6. 初出勤(午後)
昼食を終えると、ひと足早く午後の業務に取り掛かる。
午後は、治癒膏の錬成だ。
作業台の上に、小型の≪加熱≫の錬成具を設置して、その上に常葉木の油を入れた鍋を置く。
基本的な錬成方法は、私の知っている処方とほとんど変わらないようだ。油を加熱し、佐保根、茂草の薬効を抽出し、冷まして益草の浸出油と混合するところまでは、完全に同じだった。
ただ、蛇帝蜂の蜜蝋ではなく、爛気蝋から抽出した蝋を加えるところで、少し違いがあった。
(……なるほど。敢えて微弱に赤属性を残すことで≪殺菌≫の効果を付与しているのか)
しかし、その分≪治癒≫の効果は落ちているので、これは一長一短だろう。それに、白属性の部分に描く≪即効≫の術式が少し違う。なるべく覚えておいて、後で細かいところを質問しよう。
しばらくすると、攪拌を続けていた油は半固形の軟膏になった。それに梅花が展開していた錬成陣を融合させて、錬成は終了だ。
「よし、終わり。視てて、何か理解らないところはあった?」
「はい。最後に描き込んだ≪即効≫の術式が、私の知っているものと少し違っていたので、確認してもいいですか?」
「あら、そうなの? なら書く物があった方がいいわね。片付けをしたら文机の方に移動しましょうか」
完成した霊薬の梱包と、使用した器具の片付けを手早く終わらせて、文机の方へ移動する。ここにある紙や墨は、ある程度好きに利用してもいいそうだ。気前が良くて驚くが、書きながら頭の中を整理出来るのはありがたい。
「それで、どこを確認したいの?」
「はい、私が知っている術式は、こう描きます。先程梅花さんが描き込んまれていた術式は、こう、でしょうか? ここと、この部分に確証が持てなくて」
紙に、≪即効≫の術式を描いていく。術式は、概遍文字と呼ばれる特殊な言語の組み合わせだ。形としては象形文字の系統で、読むのは直感的に何とかなっても、描くのは非常に難しい。
私の使っていた≪即効≫の術式は、時間・速度・非常に・早い・効果がある・効く、といった単語で構成されている。
比して、梅花の描いた術式は、時間・長さ・経つ・早い・とても・短い・有る・効果がある・効く、という構成だと思う。
『経つ』と『有る』は初めて視る単語なので、少々自信がない。
「こっちは合ってるわ。こっちは一本線が多いわね。……それにしても、貴女の術式を少し見せてもらっていいかしら?」
「はい。もちろん」
私の術式の方でも、梅花の知らない単語があったようだ。指で宙をなぞりながら、形を覚えようとしているのが分かる。
「なるほど……この術式、すごくいいわね。貴女に時間があるなら、部門長に見せてみない? もちろん、秘匿したいなら私も秘密にするけど」
「いえ、特に秘匿の必要はありません。時間もあります。部門長に見せた方がいいですか?」
「ええ。あの人、ああ見えて一流の錬成術師だもの。今までの術式と比べてどちらが組み込むのに適切か、判断してもらいましょう。私の予測が当たってれば、貴女の術式の方が効果が高いわ」
おや、と少々意外に思いながら移動する梅花を追いかける。見習いの見せた術式を、すぐに採用するほど思考が柔軟だとは思わなかった。
「部門長、ちょっといいですか? 皓理の知っていた術式が非常に効率的だから、見て欲しいんです」
「術式? 分かった。ちょっと待って」
部門長である道竹は、手元の書類をざっと片付けると、すぐにこちらに向き直った。どうやら、興味があるらしい。
「こちらです」
「ありがとう」
部門長は、私がつい先程描いた術式を、じっと見つめながら、何事か呟いている。たぶん、効果を分析しているのだろう。
「……これはいいね。術式の単語が減れば、その分失敗も霊力の負担も減る。上手く錬成陣に組み込めるか確認したら、ウチの工房でも使いたいな。この術式を作ったのは誰だか知ってるかい?」
