15. 港での講習
夏の朝日を反射して、水面が煌めいて眩しい。
空には雲が見当たらないほどの快晴だ。
「今日も暑くなりそうだね」
「笠を被ってきて正解だな」
曲輪にいた頃に作った小型の笠は、元々は雨除け用だけど、最近は専ら日焼けとして使っている。遮蔽物の無い海に出るのだから、笠が無ければ暑さにやられかねないと思う。逆に、防具を兼ねた外套は、邪魔になると判断して置いてきた。
波の音を聞きながら、講習の集合場所まで港を歩いて行くが、まだ誰も来ていないようだ。人こそ多いものの、皆んな漁師か人足といった服装で、冒険者らしき武装した人間が見当たらない。
「ちょっと早く着きすぎたかな?」
「いや、もう緑の刻の鐘まで四半刻は切ってる。早過ぎるということもないだろ」
でも、実際に教官役も見当たらない。
「場所は合ってるよね?」
「間違うわけ無いだろ。お前じゃあるまいし」
「言い方」
相変わらず、口が悪い。
「待ってりゃそのうち来るんじゃねぇか。この天気で中止って事も無いだろ」
「まあ、そうだね。……若菜、大丈夫?」
「だいじょぶ」
「うん。船に乗ったら戻ってくるまで降りられないから、怖い時は、私か明黎にくっついて我慢だよ」
「わかった」
今回の集合場所は、漁船が多く泊まっている辺りだ。講習のために帆船を使うわけもないから、おそらくは少し大きめの漁船を借りるのだろう。
辺りには、船や網らしき物を点検している漁師達が多い。彼らの話を、聞くとはなしに聞いていると、ふと「水中用の妖魔避け」という単語が聞こえて、注意を引かれる。
「……だから、いくら警戒命令が出てるって言ってもさ、そう毎日妖魔避けの霊薬なんか使ってたら採算が会わねぇんだよ」
「そうは言ってもさ、やっぱり危ないだろ。妖魔を警戒しながら釣りとか出来ねぇし」
「そりゃーそうだけどよ。でも、警戒命令って言っても、今まで何も無かったしさぁ」
どうやら、同じ船に乗る船員同士で、妖魔避けの霊薬を使うか否かで揉めているらしい。
それにしても「警戒命令」とは、なかなか穏やかでは無い。冒険者組合が戦力を増強している件もあるし、何か妖魔に異変でもあったのだろうか。
「明黎、聞こえた?」
「ああ」
「警戒命令、ってことだけでも聞いておくべきかな?」
「いや。聞くなら城の方がいいだろ。霊薬の使用で揉めてるぐらいだ。どうせたいした情報は持ってねぇ」
静かに頷いて、気を引き締める。
どうやら、この講習も気軽には済まないようだ。
「すまない、少し遅れた。参加者は揃っているか?」
講習の教官が集合場所にやってきたのは、緑の刻の鐘がちょうど鳴っている時だった。
参加者として集まっているのは、私達を含めて十六名。
教官が名前を読み上げた時に、四人ほど不在だった。事情があって来ていないのか、はたまた遅刻なのかは分からないが、教官は特に不在者を待つでもなく、すぐに説明を始める。
「今回のこの講習では、この領地の近海によく出る妖魔の説明と、船上での行動を主に教えることになる。まずは、この場所で妖魔の説明及び対処法の訓練。その後、安全のための浮きを装着した上で船へと乗り込み、そのまま櫂を使った操船方法を湾の中で練習する。所定の位置まで進んだら、少人数ずつ船上で行動するための訓練に移る。この時点で時間が余っていれば、少し沖に移動して戦闘時の行動確認、時間が無ければそのまま帰還となる。何か質問は?」
どうやら、教官はせっかちらしく、怒涛の早口で説明される。まあ、内容はほぼ受付時に聞いていた通りだが、一つだけ気になった事を質問する。
「すみません、浮きとはどういう物でしょうか?」
「大ぶりの竹筒だな。首の下辺りに四つ縛って固定する。これがあれば、万が一船から落ちても、そう簡単には沈んでいかないからな。落ちた場合の対処法も後で説明する」
「わかりました。ありがとうございます」
なるほど。この講座に参加するぐらいだ、私を含め、海を知らず、泳げない者が多いのだろう。浮きはその対策のようだ。よく考えてくれている。
(……この講座の参加費が百文なのは、やっぱり安過ぎない?)
