11. 新生活
「おはようございます」
「あら、おはよう、皓理ちゃん。今日も早いのね。明黎さんもおはよう」
「……おはようございます」
新しい家に住み始めて、九日が経った。
まだ、今までとは全然違う生活にはなかなか慣れていない。あれこれ試行錯誤している事も多いが、私と明黎は今まで通り、夜明け前に起きて動き始めることが多い。
かつて曲輪にいた時は、哨戒と防衛設備の点検が私達の朝一番の仕事だったけど、今は水汲みと洗濯だ。
実に平和だと思う。
夜明け前の薄闇の中、井戸の側で四人分の肌着や手拭いをまとめて洗濯をしていたら、隣の家に住む奥さんが井戸の方に歩いてきた。
彼女は、八歳と三歳の二人の子持ちで、子育てをしながら文具店を営んでいる。旦那が港勤めで朝早く出勤するから、自分も自然と早起きになるのだと快活に笑う、ちょっと世話好きな女の人だ。名前は小夏。
「小夏さんも水汲みですか? 明黎、小夏さんのも手伝ってあげてくれる?」
「あら、ありがとう。やっぱり男の人は力が強いわねぇ」
「……いや」
明黎は相変わらず他人との交流に消極的でほとんど話さないが、小夏はお構いなしだ。
明黎は哲金に「近所の人には表面上だけでも親切にして」と厳命されているので、黙々と井戸から水を汲んで小夏の持ってきた桶を満たしている。
「うちの人もねぇ、家を出る前に水汲みくらいしてくれればいいのに、ホントに気が利かないんだから」
そんなことを口では言いながらも、小夏とその旦那の夫婦仲は非常に良好らしい。元々他領出身の冒険者だった男性を小夏が口説き落として結婚したのだと、裏の長屋に住む四十代の噂好きの女性が教えてくれた。
地区共用の井戸周辺は、近所の人達の交流の場になっているらしく、日がある内は誰かしらがいることが多い。そして、うっかり会話に参加すると、しばらく離してもらえない。
逆に夜に井戸を使うと、水の音が響くと嫌がられるそうだ。
「そういえば、今日は若菜ちゃんは家にいるのかい? うちの子達がまた遊びたいって言ってるんだけど」
「あ、はい。今日は全員家にいますよ。来客があるのと、大型の荷物が届く予定もあるので」
新居に馴染めるか、かなり不安だった若菜だが、思いのほか、なんとかなっている。その最大の功労者が、小夏の息子の太介と仁介だ。
二人は小夏に似て世話好きというか、遠慮が無い。若菜の反応が鈍くてもお構いなしに質問攻めにし、そのくせ返答も待たず、強引に遊びに巻き込んだ。
若菜も初めは戸惑うように固まっていたが、相手が子供だったからか過剰に怯えることもなく、次第に一緒に遊びだした。
子供達も、注意や文句を一切言わず、同じ遊びにひたすら付き合ってくれる大人に大いに懐いた。
子供達が懐けば、周囲の見方も随分と変わるようで、今のところ表立って若菜を攻撃するような人間はいない。
おかげで、若菜も比較的落ち着いて過ごすことが出来ている。
「あれ? あんた達は店を開くわけじゃないって聞いてたけど、まだ何か荷物があるのかい?」
不思議そうに聞かれて、一拍ほど答えに間が開く。
「はい。まだ資格が無いので店は開けませんが、家で使う道具を一通り揃えたので」
「道具?」
「ええ。今日届くのは、主に調薬に使うものです」
今日届くのは、薬研や秤など、錬成に使う道具だ。調薬以外にも使う物だが、品物自体は薬問屋の伝手で入手してもらったので、調薬の道具と呼んでも間違いではない。
城であれだけ過剰反応されたので、刻印に関する話題を続けることは気が進まないが、どうせ職場が決まれば近所の住人に隠すのは不自然になる。<錬成術>以外の刻印を秘密にすれば大丈夫だろう。
「あら、皓理ちゃんは薬師志望なのかい?」
「いえ、私は錬成術師……の、見習いです」
「あらまぁ。錬成術って、霊薬を作ったりするやつよね? もう刻印があるなんて、すごいじゃない!」
「そう、なんでしょうか」
すごい、と言われて疑問を覚える。<錬成術>はそこまで珍しい刻印ではないはずだが。
