2. 次期公爵夫人
他の予定も却下されたので、港をゆっくりと見て周っていたのだけれど、案内人に急かされて、結局日の高いうちに領城へと戻ってきた。
しかしやはり特にすることも無いので、部屋で港や冒険者組合のことについて話して暇を潰していると、初めて聞く名前の人と面会の予定が整ったと伝えられた。
「すみません、その方はどういったお方でしょうか?」
「紬綺様は、次期公爵夫人でいらっしゃいます」
つまり、梛津の奥さんだ。忙しい夫に代わって私達の相手をしてくれるのだろう。
正直、そこまで気を使ってくれなくて構わないというか、放っておいてくれた方が気が楽なのだが、そういうわけにもいかないらしい。
昨日とは少し違う区画の部屋へ案内される。
中では、可愛らしい感じの女性が座って待っていた。
座っていてもわかる程度には小柄だが、長い銀髪を複数の簪で飾っていて華やかだ。
歳は二十歳前後に見える。梛津の奥さんにしては若過ぎる気がするが、この部屋にいる他の女性は侍女と護衛の服装なので、彼女が次期公爵夫人で間違いないのだろう。
部屋に入り、静かに頭を下げる。
「はじめまして、顔を上げて楽にしてくださいな。わたくしは、梛津様の妻で紬綺と言います。親しく話してくれると嬉しいわ」
軽やかな声がかかって、頭を上げる。
相手が女性だということで、今回は哲金ではなく私が代表して挨拶のために口を開く。
「はじめましてお目にかかります。私は皓理、ともにおりますのは、明黎、哲金、若菜と申します。梛津様並びに漣夜様には多大なるご恩を賜っており、感謝の念に堪えません。この度は、領主補佐夫人におかれましても面識を賜りましたこと、深くお礼申し上げます」
「まぁ……お若いのに、とてもしっかりなさっているのね。でも、わたくしのことは気軽に紬綺と呼んでちょうだい」
にこりと柔らかく笑うその顔に、なんとなく哲金に通じるものを感じて、内心で気を引き締める。
柔らかい表情と物言いに気を抜いていると、うっかり流されて良いように転がされる予感がする。
「ありがとうございます、紬綺様。ところで、今回の御用向きは如何なものであるのか、お伺いしてもよろしいでしょうか」
「あらあら、そんなに慌てずに。まずはお茶に付き合ってくれないかしら。わたくしのお勧めのお茶を用意したのよ」
紬綺の言葉とともに、私達の前にもお茶が運ばれてくる。
しかし、大ぶりの茶碗に入っているのは、飲み慣れた茶とは違い、やけに緑色が濃く、微かに泡立っている。部屋の端にあるお茶を淹れる道具も見慣れぬものが多くあるので、これは私の知るお茶とは別物だろう。
食事を出してもらった時についていたお茶は、見知った物だったので、これがこの領地の標準ということでもないはずだ。
(何か、試されている?)
