17. 出会い
西側の大きな川に合流するのに一日、そこから川沿いに南下して三日目の昼。崖の上から、眼下に街道を発見した。
川沿いに進むとだいぶ遠回りになるので、木々の中を突っ切って移動している。
「よっ、と。この辺、やたら荒れてない?」
「小規模な地滑りがあったのかもしれないね。哲金、そこ滑りやすいから気をつけて」
斜めに生えた木の幹に掴まって、ちょっとした岩壁を乗り越える。足元が変に柔らかかったり、逆に土が盛り上がって乗り越えなければならなかったり、妙に起伏が多い。倒木も多くて進むのに苦労する。
明黎や若菜は危なげ無く進んでいるが、私と哲金はそこそこ苦労している。背中の荷物が無ければこれぐらいの悪路は何でも無いが、まさか荷物を置いていくわけにもいかない。
「待て。何か……」
先を進んでいた明黎が、急にこちらを制して黙り込む。その様子を見て、私達も即座に臨戦体制に入り、それぞれ周囲の気配をじっと伺う。
木を揺らす風の音と、遠くの水音。あとは鳥の鳴き声が少し多いくらいだろうか。特に不審な音は聞こえない……いや、鳥の声が少しおかしい?
「妖魔が移動してんな。こっちに気付くかは微妙な位置だが……先回りしてこっちから仕掛けた方が面倒が無い。行くぞ」
言って、明黎が走り出す。一拍遅れて私達も後を追った。遅れないよう、霊力を巡らせて身体能力を強化する。自分でも走る速度が上がったのが分かった。短時間ならこれで問題無い。
しばらくそのまま走っていくと、耳元の通信機から音が鳴る。
『哭角鹿、三匹。挟撃のため先行。荷物は哲金が管理』
明黎からの連絡だ。『了解』と返事を返せば、ほぼ同時に哲金と若菜からも同様の返答がある。それを受けて明黎の背中がみるみる離れていくが、もう私の感覚でも妖魔の気配は感じとれる。
走りながら背中の荷物を腕に持ち替え、通り抜けざまに木の枝に荷物を引っ掛ける。軽くなった身体で地面を踏み締め、駆ける速度を上げた。
「ビィイイィギャァアアーー!!」
向かう先から、哭角鹿の濁った鳴き声が響く。明黎と戦闘状態に入ったのだろう。打撃音も聞こえてきたから、若菜も合流したようだ。
(私が着く前に決着が付いてるかもしれないな)
そうは思っても、足は緩めない。『一匹討伐』の報告が入った瞬間、こちらに向かってくる影を捉えた。即座に手近な木の枝に跳び上がり、見つからないように姿を隠す。
私の筋力で哭角鹿と真正面から打ち合えば力負けする。狙うなら横合いか頭上からの一撃だ。気配を消して樹上を移動し、右手に小太刀を構えた。
明黎達から逃げてきた哭角鹿が真下を通過するのに合わせて、枝から飛び降り、全体重をかけて小太刀を突き入れた。
「はっ!」
「ガァッ! ギャギィイィ……!」
僅かに狙いから逸れたようで、骨を裁った手応えが無い。私は即座に深く刺さった小太刀を手放して、大きく飛び退く。
「ゴバッ! ビィイッ! ギィッ!」
哭角鹿は、血泡を噴きながらもこちらに向けて突進してくる。攻撃のためというよりは、闇雲な逃亡のための行動なのだろう。本来の速度も鋭さも無い突進をあっさり躱して、首筋を切り裂いた。
「ガッ…………」
数歩進んだ後横倒しになった哭角鹿が、間違い無く絶命しているのを確認し、『逃走個体討伐』の報告をする。戦闘中に『二匹目討伐』の連絡も入っていたので、とりあえず戦闘は終わりだ。
(……ところで、死骸はどうしよう?)
