18. 縁を掴む
「改めて、ありがとう。君達が来てくれなければ、どうなっていたか分からない」
そう言って再度頭を下げる貴族の青年と、今は焚火を囲んで一緒に夕食をとっている。昼間に狩った哭角鹿の焼肉を提供する代わりに、味噌雑炊を御馳走してもらっていた。
妖魔の襲撃場所からは移動していて、今は街道で休憩をする者の為に作られた、護扇樹横の休息所にいる。怪我人がいたことや、襲撃場所の魔力汚染防止に最低限の処置をしていたら、既に日が傾いていたので、今日はここで野宿の予定だ。
私達はすっかり慣れたものだが、貴族の彼は野宿に緊張しているようだ。まあ、先程妖魔に襲われたばかりなので、無理は無い。
私が若菜を背中にくっつけながら、護衛の一人と夕食の支度をしている間に、哲金は雑談を装って情報収集に励んでいた。
なんでも、貴族の彼は、普段は王都で文官として働いていて、今回は久しぶりの里帰りの途中だそうだ。
王都から最後に立ち寄った邑までは順調に馬車で進んでいたが、この街道の少し前の場所が地滑りで半分土砂に埋まっていた。人や騎馬ならなんとか通れるが、馬車は通れない。進むか戻るか迷ったが、戻ればかなり遠回りをすることになる。結局、従者の一人と護衛の二人を付けて馬車を前の邑へと帰し、今の人員で進むことにしたらしい。
通常、街道には護扇樹が定間隔で植えられているので、危険な事はそうそう無い。護衛が三人でも、次の邑までなら大丈夫だろう、と騎馬と徒歩で移動していたら、何故かところどころ護扇樹が枯れている。
嫌な予感はしたものの、ここまでくれば駆け抜けた方が早いからと急いで進んでいたら、絡蜘蛛の張った糸の罠に捕まった、と。護扇樹が枯れて、妖魔避けの効果が減少した結果、街道の一部が絡蜘蛛の縄張りになっていたのだろう。
護衛の一人が糸に捕まってしまい、やむなく絡蜘蛛と戦っているうちに、上空から六目四翼が現れ、更に斑狢に退路を塞がれ、悪化する一方の状況に絶望していた時に、私達が飛び込んできたそうだ。
何とも不運な事だとは思うが、同時に護衛の腕が悪いのでは? と少し心配してしまう。
いや、今も一人は明黎と共に見張りをかって出てくれ周囲を警戒しているし、あとの二人は青年の後ろに立って護衛に徹していて、その様子を見る限り真面目で忠誠心も高いのは分かる。
だけど、話を聞く限り判断力と決断力に欠ける気がする。しかも一人は絡蜘蛛の糸に囚われていたので、戦闘力にも不安が残る。それで護衛としてやっていけるのか、他人事ながら少し心配だ。
そんな益体も無い事を考えている間にも、貴族の彼と哲金の会話は続く。
「いえ、近くにいたのは偶然ですし、僕達のような者が貴族のお方の役に立てたのなら幸いです」
哲金は、普段私達に向けるのとは随分と違う、控えめな声色と笑顔を作っている。
言っている内容も、先程の「恩に着せる」という発言とは真逆のものだ。
「謙遜することはない。君達のその若さであれ程の強さを持つとは、相当の修練を積んでいるのだろう? どこか、名のある一門の出身ではないのかい?」
「いいえ、僕達は本当に、そのような、ものじゃ……」
「……そう、なのかい? では、やはり冒険者なのか」
「いえ、ええ、はい。そう、なるのかな……」
答えながら、哲金は眼を伏せる。いかにも『事情があります!』と言わんばかり表情に、青年が困っているのが見てとれる。
こんなに態とらしくて大丈夫かな? と一抹の不安が拭えないが、全力で同情を引くと言ってたし、とりあえず哲金に合わせて私も目線を逸らして俯いておく。若菜もますますくっついてくるから、宥めるように背中を撫でた。
「あのっ…………いえ、その……ええと、従者の方のお怪我は大丈夫でしょうか?」
「……ああ。霊薬で外傷は治っているし、君達からもらった造血剤も効いているようだからね。今は念の為休ませているが、明日になれば本人からも礼を言わせよう」
