6. 百薬酒
「ゔぐぅっ……?!」
口と鼻に広がる、物凄い刺激臭で飛び起きた。
「おい、目が覚めたか?」
「ぐっ、ん、うっっ……めい、り……?」
どうやら、明黎に気付け薬を飲まされたらしい。
自分で作っておいて何だけど、この味はもうちょっと何とかならないものか。
工房の入り口の水瓶から汲んだ水を渡され、一気に飲み干す。
「ングっ、はぁ……ありがとう」
「ああ。で、どうした? 錬成で失敗でもしたのか?」
「違います。まあ、想定外と言えば想定外の事ではあるけど……」
先程作った霊薬……仮称『百薬酒』の効能を簡単に説明する。
「ハァ、つーことは、お前は酔って寝てたってことか」
「うっ……うん、まあ。体感だけれど、本来の毒とかお酒への耐性に関係無く効いた気がする」
「あん? そんな効果があんのか。……今あるのは、そこにあるやつだけか?」
「うん。あと三、四回分くらいの素材はあるから、多少配合を変えて錬成する、つも、り……今、何時くらい?」
百薬酒を飲んで一度意識が途切れたので、どれだけ眠ってしまったのか分からない。窓から見る限り、まだ夕刻にはなって無いと思うけど、無為に時間を浪費してしまっただろうか。
「まだ、黄の刻になったくらい(午後二時)だろ。心配しなくても、そんなに時間経ってねぇぞ。妙な音がしてすぐに来たからな」
妙な音とは? と思ったが、どうやら私が百薬酒の効果で酔って倒れた時の音らしい。明黎はちょうど工房横の作物加工場で作業をしていたから、音がしてすぐに工房に来たそうだ。
「なるほど。ありがとう」
「別に。気ィつけろよ。あとその霊薬の≪酒酔い≫とかいう効能、俺も試す。次ソレより良いのが出来たら、そこに余ってるヤツ持ってこい」
「あ、うん。じゃあ、血を一滴ちょうだい。……哲金にも試してもらった方がいいかな?」
「そうだな。いざ試した時にどんな反応になるか知らねぇのはマズいだろ」
「うん、そうだね」
もちろん、次以降の錬成では、この≪酒酔い≫という効能は消すつもりだ。
だけど、良しにつけ悪きにつけ、経験は役に立つ。
私達は、大抵の酒や毒には耐性があるけれど、その耐性が効かない物が、無いとは言えない。
そういう意味では、この霊薬で自分の酔態を把握しておけば、対処を考えられるだろう。
「じゃあ、また後で」
「もう倒れんなよ」
工房を出ていく明黎を見送って、早速次の錬成に取り掛かった。
夕刻。五本の薬筒を前に、私は首を捻っていた。
「うぅん、何で??」
結局、最後の配合まで試してみても≪酒酔い≫という効果は完全には消えなかった。
むしろ殖林杏の果汁を入れた配合を試したものでは≪泥酔≫に悪化したくらいだ。
意図して描き込まない≪効果≫が現れること自体は、無くも無い。けれど、消そうとしても消えないというのは初めてだ。
是が非でも原因を究明したいけれど、肝心の素材が尽きてしまった。
「うーん、翠参の特性なのかしら? 解析した時には分からなかったけれど……それとも、組み合わせの問題? 蒸留酒で抽出したせい? でも水や油だと上手く成分が溶け出さないし……」
一番よく出来た分の薬の配合を木札に書き込む。
砂糖葛の粗糖液を多めに入れた配合が、酔いの効果を唯一≪ほろ酔い≫まで抑えられ、かつ治癒効果が高かったので、とりあえずこれが暫定の処方箋だ。
≪酒酔い≫の原因の究明は、残りの翠参を使えるようになる時までお預けになる。