今まで、妖魔の死骸は素材化を取ったり食用にしたりと、なるべく無駄なく活用してきた。けれど、今は道具も時間も無い。角を素材化したところで邪魔なだけだし、皮も肉も嵩張る。ただでさえ荷物が多いのに、更に荷物を増やすわけにはいかない。勿体ないが、ほとんどは捨てていくしかないだろう。
少し考えて、『一匹血抜き要請、他廃棄処理』と通信機で連絡を入れる。『了解』の返事が来たので、目の前の哭角鹿は残留魔力の変換だけして放置する。魔力さえ変換しておけば周囲を汚染することはない。後は森の動植物の養分になるだろう。
全員合流し、哭角鹿の背肉の部分だけを切り取って、再び街道方面へと移動する。
「それにしても、哭角鹿が最初から複数で動いてるのは珍しいね……」
移動中、気になったことが口からこぼれる。
哭角鹿は、危機になれば仲間を呼ぶが、基本的には単独で行動する妖魔だ。
しかもここは街道から比較的近い場所だ。街道には護扇樹が一定の間隔で植っているから、街道付近の妖魔の棲息数は少ないはずなのに。
「もしかしたら、誰かと遭遇して一旦逃げた後だったのかな?」
「……つまり、近くに哭角鹿を取り逃した間抜けがいるかもしれねぇってことか」
「うーん、妖魔同士の縄張り争いの可能性もあるけど……」
どちらの場合であっても、街道の近くという場所では疑問が残る事態だ。
違和感を払拭出来ずに首を捻っていると、ふと何かの音が耳を掠めた。
「…………と……て…………!」
思わず立ち止まって耳を澄ますと、横で明黎も同じように顔を顰めて動きを止めている。
「…………から、逃げ…………!」
微かにしか聞こえないが、人の悲鳴だ。一拍遅れて、妖魔の鳴き声が響き渡った。
「誰か妖魔に襲われてる」
声の聞こえた方に向かって走り出す。進行方向はほぼ変わらないので、おそらく現場は街道だ。
「急ごう。苦戦してるみたい」
「おい待て、皓理!」
明黎がすぐに追いかけてきて併走するが、こちらの様子を確信して盛大な舌打ちをする。
「チッッ!! ……荷物をその辺の木の上に固定しておけ。俺が戻るまで突っ込んでいくなよ!」
「え? ちょっと、兄さん?!」
言い置いて、明黎が背の高い木に登っていく。確かに、素早く移動するのに荷物は邪魔だ。全員分の荷物を木の上に縄で固定し、≪幻影≫の錬成具を起動する。
その処置が終わる前に、明黎が木から飛び降りてきた。
「襲われてんのは、貴族風の身なりの奴と護衛っぽい奴の計五人。妖魔は、絡蜘蛛と六目四翼が一体ずつに、斑貉が三体。絡蜘蛛の糸が絡まってる間抜けが二人いて、その二人を守るために苦戦してるみてぇだな」
明黎の報告を聞きながら、再び走り出す。
「はぁ……まあ、貴族で少集団なら、文官系の役人かもしれないしね。上手く恩が売れたら、戸籍取得に有利かもね?」
哲金が冗談めかして笑う。
「負傷者は?」
「知るかよ。まだ六目四翼に捕まった奴はいないみてぇだが、糸に捕まってるのはどうだかな」
絡蜘蛛は名前通り蜘蛛型の妖魔で、習性や能力も蜘蛛に似ている。つまり、糸で罠を仕掛けて獲物を絡めとる。毒は無いが、小柄な人間とそう変わらない程に大きく、脚は鋭い鉤爪になっている。しかも知能がそこそこ高く、搦手染みた攻撃をしてくるので相手取るのは厄介な妖魔だ。
六目四翼は、こちらも名前通り六つ目で四枚羽根の鳥型妖魔。人間より一回りは大きく、非常に力が強い上に四枚の翼で自在に空を飛ぶ。一度捕まれば、空の上から地面に叩き落とされることを覚悟しなくてはならない。飛んでいる相手に攻撃が当たりづらい事も含め、退治が難しい妖魔だ。
とはいえ、どちらも何度か倒した事があるので対処法は分かっている。
後は斑貉だが、こいつらは基本的に漁夫の利を狙って行動するので、対処は後回しでいい。だが、この斑貉のせいで襲われた人達は逃げる事も出来なかったのだろう。
「うん、時間をかけない方がいいね。私と哲金で絡蜘蛛は仕留めるから、明黎と若菜は六目四翼を地面に叩き落として。人は巻き込まないように気をつけてね」
