4. 実験準備
作業以外の要因で疲れた素材の洗浄を終えて、乾燥させる物は工房横の軒下に吊るしていく。
ついでに元々干していた物の中から乾燥の終わった素材は回収して工房へ。
茂草や十善草、佐保根、常葉木の葉、糸仲の樹脂などは、水と霊力さえ欠かさなければ季節を問わずに採取できる素材だ。
その分消費量も多いので、常に多めに採取して保存している。
「じゃあ、僕は薪割りに戻るから」
「ありがとう。助かったよ。私はちょっと調べたいことがあるから工房に残るけど、若菜はどうする?」
「…………」
「あー、じゃあ僕の方手伝ってよ」
「わ、わかった。おてっ、おてつだい」
哲金が若菜を連れて作業場に行くのを見送る。
若菜は理解力や判断力に問題は無いのに、やはり意思表示は上手く出来ない。
「はやく、治してあげたいな……」
出会った当初、周囲を励まして勇気付けていた、若菜のあの笑顔をまた見たい。
そのための足がかりに、この翠参がなればいいのだが。
洗った後、水分を拭き取った二本の翠参を台に置く。
見た目は、枝分かれした翠の人参、といった感じで、大きさも手のひら程度でわりと小ぶりだ。
錬成陣を展開して<解析術>を使う。
緑属性、霊薬素材、可食、根菜、霊力は根部に集中…………
<解析術>を使えば、さまざまな情報を得る事が出来る。ただし、情報を得られても、それが正しく理解出来るとは限らない。
例えば「兎が穴の中いる」という情報があるとする。
しかし術者が「兎」を知らない場合は、「頭部に2本の突起のある動物が穴の中に潜んでいる」という、術師の理解度に応じた情報しか得られない。
そうした情報の齟齬を減らすにも、錬成陣の構成を同時に把握するのは有効だ。
「ん、油分過多で乾燥させるのに向かない……長期保存が難しい、か」
収穫したのは早計だっただろうか。
残った三株については、慎重に様子を見るべきだろう。
「保存するなら、蒸留酒に漬け込むしか無いかな。どちらにせよ、劣化する前に効能を正確に把握しないといけないな」
蒸留酒に漬けるにしても、どの種類の酒に漬けるかで効能に変化があるはずなので、その選定もしなくてはいけない。
もっとも、それ以前に、元々の目的である若菜用の霊薬に使えるならそれが一番だ。
「今日、は流石に無理か。明日時間取れるかな? 皆んなに相談してみないと」
そろそろ日が傾き始める時間帯だ。
太陽が沈んでも晴れていれば、月や星の明かりで全く見えないという事はないけれど、灯りも付けずに流石に錬成や実験の類は出来ない。
灯明用の油もそう簡単には使えないし、日が落ちて以降はよほどの事が無い限り寝床にしている櫓からは出ないようにしている。
あそこは一階に囲炉裏があるので、その周りでなら多少の手仕事は出来るのだ。
翠参を丁寧に油紙で包んで保存棚に置くと、そのまま工房を出る。
外の薪置き場で若菜達と合流し、夜に使う分を運んでいると、ちょうど明黎が戻って来た。
「おかえりなさい。うん? それは?」
「わ、哭角鹿じゃん。コイツらすぐ逃げるのに」
「偶然畑の近くにいたからな。血抜きだけはしてるから、さっさと処置しろ」
鍬の柄に何か付いてると思ったら、妖魔である哭角鹿が括り付けられていた。
いや、うん。明黎ならこれくらい簡単なのだろうけれども、畑仕事の片手間で妖魔を仕留めてくるとは流石に思っていなかった。
狩猟の時のように、獲物の痕跡を追って捉えた訳ではなくて、哭角鹿に気付かれる前に気配を感じとって、すぐに仕留めたのだろう。相変わらず、索敵能力と戦闘技術が尋常じゃない。
まだ若いのか小さめの個体だけど、食肉としての量だけ考えても十日分はある。それに、血抜きだけして急いで運んできてくれたのか、まだかなり魔力が残留していた。
妖魔の魔力はそのままだと人体、というか人の魂にとって有害だ。なので、魔力を霊力に変換する処理を行う。この処理をすることで、妖魔が持っていた魔力を人間が利用することが可能になるのだ。
これには術系統の刻印の前提となる<霊力変換>という技能が必要なのだが、私だけではなく明黎も行使できる。
ただし、明黎が出来るのは、単に有害な部分を無害に変換することだけだ。
この変換方法は、錬成陣を使用せず強引に行使者の霊力で変換するため、元々の性質がごく限られた物しか残らない。含有霊力も活用の幅も大きく違うので、素材ではなく「霊玉」と呼んで区別される。
