃあ若菜。せっかくだから、ただ歌うんじゃなくて、何か約束しようか。……そうだね、明日の朝は髪を編んであげる」
「ほんと?」
「うん。約束」
言いながら、両手を繋いで歌い出す。
「「やーくそくしましょ。やぶっちゃダメよ。たーましいかけて、やっくそっくしましょっ」」
歌いながら、繋いだ手をぽんぽんと動かしていく。動きは私と若菜で少し違いがあるようだから、力を抜いて若菜主導で動かしてもらう。
「「ウソをつーいたら、むっくいがあるよ。やっくそくしたよ、きざんだよっ」」
最後におでこ同士を擦り付けた後、顔と手を離す。ごく短い歌なので、これで終わりだ。
私達の歌を聞いていた哲金が、何かに思い当たったように話し出す。
「なんか、聞き覚えある、かも? 確か、僕が知ってるのは、似たような音程で『誓約しましょう』って歌ってた気がする。どちらかというと恋人同士が歌う歌って印象だったから、わらべ歌とは繋がらなかったな」
「へえ。音は同じで歌詞だけ違うんだ?」
地域差だろうか? 私の認識ではわらべ歌だから、恋人が歌うと聞いてもピンとこない。
「うん。結構本気の誓いの言葉というか、重い情念を感じさせるというか…………まあ、姉さん達が歌ってた約束の歌も、魂に刻むとか言ってたけど」
哲金が何故か、微妙そうな顔で言う。
「え? 何かおかしい?」
「わざわざ口に出して約束すんだから、そんぐらい当然だろ」
「やくそく、まもる」
明黎、若菜とほぼ同時に発言し、互いに顔を見合わせ、頷く。
そうだよね。
約束したなら全力で守るべきだし、出来ない約束はしてはならない。
「ええー……? いや、口約束ひとつに、そんな覚悟決めてるのは絶対一般的じゃ無いから」
「一般的かどうかはどうでもいいな。自分と相手がどう思うかだろ」
明黎の言に、若菜と二人して頷くと、哲金が観念したかのようにため息を吐いた。
「わー……重たいド正論……まあ、うん。僕も約束する時は気を付けるよ……」
そんな哲金の言葉を境に話題が移り、その後も話が途切れることなく、夜は更けていった。