「お礼……」
躊躇ってます、と言葉の端々に滲ませる哲金が、一瞬こちらを見て、再び真正面から役人を見据える。ぎゅっと両手を握り締めるのが見えた。
「あのっ! あの……お、お願いです。僕達が、お役に、たてたなら……どうか、どうか……ぼ、ぼくたちを、たすけてください!」
がばり、と地面に頭を擦り付ける哲金に、すぐさま寄り添い身体を起こさせる。
「哲金、やめて」
「でも、ねえさん……」
「ね、私達は大丈夫よ」
「でも……!」
うーん、愁嘆場。
目配せをされたので、調子を合わせて精一杯悲しげな顔を作っているつもりだけれど、上手く出来ているのか、あまり自信は無い。助けて欲しいのは本心なのだし、出来れば涙のひとつも流せればいいのだろうが……
「……落ち着いて、よければ事情を聞かせてくれないかな。君達は恩人だ。私に出来る事なら力になるよ」
優しい、大人の声が降ってくる。
「お役人さま……」
「ああ、名前も名乗らず失礼したね。私は、大湊公爵家金枝次男、五位下戸籍庁管理課長を務めている漣夜と言う。政治を担うものの一人として、善良なる民を助けるのは私の責務だ。どうか君達の話を聞かせて欲しい」
「……公爵家?」
「戸籍庁管理課長……」
事前情報との相違に、哲金と顔を見合わせる。
どうやら、私達はかなりの大物を釣り上げたらしい。
公爵家は、国に三家しかない超高位貴族だ。しかもその家の『金枝』つまり直系。
その上で、王都で得た役職で既に『長』になっている。相当に優秀である証左だ。
危うくこんな大物貴族の暗殺をさせられる羽目になりかけていた事に気付いた哲金は、僅かに口元が引き攣っている。
「そこまで構えなくても大丈夫だよ。公爵家の金枝と言っても、兄が爵位を継げば傍系になる身だ。職位についても、今は休暇中だからね。私は、ただの漣夜として、君達の役に立ちたいんだ」
こちらを萎縮させないように言ってくれているのは理解るけど、まさか真に受けるわけにもいかない。
しかし、こんなにも好意的に接してくれる権力者が、他にいるとも思えない。哲金に向けて、微かに頷く。
この縁を逃すべきではない。
改めて座り直した哲金は、貴族の青年、漣夜に、思い詰めたような顔で私達の事情を話していく。
もっとも、全てを馬鹿正直に打ち明けるのでは無く、部分的に誤魔化してはいる。
具体的には、私達が十歳前に覚醒したとか、犯罪に加担させられていたという事実は、決して知られてはならない秘密だ。
「つまり、君達は誘拐被害者で、身元を証明する物を持っていない、ということなんだね?」
「……はい。数日前、突然鍵の錬成具が壊れるまで、逃げ出す事も出来ませんでした」
漣夜の後ろに控えていた護衛の人が、警戒を含んだ目でこちらを見ているのを感じる。
その視線に、若菜が怯えて震えているのに気付き、視線を遮るように姿勢を変える。ずっと私達以外の人と接していなかったから気付いていなかったが、どうやら若菜は彼らが怖いようだ。
いざ戦えば若菜が圧勝すると思うが、こういう恐怖は理屈では無いのだろう。哲金もこちらの様子に気付いているようで、庇うように少し前に出る。
「僕は、商人だった父親が殺されて、下手人に暴行を受けた後、訳がわからないうちに誘拐犯達の拠点に閉じ込められていました。兄さんの両親は行方不明で、若菜は誘拐後の衝撃で意思表示がほとんど出来ません。姉さんは部分的な記憶喪失です。他にも拐われて来た子達がいましたけど、生き残ったのは僕達だけ。それぞれ、拐われて来た場所も時間も違うけど、ずっと、お互いだけが支えでした」
淡々と話す哲金の声音は、口調に反して激情が滲み出ている。