「了解」
「うん、おねえちゃん」
「……油断するなよ」
明黎と若菜は飛ぶ妖魔相手に少しでも距離を縮める為に、枝伝いに樹上へと移動する。
私は哲金と、極力音をさせないよう気を付けつつ街道への最短距離を駆け降りた。
視界が開けて、街道の状況を視認したと同時、哲金と目配せひとつで進路を変える。
最後の一歩で、ザザッとわざと音を立てながら六尺(2m弱)程の段差から街道へと飛び降りる。
音に反応して、絡蜘蛛がこちらを見た。
「キキキッッ!」
軋むような音を立てて、絡蜘蛛がこちらに糸玉を飛ばしてくる。
飛び降りた姿勢のまま、空中で左右の手から棒手裏剣を飛ばして糸を逸らす。投擲の反動を利用して身体を捻り、右手で腰の鞘から小太刀を、左手で太腿に固定した匕首を引き抜きながら着地する。
「ふっ!」
着地と同時に、眼前の青黒い大蜘蛛へと真正面から突っ込んでいく。絡蜘蛛の胴体は、私の目線とほぼ変わらない位置で、それなりに迫力がある。
「危ない!」
絡蜘蛛が私に向かって脚の鉤爪を振り上げると同時に、聞き覚えの無い声が後ろから聞こえた。どうやら襲われていた一団は、突然の闖入者を心配する程度には、倫理観の優れた人達だったようだ。
糸の攻撃を躱し、鉤爪を小太刀で受け流し、左手で匕首を投げつける。
どこかに当たれば良い、くらいのつもりで投げつけた匕首は、偶然にも黒々とした複眼の一つに突き刺さった。
「ギギ! キキキッ!」
蟲の無機質な瞳に、私に対する敵意が浮かび上がる。
左手でも小太刀を抜いて、次々と襲ってくる鉤爪の攻撃を何とか両手で捌いていく。攻撃でも防御でも、手数が多いのが私の強味だ。
「ギィキキキキ!」
己の攻撃が当たらないのに苛立ったのか、私が投擲以降は防御に専念しているからか、絡蜘蛛が威嚇するように複数の大きく脚を振り上げる。
ギィン!
強い金属音がして、絡蜘蛛の胴体が横半分にズレて落ちた。
妖魔の死骸の向こう側で、刀を振り抜いた状態の哲金を確認して、即座に上空に視線を転じる。
動く物体を視認するのとほぼ同時に、六目四翼が落ちてきた。
ドンッ!!
かなりの音と衝撃を伴って怪鳥が地面へ衝突する。
その後に一拍置いて、明黎と若菜が近くの地面に降り立った。明黎は着地後に一瞬で六目四翼の元に移動すると、一気に首を切り裂いて止めを刺す。
「ゲギュッ……」
一声鳴いて絶命した六目四翼を確認した後、明黎の視線がこちらを向く。手を上げて問題無いことを伝えると、すぐに六目四翼の翼に絡んだ縄を回収し出した。
対して、若菜はこちらに走り寄ってくる。
「二人とも、怪我は?」
「あるわけ無ぇだろ」
「だいじょうぶ」
ひとつ頷いて、周囲の状況に注意を移す。明黎が武器の回収を優先しているあたり大丈夫だろう、とは思いながらも、改めて自分でも索敵に集中する。
三体いたという斑貉は見当たらない。おそらく私達が突入すると同時に逃げたのだろう。私達が来たのとは逆方向から、微かに遠ざかる気配がする。狩りをしている訳でもないので、今回は追いかけずともいいだろう。
討伐済みの絡蜘蛛と六目四翼の死骸以外に妖魔の気配は無さそうだ。
危険が無い事を確認して、小太刀を鞘に戻すと、若菜が身体を縮めてくっついてきた。
「あの、」
呼びかけられて振り返る。多少汚れてはいるものの、見るからに上質な着物を着た二十代の男がこちらを見ていた。
どうやら、若菜はこの人が近づいてくるのを警戒してくっついてきたらしい。
「どうやら助けていただいたようで、お礼を申し上げる」
そう言って頭を下げる彼は、まだ手に刀を握っている。体格や所作からして、全くの素人では無いのだろうが、おそらくは文官か侍従を生業にしているのだろう。
血の気の引いた顔からは、実戦に慣れていない様子が伺えた。
「いえ、偶然近くに居りましたので。お怪我などは?」
目の前の青年は無傷のようだが、血の匂いがするので誰かが怪我をしているのは分かる。
