5. 初出勤(午前)
工房内は土足厳禁なため、土間で草鞋を脱ぎ、置いてある水で簡単に足の汚れを落として手拭いで拭き、綺麗な足袋を履く。
「おはよう。早いね」
そう挨拶してくれたのは、一般部門長だ。
私の直属の上司になる彼は、外見にも苦労性が滲んでいる四十代の男性だ。名前は道竹。
工房の鍵はいつも、道竹が開け閉めしているらしい。彼は「近くに住んでいるから」と眉を垂らして笑っていたが、たぶん他の幹部陣から押し付けられたのだと思う。
押しに弱い性格からは分かりにくいが、十位下の位を持つ優秀な錬成術職能技官だ。
「おはようございます、部門長。改めまして、本日より見習いとしてよろしくお願いします」
「丁寧にありがとう。こちらこそ、よろしくね」
そう答える道竹の手には、雑巾が握られている。朝一番の掃除をしていたのだろう。
(今日から私が来るのは知っていたはずなのに、雑用を見習いに任せようとか考えない人なんだなぁ)
本当に、真面目というか、腰が低い人だ。それとも、私が掃除も出来ないと思われているのだろうか。
「よければ、私も掃除を手伝います。それとも、水汲みを優先した方がいいでしょうか?」
「えっ、いや、うーん。じゃあ、一緒に掃除してもらおうかな。水汲みも一緒にしよう」
「はい、分かりました。では、部門長は高い位置のはたきがけをお願いしてもいいでしょうか。私は奥から床の雑巾掛けをしますので」
「えっと、うん。……掃除、慣れてるの?」
「え、はい。日常的にしまいますので」
むしろ、掃除に慣れてない人とは? と思ったところで、生まれ育ちを勘違いされている可能性に思い当たる。
(もしかして、裕福な貴族家の出身だと思われている?)
部門長達が、どんなふうに私のことを説明されたのかは知らないけれど、城からの口利きがあったことを知っているなら、そういう勘違いをされている可能性はある。
「あの、部門長。私は普通の平民ですので、水汲みも掃除も洗濯も荷物運びも、家事や雑用の類は何でも出来ますよ」
「え? えっと、うん。わかった」
部門長は「わかった」と言いながらも眉を垂らした困り顔だ。たぶん分かってない。
ただ、ここで何を言ってもたぶん聞き流されるのだろうことも察した。
(……これは、流石に身分を偽っていることにはならないよね?)
面と向かって否定しているのだから大丈夫だとは思うが、一応城に報告を上げておいた方がいいのかもしれない。
(まあ、これから毎日接していれば、誤解も早々に解けると思うけど)
とりあえず、今は掃除に専念しよう。
◇
「今受けている注文の受注票はここに置いてあるわ。写しはこっちね。誰が担当して錬成するかは、部門長の采配よ。納期は色々だけど、よほど急ぎの物以外は毎週末の黒の日までに規定量を錬成してれば大丈夫なように予定を調整してくれているから、安心してね。割り振られた仕事が全部終わったら、部門長に許可を取って自分の研究をしてもいいの。貴女は当分、私達の補助に付くって話だから、そのあたりは実際にやりながら覚えていってね。……あとは、何か説明することがあるかしら?」
「申請」
「ああ、炉や窯なんかの特殊な設備を使う時は事前に申請が必要なの。出来れば三日前、遅くても前日には申請するようにしておいた方がいいわ。やり方は、また後で教えるわね」
「はい。よろしくお願いします」
今、私は教育係として指名された二人の先輩に仕事の説明をしてもらっている。
先輩達の名前は、梅花と草二。梅花は、三十代後半の女性で、子育てがある程度落ち着いてから再就職でこの工房に入ったそうだ。もう一人の草二は十九歳の青年で、極端に無口だが、黙々と仕事をする職人気質で、錬成の腕はいいらしい。
錬成は基本的に単独でするものなので、補助といっても私の手の出せる範囲は限られる。
私の仕事は、当分は二人の使用する錬成素材の下準備や、器具の片付けになるのだろう。