(……また時間がある時に、組成式の分析をしてみよう)
片付けを終えた後、完成した霊薬を腰の胴乱に仕舞い、工房を出る。横の加工場を覗いたが、明黎はいなかった。別の場所で作業をしているのだろう。
とりあえず、この後の訓練で破損しないようにと薬筒を置きに櫓に行くと、明黎が中で縄を綯っていた。
「あ、ここに居たんだ」
「気配で分かるだろうがよ」
「無茶言わないで」
「ハッ」
明黎には鼻で笑われたが、別に私の索敵能力が低いという訳ではないはずだ。
明黎は、彼の持つ<隠密技>という刻印の影響で、気配が極端に薄いのだ。特に隠れようとしていない今でさえも、衣擦れの音すらほとんどしないし、人の匂いというものが嗅ぎ取れない。
……長い黒髪と硬質な印象の顔立ちも相まって、静謐という言葉がよく似合うと思う。
言動は粗暴だけど。
「哲金と若菜は?」
「一旦戻ってきたあと、山菜を採りに行った。野蒜が生えてたんだと」
「うーん、なら今日は夕飯の準備は少し待った方がいいかな」
薬筒を行李の中へ入れて、代わりに織りかけの布を持って明黎の近くに座る。
「ねえ、それって縄鏢に結ぶ縄だよね? 新調するの?」
随分と短くなっている、明黎の側頭部の髪を見ながら確認する。括れないからか、少し邪魔そうだ。
明黎の主武器は、縄鏢とか鉤縄と称される、木の葉型の刃物に細縄の付いたものだ。
主に打ち込むように投擲して攻撃する武器だけれど、柄頭に付いた縄によって、投げた後に手元に手繰り寄せたり、縄を回転させて遠心力で威力を増したりと、多様な使い方が出来る。
もちろん、その分扱いは極めて難しい。
明黎の縄鏢の縄は、素材化した絡蜘蛛の糸、圻綱の蔓の繊維、維竹の糸に、更に自分自身の髪を入れて作った特別製だ。
絡蜘蛛の糸は、元が強靭でしなやかな上に≪手捌き≫を付与した品。圻綱の蔦は元々の特性として≪霊線≫を持ち、霊力をよく通す。維竹の糸は≪強化≫を付与した物だろう。
これらの素材を自分の髪と併せて撚ることで、簡易の錬成具として使っている。
本来、人の髪の毛は身体から離れた時点で霊力を保持することは無くなるので、錬成の素材としては使えない。けれど本人や近親者の髪などは、表向きには表れない親和性があるようで、使い勝手が良いらしい。
加えて髪というのは意外と強くて柔軟なので、簡単には千切れない。
明黎の使う縄は、その辺の鎖以上に強靭で変幻自在だ。
「ああ。任務に出る前に馴染ませた方がいいからな」
「……そうだね」
任務、の言葉を聞いて、一瞬返事が遅れてしまった。
明黎と哲金が、夏に曲輪を出てこなす任務には、いつも複数の感情が同時に湧き起こる。
そのことに気付かれたのか、明黎の視線がこちらを向いた。
「皓理。…………霊薬の錬成は終わったのか?」
「あ、うん。暫定的に完成したよ。時間作るのに協力してくれてありがとう。ただ、結局≪酒酔い≫を完全に消す事はできなかったのよ」
「……消えなかったのか」
「うん……」
苦々しく頷いて、改めて百薬酒の効果を説明する。
身体の損傷は九割九分回復し、更に半刻ほどは効果が持続する。また、内臓疾患、毒、精神負荷などにも効果を発揮する上に、悪化中の病気であれば発症前の状態まで回復する。
古傷や生まれつきの体質などには効果が無いが、治癒系の霊薬としては最高級の効果だろうと思う。
ただし、≪酒酔い≫という効果のせいで、戦闘時などには使えない代物だ。
