9. 思い出
退出する莉渚を見送って、運ばれてきた御膳の前で手を合わせる。
「「「「いただきます」」」」
御膳に置かれた食事の内容は、白米と味噌汁、焼き魚、酢の物、胡麻和え、煮浸し、漬物。七皿もの料理が乗っており、実に豪華だ。
ただし、全員まだ箸をつけようとはしない。
味噌汁の具材は豆腐と葉イモ、焼き魚は鯵、酢の物は胡瓜とワカメ、煮浸しは茄子だと分かるが、胡麻和えと漬物に使われている食材が未知の物だ。
胡麻和えは葱の一種、漬物は瓜科の野菜だと思うけど、知らない種類だ。この辺りで採れるものなのだろう。
私達は、毒の耐性をつけるために毒物を食べさせ続けられた時期がある。
食事の度に全身が内側から焼け爛れるような苦しみにのたうち回り、無理矢理流し込まれる霊薬で命を繋ぐ毎日は、正しく地獄だった。
そのせいで、知らない食材に対してはどうしても警戒が先に立つ。
「うん。大丈夫」
全員分の食事に<解析術>を行使、毒性の有無を確認して安全を確認する。
私が頷いて見せると、やっと本当に食事が始まった。
私も、まずは味噌汁を手に取る。
「うん。美味しい」
この城に来て初めて知った、魚と海藻からとれた出汁を使った味噌汁を飲んで、感嘆のため息を吐く。茸でとった出汁とは随分と味わいが違う。
煮浸しにも同様の出汁が使われていて、茄子を噛むたび複雑な旨みを感じる。
漬物はやや青臭いものの、爽やかな風味で食べやすい。
あとは、まあ、何と言っても白米だ。
「毎日三食、白米が食べれるとか贅沢だよねぇ」
「うん。しかもこのお米、凄く美味しい。甘くて柔らかくて、なのに弾力があって。これを食べた後に雑穀米に戻るのは厳しいなぁ」
「俺は皓理の作った飯の方がいい」
おっと?
明黎には珍しい発言に思わず顔を覗き込むが、真顔で見返される。
「ああ、まあ。ここの食事も美味しいけど、安心感が違うよね」
一瞬過った妙な沈黙は、哲金の発言で霧散した。
なるほど。それはそう。
食事は安全に食べられるのが一番だ。
「うん。じゃあ、家でも毎日美味しいお米が食べれるように頑張って働かなきゃね。職場が決まるまでは冒険者活動かなぁ。哲金は、八月一日から勤務なんだよね?」
「や、正式な着任はそうだけど、引っ越しがひと段落したら早めに顔を出して色々と教わるつもり。上司や同僚には気に入られとくに越したことはないし」
今は七月に入ったばかりなので、しばらくは哲金も共に行動するのかと思っていたが、早々に別行動になるようだ。
「うん。なら明日からはやっぱり効率的に動くべきだね」
元々、商店が開く時間になればすぐに買い物に出られるような段取りを整えてはいるけど、加えて地理の把握や、近隣住民との顔合わせなどもある。日中は外で動き回ることになるだろう。
「あ。じゃあ、あれも今日中に仕上げとこうかな」
「何だ?」
「根付け用の組紐。明日、糸仲の樹脂を買ったら証花を加工して組み合わせようと思って。ほら、身分証を作った時に余ったやつ」
食事を手早く終えて、≪劣化防止≫の効果がある行李に保管していた全員分の証花を取り出す。
「樹脂で固めて保存加工して、組紐と合わせて根付けにしようと思って。特別な≪効果≫は無いけど、記念品だし。胴乱を固定する補助にでも使えばいいかと思って」
組紐の材料は、素材化した絡蜘蛛の糸と維竹の糸だ。両方とも染色もしていない生成りの糸だが、上手く組み合わせれば弱めの≪固定≫くらいは付与できる。
今まで気を使って部屋で手仕事や錬成はしていなかったけれど、組紐作りくらいなら部屋を汚すことも無いし大丈夫だろう。
板を磨いて作った組紐作成用の丸板を荷物から取り出す。補助として使う物だから、今回編むのは、それほど長さは必要無い。四人分作っても寝る前には終わるはずだ。
丸板の中央に空いた大きな穴に糸を通し、縁にある切れ目に糸を掛けて、手早く紐を編んでいく。
「皓理」
「…………うん? 呼んだ?」
明黎に名前を呼ばれて、気付くのに、一瞬、間が空いた。もう少し没頭していたら、聞こえなくなっていたかもしれない。
「その証花ってやつ、そのままの形で使うのは止めろ」
「え、なんで?」
証花は、個々の霊力に応じた色の花を咲かせる錬成具で、既に効果が発動・固定されているので、これ以上の加工は少々難しいのだけど。
「それは、個人の識別のために身分証に使ってんだろ。根付けなんぞにしたら、周囲に情報を見せびらかして歩くことになるぞ」
なる、ほど?
