2. 錬成術師
ダンッ、ガガガ、ドッ!!
板間の部屋に、木や肉の打つかる音が響く。
「くぅっ……?!」
蹴り飛ばされた勢いのまま壁にぶつかりかけたところを、咄嗟に床に爪を立てることで何とか体勢を整え受け身を取る。息つく間もなく追撃がくるのを、転がり避けた。
飛び退いた先で、先程はね飛ばされた訓練用の小太刀を回収し、両手に構えて正面を見据える。
「ふっ!」
木で作った小太刀を左右の手にそれぞれ構えて、素手の明黎に打ちかかるが、全ていなされるか避けられて、全く当たらない。
仕切り直しの為に距離を取ろうとした重心の移動を読まれ、足を払われる。姿勢を崩した次の瞬間、顔面スレスレに明黎の拳が止まっていた。
「……参りました」
「チッ」
朝食前に急遽ねじ込まれた戦闘訓練で、私は明黎に宣言通りにボコボコにされている。
「握りが甘ぇ。武器を落とすな。損傷した手の状態を無視していつも通りに使おうとしたせいで、攻撃が軽過ぎる。単に手数を増やすだけなら意味が無ぇんだよ。あと、ただでさえ力が弱ぇんだから、攻撃は正面から受けるな」
「はぁっ、はあ。うん、はい」
「……さっさと手を治せ」
「はぁい……」
怒涛の駄目出しを喰らった私は、すごすごと壁際にいた若菜の横まで引き下がる。
入れ替わりで手合わせを始めた哲金と明黎を見ながら、腰に付けた胴乱を開けて霊薬を取り出す。
戦闘訓練は毎日の事ではあるが、今日は特にあちこちに傷を負ってしまった。私が集中しきれていなかったのか、明黎が普段以上に容赦が無かったのか、何度も殴られ蹴られ投げ飛ばされた。
まあ、壁一枚挟んだ外に妖魔がうろうろしているような環境で暮らしているのだから、戦闘能力が低ければ死んでしまう。訓練はいっそ義務だ。
けれど、まあ。それはそれとして、痛いものは痛い。特に、衝撃を殺す為に無理矢理床についた左手は、爪が剥がれて酷いありさまだ。
外傷全般に作用する霊薬・治癒膏を手に塗り込むと、時間を早送りするように怪我が癒えていく。
傷が消えた後も僅かに残る痛みや違和感を消す為に指の調子を整えていると、近くの壁に哲金が吹っ飛ばされてきた。
上手く受け身を取ったようで怪我は無さそうだが、直後に鼻先スレスレに明黎の足が突き刺さる。
「参りましたぁ!」
「防御ばかりに思考が偏り過ぎだ。刀を振る時はどんな体勢でも軸をずらすな。あと、たとえ吹き飛ばされようと、最後まで敵から目を離すな。死ぬぞ」
「ハイ、兄さん……」
哲金が、肩を落としてこちらへ退避してくる。
明黎はだいたい私に一番厳しいが、哲金と若菜にも、まあまあ厳しい。
「若菜、次はお前だ」
「う、うん。わか、った。おに、おにいちゃん」
若菜と明黎が部屋の中央で組手を始めると、先刻までとは段違いの激しい音が響き渡る。
「うう、今日の兄さん気合い入り過ぎじゃない? 今、凄い音したんだけど」
「うん、ごめん。私のとばっちり」
「…………何かあったの?」
哲金が心配そうに、こちらを伺う。
訓練時間を変更したこともあって、どうやら不安にさせてしまったようだ。
「ううん。単に私の夢見が悪くて、ぼんやりしてるって明黎に怒られただけ。心配かけてごめんね」