全員分の参加費を合わせても、船の貸賃にもならないだろう。おそらく、元々の値段設定である三百文でも、収支がぎりぎり釣り合う程度だろう。
赤字を出してでも初心者の戦力を増強しようとする冒険者組合の方針に、先程耳にした「警戒命令」という言葉がチラつく。
その「警戒命令」が出されたのは、果たして海に出る漁師だけなのだろうか?
脳裏に、急に王都に帰還した漣夜の姿や、疲れきった紬綺の顔が思い浮かぶ。
「あのォ、妖魔との戦闘はしないんスかァ?」
独特の口調で上がった質問に、一瞬逸れた意識を戻す。
質問した参加者は、海での講習に参加するにしては重そうな、金属を使った防具を身につけ、大剣を背負っている。
この人の声には、聞き覚えがあった。冒険者組合の受付に並んでいる時に、何度か絡まれた覚えがある。
ひたすら自分の自慢話をするか、こちらを貶すかだったので、特に注意も向けていなかったが、こんな顔をしていたらしい。
「先程も説明したが、訓練の進行状況次第だ。水上は地上とは全く違う。最低限の心得も無いヤツがいれば、戦闘なんぞ危なくて出来ん」
教官は質問に答えた後、参加者全員を見渡しながら、腕を組んで顎をそらす。
「これは全員に言っておくが、船に乗ったら必ず俺に従え。船上では一人の行動が同乗者全員に影響する。一人でも俺の指示に従わないヤツがいる場合は、即座に帰港するし、度が過ぎる場合は海に投げ捨てる」
随分と威圧的な物言いだ。多少反発を覚えなくはないが、言わんとすることは分かる。
横目に伺うと、明黎は顔を顰めているが無言、若菜は明黎の後ろに隠れている。
他の参加者はというと、こちらも萎縮と反発が半々だろうか。
「いや、それって横暴じゃん? アンタが判断間違ったらどう責任とるんスか?」
質問した冒険者が、反感からか、教官を挑発するような事を言う。教官の言い方も微妙だが、この人の発言の方が、何か嫌だ。
「責任も何も、俺が判断を間違うような事態になった時点で、同じ船に乗った者は全員が死んでるだろうな。……勘違いしているようだから言っておくが、例え結界内であろうとも、海は人間の領域では無い。どれほど優れた剣技があろうが、水中では役に立たんし、立派な鎧も体を沈める重しにしかならん。俺の仕事は、海を知らん奴等が最低限生き残れるように、その方法を教える事だ。自殺志願者の面倒まで見るヒマはないから、俺に従えんなら今すぐ帰れ」
教官は、怒鳴りつけるでもなく、冷ややかに言い捨てる。質問した冒険者も反論の言葉が出てこないのか、不貞腐れるように黙り込んだ。
「帰る者がいないなら、具体的な説明に移るぞ。まずは妖魔の種類からだ」
そう言って教官が説明したのは、四種類の妖魔だ。これ以外の妖魔は、遭遇率が極端に低いので、気になるならば自力で調べろと言われた。
私達は、この講習に参加する前にひと通り書庫で妖魔について調べてきたが、周囲の反応を見ると、初めて聞く者がほとんどのようだ。
名前の上げられた妖魔は、鰾魚、飛針、虎顔鮫、八帯蛇。これらは、船をよく襲う妖魔として知られている。
鰾魚は、船上の人間に向かって音を使った攻撃をしてくる。この音をまともに喰らうと、平衡感覚がおかしくなるらしく、体勢を崩して海に落ちる者が出るらしい。そうやって落ちてきた人間を水中で襲うのだそうだ。
対処法としては、耳周辺の霊力を強化して、一定以上の音を通さないようにすればいい。教官の説明通りに練習すると、何となく要領が掴めた。上手くいかない参加者には、一時的に専用の錬成首の貸し出しがあり、半数ほどが借りていた。