「あいつらがどこの誰なのか、何の為に僕達が拐われたのかは分かりません。けど、たぶん子供なら誰でもよかったみたいです。領主のいない山の中に住んでいたから、妖魔が来た時ための囮だったのかもしれません。実際、何度も妖魔の前に放り出されましたし、何人かは妖魔に喰い殺されました。あの場所にいた間は、いつも雑用とか、訓練って名目で殴られたりしてて……」
言葉が途切れ、ぐっ、と目を閉じて、握った拳を額に押し当てているのが見えた。
「ずっと、誰かに助けて欲しかった……覚醒式も、集落の中で受けました。何の説明も無かったので、詳しくはわからないのですが、違法なやり方だったんだと思います。その時も、仲間が何人も死んで……いえ、すみません。さっきから関係のないことを……」
「いや……お悔やみを申し上げる」
「……ありがとう、ございます」
哲金は泣き笑いの表情で礼を言った後、深呼吸をしている。
その表情は、心の底から仲間を悼んでいる様にしか見えない。
それだけに、違和感が酷い。
私の記憶だと昔の哲金は、周囲に無関心か嘲笑を向けているのが常だったのだが。
仲間達が亡くなった時には流石に思うところはあるようだったが、泣いたり嘆いたりするようなことは一切無かった。
当時を知っている私ですら、今の寂しげな哲金を見ていると、本心では仲間達を慈しんでいたのだと信じてしまいそうだ。
「ですので、覚醒式と一緒にするはずの戸籍登録や身分証の錬成具の作成はしていません。覚醒した後は、兄さんや僕は何度か集落の外に連れ出されて戦ったりしたんですが、常に監視付きでしたし、何より姉さんと若菜はずっと敷地から出る事も出来なくて……それで、少し前にいつも僕達の所にくる奴が、大きい仕事が入った、って言ってて。詳細はわからないんですけど、僕達の監視すらいなくて。錬成具の鍵があったから、監視がいなくても逃げられなかったんですけど……それが、先程も言ったんですが、何故か数日前に、前触れもなく壊れて。僕達にも何がどうして壊れたのか、正確なことはわかりません。ですが、とにかく千載一遇の機会なのは間違い無いので、最低限の荷物を持ちだして逃げ惑って来たんです」
すごい。
ほぼ嘘は吐いて無いのに、色々な事を曖昧に表現しているのと小さな身振りを入れることで、まるで私達は破落戸共の集落に監禁されていたように錯覚させている。
「あとは、戻ってきた奴等と鉢合わせるといけないので、道沿いじゃなくて山の中を突っ切って移動してたんです。そしたら、姉さんが誰かが妖魔に襲われてるって突っ込んで行っちゃって。それで、今です」
「……突っ込んでいった、は酷くない?」
何故かジトリと睨まれたので、合いの手を入れてみる。
「酷くないよ。姉さんは、いつだって人のことばっかりなんだから」
貶されているような、褒められているような。何にせよ、いつもと違う表情を向けられて、首を傾げる。
「なるほど……君の、君達の願いというのは、保護者か、もしくは身元保証人の手配で間違い無いかい?」
「……はい。素性も分からない孤児が図々しいのは承知の上です。ですが、このままでは、僕達はどこかの村に入ることも出来ません。門番伝手に役所に訴えても、どれだけ信じてもらえるか……いくら多少戦えても、ずっと結界の外で暮らす事なんて出来ません。せめて、姉さんと若菜だけでも、安心出来る場所で休ませてあげたいんです」
哲金が、少し身を乗り出して若菜の頭を撫でる。実際の戦闘能力は置いておいて、今の若菜は本物の怯える少女だ。本当は、あまり彼らの前に姿を見せておくのも良くないのだろう。
「そうか……ならば、」
「漣夜様。差し出口ではございますが、お立場をお考え下さい」
漣夜が何かを言いかけたところで、護衛の一人が硬い表情で主人を嗜める。いかにも生真面目そうな年配の武人なので、傅役的な立場なのかもしれない。
「分かっているよ、櫂斗。戸籍庁に属する私が、初対面の者の身元保証人となるのは良くないと言うのだろう。下手をすれば過剰な忖度や不正の増長を招きかねない」
