8.常識講座
本日二話目の投稿です。
新しく私達が住む家は、結局最初に見た元絵師の家に決まった。
元々第一候補ではあったが、明黎と哲金が丸一日かけて改めて家周囲の住人を調べた結果も踏まえている。
北と西の地区は人の行き来が多く、南の地区の三件も、二番目の家の周辺は若菜が一番苦手とする年代の男性が多く住んでいた。対して最初の家の近隣は比較的年配者や子供のいる家族が多く、特に最も関わりが深くなるだろう隣の家の住人は、夫婦と子供二人でなおかつ父親は港勤めで家にいる時間が少ない。これが最終的な決め手になった。
「では、こちらの家で入居の手続きをいたしますね。役所の手続きがだいたい三日ほどかかりますが、鍵は私が預かっていますから荷物の運び込みはすぐにしてもらっても大丈夫です」
書類を片手に莉渚が説明してくれる。
現在は空き家だったのだから、確かに問題は無いのだろうけど、領地に来る前の道中で早多達から聞いていたより入居手続きの処理が異様に早い気がする。まあ、城からの依頼だからだろうけれど。
そもそも、領地全体で住居が不足しているという話だったのに、こんなに早く条件に合う家を複数紹介してもらえたのが得難い幸運の結果だ。素直にお礼を述べておく。
ちなみに、明黎と哲金が家周辺の調査をしてくれている間、私と若菜は城の部屋で紬綺に買い取ってもらった品物の受け渡しを担当した。曲輪から持ち出した荷物がだいぶ減った代わりに、今後の生活資金を手に入れる。
お金もあるし、許可も出ている。明日は新生活のための品々を購入して、家に運び込もう。
手続きのために莉渚が退出すると、ここしばらくで慣れ始めた待機の時間だ。
荷物が減ったので、改めて所持品を整理してまとめ直すことにする。細かい物まで広げて確認していると、素材の一部が劣化していたり、意図せず紛れ込んでいた物が見つかったりして、そこそこ長い暇つぶしになった。
昼食を挟んで、莉渚が書類を持って戻ってきた。手続きと報告は問題無く終わったそうだ。
正式な入居日は三日後に決まった。それまでは引き続き、城のこの部屋に滞在させてもらう。思いのほか長居することになったな、と不思議な感慨を覚える。
「これからも、当面は私が連絡を担当致しますね。皓理さんの職場の件もありますし、一通りの生活が安定するまでは三日毎にお伺いする予定です。それ以外にも何かありましたら、城の北門の兵士に私宛の文書を渡して下さい。話は通しておきますので」
「わかりました」
やはり、沙扶、ひいては紬綺や梛津も当分は忙しいのだろう。
この分では、辞去の挨拶に時間を取ってもらうのもかえって迷惑になるかもしれない。
「それで、これは母、沙扶からの指示なのですが……新居に移られる前に生活習慣などの確認をするように、と言われております……?」
何故そんなことを? と疑問に思っているのがよく分かる顔で莉渚が言う。
その表情を見て、彼女は私達の素性を知らないのか、と初めて察した。紬綺は「無闇に話を広げない」という約束をきちんと守ってくれているようだ。
とはいえ、「生活習慣」もとい「常識」の確認をしてもらうなら、教師役の莉渚にはある程度事情を明かさなければ、どう考えても不審だろう。
相談がてら哲金に視線を送ると、軽く頷いて会話を引き取ってくれる。
「莉渚様は、私達の事情をどのように聞かれてらっしゃいますか?」
「事情……といいますか、私が母から任されたのは、梛津様の後見を受けることになったお客様のお世話です。仕事上の具体的な指示はいくつか聞いておりますが、それ以外は何も」
「なるほど…………そうですね、私達は少々特殊な環境で育ちましたから、あまり他者との交流に慣れていません。住んでいた場所も山奥の田舎でしたから、ここのような大都市での生活は色々と勝手がわからないことが多いのです。妙なことをしでかして恥をかくのも嫌ですし、一度生活の基礎的なことから確認させていただけると助かります」
「私でお役に立てるのでしたら」
「ありがとうございます」
本当に最小限の情報しか開示していないのに、あっさりと話がまとまった。哲金の口が上手いのか、莉渚が素直なのか、両方か。
「では、お言葉に甘えまして。早速ですが、ここでは刻の区切りに合わせて鐘が鳴るようですが、区切りの半ばにも別の鐘が鳴りますよね。あれは、時刻を告げるもので間違いありませんか?」
一日は概ね七つの時間で区切って呼ばれる。
まず、日没から日の出までの夜の間は、黒の刻。
日が出ている間の時間は、六つに区切ってそれぞれ、白、緑、赤、無、黄、青の刻と呼ぶ。