城でも驚かれたのは、刻印の数であって、種類ではない。
「そうよぉ! 私は詳しく知ってるわけじゃないけどさ、薬を作れるなら、お医者さんみたいなものでしょ?」
「あ、いえ。医師とは違います」
「そうなの?」
「はい」
不思議そうにされているが、私も不思議だ。身分証が錬成具なのだから、錬成術師がどういうものか皆んな知っているのだと思っていたが、意外とそうでもないようだ。
考えてみれば、錬成陣は錬成術師にしか視えないのだから、視えない人には何をしているのか解りにくいのかもしれない。
「まあでも、見習いなら、まずは何処かに勤めるんでしょ? 職場は決まってるのかい?」
「いえ。今、知人が探してくれていまして。見つかり次第教えてもらうことになっています。それまでは、とりあえず冒険者ですね」
「冒険者? 皓理ちゃんがかい?」
「はい」
まじまじと見つめられて、少々居心地が悪い。田舎から出てきた人間が、とりあえず冒険者として生活するのはよくあることのはずだけど、また容姿云々で違和感を持たれているのだろうか。
「ええと、私は田舎の山育ちなので、結構戦えるんですよ?」
「へぇ、人は見かけによらないもんだねぇ。若菜ちゃんも随分と力持ちだし」
どうやら、納得してもらえたようだ。
話題もちょうど途切れたので、洗い終わった洗濯物を持って腰を上げる。
「では、朝ご飯の準備があるので、これで失礼しますね」
「あら、引き留めてごめんねぇ。明黎さんも、水汲み助かったよ」
明黎は会釈だけして踵を返す。
まあ、待ってくれただけ、我慢してくれた方だ。
私も小夏に会釈をした後、明黎の後ろについて家の勝手口まで戻る。水桶を持って扉から家に入る明黎を見送って、勝手口の上にかけてある物干し竹に洗濯物を干していく。
全て干し終わったところで、ちょうどまた明黎が顔を出した。
「おい、貸せ」
物干し竹は、今は扉の上に掛けているので、このままだと干した洗濯物が出入りの邪魔になる。明黎は室内から持ってきた竿上げ用の棒を使って、物干し竹を屋根近くの軒下に引っ掛けた。
「ありがとう、明黎」
ちょうど掛け終わったところで、家の横合いから光が射した。
朝日だ。
夏の強い日差しが世界の輪郭を浮き上がらせ、東の空を鮮やかな朝焼けに染めていく。
「空、綺麗だね」
「ああ」
「今日も晴れかな」
「たぶんな」
気のない返事に空から明黎へ視線を移すと、目が合った。自然と口元が緩む。
「ふふっ、おはよう、明黎」
「……ああ」
潮の香りを含んだ風が、洗濯物を翻した。
「よし。掃除終わり」
表玄関周辺の掃き掃除まで終えて、掃除道具を片付ける。
荷物が届くのは今日という約束だが、今日の何時になるかはわからない。なので、終日家にいる予定なわけだが、今日は同時に、莉渚が家に来る日でもある。
とは言っても、私達の方で彼女に報告するような事は特に無い。引っ越してから今日までは、家の諸々を整えたり、領地内の地理を把握するのに時間を費やしていたので、本当に何も無い。
敢えて捻り出すなら、やたらと私達の素性を聞きたがる近所の人がいて多少迷惑したことと、証花を使った根付けが完成したことくらいだろうか。
今日くる予定の荷物が届けば、石鹸作りなどに着手することも出来るのだが。
緑の刻の半鐘が鳴る頃、約束通りに莉渚がやってきた。
「お邪魔いたします」
「お越しくださり、ありがとうございます。こちら、粗茶ですが」
丁寧に挨拶をしながら家に入ってきた莉渚に、家にある唯一の座布団に座ってもらう。明黎が作ってくれたばかりの台に、作法通りにお茶を出した。ちなみにお茶は、謙遜ではなくて本当に粗茶だ。申し訳ない。
常葉木の茶葉は全て紬綺に売ったので、店で手頃な値段の物を買ったのだが、味の違いにびっくりした。意外と私の舌は肥えていたらしい。
びっくりした勢いで常葉木の苗木を買い求めて、なんとか手に入った三株を植木鉢で育てている。自分達の消費分くらいはなんとかしたいが、先は長そうだ。