ただ、おそらく重傷では無いので、可能なら本人か身内が治療した方がいいだろう。
「あ、いえ、私は……」
言葉の途中で、はっと気付いたように糸に囚われている人の片方へと青年が走り寄る。
糸を切ろうと四苦八苦しているのを横目に、自分も糸を避けるのに使った匕首と棒手裏剣を回収しつつ皆と合流する。
「……どう思う?」
「あん?」
前置きの無い私の問いに、全員が首を傾げた。
私も、何と言えば良いのかよく分からない。ただ、先程話した彼を見て、直感的にこの機会を逃すべきで無い、と思ったのだ。
「あの人に、事情を話してもいいと思う?」
『戸籍のこと』
用心のために、肝心な部分は通信機ごしに伝えるが、明黎も哲金も渋い顔を隠さない。
若菜もびくり、と怯えるような反応を返すので、軽く叩いて宥める。
「ああ? どんな奴かも分かんねぇのに、こっちの弱味見せる気か?」
「……さっき話して時に、何かそんなに信用出来ること言ってたの? 姉さん、騙されてない?」
「博打だとは分かってる。でも、たぶんあの人、『正義感が強くて警戒心が低くて弱者救済が趣味』に近い人柄だと思うよ」
先日、哲金が冗談混じりで言っていた、厄介事を抱えた私達の身元保証人になってくれる可能性のある、絵空事の聖人の特徴だ。私も、彼がそこまで突き抜けた善人だと思っているわけではない。
けれど、さっき私が乱入した時に、「危ない」と叫んだ声は彼のものだった。今も、糸に囚われた従者の救助を率先してやっている。妖魔との戦闘に割り込んだとはいえ、貴族が見知らぬ小娘に実直に頭を下げた。何より、若菜が私の影に隠れるような態度でも、非礼を咎めようとはしなかった。
これらのことを鑑みれば、少なくともかなり善良な性なのは間違い無いだろう。
人の善意に付け込むような事は、なるべくならばしたくない。けれど、いずれ誰かに頼らざるを得ないならば、ああいう人がいいのではないだろうか。
妖魔の襲撃に居合わせたのは偶然だし、苦戦していたとは言え護衛二人はそこそこ戦えていたのだから、手助けが必要だったかは微妙な線だろう。
恩着せがましいのは承知の上だ。しかし、貴族である当の本人が頭を下げるほど感謝してくれているならば、保証人にはなってくれずとも、一筆書くくらいはしてくれる可能性が高い。
ここに来る途中で哲金も言っていたけれど、貴族の文官の伝手があるなら、戸籍取得に大いに役立つだろう。
そう言ったことを、私なりになるべく噛み砕いて説明する。ただ、根拠のほとんどは単なる直感なので、あまり説得力は無いかもしれない。
「……なるほど。そういうことなら、あの人の同情を引くのを、試してみてもいいかも」
「あァ?」
「兄さん、『任務の対象、顔、人相書。名前』あの人、漣夜様、って呼ばれてたよ」
「え?」
思わず瞬いて、哲金を見てしまう。哲金が通信機で伝えてきた『任務』というのは、呪詛師が曲輪を去る前に、明黎と哲金に言い渡していったものだろう。内容を詳しく聞いてはいないが、おそらくは暗殺任務で、頭領や組織の意向ではなく呪詛師の独断。しかも二人を曲輪から出すのに、当の本人は同行しないという、何から何まで異例尽くめ任務だったはずだ。
その任務対象……暗殺対象が、今そこにいる青年? あの、見るからに人の良さそうな人が? どこをどう見ても犯罪組織に関わりがある様には見えないが、人は見かけによらないと言うことだろうか?
「……紫がかった黒髪、金茶の瞳、長身の優男……確かに特徴は一致するな。って事は、少なくとも呪詛師とは敵対してるってことか」
明黎は、危険性を吟味するように呟く。
「で、確か戸籍関係の文官」
……それは、本当に、今の私達にとって全力で掴むべき人脈なのではないだろうか。
「王都にいるって話だったから、なんでこんな所にいるのかは分からないけど。たぶん間違い無いよ。全力で同情を引いて、恩を着せて、取り入ろう。手始めに、怪我人の治療でも手伝おうか」
にっこりと笑う哲金は、非常に頼もしかった。