こちらの失態を引き出そうと言う程の悪意は無さそうに見えるが、悪意無く残虐なことをする人間も存在する。
だが、彼女が梛津の妻であることを考えれば、過剰に警戒するのも良くない。
どうせ、ある程度の素性は知られているのだから、無礼を働くよりは無知を晒した方がましだろう。
「申し訳ありません。無学の身ゆえ、こちらのお茶がどういったものか存じ上げず。そのまま頂戴しても無作法にはあたりませんか?」
「あら……ふふ。もちろん、普通に飲んでもらって大丈夫ですよ。ちょっと重くて苦いのだけど、一度こちらに慣れると普通のお茶を物足りなく感じてしまって。貴女達にも味わってもらえると嬉しいわ」
そう言って、手本を示すように目の前でお茶に口を付ける。
それに倣って茶碗を持ち上げて香りを嗅ぎ、極僅かにお茶を口に含む。
確かに、最初に感じるのは苦味だ。しかし同時に強い茶の香りが口から鼻に抜け、苦味の後に爽やかな甘みと旨みが残る。舌で味をしっかり確認した後、お茶を飲み込んだ。
「確かに苦味もありますが、香りと後味が素晴らしいですね。ゆっくり味合わせていただきます」
「気に入ってくれたなら良かったわ。他の子はどうかしら」
話を振られて、多少緊張する。
哲金や明黎は大丈夫だろうが、若菜はおそらく苦手な味だからだ。
一瞬、通信機で指示を出すべきか迷って、思いとどまる。
この部屋には護衛が四人、侍女が二人いて、全員から注視されている状況だ。不審な動きはするべきでは無い。
「緑の濃い美しい色味と、華やかな香りが五感を刺激する、見事なお茶ですね。温めで飲みやすいのも、新鮮に感じました。若菜も美味しかったよね?」
「えっ、と……にがい、けど、おいしい、です」
「大変、美味しいお茶だと思います」
視線で、哲金に礼を告げ、若菜を褒める。
しかし、困った。
やっぱり何か観察されてる気配がするし、たぶん、何か話題を振って間を持たせた方がいいのだろうが、何を言えばいいのかよくわからない。
哲金に視線で助けを求めても、今回は引き受けてくれないみたいだし。
……用件を聞いても流されてしまったし、お礼は最初に言った。やはり、お茶の話題を続けるべきだろうか? 気に入っているお茶だと言っていたし。
うん。どうせ考えても正解なんて分からないし、ひたすらお茶の話題を振ろう。好きな物の話題なら、少なくとも不快には感じないだろう。
「……あの、このお茶はどのように淹れられているのですか? 私の知るお茶とは随分違う気がします」
「そうですねぇ、簡単に言うと、茶葉を粉末にしてお湯に溶かしているのですよ。色々と工夫はあるのだけど、あまり細かく語っても退屈でしょうし」
見れば、紬綺の笑顔がやや苦笑寄りに変化している。どうやら、話題選びに失敗したらしい。
「ごめんなさいね、為人を知りたくて、少し意地悪をしてしまったみたい。貴女達が正直で礼儀正しいのは伝わりました。改めて、わたくしは大湊公爵家結枝、五位下大湊領領主補佐夫人の紬綺よ。今回は、立て込んでいる夫に代わって、貴女達の後見人の仕事をするために話し合いをさせて欲しいの」
どうやら、私の会話下手を見かねて本題に入ってくれるようだ。助かった。
「まず、この部屋にいるのは皆んなわたくしの腹心ですから、無闇に話を言いふらしたりしないのは保証します。その上で、なるべく正直に話して欲しいの」
わざわざそういう注釈を入れてくれるあたり、高位貴族ながら、下位の者にも優しく、気遣いが上手な人なのだろう。
漣夜の護衛である早多は「平民にも優しい貴族は少ない」と言っていたが、今まで会った貴族は、門にいた武官を除けば全員やたらと優しい気がするのだが。この領地が特殊なのだろうか。
「わたくしが貴女達について聞いている話は、貴女達が誘拐被害者で保護者がいないことと、違法な覚醒式を受けさせられたこと、既に刻印を獲得している優秀な人材であること、あとは義弟の漣夜を助けてくれたこと、くらいかしら。今日は、戸籍の登録と身分証の発行に行っていたのですよね?」
私達のことはしっかり伝達されているらしい。思ったよりも詳しく申し送りがあったようだ。
「はい。ご高配により、朝の間に身分証の交付をしていただきました」
「ええ。これからは、この領地の民としてよろしくお願いするわ。その後は、冒険者組合と港に行っていたのよね?」
「はい。冒険者組合では全員で登録を済ませ、初心者向けの注意事項を確認しました。港では、海や船を興味深く見させていただきました」
この辺のことは、案内の人から詳しく報告があったのだろう。
