19. 桟橋での救助活動
『妖魔』と叫ぶ声に反応して、思わず処置の手が止まり、視線が動く。見える範囲に異常はないが、声の聞こえる範囲なら、そう遠くでも無いはずだ。
「明黎、お願い」
「……わかった。行って来る。もし何かあったら通信機で連絡しろ」
「うん。若菜も明黎と一緒に行って。微かに八帯蛇って聞こえたから、人数がいた方がいいと思う」
「わかった。おねえちゃん」
「お願いね。私も処置が終わったらすぐに行くから」
互いに頷くと、それ以上の問答はせずに二人は騒ぎの中心方向へと駆け去っていく。
私もすぐに処置に戻るが、近くにいた五作に遠慮がちに話しかけられる。
「皓理? 二人は……」
「港のどこかに妖魔が出たみたいなので、救援に向かいました。私達も急ぎましょう。混乱が広がる前に処置を終えてこの場を離れたい」
答えたついでに、五作に残り一つの経善丸を別の桶に砕き入れるようにお願いする。更に他の動ける人員には、まだ上手く動けるほど回復していない人を運んでもらうよう指示を出すと、一気に人が動き出す。
それを横目に処置を続けるが、先程までの自分の段取りの悪さに気付いて内心舌打ちする。
(不測の事態の時こそ、落ち着いて。今は、倒れた人達の処置が最優先。その後で症状が改善しない人がいれば、その診察。全員回復傾向ならば、とりあえず桟橋から移動する)
頭の中で算段を立てながら、最後の一人に水を飲ませ終わる。
「皓理、薬を入れた水は、もう飲ませて大丈夫か?」
「はい。軽症の六人の方に分けて飲んでもらって下さい。かなり希釈しているので劇的な効果は望めませんが、自力で動けるくらいにはなるはずです」
「わかった。お前ら、聞こえてただろ。貴重な薬だから、こぼすんじゃねぇぞ」
手が動く人には自力で飲んでもらい、動きにくい人の補助にまわる。何とか全員飲み終わると、ゆっくりと歩ける程度には回復した。
「よし、とりあえず寄合所に向かうぞ。全員ゆっくり……」
「……おおーい、誰かー!」
まさに移動しようとした時、桟橋の奥にいた別の集団から声がかかる。
「ああくそっ、今日は何なんだ、次から次に……」
五作も悪態を吐いているが、私も一瞬判断に迷う。明黎と若菜が妖魔に負けるとは思わないが、心情的にはすぐにあちらに駆け付けたい。だが、助けを求められている場面で、駆け去るほど非情にもなれなかった。
「どうしたー?」
「子供が溺れてる! 誰か泳ぎの得意な奴はいないかー?」
大声で叫ばれた内容に顔を顰める。これを見捨てるのは寝覚めが悪い。五作もそう思ったようで、残った人員に指示を出しながら、自分は桟橋の奥の方へ向かって行く。
「おい、お前らは先に寄合所に向かってろ。俺はあっちの手助けに向かう」
私も五作について走り、すぐに声をかけてきた集団の所へとたどり着く。
「どこだ?」
「あそこだ。髪が浮いてるだろ。時々動くから、まだ生きているはずなんだが、助けようとして先に飛び込んだ奴が浮かんでこねえんだよ」
男の一人が指差す方向を見ると、確かに青黒い髪が浮いて見える。夕陽が海面に反射して多少見え辛いが、細い腕が時折水飛沫を上げるので、確かに生きているのだろう。
「皓理、お前泳げるか?」
「いいえ、全く。五作さんは?」
「俺も、そこまで得意じゃない。だが、まあ、他に行く奴がいないなら、浮きを付けて、やれるだけやってみる。……おい、船にあるモン借りるぞ」
「あ、ああ」
私達を呼んだ男達は、若干気不味そうに視線を逸らす。自分達が助けに動かなかったことに罪悪感があるのだろう。
手早く準備を整える五作を前に、私自身もこの場に留まることにする。溺れた後ならば、衰弱している可能性が高い。未覚醒の子供には霊薬が使えないとはいえ、ある程度容体を確認出来る人間がいた方がいいだろう。
念の為『子供、救助、桟橋奥』とだけ通信を送る。下手に長文を遅れば、戦闘中なら邪魔になりかねない。
水面が、またバシャリと跳ねる。少しずつこちらに近付いているようだ。何とか自力で泳いでいるのだろうか。泳いでいる人をほとんど見たことがないから、よく分からない。
「そもそも、何故子供がこんな場所に? いつ見つけたのですか?」
意識を切り替えて、情報収集を優先する。水に浸かっている時間が長ければ長いほど、衰弱は深刻だろう。
「いや、なんで溺れてるのかはオレ達も知らねえ。たまに、冒険気分で船の荷物に隠れて潜り込む子供がいるから、たぶんそういうのだとは思うけどよ。見つけたのは、四半刻の半分くらい前、か?」
覚悟していたより長時間では無いようだ、と安心しかけてから、男の話に違和感を覚える。
「待って下さい。誰も、いつから溺れていたのか、知らないのですか? どこから海に落ちたのかも?」
「あ、ああ。そういや、そうだな。あの子、どこから落ちたんだ?」
私が解毒の処置をしている間、この桟橋に新しく帰港した船は無かったはずだ。この桟橋から落ちたのなら、音で気付くだろう。
では、あそこにいる子供は、どこから海に落ちた?
……いや、そもそも、アレは、子供なのか?
背筋に寒気が走り、鳥肌が立つ。
視界に、まさに今、海に飛び込もうとしている五作が映った。
「五作さん、駄目です! 海に入らないで!」
「……は? どうした?」
私の大声に、たたらを踏んだ五作が、何とか桟橋に踏み止まる。
五作に返答を返す間も惜しんで、瞳に霊力を集めて、視力を強化する。
青黒い長い髪。時折水面から出る腕。だが、髪にほとんど覆われた顔は、不自然に前に突き出ているし、腕に生えた指は妙に長い。
「……子供じゃない。アレは、」
バシャッ! と一際大きく水飛沫が上がる。はずみで、髪が分かれて顔が見えた。
「キャギャギャギャギャッ!」
現れた顔には、眉も鼻も無く、ただ円形に近い二つの目と牙の覗く口だけがある。
「…………妖魔」
水面から跳ねた妖魔が、こちらを目掛けて降って来た。