私が錬成できる霊薬の中では、今までは水薬の回復薬が一番効果が高かった。
その回復薬と比べても百薬酒は治癒効果がかなり高いので、重症を負った時などに重宝する事は間違いない。
増産の目処は立っていないけど、いざという時の切り札の一つにはなると思う。
「携帯した時の使用期限は?」
一般的に、薬というのは作りたてが最も効果が高く、時間の経過と共に劣化していく。特に水薬は劣化が早い。
霊薬は普通の薬よりは長持ちするけれど、それでも放っておくと3ヶ月も経てば次第に効果が落ちていく事が大半だ。
長期間保存する為には≪防腐≫や≪劣化遅延≫などの効果がある錬成具が必要になる。
ただ、今回出来た百薬酒はその面の心配はあまり無い。
「たぶん、年単位で使えると思う。何て言うか、お酒の特性がかなり強く出てるみたいなの」
経過観察は当然必要だが、成分と効能が安定し過ぎる程に安定しているから、そうそう変質はしないと思う。
「わかった。一番出来の良いやつは今回若菜に使うとして、あと使えそうなのは何回分だ?」
「三回分かな。残り一つは≪泥酔≫の効果がついちゃったから、むしろ毒薬か睡眠薬扱いした方がいいと思うし」
「なら、一回分は俺らが任務の時に持っていく」
「うん。あと二つは、それぞれ、ここと外の隠れ家に隠しておくね」
「ああ、その方がいいだろうな。で、試し用のヤツを寄越せ」
明黎が完成した縄を置いて、こちらに手を差し出す。
その手の上に、胴乱の中に入れていた最初に作った百薬酒を乗せた。私が先に一口飲んだので、一回分の処方量には足りないものだが、試すだけなら一口で充分だ。おおよその効果は実感出来る。
「はい、これ。もし意識を失ったら、すぐに気付け薬を飲ませるけど、いいよね?」
倒れた時の為に、すぐ横に座り直しつつ確認すると、頷きが返る。
特に躊躇い無く明黎が百薬酒を飲んでいるのを見守っていると、嚥下してすぐに様子が変わる。
「うっ…………っ」
酔いを払おうとしてか、額に手を当てて何度か頭を振っていたが、次第に動作が緩慢になっていく。
しばらくして動きが止まったかと思った途端、すっ、とこちらを向いて、見据えられる。
「……あか、り……」
赤く上気した顔、据わった目に、やや不明瞭な声。
姿勢も不安定で、だんだんとこちらに傾いてきている。
(……うん。凄く効いてる、ね?)
まさに酒酔いの見本といった様子で、普段の明黎とはまるで違う雰囲気だ。
しかし、意識は有るみたいだから、口を無理矢理開いて気付け薬を飲ませるのも躊躇われる。
そもそも私と明黎では筋力が違いすぎて、抵抗されればそれまでだ。
「明黎、気付け薬飲めそう?」
「っ……?」
出来れば自分で飲んで欲しくて声を掛けるが、上手く聞き取れないのか、こちらに身を乗り出してくる。その勢いのまま体勢が崩れて、私の身体を半ば巻き込んでずるずると倒れ込む。
最終的に、肘を付いて身体を支えた私の、お腹あたりに凭れかかってきた。
うん、重い。
「明黎、明黎。ね、薬」
「……の、む……」
顔だけを持ち上げて告げられたので、遠慮なく、口に気付け薬を流し込む。
「…………グッ、ゲホッ」
「大丈夫? はい、お水」
「っ、おー……」
竹筒を手渡すと、一気に飲み干す。まだ多少顔が赤いようだが、顔を顰めて身体を起こす動作は普段通りだ。
うん。気付け薬の効果で、酔いはきちんと飛んだみたいだね。
って、あれ?