「……私が≪即効≫の術式を教わった時は、時間・長さ・短縮・非常に・早い・効果がある・効く、の七単語でした。それをどなたが作ったのかは知りません。その、あまり親切に教えてもらえなかったので。……その後で、古い文献で『速度』の単語を知ったので、『長さ』『短縮』の代わりに組み込んだのは私です」
私の返事に、道竹の視線がパッと上がる。
「えっ、君が改良したの? すごいね。一つ単語を変えると、前後の単語の形も少し変わらない? どうやって細かい違いを調整したの?」
「えっと、試行錯誤の結果でしょうか」
嘘ではないが、実際は<解析術>によるところが大きい。<解析>すれば、いきなり正解が分かるわけではなくても、改良の方針くらいはすぐに理解る。けれど、複数の刻印を持っていることを明かすとまた騒ぎになりそうだから、<解析術>については秘匿することにしている。
「へえぇ……すごいねぇ。そういえば、概遍文字の細かい違いもきちんと理解してるみたいだし……この『非常に』と『とても』も似てるけど、違い説明出来る?」
「『非常に』の方は、常から外れて、という意味合いが強いので、前後の単語の選定が難しく汎用性が低い代わりに効果が高くなります。『とても』の方は単語が単純なわりに多岐に渡って使えるので、汎用性は高いですね。その分、効果に関しては一歩譲ります。ただし、術式を描き込む属性によっては『とても』の方がいい場合もあると思います。赤属性と黒属性に描き込むのでしたら『非常に』より『とても』の方が相性が良いかと」
赤属性は規律、黒属性は受容を司るため『非常に』という単語との相性が良くない。
「そうそう、属性でも違いあるよね。そのへんの違いを理解してくれる人ってあんまりいなくてさ。極端な人は術式や錬成陣なんて丸暗記でいいとか言い出すんだよ、信じられない」
「えっ! 丸暗記は駄目じゃないですか……?」
私、頭領に、錬成陣を丸暗記する錬成術師は三流だって、一番初めに釘を刺されたんだけど。
「うんうん、駄目だよね。でも、そういう人って『細かい違いを追求するより、多くの錬成陣を覚える方が重要だ』とか言うんだよ。確かに、錬成出来る物の種類を増やす事も大事だけどさ、丸暗記だとその後の発展が無いんだから、結局はそのうち頭打ちになるだろう? しかも理論を理解していないと、自分の間違いにも気付けないし、今みたいに新しい術式を知った時に組み込むことも出来ない。基礎研究は絶対に必要だよ」
それはそう。道竹の言葉に深く頷いていると、横にいた梅花が苦笑しながら口を出す。
「私も基礎研究は大事だと思うけど、全員が研究ばっかりしてたら工房が回らなくなっちゃいますよ。いいじゃないですか、頭を使わない単純作業を好き好んでやってくれる人がいるから、私達も工房の経営状態を気にしなくても済むんだし」
道竹を窘めているようで、全然そうでもなかった。表情と口調で分かりにくいが、梅花も結構口が悪い気がする。
「いや、うん。分かってるよ」
「どうかしら。うっかり愚痴を上の階の人達に聞かれないように気をつけてくださいね。工房内で派閥争いなんて莫迦らしい事態にならないように。ただでさえ仕事が増えて忙しいんだもの。それに、私だって部門長ほど錬成陣狂いじゃないんですから、研究の大切さは分かっても、研究ばっかりしたいとは思わないわ」
梅花は呆れたように言うが、私の使っていた術式を見てすぐに伝えにきたあたり、研究が嫌いなわけではないだろう。
「う、うん……あ、でも、この術式を使った錬成には興味あるよね? 今からやってみない?」
「今からやっていたら就業時間を越えてしまいますよ。私が試すのは明日です。やってみたいなら部門長が自分でやって下さい」
「そっか……じゃあ、僕が今からやろうかな」
そう言って道竹が立ち上がる。文机の上には書類がたまって見えるのだが、いいのだろうか。
思わず梅花の方を確認すると、肩をすくめられる。