言われてみれば、確かに証花をそのまま使うのは不用心かもしれない。
でも、せっかく戸籍を取れた時の記念品なのだから、このまま枯らすのは、かなり惜しい。
「うーん、保存加工だけして、家に置いておくかなぁ? でも、置いとくだけっていうのも……やっぱり身につける形にした方が……」
組紐を編む手を止めて、証花を前に首を捻る。
「ハァ。別に記念ってだけなら、花弁一枚でもいいだろ」
「ああ、そっか。分解すればいいのか」
「それならいっそ、四人分の花弁を混ぜたらどう?」
「あ、いいね」
哲金からの提案に、ぱっと顔を上げる。
「それぞれの花弁を合わせて、十の形に固定しようかな? 扇形の方が壊れにくいかしら」
「僕としては、扇形の方が付けやすいかな。やっぱり、花形はちょっと可愛い過ぎる気がするし」
「そう? じゃあ補強の枠をつけて、中に花弁と樹脂を流し込む形にしようか。若菜はどうする? 花の形と扇の形なら、どっちが好き?」
「……みんな、おそろい」
「そっか。うん、じゃあ全員扇形でお揃いにしよう。明黎も、それでいい?」
「俺は形は何でもいいが……そこまでして持っておきたいものか?」
「うん。嬉しい時の思い出が、いつも手元にあったら幸せじゃない」
明黎にはやや呆れた顔をされるが、私は良い思い出ならば、なるべく形に残したいと思う。
(そういえば、私の根付けには、あれも一緒に固定しようかな)
荷物を整理した時に、一番大きな≪劣化防止≫の行李の底から、春先に明黎が投げ寄越してきた、紫色の小さい霊玉が見つかったのだ。
といっても、そのままの形ではなく、砕けた後の粒子だが。渡された後から色々と慌ただしくて今回も保存加工は出来なかったのだが、たまたま筒に入れて保存していたので、砕けた後の粒が保存出来ていた。
ほんのひとつまみほどの粒子だが、証花を樹脂で固める時に一緒に入れれば無理なく保存出来る。
そうと決まれば、やはり組紐は今日中に仕上げなければ。
しばらく手を止めてしまっていたので、再び急いで編み始める。
四本目の組紐を編み終わって、視線を上げると、明黎と目が合った。
「終わったか」
「あ、うん。若菜と哲金は?」
「向こうの部屋で寝てる」
この部屋は、私が作業をするのに行燈をしっかり点けているので、二人はもう一つの部屋で寝ることにしたらしい。
「珍しいね、哲金も先に寝たんだ?」
「する事も無いし、明日は朝から動けるようにしたいから、だとよ」
哲金は、寝起きも悪いが、寝つきも悪い。
あまり弱味を見せたがらないので、詳しくは聞いたことがないけれど、頻繁に悪夢を見るせいで、たぶん眠ることそのものがあまり好きではないのだろう。
その哲金が寝ているということは、思ったより時間が経っているのかもしれない。
「ごめん、もしかして待たせてた? すぐに寝る支度するね」
仕上がった組紐と道具を行李に片付けて、城から貸し出されている寝巻きに着替え、寝支度を整える。その間、明黎は布団を敷いてくれていた。
今日は明黎がこちらに寝るのだろう。
「火、消すよ」
「ああ」
行燈の火を吹き消すと、部屋は闇に包まれる。灯心から立ち上る白い煙だけが、薄らと視認出来た。
歩いて三歩の位置に敷かれた布団の上に横たわる。今は夏なので、上にかけるのは長めの手拭いだけだ。
「おやすみ、明黎」
「…………ああ」
あれ、どうしたんだろう? 明黎は口が悪いけど、挨拶はいつもきちんとしてるのに。
「明黎、どうかした?」
「……何がだ?」
「いや、何か考え込んでる風だったから」
明黎は睡眠が短くても平気な体質ではあるけど、何の用事もないのに無意味に起きておく性格でもない。
就寝の挨拶への生返事から考えても、何か気になることがあるのだと思ったが。
「…………」
明黎が黙ったままなので、暗い部屋は静かなままだ。
気になったから聞いてはみたけれど、言いたく無いなら無理強いする気もない。
そのまま薄らと眠気に引き込まれ始めた頃、ぽつりと小さな言葉が落ちた。
「お前は、記憶を、思い出したい、か?」
「え?」
眠気もあって、一緒何を聞かれたのか分からなかったが、これは、私が失っている幼少期の記憶のことだろうか?