「ええ? 夢見って…………はあ。相変わらず、兄さんは姉さんに対しては、過敏っていうか過激っていうか……僕にとっては、悪夢を見るとか日常茶飯事なんだけど」
「わかりにくいけど、明黎は優しいから」
「いや、兄さんを優しいとか言うの姉さんだけだから」
そもそも、慰め方が戦闘訓練とか脳筋過ぎでしょ、とぶつぶつ愚痴られるが、立場上苦笑して謝ることしかできない。
それに何だかんだ言っても、哲金は「兄さん」と呼ぶくらいには明黎の事を慕っているのだ。
「……それで、姉さんは元気になったわけ?」
「うん。大好きな家族がいて幸せだなぁって実感したから」
「へ、え……」
「あとは厳しめの訓練で、すっかり目が覚めたよ。私も脳筋かな?」
「あー……いや、まあ、こんな環境で生活してるから……」
あれ? 軽口のつもりが遠回しに肯定されてしまった。
うん、いや、まあ。考えてみれば、自覚は無くもないかな。
最低限の防衛機構があっても、こんな場所で暮らしている以上、妖魔との戦いは日常の延長上に存在する。いつも頭のどこかで戦うことを考えているのだから、脳筋と称されても否定は出来ない。ただ、この感覚は全員共通だろう。
それは、魂に傷の残る若菜であっても例外では無い。
妖魔は特に弱いモノから積極的に狙ってくるから、身を守る強さは必須だ。
意思の主張も出来ない若菜に戦いを強いるのは、心苦しくはあったのだが、弱いままであれば、誇張では無く死んでしまう。
幸いと言うべきか、若菜は普段の様子とは打って変わり、危険に対しては瞬時に反応した。
明黎による実践的な戦闘訓練の賜物なのか、元々の資質か、若菜はあっと言う間に格闘技の腕を上げた。今となってはこの辺りに生息する妖魔に遅れを取る事はそうそう無い。
というか、普通に私より強い。
訓練においても、別格の強さの明黎とギリギリ勝負になるのは、若菜だけだ。私と哲金は二人がかりでも大抵負ける。
今も、床や壁どころか天井まで使って跳ね回りながら組手を続けている。
二人の動きを何とか目で追っているうちに、若菜が投げ飛ばされたが、空中でくるりと体勢を整えるときちんと足から着地する。
しかし勝敗はついていたようで、若菜はそのまま頭を下げた。少し息が上がっている。
「陽動に釣られる事がまだ多いな。目線や重心だけじゃなく、相手の動き全体を見極めるように気を付けろ」
「はっ、はぁ、う、うん。が、がんば、る」
うーん、注意も高次元。
そして三人を連続で相手取って、息も切れていない明黎は本当にどういうことなの。主力武器も<幻影術>の刻印も使ってないのに。
「明黎、若菜、お疲れ様。若菜、怪我は無い?」
「だい、だいじょぶ。お、おねえちゃん」
そう言いながらも、珍しくこちらをじっと見ている若菜に、何となく心配されている気がして、先程治療した手を見せる。
「私も、もう治したから大丈夫だよ。ちょっと霊薬が勿体なかったけど」
「あ? まだ腑抜けてんなら、腕の一本でも折ってやろうか」
若菜相手に軽口を言ったら、明黎から物騒な言葉が飛んできた。
(うーん。流石に言い過ぎじゃない?)