霊玉も使い道は色々あるが、近くに錬成術師がいるなら素材化した方が良い。
哭角鹿はさほど強い魔物では無いが、同族とその大きな青い角の振動を使って情報交換をしていて、単体だとすぐ逃げるくせに、油断していると集団で襲ってくる。
哭角鹿の魔力は特に角に集まっているので、錬成術の素材となるのも角だ。実際、私達四人の耳ついている簡易通信機は哭角鹿の角で作ったものだ。
まあ、今のところ角の新しい活用方法は思いつかないが、簡単に腐るような物でもないし素材として保管しておく事にする。
錬成陣を使った素材化の処置を終えたら、次は急いで皮と肉の解体だ。これは力仕事だから、明黎と哲金にお願いする。私は若菜と先に薪を運んだ後、急ぎで皮のなめし液の用意に取り掛からなくては。
軽々と哭角鹿を抱えて歩き出した明黎は、一瞬だけ私の所で立ち止まって「ついでだ」と何かを投げて寄越してきた。
西日で見えにくい中、何とか受け止めたのは、紫色の小さい霊玉だ。花弁の形で、霊力含有量はほとんど無い。
「明黎!」
明黎は、渡すだけ渡して、振り返りもせずにさっさと行ってしまう。
慌てて渡された小さな霊玉を解析して、保存状態を確認する。投げ渡すようなぞんざいな扱いだったが、これは、明黎にとって特別な物なのだ、たぶん。
明黎は、年に一度、必ずこの紫色の小さな霊玉を持っている。今みたいに私に渡してくれる時もあるが、自分で保管して眺めていたりする年もある。霊玉化していても、元々の霊力が極少なく、今までにもらった霊玉は既に霊力が尽きて砕けてしまっている。
一度「素材化しようか?」と聞いたのだが、物凄く苛立った顔できっぱりと拒否された。どうやら、私にこの霊玉の元素材を知られたくないらしい。おそらく花だと思うのだが、明黎の怒りに触れたくはないので、追及はしていない。
しかも、なるべく長く保たせたいのに、大抵明黎はこういう慌しい時に渡してくる。明日からも予定が詰まっているから、今年もこれ以上の保存の加工は難しいだろうか。
霊玉を慎重に胴乱に入れて、なめし液の準備へと向かった。
予定外の作業ではあるものの、皮の入手機会も頻繁にある訳ではないので、無駄にする訳にはいかない。
かといって、あまり長期間血や死骸の匂いをさせていると他の妖魔を呼び寄せことに繋がるから、なるべく短時間で処理するのが鉄則だ。
工房に一旦戻って、奥の方に仕舞っていた常葉木の樹皮を引っ張り出し、焜炉と鍋と一緒に運び出す。厨の二つの竈と焜炉にそれぞれ鍋をかけてお湯を沸かし、樹皮を放り込むと錬成陣も使って成分を抽出。粗熱がとれたら一番大きな樽に溜めていく。
哲金が運んで来た余分な脂や肉を削ぎ落とした皮を、水洗いしてからなめし液に漬け込む。
日が落ち始めたあたりで何とか皮の方は最低限の処置が終わった。
あとは残った肉や骨の処理だ。骨からは膠が取れるし、肉も流石にこの量だとある程度は保存処置が必要だ。
とはいえ、いい加減に夕食の支度をしなければならない。日が完全に落ちてしまえば火を焚いても手元が見えにくくなるし、あと単純にお腹も空いた。
私と若菜が厨で夕食の下拵えと保存用の肉の切り分けをしている間に、明黎と哲金には内臓や屑骨などを特殊肥料専用の場所に埋めてもらった。残りの作業は明日の朝でいいだろう。
せっかく竈に火を入れたので、片方で身体を拭く用のお湯を沸かしつつ、もう片方で夕飯用の鍋を調理する。いつもは櫓の囲炉裏で直接調理するのだが、今日はこちらでしてしまった方が都合がいい。
あらかた材料を鍋に入れ終わったあたりで、明黎と哲金が戻ってきた。
「お疲れさま、片付けありがとう。そっちの鍋で清拭用のお湯を沸かしてるから、先に汚れ落としてきて。今日は鹿肉のもみじ鍋にしたから、もう少し時間がかかるの」
解体する時にどうしても出る屑肉と、出汁が出る脛肉を入れ、更に根菜や臭み消しの香草まで入れたので、鍋は溢れんばかりだ。とはいえ後は煮込むだけなので、吹きこぼれにさえ注意すればいい。
「あ、二人は何処の部分のお肉を使いたいとか希望はある? 使いやすいように小分けにしておこうか?」
普段は私が料理を担当することが多いけれど、二人が作ることもある。
明黎も哲金も料理は出来るし、若菜も指示さえ出せば作業事体は上手だ。ただ、鹿肉は滅多に手に入らない食材なので、三人とも慣れていないだろう。最低限の処理は先に済ませておいた方がいい。
