2. 工房訪問の前に
私の就職先予定の建物は、中々背が高かった。確かに三階建なのだが、おそらく天井が高い造りなのだろう。私達が以前住んでいた櫓ほどではないが、周囲の建物の中では群を抜いている。
「これは、大きいね」
「そうだな。遠くからでも見つけ易いから、皓理でもそれほど迷わずに済むんじゃねぇか?」
それは確かに大きな利点だが、迷子になる前提で話すのは止めて欲しい。最近はだいぶ地理を覚えたので、そうそう迷ったりはしないはずだ。
私が不満そうにしているのに気付いたのだろう、明黎が疑わしげにこちらを見てくる。
「……ここが、どの辺りか分かってるか?」
「わかってるよ。城がこっちだから、家はあっちの方向でしょ? 向こうに行けば港に出て、この大通りを歩いていったら商業組合がある」
どうだっ、とばかりに見上げるが、返ってきたのは、「まあ、大丈夫か」という簡素な言葉だけだ。褒めてはくれないらしい。知ってたけど。
「これだけ大きい工房なら、結構たくさん人が勤めてるのかな?」
「さあな。気になるなら調べるか?」
「いや、いいよ。私も勤め出したら分かることだし、城との取引があるなら、そこまで妙な人はいないでしょ。気になるような人がいたら、また改めて調べてみればいいし」
「……分かった」
場所と道を確認すれば、後は特に出来ることもない。そのまま帰路に着く。
「若菜、私が勤め出したら、基本的には明黎と二人で行動してね。明黎も、若菜をよろしくね」
「うん、おねえちゃん」
「分かってる」
三人で、食材の買い物をしながら家へと帰る。
「魚も高くなってきたね」
「まあ、船が出てねぇからな」
国王崩御の報からこちら、物価は高騰を続けている。特に、食料品は値上がりが顕著だ。
このまま値上げが続けば、更に困ったことになるだろうが、私はその点についてはあまり心配していない。
「まあ、今が一番混乱している時期だろうし、もう少ししたらゆっくり値段も落ち着いていくんじゃないかな。漁師や運送の人達も、働かないわけにはいかないんだし」
良くも悪くも、人間は慣れる生き物だ。
それに、どんなことがあっても、どこにいても、人間結構生きていけるものだ。曲輪に七年も住んでいた私が言うんだから間違い無い。
と、思っていたのだが、明黎は疑わしげだ。
「他人が自分と同じように図太いと思わねぇことだな。恐怖に負ける奴も、怠惰に過ごす奴も、他から奪う奴もいる。元通りにはならねぇよ」
明黎に断言されて、改めて考えてみる。最近は良い人達と接することが多かったので頭にのぼってこなかったが、確かに世の中には呪詛師や頭領のような外道もいる。多少の対策は必要かもしれない。
「うん。じゃあ、とりあえず、家の植木鉢で育てる霊木草を増やそうか。兵糧丸の材料を中心に」
もちろん、植木鉢で育てられる量は多くはないが、あるのと無いのでは全然違う。
「お前、勤め出すのに、世話出来んのか?」
「そこまでたくさんは育てられないんだし、基本的な世話は朝の内にやるよ。日照不足が心配だから、日中は外に出しておいた方がいいけど……んー、勝手口から外に出しておいて、子供達に見張りをお願いしようかな」
植物なので日光に当てるのは必須だが、表通りに置いていて、稀少な霊木草を荒らされたり盗まれるのは困る。
裏の共用区画なら、住人以外がやって来ることは滅多に無いし、あの区画の住民達は、先日の一件で私達の武力のほどを知っている。後は、子供達にお小遣いをあげて、時々様子を見てもらっていれば大きな問題は無いだろう。
「うん、よし。明日明後日で、植木鉢と肥料の手配をしておこう。種はひと通りあるけど、苗木もあれば欲しいね。二人とも、運ぶの手伝ってもらっていい?」
「わかった、おねえちゃん」
「俺は構わねぇが、哲金には自分で話せよ。植物置くなら、家狭くなるんだし」
「うん。今日の夕食の時にでも話してみるよ」