「一度こうなったら、満足するまでずっと研究し続けるのよ。時間があるなら少し手伝ってあげて。私は簡単に掃除をしたら退勤するから」
まだ黄の刻の鐘が鳴ったばかりだから、予定の退勤時間までは半刻ほどある。見習いとしては掃除などの雑用を請け負うべきな気はするが、当の梅花からぱたぱたと手を振って道竹の方へ行くよう示される。
この仕草が建前だということも無いだろうと判断して、頭を下げて挨拶をした後に道竹が向かった方向へと急ぐ。
道竹は、先程まで梅花が錬成をしていた場所で、次々と素材を取り出して錬成の準備をしていた。量こそ少ないが、出ている素材からして、早速治癒膏を錬成するつもりなのだろう。
黙々と手を動かしている様子からして、下手に話しかけない方がいいだろうと、器具の準備や素材の計量を黙って手伝う。
道竹が錬成陣を展開してからは、使った分の素材の下処理をしながら見守っていたが、錬成陣に干渉して素材の変化を早めているようで、そこまで待つこともなく治癒膏は完成した。
「…………錬成陣にも見た目にも問題は無いな。後は、効果と効き目の早さが従来と同じかそれ以上なら、正式な処方に出来る。工房所長に一度報告を上げて…………」
独り言を呟きながら、少し奥の棚から別の器具を取り出して、出来たばかりの治癒膏を塗っている。おそらく品質を調べているのだろう。
「……大丈夫そうだな。一度、報告を上げて、冒険者組合に試用と検証をしてもらうか」
そこまで言って顔を上げた道竹と、目が合った。途端に道竹が挙動不審な仕草で視線を逸らす。
「ご、ごめん。集中していて気付かなかった。手伝ってくれてたの? 時間は大丈夫?」
「はい。退勤時間は過ぎましたが、特別な用があるわけではないので、時間は大丈夫です」
「そ、そう……あの、なんで」
少し待ってみたが、言葉が続かないようだ。よほど動揺しているのか、視線があちこちに泳いでいる。
(……何で手伝っていたのか、かな?)
何故ここまで動揺しているのかはよくわからないが、私の方に特に疾しい理由は無い。
「梅花さんから、時間があるなら部門長の手伝いをするように言われました。あと、私自身も品質の違いがどうなるか気になったものですから」
「ああ、そうなんだ……ええと、品質に関しては問題無いよ。正式に商品として出すまでには、いくつか手続きが必要だけど、それが終わったらこちらの処方を標準として採用することになると思う。少しだけだけど、錬成に必要な霊力も少なくてすみそうだし」
品質に影響が出ていないならば安心した。初日から余計な情報を伝えたことにはならなかったようだ。
せっかくなので、先程気になったことも聞いてみることにする。
「部門長、そういえば、治癒膏の効能に≪殺菌≫を付与しているようですが、その分≪治癒≫の効能が落ちていますよね? ≪治癒≫より≪殺菌≫の効能が優先されるのですか?」
「ええと、それは、納品先の冒険者組合からの要望だよ。霊薬を常備していなくて、傷が悪化してからはじめて霊薬を使う冒険者も多いらしいんだ。そういった人達にも問題無く使えるように≪殺菌≫を付与するようにしてる」
なるほど。既に化膿している傷に使用するのなら、確かに≪殺菌≫が必須だろう。
「よく分かりました。ありがとうございます」
「あ、うん、こちらこそ……」
何故かお互いに頭を下げあってから、顔を見合わせる。まだ、笑い合うほど親しくはないけれど、わずかに緊張が緩む。
なんとなく、この工房で上手くやっていけるような気がした。
「では、片付けをしましょうか」
「あ、片付けくらい僕がやっておくけど……」
「いえ、私は見習いの立場ですし、二人でした方が早く終わります。……私が邪魔なのであれば帰りますが」
「いやいやっ、邪魔とかじゃないよっ。……急いで片付けよう。若い娘さんを遅い時間に帰すわけにはいかないし」
言われて、目を瞬く。ごく自然に気遣われたから嫌な気はしないが、一応心配無いと伝えるべきだろうか?