鰾魚は普段は水中にいるので、こちらを攻撃するために水面に浮いてきた時に、銛などの、縄を付けた投擲武器で倒すのが基本だそうだ。船上で剣を振り回しても、当たり前だが水中には届かない。今回は銛を七本用意してあるそうで、船に乗ったら三交代で投擲の練習をするそうだ。
飛針は、尾に生えた毒針を飛ばしてくる魚型の妖魔だ。毒針の数は多いが貫通力は無いので、木板などをかざすだけでも防御は可能。毒の種類は麻痺系で、そこまで強い物ではないが、接種量が一定を越えると四肢が動かなくなる。
この妖魔も水面に出てきた所を倒すしかない。というか、海中の妖魔を倒せるのは、特殊な刻印を持つ極一部の人間だけだ。
ただし、飛針は、飛ばす針が無くなれば海中に逃げて行くから、ひたすら遮蔽物の影に隠れていても問題は無いらしい。
虎顔鮫は、近海にはあまりいないが、稀に外洋船を追いかけてくるものもいるので、知っておくべき妖魔だと言われた。
特徴的な背鰭を発見次第、火矢を大量に打ち込み、水中用妖魔避けで追い払うのが基本で、初心者は間違っても戦おうとするなと厳重に注意された。退治するのは、水中行動に特化した刻印持ちでなければ、難しいそうだ。
万が一、逃げ切れずに戦う時でも、海中に入れば必ず殺られるから、船上から落とされないことを第一とすること。可能なら、船が燃えないように注意しつつ、油を撒いて海面を燃やすのが一番生還の成功率が高い。上手くいけば、虎顔鮫が茹で上がって死ぬこともあるらしい。
八帯蛇は、蛸型の妖魔なのだが、その八本の脚は、全てが海蛇になっている。つまり、頭が九つもあるわけで、妖魔の中でもかなり奇怪な姿だ。しかも、その図体はかなり大きい。
海上で会えば、よほど大型の船に乗っていない限り、退治は無理なので全力で逃亡するしかない。一度海蛇の身体の脚に巻きつかれたら、小舟など簡単にバラバラになる。
不可抗力で戦う場合、弾力はあるが硬度はそこまで無いので、可能ならば巻きつかれる前に脚を切り落とすしかない。まあ、巻きつくだけではなく、先端の海蛇の牙に噛み付かれたら肉をごっそり持っていかれるが。
大型の船に乗っている時や、人数がいて脚に対処出来るときは、頭部を見つけて串刺しにするのが一番有効な退治方法だ。火はあまり効かないし、打撃も通りにくいから、刺す、切るの攻撃が望ましい。
「と、まあ、こんなものか。聞いていて解ったとは思うが、基本的に海上での戦闘は推奨しない。逃亡出来るならば、それが最も望ましい。船に乗る際は、水中用の妖魔避けの霊薬の携帯を忘れるな」
水中用の妖魔避けも、冒険者組合で売っているらしい。明日にでも買って、成分を調べてみよう。
「偉そうにしといて、逃げてばっかとか、腰抜けじゃん」
後ろの方から、ぼそりとした声が聞こえた。
声からして、さっき質問していた冒険者だろう。この人も同じ船に同乗するのかと思うと、多少の危機感を覚える。
教官には聞こえなかったらしく、説明が続いていた。
「次は銛の投擲の練習に移る。弾機仕掛けの物も売っているが、今回貸し出すのは、細工が無いものだ。自前の投擲武器がある場合はそちらを使用しても構わない。では、場所を移動するから着いて来い」
自前の投擲武器、と言われて少し考える。私は棒手裏剣を両腕に一つずつ、投擲にも使える匕首を両太腿に一つずつ装備しているが、これらは命中率を重視しているので、貫通力や打撃力はあまり無い。それに縄なども付けていないので、投げたら投げっぱなしだ。今回は、銛を借りた方がいいだろう。
「明黎はどうする?」
「俺は自分の縄鏢を使う。慣れた武器の方がいいだろ」
「うん、分かった。若菜は私と一緒に銛を借りようね」
「うん、おねえちゃん」
話しながら桟橋の方へ移動していると、後ろの方から面倒な声が聞こえてきた。