「はい。必要ならば、彼らの事は私の親族に預けますので、ご自身で動くのはお控え下さい」
思わぬ人から言質が取れてほっとする。
傅役の人が口を出すくらい漣夜が直接動くのはマズいという事なのかもしれないが、この人も私達のことを、ある程度は信用してくれているのだろう。
漣夜もそう思ったのか、傅役に向かって笑いながら口を開く。
「いいや。彼らの事は、兄上に相談するつもりだよ」
「漣夜様!」
……えっと? 何やら漣夜の口から、とんでもない人物が出てきた気がする。公爵家の金枝、つまり直系次男の兄というのは、公爵家の嫡男、次期公爵様なのでは?
流石の哲金も、話が上手くいきすぎて困惑しているのが分かる。
「あの、護衛の方のおっしゃる通りです。僕達は、そんな高位の方に気遣っていただくわけにはいかない身の上です。どこかの領地で戸籍を持てるように、一言助言をいただければ、それで充分ですし……」
「いいや、そんな勿体ないことは出来ないよ」
「……勿体ない?」
勿体ない、とは?
今話しているのは、私達が戸籍を得る時の保証人の話だったはずだ。何をもって、漣夜が勿体ないというのかが、全く分からない。
「君達は、自分の価値をよく分かっていないように思う。櫂斗もね。先程の戦いを見る限り、君達は刻印持ちだろう? そして、そこの彼女、皓理と黒髪の、明黎、だったかな。彼らは、妖魔の死骸に<霊力変換>を使って魔力の汚染を取り除いてくれていた。つまり、何かの術の素質があるって事だ。いや、もう使えるのかな? 隠したかったのなら、申し訳ないが、正直に教えてもらえると助かるよ」
確かに、街道を魔力汚染するのは二次災害の元なので、妖魔の死骸の魔力は無害化して、ついでに絡蜘蛛の糸と六目四翼の眼を素材化して持ってきてはいるが、何かマズかったのだろうか?
哲金を伺ってみるが、やはり困惑している。対して、傅役の人は何やら驚いているようだ。
……うん。どうやら、私達が術を使えるというのは、あまり一般的なことでは無いようだ。
私達にこれ以上の特異性はいらないのだが、常識の範囲がわからない以上、正直に告げて情報収集をした方が得策だろう。
「はい。私は<解析術><錬成術>の刻印持ちですが……何か、問題があるのでしょうか?」
私の術系刻印はこの二つだが、明黎と哲金の話を聞く限り、特別珍しい刻印では無いと思う。明黎の<幻影術>はかなり稀少かつ危険視される可能性がある刻印なので、あまり教えたくは無い。
「……その若さで、複数の刻印持ちなんだね」
ぽつりと落とされた漣夜の声の暗さに、背筋が総毛立つ。笑顔の消えたその顔を見て、一気に警戒心が高まった。
場合によっては、あちら側の全員を昏倒させて逃げる必要があるかもしれない。明黎には、会話が聞こえているだろうか。若菜の足元で、ジャリッと土を踏む音が鳴る。すぐに動けるように重心を変えたのだろう。
私達の警戒を知ってか知らずか、傅役の視線は主人の方を向いたままだ。
「漣夜様……」
「いや、すまない。大丈夫だよ、櫂斗。でも、君も分かっただろう?彼らは、確保しておくべき人材だよ」
「……それでも、梛津様にご紹介するのはやり過ぎだと思います」
「おや、恩人には礼を尽くすものだろう。それに、困難の中にあってなお他人に手を差し伸べられる人柄は得難いものだ」
傅役が溜め息をついて一歩下がったので、あちらは話が付いたようだが、こちらとしては面倒な事になった気がしてならない。
「すみません、刻印が複数あるというのは、それほど珍しい事なのでしょうか?」
私と明黎は複数の刻印持ちだし、頭領も呪詛師もそうだ。昔、私達を散々に扱いてくれた教官連中の中にも確かいたはず。
少なくとも、公爵家の直系が気にするほど珍しいとは思えないのに。