「今の時期なら何日か置いておいても腐ることは無ぇんだし、皓理が作れない時は保存しときゃいいだろ。俺や哲金じゃ、適当に焼くか煮るかぐらいしか出来ん」
「さんせーい。僕もどうせなら美味しく食べたいし、姉さんに料理して欲しい。保存庫の中なら肉を寝かせてても大丈夫でしょ。若菜も姉さんのご飯がいいよね?」
「お、おねえちゃん、ごはん、す、すき」
「そう? えっと、じゃあ、いくつかに分けて保存しておくね」
何やらちょっと嬉しい事を言われてしまった。
材料の都合もあって大した物を作れていた気はしないのだけど、思ったより料理を気に入ってくれていたようだ。これは腕を振るわない訳にはいかないかな。
「じゃあ部位ごとに分けて、一部は塩漬けと味噌漬けにしておくね。それと、背中の肉には香草を擦りこんで熟成させておこうか。明黎は香草焼き、好きでしょう?」
「……別に食えりゃあ何でもいい」
さっきと言っている事が違うよ、明黎。
別に喧嘩をしたい訳では無いから口には出さないけれど、ちょっと笑ってしまった。
交代で身体を拭いた後、櫓の囲炉裏に鍋を運んで夕飯を食べる。哭角鹿の脛肉からは、しっかり出汁が出て野菜にまで浸み込んでいたし、長めに煮込んだ甲斐あって肉も柔らかく解れていた。
残った汁にすりおろした板芋を投入したら、それも瞬く間に全員の胃袋に消えた。
「はあ、ご馳走様でした」
久しぶりにお腹いっぱいと言えるまで食べられて、幸せだ。
囲炉裏の上に薬缶をかけ、お茶を淹れる。
湯呑みを手に取れば、しばらくは明日の予定の擦り合わせだ。
「急な話なんだけど、明日は防衛機構の点検と朝食が終わったら、すぐに工房での作業に入りたいんだ。今日初めて収穫できた、翠参っていう薬草を調べる時間を取りたくて。他の薬草と違って、乾燥保存が出来ないみたいなのよ」
「……前になかなか育たないとか言ってた奴か? 薬効が高いとかいう」
明黎の言葉に頷きを返す。
「うん、それ。今日見たら、いきなり様子が変わってて。下手に様子見をして枯らすよりは、と思って収穫したの。二本しか無いから、特徴とか薬効を調べて、五種類程度の処方を試すのがせいぜいだろうけど、出来れば早めにやってしまいたくて。明日と、出来れば明後日もそっちに専念させてもらえないかな。哭角鹿の皮のなめしと、膠取りなんかも任せる事になっちゃうけど……」
ただでさえやるべき事が増えている時に申し訳ないが、翠参も放置するわけにはいかない。
「そっちは僕がやっとくよ。皮なめしと膠取りなら、他の作業と並行して出来るし。匂いで妖魔が寄って来ないか心配だから、護扇樹の枝は多めに燃やすね」
「うん、ありがとう。よろしくね」
護扇樹は、妖魔の大半が忌避する匂いを発する霊木だ。
整備された街道や小規模な村の周辺などには必ず植樹されて、人を妖魔から守る一助になってくれている。
この曲輪の外壁の外にもそこそこの数が植えられていて、重要な防衛手段の一つだ。
属性は緑・黄・黒の三属性。
生木もさることながら、樹皮を妖魔避けの錬成具として練香に加工することも出来るし、剪定した枝などを燃やしても匂いの拡散で妖魔の接近が防げる。
妖魔を刺激する血や脂の匂いが強い作業をする時は薪と一緒に燃やすのが鉄則だ。
先程なめし液を作る時にも燃やして、灰は解体場所に撒いてきた。
「朝の哨戒が終わったら、敷地内の水やりくらいはしといてやる。哲金が敷地内にいるんなら、俺は若菜連れて隠し畑の手入れと薪用の木を伐採してくる」
明黎は薬草園の世話を変わってくれるらしい。更に、哲金の代わりに薪の補充兼畑拡張の下準備をしてくれるようだ。
拡張に関しては冬の間も適宜進めていたので、主目的は今日大量に消費した薪の確保の方だろう。備蓄はあるとはいえ、乾燥させる期間が必要なので、使った分はなるべく早く補充した方がいい。
「二人共ありがとう。若菜も、明日は明黎の手伝いをお願いね」
「う、うん、おねえ、ちゃん」
素直に頷く若菜に笑いかけ、全員の食器を洗い桶に入れておく。
一つ一つは大した事では無いとはいえ、今日は頻繁に霊力を消費したので少し眠い。眠る前の手仕事は、あまりはかどらない気がする。
「ところで、その採取した翠参って霊草、確かあと三株くらい植ってたよね? もしそっちも使って色々するなら、予定調整しなきゃいけないから早めに教えてね」