「それで……貴女達は、家と職を探していたと聞きましたけど?」
「はい。ご存知の通り、今はどちらもありませんから、早急に探そうと思っておりますが……」
家も職も、なるべく早く確保しなければならないものだろう。
案内人もそうだったが、紬綺も何故それを不審そうに聞いてくるのかが、よく分からない。
よく分からないが、おそらく私達が常識から外れたことをしているのだろうという予想はつく。
「申し訳ありません、私達が家や職を探すのは、あまり良くない事なのでしょうか?」
「そうねぇ。良くないというか……梛津様が後見人の役割を果たしていないことになってしまうのですよ。後見人になったのなら、最低限、家と職と生活が安定するまでの資金は用意しないと、面目が立たないものなの」
紬綺の解説に、目を瞬く。
元々、戸籍取得のためにお金を払って一時的な身元保証人を雇う気でいた私達の認識とは、真逆の事を言われている。
「平民同士なら、また違うのかもしれないけれど、貴族というのは、体面や体裁を保たなければ、侮られ、批判されてしまうものなのですよ。貴女達が城勤めを希望していないことは聞いていますから、そこは強要しませんが、せめて家や職の口利きくらいはさせてくれませんか? 夫を助けると思って」
「いえ、しかし……私達は本当に、ご恩を返せる宛も無い身ですし……」
あまり恩が積み重なると、身動きが取れなくなってしまう。不義理だとは思うが、この領地に縛り付けられるのは歓迎出来ないのだ。
「……ああ、そういう……ふふ、貴女は本当に善良なのですね」
紬綺が唐突に褒めてくる。慣れていないので止めて欲しい。
「そもそも、貴女達は義弟の命の恩人なのですよ。その時点で、こちらが恩を返すべき立場です。ですから、戸籍と家と職くらいは、こちらが用意しないと面目が立たないの」
そんな風に言われると、うっかり納得しそうになるが、やはり返礼が過剰だと思う。そもそも漣夜は妖魔に襲われてこそいたものの、無傷だったのだし。
昨夜の梛津や公爵夫人の反応からしても、次期公爵の後見は格別の配慮の結果だろう。
ただまあ、紬綺の言わんとしていることも理解出来た。
彼女が何度も繰り返しているように、要は、貴族同士の体面の問題なのだ。一度引き受けた相手の面倒を見ないのは、無責任だとか吝嗇だとかの誹謗の原因になるということなのだろう。
ならば、家と職の口利きはお願いした方がかえって面倒が無い。
多少の柵は残るだろうけれど、この様子なら何かを強要されることもなさそうだし。
軽く横を見て、明黎、哲金、若菜の様子を伺う。
特に紬綺の発言に反感を覚えている様子は無い。
「あの、では、私達が四人で暮らせる借家を探していただいてよろしいでしょうか。また、私は錬成術師の資格を、哲金は商人の資格を取得したいと考えております。その上で、長期間の雇用ではなく、独立を許可してくれる短期雇用先があれば、勤めさせていただきたいです」
「ありがとう、任せてちょうだい。家と、皓理、哲金の二人の勤め先は、わたくしが責任を持って探しますね。そちらの……明黎と若菜の勤め先はどうしますか?」
紬綺が、やや気を抜いたように見える笑顔を浮かべ、私達の名前を初めて呼んだ。
どうやら、本当に家や職の斡旋をすることが重要案件だったらしい。本当に、常識知らずで申し訳ない。
「明黎と若菜は、しばらくは特定の職に就くのではなく、冒険者として活動する予定です。その、若菜には持病がありますから」
あまり若菜の特異性を喧伝したくは無いが、若菜が普通の場所で働くのは無理だ。はっきりと断っておかなければならない。
紬綺も、若菜の萎縮した態度は見て分かるからか、「わかりました」とすぐに引いてくれた。
その上で、気遣わしげに若菜を見やる。
「…………あまり、詮索するものでは無いと思うのですけれど、よければ城の医師に診察をさせましょうか?」
その提案に、目を見開く。
思えば、若菜のことは私が治療しなければならないと思い込んでいた。
しかし、ここはもう、あの曲輪では無いのだから、本物の医者がいるのだ。
「お、お願いします……! 是非!!」
取り繕いも礼儀も忘れて叫んでしまい、我に返って慌てて頭を下げる。
紬綺も私の態度に驚いたようではあるが、特に咎めもせず「では明日の朝一番に診察に向かわせますね」と確約してくれた。
「ありがとうございます……!!」
深く、深く頭を下げて、感謝を示す。
若菜が、治るかもしれない。
その可能性だけで、涙が頬を伝い落ちた。