白から赤の刻は午前、無から青の刻が午後で、赤の刻から無の刻になる時間が正午だ。
ただ、時間の区切りがこれだけだと不便なので、私達は、刻の始め、とか刻の終わり頃、とか言って区別をしていた。
だが、この領地では別の区切り方をしているらしい。
「はい。一刻のちょうど半分の時間に、半鐘と呼ばれる鐘が鳴ります。鐘の音の知らせとしては、他に警鐘と呼ばれる緊急事態を知らせるものがありますが、こちらは連続して鳴らされるので、違いはすぐ分かるかと」
「わかりました。他に、時間を調べる物などはありますか?」
「そうですね、おおよそ四半刻(30分)の時間を測るために職人達が専用の線香を使う事がありますね。線香を半分に折ってより短い時間を測る時に使うこともあるとか」
なるほど。そういう細かい時間を測れるのは便利だろう。値段によっては私も欲しい。
「次に、商業組合に勤めるにあたって受けた説明で、七日に一度休みがあると言われたのですが、これは領地共通の決まりですか?」
「いいえ。領地の方針として週に一度の休みを推奨してはいますが、決まりというわけではありません。ですが、月に一度も休みを与えない職場で働く人は、ほぼいませんね」
「正月は休みでしょうか?」
「大晦日から三が日はどこでも休みです」
「そうなのですね。では……」
哲金の質問に莉渚が答えるという形で、さまざまな事柄を確認していく。
一週間は七日、一月は四週間、一年は十四ヶ月。これは今まで知っていた事との違いは無い。
気候に関しては、夏は夜も暑い日が多く、冬は寒いが、雪はあまり積もらないらしい。夏が涼しく、冬が雪深かった曲輪とは真逆だから、過ごし方の注意点なども色々と聞いておく。
妖魔を防ぐ<聖域結界>は領城を中心地として球状に広がり、公爵領では直径三里(約12km)が効果範囲。結界の広さが領地の広さとほぼ同義であり、結界の広さは爵位によって決まる。
ここ交易都市では、人口が多すぎて領地内に農地が充分に確保出来ず、食料品は近隣の他領からの輸送品が多いらしい。そのあたりの事情は、確か漣夜からも軽く聞いていた。
食糧を自給出来ない領地は比較的珍しいようだ。領地によっては、ほとんどの土地が農地だったりするらしい。
身分については、沙扶にもある程度教わっていたが、思い違いが無いか一通り確認させてもらった。
身分は位階によって定義されており、最上位は王、その下の一位上から七位下の位を持つ者を貴族、八位上から十四位下までが特権階級、位階を持たない者は一律平民だ。
位階を持つには位階試験を受ける必要があり、試験に合格出来なければ、親が貴族でも位階持ちにはなれない。ただし、位階試験にもさまざまな種類があるので、専門の教育を受けられる貴族の家の出身者が有利であることは間違い無い。
ちなみに、錬成術師の資格を取るために一年間の実務経験の後に受ける試験は、正式名称を錬成術師職能資格認定試験と言い、十四位下の位階試験でもあるのだそうだ。
「位階を取得されますと、酒税や絹税など、一部の贅沢品の税金が減税されます。詳しくは資格取得時に説明がありますが、前もってお知りになりたい場合は私にお申し付け下さい」
「すみません、その贅沢品にかかる以外の税金はどのようなものがありますか?」
そういえば、冒険者組合でも税金がどうこうと言っていた。税金がどういうものかくらいは知っているけど、実際に自分が払う必要のある税金についてはよく知らない。
「まずは、成人全員にかかる人頭税ですね。これは一律で三銀、年末に必ず払わなくてはならない税金です。大抵は所属している職場や組合が一括して払ってくれるようです。それ以外は、地税、営業税、入湯税と、後は贅沢品にかかる税金が代表的なものですね。ですが、自分で土地を持っていたり、商売をする方でないなら、地税や営業税は関係ありませんし、品物にかかる税金は販売店が計算しますので、別途で支払う必要はありません」
「ええと、とりあえず僕達が納付する必要があるのは人頭税だけで、それも職場か冒険者組合で頼めば手続きなどは代行してもらえるという理解であっていますか?」
「はい。間違いありません」
年間三銀、つまり三千文の税金というのは、かなり安いと思う。その分、他の税金は高いのだろうと想像はつくし、それらの税金を払う立場の人によって、商品価格や家賃に税金額が反映されるのだろう。つまり、直接的な税は少なく、間接的な税が多い仕組みだ。
「税金の問題は大丈夫だとして、あとは……住居周辺の不文律などでしょうか。先日お伺いしたこと以外の注意点などあれば、教えていただきたく」
