20. 童魚亀
「うわぁああああーー!!」
桟橋の上は、一瞬で混乱に陥った。
悲鳴を上げて逃げ惑う人達が一斉に同じ方向に動いたせいで、互いを突き飛ばす形になって、桟橋から転落する者が出た。
「ヒィ、うぷっ、たすけ…………あぁぁぎゃあああ!!」
妖魔は、海に落ちた者を優先して襲うことにしたらしく、海面から悲鳴が上がる。
助けたくても、背の低い私は突き飛ばされないように人を避けるので精一杯だ。下手に私が自分の動きを優先すると、転落する人を増やしかねない。人を避けながら、通信機で辛うじて『妖魔』とだけ送信する。
敢えて最後尾に回ると、五作が身体に巻いた浮きを引きちぎりながら走ってきた。
「なんだあれ! あんな妖魔初めて見るぞ!」
よほど動揺しているのだろう。顔色が悪いし、無駄に大声を出してしまっている。
「ギャリギャキギャキ!」
一瞬、足元が揺れる。妖魔が桟橋に登ってきたらしい。
その姿は、全体としては亀に近い。だが、頭には長い髪が生えているし、手は長く、足に至っては魚の鰭だ。
この形態なら陸上での行動は得意ではなさそうだが、海面から飛び出す跳躍力があるなら、一気に飛びかかられる可能性もある。
背中を見せるのは危険だろうと、移動しながら妖魔に半身を向ける。
「ギャリギャリッ!」
妖魔が叫びながら、こちらに向かって跳ねてきて、五作に向かって鉤爪を振り上げる。いくら五作が冒険者出身で多少の心得はあると言えど、今、彼は武器も防具も持っていない。
即座に腕から抜いた棒手裏剣を投げつける。しかし、腹に当たった刃物は刺さらずに、硬質な音を立てて跳ね返る。
「くっ!」
「ギャキキ?」
それでも何とか、攻撃の意識を逸らすことには成功したらしい。妖魔がこちらに向き直る。
やっと朱紐が解けた右側の小太刀を抜き、半身に構える。
この妖魔は、おそらく童魚亀と呼ばれるものだ。冒険者組合の書庫で読んだ程度の知識しかないが、身体の中心部は背中も腹も非常に硬く、鉤爪と口から出す粘液で攻撃してくる、はずだ。
(狙うなら、顔か鰭……それ以外の場所には、私の力じゃ攻撃が入らない)
しかも、場所が悪い。木製の桟橋の上では、あまり大きく動けない。うっかり踏み外せば海の中だ。
戦うならば、地面のある所まで退きたいけれど、あちらにはまだ人が多い。何より、飛針の毒でまだ動きが覚束無い人達がいる。
跳び掛かってきた童魚亀を迎え打つために身構える。
バギャッ!!
私の小太刀が鉤爪とぶつかる音、ではなく、童魚亀に水入りの桶がぶつかった音だ。童魚亀は思わぬ方向からの質量に、音を立てて海に落ちる。
「バカ! 早く逃げるんだよ!」
どうやら、五作が置いてあった桶を投げつけてくれたらしい。この辺は、先程治療をしていた場所だ。
「ありがとうございます!」
助力に感謝して、二人で陸まで走り戻る。そこまで長い桟橋ではない。すぐに地面との境目まで来るが、辺りはまだ逃げ遅れた人で溢れている。
舌打ちした五作が、大声で避難を呼びかける。
「とりあえず、奥へ走れ! 寄合所か治安隊の詰所に向かうんだ! 妖魔が出た!」
逃亡先の場所を示されて、人波が流れ出す。だが、明らかに動きが鈍い人達がいた。先程治療した、麻痺毒が抜けきっていない五作の知り合い達だ。
「キギギャリッ! ギギャギャッ!!」
童魚亀が海からこちらに向かって跳ね上がってくる。多少人が移動したとはいえ、このままでは大惨事になる。
「足止めします! 五作さんは避難の補助を!」
踵を返し、今度こそ小太刀で童魚亀を切り付ける。首を狙ったが、当然あちらも避けるので、小太刀は胴体の甲羅に当たって弾かれた。
「すまん! すぐに助けを呼んでくる!」