「素直に、心配だって言っていいよ?」
にっこり笑って言い返したら、鼻で笑われる。
そのまま、訓練に使っていた大広間を出て行く明黎にため息を吐くと、哲金が肩をすくめてみせる。
「僕達も朝ご飯食べに行こう。これ以上冷えたら嫌だし」
「うん。掃除はご飯の後にしようか。若菜も、ご飯食べに行こう」
「う、うん」
「「「「いただきます」」」」
四人揃って朝食の前で手を合わせる。
献立は、雑穀米と椎茸の味噌汁、野菜の和え物だ。
手に入る食材の選択肢が少ないので、献立は毎日あまり変わらないが、それでも食事は美味しく食べたい。
「あ、いい香り」
「この薬草塩は当たりだね。姉さん、また作ってよ」
「味に拘り過ぎると、また量が無いのが辛くなるぞ」
「うっ。や、でも野菜ならちょっとは備蓄あるし、これからの季節は収穫量増えるから大丈夫でしょ。余らせても腐るだけなんだし。ね、若菜も気に入ったでしょ?」
「い、いい、におい。お、おいしっい。おねえ、ちゃん」
「うん。じゃあまたこの配合で薬草塩は作っておくね。明黎もこの系統の味は好きでしょう?」
「…………」
この場合、沈黙は肯定だ。
食事に関して、量はどうにもならないので、せめて味だけは良くしたいと、色々と試行錯誤している。食材の切り方や組み合わせ、加熱方法を変えてみたり、香りの強い物を入れてみたり。
今回は、霊薬用に育てている霊草の一部と、山で採れた香草を粉末にして塩に混ぜてみた。
好評なようで何よりだ。
「兄さんは、今日の午前中は毒草園の整備の予定だったよね? 一人だと昼に帰って来れなくなりそうだし、片付けと洗濯終わったら、僕もそっちに加勢に行くよ。その分、夕方時間が出来たら、薪割り手伝って」
「分かった」
「ありがとう、哲金。若菜は、洗濯までは哲金のお手伝いをお願いね。私も、午前中は薬草園じゃなくて、工房の方に行く予定だから、終わったらそっちに来てね」
「う、うん」
今日は突発的に朝食前に訓練の時間を取ったので、少し予定の調整が必要だ。
霜が降りる日が減った今の時期は、畑の土作りで忙しい。自分達が食べる分は当然として、頭領や呪詛師から要求される分の霊木草の栽培もしなくてはならないし、収穫した後の加工もある。効率的に動かなければ、時間はいくらあっても足りない。
「ごちそーさま。先に行く」
明黎が洗い桶に食器を入れて立ち上がったのを見て、私も急いで箸を動かす。
私も鍛錬場として使った大広間の掃除をした後は、工房で霊薬の錬成だ。下処理を含めるとそこそこ時間がかかるので、早めに取り掛かりたい。
「御ご馳走さまでした」
「ご馳走さまです」
「ご、ごちそう、さま」
ちょうど哲金と若菜もほぼ同時に食べ終わったので、連れ立って中庭の井戸へと向かう。食器や調理器具を洗う二人と別れて、掃除用の桶を抱えて鍛錬に使った大広間へ向かい、簡単な掃除をする。
埃払いと雑巾掛けを終え、再び井戸に向かうと、哲金と若菜が今度は洗濯をしていた。服も手拭いも、余分な布は存在しないので、清潔な物を使いたければこまめに洗濯するしかない。
「掃除お疲れさま。そっちの桶の水持って行っていいよ。工房でも水使うでしょ?」
「ありがとう。二人も洗い物お疲れさま」
手を石鹸で洗った後、哲金が汲んでくれていた綺麗な水を入れた桶を二つ持って、東の棟にある錬成工房へと向かう。草履を脱いで縁側から屋内に入ると、工房の入り口にある巨大な水瓶に片方の桶の水を注ぐ。もう片方の水は、今から蒸留する予定なのでそのまま置いておき、火鉢の炭に火を付ける。
この工房は、曲輪が出来た当初からあった部屋で、錬成術師の調合の為に最適な環境になるように計算して作られている。