「そうだね、刻印を複数持っている人は珍しい。だけど、探せばいない訳ではない。実際に数えた訳ではないけれど、百人に一人くらいはいるんじゃないかな。……でもそれは、覚醒してから十年以上、あるいは二十年、三十年の時間をかけて、成し得るものだ。素質のある者が弛まぬ努力によって初めて手に入れるようなものなんだ。君のように覚醒してニ、三年で複数の刻印を獲得する、なんていう天才は、国中探しても数人しかいないと思うよ」
言われて、内心で舌を打つ。言われてみれば、思いついて然るべきことだったが、今まで全く頭に浮かばなかった。
一瞬、私と明黎は覚醒してから七年が過ぎていると教えたらどうだろうか、と考えたが、より異常性が増すだけだろう。せっかく哲金が上手く覚醒時期を誤魔化してくれたのに、台無しにする訳にはいかない。
そもそも、私も明黎も二つ目の刻印を獲得したのは二年も経たないうちだったのだし。
視線を動かさないままで、周囲の気配を探る。偵察に行っていたはずの明黎が、すぐ近くまで来てくれていた。不機嫌そうな気配に、後で「だから迂闊に弱味を晒すなと言っただろうが」とか文句を言われそうだな、と思って、ひとつ、息を吐く。
多少弱味を握られて目を付けられたところで、別段この人達から逃げ出す事は難しくない。
だから焦る必要は無い、と自分に言い聞かせる。
哲金にも目配せすると、小さく頷きが返って、若菜を引き受けてくれる。哲金は今回、懐柔役だ。拒絶の言葉を口にするなら、私の方がいい。
哲金と位置を代わり、漣夜の正面に座り直すと、私達の雰囲気が変わったのに気付いたのか、怪訝な顔をされる。
誠実で、お人好しそうだと思った。その印象は今も変わらない。
だが、彼は人材の確保と言っていた。それはつまり、私達にやらせたい事があるという意味だろう。
この人が、頭領や呪詛師のように、私達を犯罪に加担させるとは思わない。それでも、望まぬ事をさせられる可能性は、いくらでも有るのだ。
「漣夜様。貴方様は、私達に戸籍を与える代わりに、何を望まれますか?」
「……何のことだい?」
「私達は、長い間、悪意の中で生活してまいりました。ですから、何故、貴方様がそうまで私達を手厚く遇そうとなさるのか、裏を考えずにはいられないのです」
「裏?」
漣夜が不思議そうに繰り返す。
「はい。先程は過分なお言葉でお褒めいただきましたが、私は本当に大した者ではありません。自分も、家族も、碌に守ることが出来ない、弱くちっぽけな存在です。それでも……それでも。もう二度と、私達は、望まぬ首輪に繋がれる気は無いのです」
「……なるほど」
「私達が望むのは、大それたものではありません。自由と生命を脅かされること無く生活し、家族の病を治し、美味しい物を食べるために仕事をする。そんな、当たり前の暮らしがしたいだけなのです。戸籍は、そのために欲しいのです。戸籍を得る為に、何かを犠牲にすることは出来ません。ですから、もし貴方様が私達に望まれる事があるならば、今、お教えいただきたい。慈悲を乞う立場で不遜な事は存じておりますが、取るに足らぬこの身にも、譲れぬことがございます」
言い切った後、向こうの反応を見逃さないように感覚を研ぎ澄ます。見据える先、漣夜が顔を伏せて溜め息を吐く。呆れか苛立ちか、と思ったが、どことなく違う気がする。
ふっ、ともう一度息を吐いて上がった漣夜の顔は、何故か満面の笑みだった。
「素晴らしいな! その歳にして、その矜持、胆力、高潔さ! うん、やはり私の目に狂いは無かった!」
「………………は???」
身を乗り出されて、反射的に後退る。
「ああ、すまない……その、君の佇まいに圧倒されてしまった、というのか……こんな風に感動したのは、まだ人生で二回目なんだ」
漣夜は、乗り出した体勢を元に戻しながらも、にこにこと上機嫌だ。若干照れている気もする。
え? なに? どういうこと?