「そう、ですね。私も実際に住んだことが無いので、基礎的なこと以外は詳しくは無いのですが……確か、井戸や下水などの共用部分の管理費の負担金があると聞いた気がします」
確かに、莉渚は貴族家の生まれなのだから、庶民の暮らしに詳しくなくて当然だろう。むしろこれだけの質問にしっかりと答えてくれるだけ博識と言える。
「管理費ですか。それは、入居後すぐに確認した方が良さそうですね。そう、それと井戸に関してもお聞きしようと思っていたのです。海水は、飲めないと聞いたのですが、これだけ近くに海があって、井戸の水は大丈夫なのですか?」
「井戸の水は、領地の北にある川から水路で引いたものですね。水路から繋がった地下の水道管が、各所の井戸に水を運んでいるのです。八十年ほど前にかなり大規模な土木工事をしたと聞いています」
意外な答えに目を瞬く。まさか地下に水道があるとは思わなかった。
こういう規模の大きな話を聞くと、繁栄している領地の地力を思い知る。
(うん。それはそれとして、真水に困らないなら、やっぱり浄化炭はあまり売れないかも)
安値で売るのは勿体無いので、私が正式に錬成術師の資格を取得するまでは保存しておこう。
「凄いですね。それほどまでに大規模な工事の話は初めて聞きました。今も昔も、大湊公爵家は領民を大事にされているのですね」
「はい。今の公爵様も、次代である梛津様も、素晴らしい方です」
「私もそう思います。ところで、その梛津様なのですが、まだしばらくはお忙しいのでしょうか?」
「はい。何やら王都から急報があったそうで、上層部の方々はずっと忙しなく働いてらっしゃいます。私のような下役には、まだ詳細が知らされておりませんので、詳しいことはわからないのですが」
「そうなのですか。……では、辞去の挨拶も難しいでしょうか?」
先程私も気になったが、哲金も気にしていたらしい。
家への正式な入居日が三日後だから、私達が城を辞すのもその日になる。出来ればそれまでにお礼と挨拶をしたいのだが、やはり難しいだろう。
「私が出来るのは、要望を上げることだけですが、確かに伝えておきます」
莉渚が請け負ってくれたので、この件に関してはとりあえず保留だ。
見れば、既に日が傾き始めている。随分と長い時間話し込んでしまっていたらしい。
(……あとは、何か聞いておくことがあるかな?)
明日明後日は、買い物や引っ越しの作業で慌しいだろうから、質問は今日の内にしてしまった方が良い。
「……すみません、規則や刑罰……法律全般について確認する方法はありますか?」
おおまかな犯罪行為は把握しているつもりだが、街道の護扇樹の剪定のように、予測しない方面の法律が無いとも限らない。
脛に傷を持つ身としては、犯罪に繋がる行為を取る可能性は極力排除したい。そのためには違法行為を全部把握しておくのが一番だ。
「法律全般、ですか? ……奉行所の付属書庫なら関連書物を網羅しているとは思いますが、一般に公開されるものではありませんし…………一部なりとも公開の可能性があるのは、冒険者組合でしょうか? 成人直後の見習い向けに、さまざまな書籍の閲覧や講習があると聞いたことがあります」
「冒険者組合ですか。ありがとうございます、一度そちらで尋ねてみます」
なるほど、冒険者組合。
確かに、武力を持つ者達のための組織なのだから、犯罪に走らないようにするための指導くらいはありそうだ。
妖魔の特徴を記した本もあるようだったし、建物のどこかに書庫があるのだろう。
職場が決まるまでは、私も多少の時間は取れるだろうから、しばらくは冒険者組合に通い詰めてもいいかもしれない。
ふと、部屋に近づく複数の気配に気付く。
どうやら、常識の勉強時間は終わりのようだ。
「失礼致します。夕食をお持ちいたしました」
いつも部屋まで食事を運んでくれる女中さんの声が襖の外から聞こえる。
「ありがとうございます」と言って運ばれてきた御膳を受け取ると、彼女達はそのまま退出していく。
滞在中、食事はずっと四人だけでとっている。食事を終えたら、御膳は廊下に置いておく仕組みだ。準備も片付けも無く、ただもてなされるだけの食事には、未だに慣れない。
「では、私もお暇させていただきます。少しはお役に立てましたでしょうか?」
「勿論です。もしまた疑問に思うことがありましたら、莉渚様にお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「はい。いつでもお申し付けください」
莉渚にも食事に行ってもらうため、彼女の仕事時間はここまでだ。
礼を取るのは遠慮されているので、そのまま退出を見送った。