窓には贅沢にも強化硝子が嵌っていて採光と換気は万全だし、≪加熱≫の錬成具や≪浄化≫付きの作業台が置いてあり、≪劣化遅延≫作用のある棚まで完備。しかも部屋全体に≪調温≫≪調湿≫≪安定化≫の効果まで付いている。
多少腕の上がった今はともかく、昔、まだ錬成に慣れていなかった頃は、この部屋の設備が無ければ碌な錬成が出来なかったと思う。
いくつかの管が繋がった硝子の蒸留器に、桶から水を注いで≪加熱≫の錬成具の上に設置する。
冷却用の水と蒸留済みの水を溜める器を準備すれば、後は時々様子を見るだけで、しばらくは大丈夫。
次の作業のために、棚にずらりと並んだ壺、箱、竹筒の中から、使う物を取り出していると、扉から若菜が入ってきた。
「若菜」
「お、おねえ、ちゃん」
「洗濯は終わった?」
「う、ん」
「じゃあ、こっちを手伝ってもらっていい? この葉っぱと根っこを、薬研で潰して欲しいの」
若菜にお願いしたのは、素材の下処理だ。霊薬に使う薬草類は、擦り潰して粉末状にした方が使い勝手が良いものが多い。
若菜が頷いて、薬研の前に移動したのを確認して、私も自分の作業に戻る。
今から作るのは、一番作り慣れた治癒膏で、材料になる素材も常備してあるので、すぐに錬成に取り掛かれる。
作業台に、二種類の油の入った壺、蜜蝋入りの瓶、二種類の霊草の粉末、空の壺や器、濾過用の布、深鍋、混ぜ鉢と混ぜ棒、計量用の枡と天秤を用意する。
まず、油壺の蓋を開け<解析術>で状態を確認。
片方の油は、基材となる無加工の常葉木の油で、もう片方は傷の治癒に適した薬効を持つ益草を漬け込んだ、浸出油だ。
浸出油の方は固形物を布で濾し取って別の壺へ移し、基材となる油は必要量を深鍋に計り入れる。
基材となる油の量から計算した錘を天秤の片側に載せ、逆側に蛇帝蜂の蜜蝋を必要量だけ削っていく。計り終わったら深皿へ移し、油と同じく<解析術>で状態を確認。問題無し。同じ要領で、茂草と佐保根の粉末も必要量を準備する。
これで下準備は完了。
(≪加熱≫の錬成具がもう一つあれば楽なんだけどな……)
蒸留が問題無く出来ていることを確認して、先程火をつけた火鉢の炭を、焜炉に移す。
ここからが錬成の本番だ。
いつも、錬成を始めるこの瞬間は、少し高揚してしまう。
「……ふぅ……」
深呼吸をして、改めて意識を集中。
先程<解析術>で確認した素材の性質や回路を脳裏に詳細に描き出し、<錬成術>を使って霊力を錬成陣へと変換、素材の上に展開する。
錬成陣は、基本的に幾つもの円が連なったような形で、それぞれの円が素材の属性や性質を表している。
それらを視て読み取り、望む性質や≪効果≫に描き変えるのが<錬成術>だ。
属性の種類は、白・緑・赤・無・黄・青・黒の七種類。
それぞれの属性によって表される性質はある程度決まった法則があるが、属性を組み合わせることによって、あらゆる効果を作り出すことが出来る。
身体を癒す系統の霊薬は、ほとんどが緑属性で、その素材は大半が霊草・霊木といった植物由来の、所謂『薬草』だ。
霊木草は全てが緑属性を帯びているからだが、中には緑属性以外の属性を帯びている物もある。
今回使う素材でいえば、常葉木の油は白、佐保根は赤と黄の属性を持っているし、蛇帝蜂の蜜蝋は無属性の妖魔から採れる素材だ。
「うん。いいかな」
炭火が安定しているのを確認して、基材の常葉木油を入れた鍋を焜炉に乗せる。その中に佐保根の粉末を投入して攪拌しながら、油の温度が上がって薬効が抽出されるのを錬成陣で確認する。
佐保根を投入した事により、緑色が大半を締める錬成陣に赤と黄の割合が増える。今回錬成する霊薬に付与する効果は≪治癒≫であり、赤、黄属性は残すと効果を減衰させるので、錬成陣を描き変えて、余分な効能は除去していく。