漣夜の笑顔の理由が分からないし、言動も意味不明だ。笑顔で褒めて? いるのだから、こちらに無理を強いる気は無いのかもしれないが、支離滅裂な言動で煙に撒く可能性も捨てきれない。
「ああ、やっぱり本物の天才は凄いな。生まれ育ち関係無く魂が輝いているのだろうね。私の知っているもう一人の天才は高位のお方なんだが、彼も君と同じくとても強く聡明で、そして誇り高いんだ。彼と会った時は本当に胸が震えたよ。まさか、十年越しに同じ感動を味わえるとは思わなかった。凄く嬉しいよ」
……何というか、まず落ち着いて欲しい。
先程までは余裕を感じさせる、穏やかな上位者の雰囲気を持っていたのに、なんだろう、これ。
なに、こう……ちょっと、よくわかない。
助けを求めて、後ろにいた明黎の腕を掴む。が、嫌そうな顔で顔面を鷲掴みされた。何故。
「あー、その、繰り返しになりますが、ご要望があるならお聞かせいただけますかね?」
見かねたのか、哲金が再び会話を引き取ってくれる。
そう、結局返答を聞いていない。
「そう、要望。戸籍の代わりに君達に望むこと、だったね。うーん、敢えて言うなら、君達と縁を繋いでおきたいっていう事と、なるべく長く私の故郷に滞在して欲しいってところかな」
「……それは、その。特別な要求は無い、ということなのでしょうか?」
「そうだね。将来的に、縁を辿って頼る事が絶対に無いとは言い切れないけれど、無理強いはしないと約束しよう」
はっきりと対価は必要無いと言い切られる。そんな都合の良いことがあるものだろうか。
「では何故、お兄様……次期公爵様へ紹介されるのでしょう」
「それは当然、兄とも縁を繋いで欲しい、という事もあるけれど……何より故郷で戸籍を取って定住して欲しいからだね。ああ、移動を制限したい、という意味では無いよ。ただ、君達が故郷に居てくれれば、それだけで充分に利益がある、という意味だ」
「……なにがしかの仕事の依頼がある、ということでしょうか?」
「違うよ。うーん、そうだな……例えば目の前で子供が妖魔に襲われそうになっていたら、君達ならば助けてくれるだろう?」
「今日、私達を助けてくれたみたいに」と嬉しそうに問われて、頷く。
「はい。まあ、力の及ぶ限りにはなりますが」
「うん。そういうことだよ」
そういうこと、とは。
「……つまり、領地の戦力確保、という観点からの提案でしょうか」
「ううん、いや、広義ではそう言ってもいいのかもしれないけれど……」
どう言えば上手く伝わるのかな、と人のよい顔で漣夜が笑う。
「君達は、強くて才能がある。そして善良だ。そういった人が領地に増えると、周囲に良い影響があるものなんだ。だから、私は君達に故郷に来てもらいたい。そのために戸籍を用意出来る兄へ紹介したい、ってことなんだ。納得してもらえるだろうか?」