私は、曲輪で覚醒式を受ける前の記憶が無い。
覚醒式で瀕死の重症を負った私が、はっきりとした意識を取り戻した時に知っていたのは、無味乾燥な知識の類いと、魂に焼き付いてた断片的なひとつの記憶だけだ。
『皓理』という名前だって、明黎から教えられたものだ。
覚醒式で死にかけた私を助けてくれたのも明黎だし、明黎は、あらゆる意味で、私の恩人なのだ。
さて。そんな明黎から、失くした記憶の話を振られたわけだけれども。
「うん。うーん、正直、どうでもいいかな」
「…………あァ?!」
「え、いや、だって、正直、今さらだし。それに、思い出したところで、何をどうするつもりも無いし」
「…………」
あと、敢えて口に出したりしないが、たぶん私は真面な育ちをしてない。知識は残っていたと言えど、常識の欠けや妙な覚え間違いが多いあたり、大人の関心が薄い環境にいたのだと考えている。
何より、ひとつだけ残っている記憶が、本当に碌でも無い。
ーー存在が蝕まれていくように、絶望が指先から染み込んでいく。
走り去っていくその背中に縋る手は、虚しく空を彷徨うばかり。
ーーどうして……?
その言葉だけが頭の中を支配して、他のことが考えられない。
ーーどうして、どうして、どうして、どうして。
足の力が抜けて、その場に頽れる。
ーーどうして? 約束したのに。
全員の血が凍り付いたようで、酷く寒い。
でも、もう、どうでもいい。
ーーどうして? 私が悪い子だから?
視界が黒く染まっていく。
もう、なにもわからない。
ーーねえ、どうして? どうして、私を捨てるの? お兄さま……
…………と、いうのが私の魂に焼き付いた、唯一の記憶だ。
嫌すぎる。
時間も場所も経緯も、兄の顔も名前すら覚えていないのに、絶望と孤独だけが鮮明だ。
ほんっっとうに碌でも無い。
これの詳細まで思い出すならば、別に記憶なんて無いままでいい。
「それにしても、どうして急に?」
「……さっき、思い出がどうこう言って、妙に拘ってただろォが」
なるほど。
それで、私が記憶が無いのを気にしていると思って、気遣ってくれたのか。
「……生まれ、とか、家族、とか。気になんねぇのかよ」
「私の家族は、明黎と若菜と哲金だよ」
明黎の質問の意図とは違うことを承知で、被せるように断言する。
「自分の素性に、全く興味が無いわけじゃないけど、どうでもいいっていうのも本音。どこで生まれていようが、私は私だし」
「………………そーだな。……寝る」
暗くて表情までは伺えないが、納得してもらえたみたいだ。
「うん、おやすみ」
「……おやすみ」
明黎の声が横から聞こえて、安心して目を閉じた。
七年間、ずっと側にいてくれた人。
私の家族。私の居場所。
今の私は、失った記憶ではなく、明黎達と共にいた七年間でつくられている。
小さくあくびが出て、とろとろと意識が落ちていく。
ふわふわと定まらない思考での中で、さっきの会話が再生される。
失った記憶はいらない。必要無い。
……でも、
(明黎と初めて会った時の記憶だけは、思い出したいなぁ……)
そう思ったのを最後に、思考は眠りに溶けた。