錬成陣と連動して素材が変化していく為、錬成陣を組み直すのと並行して、素材の処理も行う。錬成陣の組み替えだけで全ての工程を行うことも可能だけど、普通に熱を加えたり、手で混ぜた方が簡単だ。
佐保根の薬効が充分に抽出されたことを確認して焜炉から鍋を下ろし、茂草を投入、攪拌する。
油の温度が下がり過ぎないよう、時折焜炉の上に鍋を戻しながら薬効を抽出していく。
抽出が終わり、油の温度がある程度下がったのを確認した後、不純物を濾し取って混ぜ鉢へと流し入れる。
そこに先程別に置いておいた益草の浸出油をゆっくり追加して混ぜ合わせていく。
油同士が均等に混ざったら、軽く熱して液状化させた蛇帝蜂の蜜蝋をゆっくりと垂らし入れ、あとは均一になるようにひたすらかき混ぜる。混合が進むにつれ、液体状だった油が半固形の軟膏へと変化していく。
混ぜている間も、変化する素材それぞれの錬成陣を組み変え、ひとつの錬成陣へと纏め上げる。
傷の治癒に関連する性質はより増大するように。逆に身体の負担になる副作用や反動に関する性質は無くなるように。円の配置や繋がりを組み替えると、錬成陣に繋がった素材も同じように変化する。
軟膏の完成と同時に、錬成陣も仕上げに入る。≪治癒≫を表す術式を、錬成陣全体に効果が及ぶように描き加え、陣の中にある白属性を利用して≪即効≫の術式を描き入れる。
最後に錬成陣を軟膏と完全に融合されば、霊薬・治癒膏の完成だ。
念の為、完成した治癒膏を<解析術>で読み取り、効果を確認。うん、良い出来だ。
「はふっ…………」
最高品質の霊薬を作り上げた事に、自然と笑みが浮かぶ。
錬成に没頭する時間は最高だ。頭の中を錬成陣で埋め尽くし、その精緻な美しさに没頭し、その世界に耽溺する。その多幸感は筆舌に尽くし難い。
高揚感で、顔が少し紅潮しているのを自覚する。
「ふぅ……」
浮立つ心を鎮めがてら、完成した治癒膏を混ぜ鉢から空の壺へ移し替えて、油紙と蓋でしっかり封をする。
新しく出来上がった霊薬は保存用の棚の一番奥へ仕舞い、ついでに手前の壺から、訓練後に使った分の治癒膏を携帯用の容器に補充する。
次は、水薬の基材になる、薬草水の錬成だ。
蒸留器に注いだ水が残り少なくなっているのを確認して≪加熱≫の錬成具を停止する。たまった蒸留水を計りながら鍋へと移し、一旦蓋を閉めてから、次に使う素材を用意する。
先程も使った、茂草、佐保根に加えて、殖林杏の葉の粉末を計量して取り分ける。
蒸留水を≪加熱≫の錬成具の上に設置し、沸騰しないように気をつけながら温める。
素材の上に錬成陣を展開し、佐保根、殖林杏の葉、茂草の順でお湯に投入していき、じっくりと煎じていく。
錬成陣に干渉して、少しだけ抽出の速度を早めつつ薬効を高め、霊薬の治癒反動や副作用を防ぐ≪健体調和≫の術式を描き込んでいく。
水の色が薄く緑に色付けば完成だ。
こちらも布で不純物を濾し取り、冷やした後は≪防腐≫≪劣化遅延≫の処理を施した専用の薬筒に入れて保存する。
「ふぅ……若菜、そっちはどう?」
「お、おね、え、ちゃん。あ、あと、これ」
「うん、その分までお願いしていい?」
「わ、わかっ、た」
「ありがとう」
若菜が砕いてくれた霊草を、種類別に箱に整理して棚にしまい、使った道具類を洗って片付ける。
その後で粗熱の取れた薬草水を、漏斗を使って薬筒に流し入れる。
薬草水を入れて密封した二つの薬筒を保存棚の奥に納めていると、不意に視界の端で何かが落下したのが見えて、反射的に掴み取る。
見れば棚に引っ掛けていた縄がボロボロになって千切れていた。
「ああ、これ……壊れちゃったんだ」
何かに使えるかもと捨てずにいたものの、結局何にも使わず霊力の供給も忘れていたので、遂に壊れてしまったらしい。
この縄は、私が初めて錬成陣を見た時に作られた錬成具だった。
◇