後ろの方から、五作の声がする。「ほら、死ぬ気で走れ!」という声も聞こえるから、動きの遅い人達を補助しているのだろう。
(私がすべきは、時間稼ぎ。しばらくすれば、兵士か冒険者か、とにかく救援がくる。なにより、明黎が近くにいる。とにかくコイツをこの場に留めるのが最優先)
とはいえ、力の弱い私は、防御力の高い童魚亀と相性が悪い。唯一刃が通る顔面を狙っても、亀のように顔を素早く引っ込められるので、なかなか当たらない。背後に逃亡中の人達がいるので、童魚亀の背後に回り込んで鰭を狙うのも駄目。正直、一対一の戦闘では、勝ち目が薄い。
「ギッ! ギャッ!」
不意に童魚亀が頭を後ろに反らしたので、直感に従って、その場を飛び退く。と、同時に、童魚亀の口からかなりの勢いで黒いものが発射された。
見れば、一秒前までいた場所は、粘ついた青黒い液体で濡れてひび割れていた。
どういう攻撃なのか詳細は不明だが、当たれば酷いことになりそうだ。
ひたすら鉤爪の攻撃を右手の小太刀でいなし、時折発射される粘液を避けたり、匕首を投擲して迎撃する。
「くぁっ……!」
鉤爪が右腕を掠める。防具が切り裂かれて、腕から血が流れているのを感じる。
素早く小太刀を左手に持ち替えて構えるが、この右手で正確な投擲は無理だ。唇を噛み締める。
腰の胴乱の中には霊薬や各種の煙玉もあるが、童魚亀は意外と素早くて、悠長に道具を使っている暇を与えてくれない。
かと言って、この腕では、長時間攻撃を凌ぐのは難しい。
(……五作さん達の声はもう聞こえない。でも、見える範囲に、まだ人がいる。こっちを見てる? どうして逃げないの?)
時間稼ぎも、そろそろ限界だ。腕を止血しなければ、遠からず失血で動きが鈍る。
(一か八か、近付いて目玉から頭を串刺しにするしかない)
残りの霊力を掻き集めて限界まで肉体を強化し、小太刀を両手で構えた瞬間、風を切る音が聞こえた。
「下がれ! 皓理!」
声に先駆けて走った縄鏢が、正確に童魚亀の目を射抜く。
「ギギャアアァァー!!」
童魚亀は、目を射抜かれながらもまだ動くようで、鉤爪を振り回して目に刺さった縄鏢を叩き落とす。
明黎は縄鏢を素早く手繰り寄せると、腰の短刀を抜いて鉤爪を受け止める。
「明黎、その妖魔の胴体には刃が通らない! 攻撃するなら顔か鰭。あと、地面をひび割れさせる粘液を吐くから、気をつけて!」
「わかった」
明黎は落ち着いた声でこちらに応えて、そのまま短刀で鉤爪を払い除ける。安定した戦いぶりに安堵して、数歩後退する。
明黎と一緒にいたはずの若菜は、と探すと、こちらに走り寄ってきているのが見えた。
「若菜、怪我は?」
「だいじょぶ、おねえちゃん」
その返答にあらゆる意味で安心し、胴乱から取り出した回復薬を一息で飲み干す。
急速に腕の傷が塞がっていくのを感じながら、左側の小太刀を封じていた朱紐を切って、両手で小太刀を構える。
「若菜、左右から妖魔の後ろに回って、鰭を攻撃するよ。鉤爪と口から出る粘液に気をつけて」
「わかった、おねえちゃん」
簡単な打ち合わせを終えて、走り出す。あれほど苦戦していたのが嘘のように、童魚亀の横をすり抜け背後を取り、鰭を切り付けた。
「ギィイイッ!」
予想通り、胴体と違い鰭には刃が深々と食い込んだ。ドス黒い血が流れる。
次いで、こちらを向こうとした童魚の隙を逃さず、明黎が片腕を切断する。
「ギャアアッ! ギギギギイイィ!!」
痛みに暴れる童魚亀を、更に若菜が蹴り付ける。私の切り付けた傷口が更に開き、骨でも折れたのか鰭がだらりと曲がる。そのせいで姿勢を保てなくなって俯せに転がった。
転がる童魚亀の後頭部を明黎が思いっ切り踏み付け、更に首を後ろから刺し貫く。
数度ビクビクと痙攣した後、動かなくなった。
「終わったぞ」