「明黎、髪が伸びてる」
「あ? ……霊薬の効果か?」
「だろうね。切ってすぐだから、身体の損傷の範囲に入ったんじゃないかな。……あ。サラサラ」
縄鏢に使う為に切ったはずの明黎の髪は、元の長さまで伸びた上に、髪質まで回復していた。結われず流されたままの髪に光が反射して、まさしく烏の濡れ羽色と言った風情だ。
「おい」
「あ、ごめん。つい」
綺麗な色と絹糸のような手触りに、思わずそのまま触っていると、邪険に手を払われる。
そのままいつも通り雑に括られるのを、やや残念な気持ちで見ていると、嫌そうに舌打ちされる。
「チッ……のしかかって悪かったな」
「え、うん。別に何とも無いよ?」
多少は重かったけど、それだけだ。特に謝られることでも無いと思う。
「そーかよ。……確かにコレは、酒の耐性が役に立たねぇ感じだな」
「うん。高濃度の酒精の組成式に術式が絡んで成立してるから、治癒効果の発動と同時に強制的に≪酒酔い≫も発動するのよね」
「気付け薬が効くなら、とっとと飲むのが正解だな」
「うん」
そう。多少困った効果があっても、対処の方法があるのだから、取り敢えず良しとすべきだ。
それよりも、図らずも明黎のおかげで百薬酒の効果の一部が実証された。
本来なら、身体の損傷に含まれないはずの髪にまで効果があったのは≪原状回復≫と≪遡及≫が上手く相互に作用している証左だろう。
「うん? そうだとしたら……」
二口分ほど残った試薬の錬成陣を展開して、ふと思い当たった部分の術式を確認する。
「やっぱり、術式を描き込むためにこの部分の組成式の回路が組み変わって二重に作用してるのか。≪酒酔い≫の効果も回路の重複が原因なの、かも…………?!」
自分の言葉に、何故か背が粟立つ。
今、何かが頭に引っ掛かった。
何? 何に私は引っ掛かった?
今回の百薬酒の事じゃなくて、もっと根本的な、錬成陣の。
……回路の重複。
それを、私は知っている。地下書庫の本に書いてあった。理論の途中で記述が途切れてて、覚え書きの類だと思っていたけれど、あれが技術として確立しているのなら……
「……術式の組み込みで意図的に回路を重複させる、ってことだよね。それで重複した回路を使って、別の≪効果≫を追加…………できる? できる、かな。うん、出来る」
「おい、皓理?」
「明黎! 墨と紙、じゃなくて何か書く物、いや足りないか、ちょっと外出てくる!」
「ハァ?」
展開していた錬成陣を消して、急いで櫓の外へと飛び出し、地面に、今、頭で組み立てている理論を描き込んでいく。
(……この方法が上手く使えるなら、私達の状況を打破する糸口になる)
その思考を最後に、あとは頭の全てを錬成陣で埋め尽くした。
「…………」
「オイ、皓理」
「…………、…………? う、ん? 明黎?」
「正気付いたか?」
「えっと、あ。ちょっと待って、大事な所だけでも書き留めないと」
「ほらよ」
差し出されたのは墨と筆、更に手頃な大きさの板がいくつか。
すぐに受け取って、筆を走らせる。
「ありがとう。準備がいいね?」
「哲金からだ。あいつは今、夕飯の支度してるからな」
「え? あ…………今、は」
「青の刻のおわり(午後六時)頃だな。もう少しで日が暮れる」
「ああ〜……ごめん。今日の夕飯は私が作る予定だったのに……」
「別に。あいつも気にして無いだろ。皓理がああなってる時は何言っても聞こえねぇしな」
「うん、はい。いつもありがとうございます……」
話しながらも記述を続けて、五枚目の板を埋め尽くした後、筆を置く。ここまで書いて置けば、あとは忘れたり間違えたりすることも無いだろう。
「終わったか?」
「うん。こっちの板を保管出来れば、地面の跡は消しても大丈夫」
「そうか。なら構えろ」
「え」
「時間が無いからな。今日の訓練はここで簡単に終わらせてやる」
「あ、うん……」
日が暮れるまでの短い時間、ひたすら明黎に外で転がされて土埃塗れになった。