「じゃあ、とりあえず今日は私についてもらうね。草二くんは、慣れるまでは意思疎通が難しいだろうしねぇ」
「わかりました」
草二は無口だと言っても、聞いたことには答えてくれるから、そこまで意思疎通が難しいとは思わないが、せっかく気を使ってくれているのだから敢えて否定する必要もない。
そのまま梅花について、場所を移動する。
「今週私が錬成するのは、治癒膏と鎮痛薬、貝灰ね。早速、窯の使用申請をしなくちゃいけないわ。あと、やっぱりいつもより回復系の霊薬の納品量が増えてるわね」
そのまま梅花と一緒に部門長の所へ行き、窯の申請書を作成する。この工房の窯は、私が曲輪で使っていた物と違い、錬成具なのだそうだ。なので、排煙と排熱の設備こそあるものの、屋内に設置されている。幸い、直近で窯を使う予定は無かったようで、明後日の午前に窯の使用予約が出来た。どういう仕組みの錬成具なのか、実際に稼働させるのが楽しみだ。
窯の予約がおわったら、次は霊薬の錬成に取り掛かる。今日はまず、素材の下準備をするそうだ。
「治癒膏でしたら、茂草と佐保根と蛇帝蜂の蜜蝋ですか?」
「ううん、蛇帝蜂の蜜蝋って素材は使わないわ。使うのは、爛気蝋の実ね。これを煮出して、虎顔鮫の鱗から精製した膨張剤と殖林杏の酢を少し加えて、浮いてきた蝋を使うのよ」
「わかりました。勉強になります」
爛気蝋の実と虎顔鮫の鱗の膨張剤というのは、始めて聞く素材だ。素材を取り出す時にこっそり<解析>させてもらう。
ふむふむ。爛気蝋は赤・緑属性で、加熱しないと毒性がある。加熱後の特性は殺菌、保湿、補修。
虎顔鮫の鱗の膨張剤は……うん? 加工の仕方が理解らない。元の塩に近しい特性から、随分と変化している。元々、虎顔鮫は無・青属性のはずだが、この膨張剤は完全に無属性だ。おそらく一度錬成して青属性を抜いて無属性のみにしているのだろう。錬成陣の操作だけでは大量の霊力が必要になるだろうから、なんらかの加工をしているはずだが、私の知らない手法のようだ。この膨張剤の錬成方法も後で質問してみよう。
梅花の指示通りに、≪加熱≫の錬成具の上に設置された大鍋へ水を注ぎ込み、加熱する。その後は、梅花が錬成陣を展開して錬成するので、薬研で素材の下処理を行いながらその錬成陣を見学させてもらう。
午前中は、蝋を抽出する作業だけで終わった。ただし、これは十数回分の量を一気に錬成したそうなので、別に効率が悪いわけではない。むしろ、私の知らない錬成をわざわざ見せてくれたのだろうと思う。
昼休憩の時に、持参したお弁当をたべながら、改めて梅花にお礼を言う。
「教育係なんだから、当然じゃない? でも、そのあたりのことに、貴女がちゃんと気付いて良かったわ」
笑いながら軽く言われたが、言い方からして、たぶん試されていたということだろう。
「……参考までに、気付かない時はどうしていたのですか?」
「うーん、そうねぇ。察しが悪くて向上心も無い子なら、わざわざこちらが時間を割く必要もないよね。だから、普通に下処理とか片付けだけを手伝ってもらったと思うよ?」
ニコニコ笑っているけれど、言っている内容はそれなりに厳しい。これからも、気を抜き過ぎないように気をつけよう。
ちなみに、梅花もお弁当持参だったので一緒に食事をしているが、他の従業員の大半は外食に出掛けている。工房全体だと、あと数名、お弁当を持参している人もいるそうだが、梅花とはあまり交流が無いらしい。私がお弁当を持参してきたので、一人で食べずに済んだと喜ばれた。
梅花のお弁当は、十四歳の娘さんが準備してくれているらしく、それを話す梅花の顔は、非常に優しげだった。どうやら、自慢の娘のようだ。もう一人、十六歳の息子もいるそうだが、そちらは父親について仕事を始めた途端に生意気になったとため息を吐いていた。
……どうやら、子供をよく気にかけている、とても良いお母さんのようだ。
この人と、上手くやっていければいいなと思う。