「うん。今のところ、残りはそのまま植えておく予定だけど、もし新しい霊薬が上手くいきそうだったらお願いするかも。実際に反応を調べなくちゃ分からない事も色々あるから」
「ふーん、じゃあ若菜に効く霊薬が出来る可能性もあるんだ?」
哲金が興味深そうに聞いてくる。哲金も若菜の回復を待ち侘びているから、そこが一番気になるのだろう。
「そうだといいとは思ってる。一応、地下書庫の書籍に似たような霊草を使った処方箋があったから、それを参考にすれば全く使えない薬にはならないとは思うけど……」
あいにく素材の量が少なすぎて、望む効果のある霊薬を作れるかは、かなり分の悪い賭けだと言わざるをえない。
そもそも私は錬成術師であって、医師でも薬師でもないから、正確な診断が出来ているという保証すら全く無いのだ。
一応基本的な病理学と生理学、薬学は書物から学んだのだけれど、そもそもその情報が合っているのかどうかを確かめる術が無い。
何より、経験という意味では零に等しい。
だからこそ、理解ること、出来ることを、少しでも積み上げていくしかないのだけれど。
「五年も手間暇掛けて育てたんだし、上手く効いて欲しいもんだけどね」
「うん、やれるだけやってみるよ」
「どうせその霊草もお前がいなきゃ育ちすらしねえんだし、やって駄目なら切り替えろ」
明黎の反応はいつも通り素っ気無い。でも、ずっと視界の端で観察されているのを感じるので、心配してくれているのだろう。
「それより、言うまでもねえが、防衛の錬成具の点検はしっかりやれ。不具合があっても俺らじゃ扉を開けるのも出来無ぇんだからな。あと飯の時間には出てこい」
「うん、はい。分かりました」
いつものことだけど、せっかくの気遣いを言動で台無しにしている明黎に笑ってしまう。
私が気掛かりなく工房にこもれるように、って意味なのに、言い方のせいで命令されているようにしか聞こえない。
(まあ、それが明黎の個性よね)
お茶の最後の一口を飲んで、温かい溜め息を吐き出した。
◇
翌朝。
今日は、いつも通り夜明け前に目が覚めた。周囲はまだ暗く、輪郭程度しか分からない。
「おはよう、明黎」
「……おはよう」
ちょうど身支度を整えた明黎が柱の影から出てきたので、朝の挨拶をする。
明黎は睡眠時間が短くても平気な体質らしくて、いつも早起きだ。
「まだ暗いし、哨戒に行く前にお白湯飲んで身体温めて行かない?」
「……わかった」
上掛けの足しにしていた外套を簡単に羽織り、二人で一階へと降りていく。
囲炉裏の灰の中から種火を掘り起こし、新しい炭に火を付けて薬缶を火にかける。
「そういえば、哭角鹿を狩ってきてくれて、ありがとう」
「……別に、たまたまアレが近くにいただけだ。昨日も言っただろ」
「うん。わかってる」
そう、わかってる。
明黎が昨日作業をしていた毒草園は、まだギリギリ護扇樹の妖魔避け効果の範囲内だ。袋罌が香りで招き寄せる蟲型の妖魔ならばともかく、あの辺りに獣型の妖魔が来ることは滅多に無い。
「近く」と言える範囲ではあるのだろうが、わざわざ探して狩ってくれたのだろう。
(……それを絶対、口に出さないんだけどね)
損な性分だと思う。
どうして感謝を遠ざけるような真似をするのか、私には理解が難しい。
ただ、それが明黎だ、とも思う。
毎朝の哨戒だって、例え眠くなくても、寒くない訳が無い。雨の日だって、雪の日だってある。それでも明黎は、何でもない顔で私達の安全を確保してくれている。
「はい、どうぞ。あったまるよ」
「ああ」
程よく温まった白湯を湯呑みに注いで明黎に渡す。
自分の分も湯呑みに入れると、ふわりと湯気が顔にあたった。
「……火は消しとけよ。暖まり過ぎると、アイツらが起きて来ねえから」
「大丈夫。今日は忙しいから、日が昇ったらちゃんと起こすよ」
囲炉裏の真上は、ちょうど寝場所として使っている所だ。熱された空気は上に向かうから、二階の布団の中はさぞ暖かいことだろう。
「ハァ……あんま甘やかすなよ」
「うん」
「ごちそぉさま。行ってくる」
「いってらっしゃい」
湯呑みを置いて出ていく明黎を戸口まで見送ると、注意された通りに炭に灰をかけて熾火状態にする。
……まだ日が登ってないから、着替えたら先に防衛の錬成具の点検かな。
頭の中で段取りを組みながら、暖かい空気の中を二階に登っていった。