「では、早速ですが、何かお困り事などはございませんか?」
莉渚の訪問は、後見人である梛津の代理として私達の生活を補助するためのものだ。
「いえ、おかげさまをもちまして、恙無く過ごしております。隣家の住人が、何くれとなく世話をしてくれまして」
私達を代表して、莉渚の正面に座った哲金が答える。
「近所との交流が上手くいっているのは、喜ばしいですね。隣家以外の方とは、どのような感じでしょう?」
「そうですね、まだ互いに様子を見ている段階ですが、一部を除けば、比較的良好かと」
哲金が上手く近所付き合いをしてくれているのと、小夏が周囲の住人との仲を取り待ってくれているので、概ね問題は無い。
「良好でない一部、とは?」
「好奇心が強すぎる者、余所者への警戒心が強い者、若い女性への邪心を持つ者、若菜の様子に不審を抱いている者、などですね。あとは、好意の行き過ぎた者が男女で各一名」
「ああ……皆さん、魅力的でいらっしゃいますから」
好意の行き過ぎた者とは、哲金が井戸に出ると延々と引き留めて話そうとする女性と、「一目惚れです!」と叫んで私に突っ込んで来た男性のことだろう。
女性の方は、周囲の住人達がやんわりと嗜めてくれているし、男性は突っ込んで来た瞬間に明黎に叩きのめされた。ちゃんと手加減していたので深刻な怪我などは無かったし、あれ以来寄って来ないので、まあ、大丈夫だろう。
その二人より、どちらかと言えば、好奇心が強く噂好きの女性数人の対応の方が難しい。好意や悪意ではなくて、自分の欲求のためにこちらを探ろうとしているので、際限がないのだ。
「莉渚さんのこともよく聞かれるのですが、私達の後見人の遠縁の方だと説明しています。ただ、もしかすると、私達とも血縁だと勘違いさせてしまったかもしれなくて……申し訳ありません」
哲金が頭を下げるが、この言い分は正確では無い。
意図せずおこった勘違いではなく、むしろ自分達の素性を『遠縁を頼って田舎から都会に出てきた幼馴染の四人』と認識させるべく、積極的に勘違いを煽っているからだ。
素性を追求されたく無い私達にとっては都合の良い勘違いなので、正面から追求されるまではこのままにしておきたい。そんな打算もあって、私も頭を下げる。
「いえ、その。頭を上げて下さい。後見人ということは、梛津様のことですよね? 梛津様の御身分を明かしたということですか?」
「いいえ。後見人の方のことは、『この領地出身の人に紹介してもらった方で、こちらで初めて会った。直接顔を合わせたのは一度だけ』と説明しています。詳しい面識は無いので、細かいことは明かせない、と」
この説明で、大抵の人は追求を諦めてくれるし、諦めない人には相応の態度が取れる。
「ならば、問題は無いかと。ご自身の身分を偽ったわけではありませんし。……梛津様の後見を受けていること自体は明かしても構わないのですが、その際は念の為、血縁者だと思われないようにご注意下さいね」
「はい。ですが、梛津様のことは可能な限り秘密にしたいと考えております。どう考えても私達の後見には過分なお方ですから」
梛津の後見がありがたいことは間違いないが、迂闊に繋がりが知られれば厄介事に発展することも、また間違いない。次期公爵との伝手ともなれば、それがどれだけ細いものでも、縋り付く輩が湧いて出るのは想像に難くない。
「私もその方がいいと思います。城の方も、何やら各所との折衝が多くて落ち着きませんし」
莉渚自身も、おそらく詳しい事情を知らないのだろう。恩人である梛津や紬綺、沙扶が困っているなら助けになりたいが、私達がしゃしゃり出たところで、おそらくどうにもならない。
極力迷惑をかけずに過ごし、何か役に立ちそうな品や情報があればそれを提供するつもりでいる。
「では、今回はこれで失礼いたしますね。何かありましたらお知らせ下さい。私はまた三日後にお伺いいたします」
ごく短い会合だが、無駄話をする必要も無い。家を出る際にも軽く頭を下げて挨拶をしてくれる莉渚を全員で見送った。




