10. 暗い部屋で(明黎)
本日2回目の投稿です。
横で寝ている皓理の息が深くなったのを聞いて、身を起こす。
灯りの無い室内でも、暗殺者として訓練された俺には、周囲がはっきりと見てとれた。
白い髪、白い肌。
薄闇の中で、皓理だけが浮き上がるようだ。
(いや、名前通り、月のように輝いてるとでも言うべきか)
では俺は、月に手を伸ばす愚か者か。
「ハッ」
あまりにも、らしくない思考に、己を嘲笑い飛ばす。
皓理は人間だ。ごく普通の。同時に特別な。そして、とびきりイカれてる、善良な人間。
(……どうして、お前はそう在れる)
毒を食んで生きてきたくせに、食事を喜ぶ。殺しの技術を学びながら、当然のように人を助ける。暴力に心を折られることも無く、嘲罵されても信じる心を失わない。
そのくせ、自分の記憶をどうでもいいと言う。
(どこで生まれても、私は私、か……)
それは、皓理の本音なのだろう。
だが、現実として、記憶を失う前の皓理と今の皓理は、性格がかなり違う。
皓理は覚えていなくとも、当然俺は、あの頃の皓理を覚えている。
◆
皓理は、曲輪に連れて来られた当初から、一人だけ毛色の違う子供だった。
同じ時期に集められた他の九人の子供は、俺も含めて、浮浪児や口減しで捨てられたヤツらで、似たり寄ったりの飢えた獣のようだった。
そんな中でアイツは、ただ立っているだけでも品位というものを感じさせた。姿勢、動作、知識、教養、運動能力、果ては考え方まで、全てが違う特別な存在。
それなのに、絶望と孤独を閉じ込めた、あの暗い瞳だけは俺達と同じだった。
俺達が曲輪に連れて来られた時は、曲輪の設備を整え直している最中だったようで、毎朝毎晩、奴隷のように働かされた。食べる物は一日一度の芋粥だけ、作業が遅れれば殴られて、寝る時は板間の小部屋に閉じ込められる。
そんな環境下で、皓理はなぜか、いつも他の子供の世話をしていた。当然、俺にも皓理の助けの手は伸ばされたわけだが、俺はその偽善的な行動が気に食わずに拒絶した。
すると、どういう心境の変化があったのか、皓理は俺に付いて回るようになった。こちらを見下しているのかと邪険にしていたが、むしろ追い詰められた者の必死さで俺の役に立とうとする。まるで、そうでなければ存在を許されないとでも思っているようだった。
結局、俺は皓理の助けを受け入れた。毒草園の整備をやらされたの時に、アイツの忠告が無ければ死んでいたかもしれないからだ。実際、子供の一人は毒で死に、更に二人が死にかけた。
死人が出たことは大人達にも影響があったらしく、しばらくは比較的マシな待遇になった。
常に隣にいるようになった皓理に、ふと思いついて、なぜ俺に付きまとうのか聞けば「初めて、生きろって言ってくれた人だから。私も貴方に生きて欲しい」とか言い出した。
そんなことを言った覚えは無かったが、おそらく悪態か捨て台詞を都合良く解釈したのだろう。
それでも、確かに。誰かに生きるのを望まれるのは、心を貫く喜びをもたらした。
俺の名前も皓理が付けた。
俺は親を知らない。物心ついた時には、塵を漁って食い繋いでいた。当然、名前なんてものも持っていなかった。
名前を聞かれて、吐き捨てるように好きに呼べと言えば、皓理はなぜか真剣な顔で考え出した。
やがて告げられた『明黎』と言う名は、夜明けに由来するらしい。他にも色々と説明していたが、要は自分の名前と揃いにしたと言うことだった。
その時、俺も初めて皓理の名前を知った。
と言っても、当時の俺は読み書きが出来なかったから、字に関しては説明を聞いただけだが。
俺は人生で初めて、満たされるということを知った。
幸せだった。自分以外を大事にしたいと思ったのも、初めてだった。
全部、全部。皓理が与えてくれたものだ。
命も、名前も、幸せも、愛も。
だから、俺も、少しは返したいと思ったのだ。
俺や周囲を大切に扱うくせに、自分のことを大切に出来ない皓理を、大切にしてやりたかった。
『約束』を提案したのは、皓理の方だ。
互いが互いを死ぬまで大事にする、という約束だ。
正直に言えば、魂を懸ける、と聞いて驚いた。でも、それが皓理の望みなら、魂を懸けてもいいと思ったんだ。
歌を知らない俺の手をとって「やくそくしましょう」と歌ったアイツの声を、ずっと覚えている。
皓理は全部忘れてしまったけれど。
◆
今思い出してみれば、あの頃の皓理は、魂を懸けた約束をしてすら、根本的に俺を信じていなかったのだと思う。
今の皓理とは、明らかに瞳にうつる色が違う。
もし、皓理が記憶を失っていなければ、もっと猜疑心の強い性格になっていたと思う。
俺を見る、皓理の警戒心の無い、あの瞳を愛しく思う。
けど、俺と魂を懸けて約束した、あの皓理は何処へいった?
それとも、あの約束も『どうでもいい』から忘れたのか。
魂を懸けるといった言葉は嘘か。
…………俺のことも『どうでもいい』のか。
「っ…………」
言葉にならない激情があふれて、身体を食い破って出て行こうとする。
手を伸ばし、無防備に晒された皓理の首に手を添える。
急所に触れられても、皓理は起きない。無意識下で、俺が危害を加えないと判断しているのだろう。
手の下で、血管が脈打っているのを感じる。細い首だ。このまま力を入れれば、一瞬で、首の骨が折れて死ぬだろう。
皓理が死ぬ。
それは、この世の何よりも恐ろしいことだ。
「……俺は、死ぬまでずっと、皓理を大事にする」
それが二人でした『約束』だ。俺から約束を破ることは無い。
「……皓理も、約束を破るなよ」
皓理は、記憶を失っている。だから、約束そのものを、覚えていない。破るな、と言われたところで意味がわからないだろう。
仕方のないことだと知っている。
皓理が自分の意志で忘れたのではなく、覚醒式で死にかけた後遺症だ。
知っている。分かっている。
皓理は何も悪くない。悪いのは、約束を建前にして、皓理に執着している俺だ。
俺が悪い。知っている。
(……でも、約束しただろう? 魂を懸けて、俺を大事にすると)
「……嘘を吐いたら、報いがあるぞ」
童歌の手遊び通りに、首に添えた手を動かして、頭と唇と心臓に触れていく。
最後に額同士をそっと合わせて、目を閉じる。
もしも、皓理が約束を破って俺を捨てるなら。
その時、俺は皓理を殺すだろう。