(……なんとなく、この人の気遣いは無碍にしにくいんだけど)
少し迷って、結局黙礼だけ返して片付けに専念することにする。
粗方片付け終え、最後に作業台に霊力を通して≪浄化≫を発動していると、耳元でコツコツという音が聞こえた。通信機だ。咄嗟に道竹を見るが、音に気付かれた様子は無い。
送信者は明黎で、内容は『連絡しろ』
耳元に手を当て、音が聞こえなくいようにしてから『どうしたの?』と送ると、すぐに『何処にいる?』と返信が返ってきた。
何かあったのだろうかと、急いで片付けを終えて帰り支度をしながらも『工房』と送信する。その後の返信が無いので、もう一度『何かあった?』と送信するが、やはり返事が来ない。
でも、通信機が通じるということは、比較的近くに明黎が来ているということなので、とにかく工房から出ることを優先する。
「では、お疲れ様でした」
「お疲れ様。遅くまでごめんね」
「いえ。また明日もよろしくお願いします」
最低限の挨拶をして、工房を出る。
私の居場所を確認していたので、明黎が近くにいるかもしれないと気配を探るが、やはり私が明黎の気配を察するのは少々難しい。特に、まだ人出のある道なので、細かい気配の違いは把握しにくい。
もう一度通信機で連絡を入れようとしたら、ふっ、と目の前に人影が落ちる。
「皓理」
「明黎。どうしたの?」
特に焦った様子は見当たらないので緊急事態ではないと思うが、わざわざここまで来たのだ。何か理由があるのだろう。
「どうかしたのはお前の方だろうが。帰りが遅かったから迎えに来た」
「え?」
予想外のことを言われて、思わず空を見上げる。退勤予定時刻から半刻以上過ぎているとはいえ、空はまだ赤くなってもいない。
首を傾げていると、「何も無かったならいい」とため息を吐かれた。
(……あ、心配してくれてたのか)
私が就職先の工房所長にあまり歓迎されていないことは明黎達も知っている。そして、人の悪意は、時に妖魔よりも危険なものだ。
勤務初日で帰宅が半刻以上遅れたせいで、要らぬ心配をかけたらしい。申し訳ないが、嬉しくも思う。同時に、過保護だとも。
「迎えに来てくれて、ありがとう。一緒に帰ろう」
「……ああ」
二人で並んで帰路を辿る。他愛のない話をしながら二人で歩くのは、思いのほか楽しい。
「じゃあ、夕食は哲金と若菜が作ってくれてるんだね」
「ああ。少し値段が下がってきたから、魚を焼くって言ってたな」
「じゃあ、今日はちょっと豪華だね。味付けはなんだろう?」
「さぁな」
明黎の返事はそっけないことが多いので、会話は途切れがちだ。沈黙が気になるわけではないが、こちらを観察するような視線を感じたので、心配をかけたのだろう仕事の話をする。
「工房ね、部門長が思ったより気遣ってくれてるみたい。指導役の先輩がついたんだけど、その内の一人について今日は行動したんだ」
「……どんなやつだ」
「梅花さんっていう、年上の女の人。十四歳と十六歳の子供がいるんだって。ニコニコしてるけど、言うことが結構辛辣」
「……なんで遅くなった?」
「私の使ってる術式の出来がいいって言われたから、試作に付き合ってた。強制されたわけじゃないよ」
「……なら、いい」
納得してくれたのか、こちらを向いていた視線が途切れる。
それを少し惜しくも感じながら、赤みを帯びはじめた空の中、家に帰った。