「いいか、今から説明することを頭に刻み込め。二度は説明しない」
隈の目立つ顔を顰めた灰色髪の細身の男が、私を見下ろしながら言う。
「<錬成術>とは、錬成陣に干渉することによって霊薬を含むさまざまな錬成具を作り出すことを可能とする<刻印>だ。そして錬成具とは、霊力を原動力としてあらゆる≪効果≫をもたらす道具のことを指す」
例えば、傷を癒す≪治癒≫
例えば、耐久性を高める≪強化≫
例えば、汚れを落とす≪浄化≫
「錬成とは、素材の錬成陣を望み通りに描き変えることであり、錬成陣とは、素材を錬成具へと変化させる道具であり、設計図だ。そして≪効果≫の回路そのものでもある」
目の前でいくつかの錬成陣を展開する頭領の説明を、必死になって覚えていく。質問は許されないので、疑問があってもひとまずは言葉をそのまま記憶するしかない。
「錬成具の質は、九割が錬成陣の完成度によって決まると言っていい。素材の質が悪かろうが、加工が悪かろうが、時間が足りなかろうが、それらの不足を補う錬成陣さえ描ければ、錬成は可能だ」
例えばコレだ、と無造作に置いてあった紐状の何かをいくつか手にとった頭領が、錬成陣を展開する。
神経質そうな指先が動いて、紐同士を捩ると同時に複雑な錬成陣が変化していき、目の前で≪拘束≫の錬成具を完成させる。
「むろん、限界はある。錬成術で、無から何かを作り出す事は出来ない。だが、≪効果≫に即した性質と属性の素材を用意さえ出来れば、後は錬成陣を描く錬成術師の腕次第で如何様にでもなる」
頭領の手から放られた、妖魔の内臓と霊草の蔓から作られた縄が蠢いて私に巻き付くのを、まじまじと見つめる。
頭領にしてみれば、示威行為を含んだ指導なのだろうが、私は初めて目の前で展開された、複雑な錬成陣とその変化に頭がいっぱいになっていた。
「だからこそ、精緻な錬成陣を描く為には<解析術>を習得せねばならない。素材の性質、質、状態、その他全てを把握し、理解しなければ、素材にあった錬成陣を組み込む事は出来ないからだ。錬成陣を丸暗記して行使するような三流錬成術師は必要無い。お前を生かしてやる以上、最低限<解析術>を使い基本形となる錬成陣を修整出来る、二流程度の腕は身につけてもらう」
そう言い渡された日から、私は朝から晩までひたすら素材の処理をさせられた。
妖魔の死骸に残る残留魔力を変換して素材として使えるようにする作業なのだが、最初のうちは、何の予備知識も無いせいで度々失敗しては折檻を受けた。
ただ、折檻を恐れてと言うよりは、錬成陣の魅力に取り憑かれたと言うべき状態だった私は、一年を待たずに<解析術>の刻印を獲得した。
それ以降は、いくつかの指定された霊薬の錬成を繰り返す日々で、頭領からの指導らしきものは全く無くなった。
たぶん、私の実力が頭領の求める「二流」に到達したからだろう。
もっとも、私が会った事のある自分以外の錬成術師なんて、頭領一人だけだし、あの人が自分で誇る程に優秀な錬成術師であったのかは大いに疑わしいと思っている。
散々ひけらかしていた技術は、ほぼ独学の私にも習得出来ているのだから。
実際、この曲輪の隠し書庫に残っていた書物を読み込めば錬成術の奥深さを思い知るばかりなので、私どころか頭領も、まだまだ「二流」なのだと思う。
(……うん、未熟者は未熟なりに、経験を積んで腕を上げていこう)
知識と経験を積み重ねていけば、少しずつでも出来る事が増えていくものだ。
いつかは、私達の首に嵌った、隷属の首輪を外す事も出来るようになるだろう。
「お、おねえちゃん。おわっ、た」
「うん。ありがとう、若菜。片付けちゃうから、少し待っていてね」
若菜が処理してくれた薬草を棚へしまい、他の片付けまでを終えて、昼食を用意しに厨へと向かった。