でもまあたぶん、反対はされないだろう。
◇
「おはようございます、沙扶様。本日はよろしくお願い致します」
「おはようございます、皓理。工房に向かう前に、少し説明をしておきたいので、少しお邪魔してもよろしいかしら?」
「もちろんです。狭い場所ですが、どうぞこちらへ」
今日は、私の就職先である工房へ挨拶をしに行く日だ。紬綺の筆頭侍女である沙扶が付き添ってくれることになっている。
表玄関から沙扶を招き入れ、座布団に座ってもらう。礼儀としてお茶をお出ししたが、相変わらずの粗茶なので強く勧めることはしない。
「改めまして、ご無沙汰しております。お忙しい中にご足労いただき、心より感謝申し上げます」
「顔を上げてくださいな。作法はきちんと身についているようですね。莉渚から様子は聞いていましたが、貴女達が恙無く生活出来ているようで何よりです」
城との伝達役をしてくれていた莉渚は沙扶の娘なので、私達の様子は逐一伝わっていたのだろう。沙扶自身は初めて来たにも関わらず、家の配置などもしっかり把握されている。
「そして、港での件と、先日の面会のお礼も言わせてください。多くの人を、妖魔の手から救っていただき、感謝いたします。また、先日の貴女との面会以降、紬綺様の表情が随分と明るくなったことにもお礼を言うわ。ありがとう、皓理」
「ええと、光栄です」
思わぬ時に褒められて、つい気の抜けた返答になってしまった。沙扶から貴族向けの礼儀作法を教わったものの、こういう時には少しボロが出る。
「港での働きには、金一封が出ることになったので、また莉渚に持たせますね。そう、そうです。莉渚は、お役に立てていますか?」
「はい。莉渚様にも、大変良くしていただいております」
お世辞ではなく、莉渚はしっかりと役目を果たしてくれていると思う。
「ならばいいのですが。あの子はどうにも、昔から素直過ぎるというか……」
特にそう思ったことは無いが、親としては色々と気になるのだろうか。再度問題無いことを伝え、他にも情報交換をいくつか行う。
「…………そうですか、市井ではまだ妖魔に対する恐怖の声が大きいと」
「はい。不安が落ち着くのは、まだ先になりそうです」
「わかりました。紬綺様に伝えておきます」
別段、市井の情報収集を命じられたわけではないが、今後もこういった情報は喜ばれそうだ。
「さて、それでは工房についての説明にうつりますね」
「はい。よろしくお願いします」
居住いを正し、耳を傾ける。今後働く場所のことだ。細かいことも聞き漏らさないようにしなければ。
「まず、工房の代表、工房所長は七位下の位を持つ錬成術職能技官です。運営や各所との調整も所長が行っているので、工房にいないことも多いですね。副所長が二人いて、こちらは所長の直弟子という立場です。また、覚醒式に関する錬成具を扱う覚醒式部門と、その他の一般向けの錬成具を扱う一般部門に別れていて、実際の工房の錬成指揮は二人の部門長が担っているそうです。貴女もこのどちらかの下に配属されることになるでしょう。従業員は全部で二十人、勤務時間は緑の刻の鐘から、黄の刻半の鐘までと聞いています」
ふむ。勤務時間は哲金と同じようだ。従業員は、工房の規模から想像したほど多くない。みんな優秀なのだろう。
「私が配属されるのは、どちらの部門か分かりますか?」
「いえ、実際に勤め出してから、部門長達が話し合って決めるそうです」
「そうなのですね」
私の直属の上司は部門長のどちらかで、工房所長とはほとんど接することは無いのだろう。
「貴女のことは、地元でひと通り基礎を習得した、独立の可能性が高い見習いとして伝えています。貴女の実力は知っていますが、自分より優秀な見習いを受け入れる工房はあまり無いので、不本意でしょうがある程度低姿勢で勤めてくれると助かります」
「わかりました」




