15. 脱出
金策について話し合ってから五日。断続的に降り続いていた雨がやっと止んだので、今日は明黎と二人で毒草園の作業を片付けに来ている。
「……ふっ!」
袋罌に集った蟲型の妖魔を、両手に握った小太刀で斬り飛ばしていく。
袋罌は受粉と捕食のために、蟲型の妖魔、侵居蝶を呼び寄せる香りを放つ。この厄介な特性こそが、この毒草園が曲輪の敷地外に存在する最大の理由だ。それと同時に、通常の領地では栽培が極めて困難な理由でもある。
侵居蝶は、比較的弱い妖魔だが、幼虫には毒針があるし、成虫も口吻を刃物のように伸ばして攻撃してくる。危険度は、その辺の害虫とは比べ物にならない。
そして袋罌自ら招き寄せるとは言っても、数が過ぎれば当然害の方が多くなる。定期的な駆除は必須だ。まかり間違って、増殖し過ぎた挙句に曲輪の方に侵入されたら、困るどころの話では無い。
ちなみに、この毒草園で袋罌と一緒に育てている醒酔葉や宵見玉は、その強力な毒性が大抵の妖魔にも効くので、どれだけ蟲に集られても問題無い。
「はあ……やっと終わった……」
目の届く範囲の侵居蝶を駆除し終わった後、付近を見回して討ち漏らしがないか確認する。
「明黎、そちらはどう?」
「こっちも終わった」
「じゃあ、私は蛹の方の処理をするから、幼虫と成虫の死骸の方はお願いね」
残留魔力を霊力に変換した後の妖魔の死骸は、一部の霊木草用の肥料として活用する。そちらは明黎に頼んで、私は専用の壺に集めた蛹の素材化を行う。
この蛹からとれる液体を糸仲の樹脂と混ぜると、黒色の塗料になる。黒属性の素材は比較的珍しいので、多少原材料が気持ち悪かろうが、使わないという選択肢は無い。
錬成陣を展開し、残留魔力を変換して素材化する。素材化に伴って全体が液体状に変化するので、溢れないようにしっかり蓋をして、緩衝材を入れた持ち運び用の籠にしまった。
蟲退治の後は、雑草取りや肥料の追加といった、通常の植物と同様の世話だ。基本的には単純作業だが、結構体力を使う。連日の雨で、水遣りをしなくていいのは助かった。
袋罌の方が終われば、醒酔草の世話だ。こちらは蟲退治は無いものの、間違って素肌に触ると毒に汚染される可能性がある。
そのため毒草園で作業する時は、手甲脚絆はもちろん、革手袋と口当てまでした重装備だ。気温が上がってきた今の時期に、この格好はかなり暑い。
一度背の高い醒酔葉に囲まれた場所から出て、水分補給に竹筒から水を一口飲む。まだしばらくは作業が続くから、がぶ飲みするわけにはいかない。
竹筒を腰元に吊るし直すために視線を下げると、ふと近くに生えている宵見玉が目に入る。今は花も付けていないし、夏の気候にしたがって艶やかな葉を繁らせている。
「…………?」
その中の一株に、何となく違和感を覚える。上手く言語化出来ないが、その宵見玉だけが他とは違う、気がする。
(何、だろう?)
毒対策の為の口当てを付け直し、良く見ようと屈んだ瞬間、何かが地面に落ちた音がした。
ぱさっ、と軽い音につられて落とした視線の先には、見慣れた、しかし見た事の無い形をした革と鎖で出来た紐があった。
隷属の首輪が、地面に転がってる。
「…………は?」
咄嗟に首を触るが、いつもの革の感触が無い。反射的に目の前の物を拾い上げるが、それは確かに私達の首に嵌っていたはずの隷属の首輪だった。
「…………明黎!」
思考が定まる前に、立ち上がって、走り出す。
すぐ近くにいた明黎を捕まえると、その首を覗き込む。
「無い」
隷属の首輪が、無くなっている。
「……なん、で……?」
混乱で、一瞬自失していたのだと思う。
不意に目の前に明黎の顔が迫り、あまりに近いその距離に思考を取り戻す。
至近距離で顔を鷲掴みにされた体勢に一瞬戸惑ったものの、すぐに私の瞳に反射した自分自身の姿を確認しているのだと気が付いた。
「……無いよ。外れてる」
手を明黎の首に当てて、そこに首輪が無いことを伝える。
「は……?」
私の顔を離して、呆然と自分の首に手を当てる明黎を見て、改めて異常事態を認識する。
「明黎!」
「っ! ……何、だ?」
足元に落ちていた二つの首輪の残骸を拾ってから、明黎の手を取って歩き出す。他の荷物は、もうどうでもいいだろう。
「行こう、哲金の首輪も外れたのか確認しないと」
一瞬の沈黙の後、強く手を握られる。
「…………ああ、そう、だな。走るぞ」
無言で頷くと、全力で曲輪に向けて駆け出した。
駆け戻った曲輪では、哲金と若菜が門の目の前で待っていた。
毒草園から最短で戻るために、門ではなく一番近くの外壁を明黎に補助してもらって飛び越えると、なんとか無傷で着地する。その音で気付いたのか、すぐに二人がこちらに気付いて駆け寄ってきた。
「ね、姉さん、くびが、違う、そう、急に僕の首輪が外れて、」
哲金が息急き切って話し出すが、らしくもなくしどろもどろだ。
「うん。私と明黎の隷属の首輪もさっき急に外れたの。ほら、これ。哲金の外れたやつは、どこにある?」
「え? あ、こっち」
「うん。若菜も付いてきて」
「わかった」
小走りで先導する哲金は随分と動揺しているようだ。
無理も無い。
何とか外そうと足掻いていたが、未だに明確な目処は立っていなかったのに、前触れなくこの事態だ。たぶん私達は、本当の意味で、首輪が外れるという未来を想定していなかったのだろう。心の準備が出来ていないのだ。
何より、私達はずっとずっと、この首輪に縛られ続けてきたのだ。生まれてから今までの、生きている時間の半分近くを、ずっと。
哲金の隷属の首輪は、作業場の下で野菜や茸に混ざって落ちていた。
拾い上げて、私達の分も並べて確認すると、三つとも≪相続≫の効果を付けた装飾鎖との接続部分を起点に、呪いの鎖が割れていた。
「……たぶん、呪詛師が死んだ、んだと思う」
本来の開口部分ではなく、接続部分から割れて外れているし、その後で追加した≪受任≫の飾り玉に変化が無いので、不具合や故障というわけでも無いだろう。
何があったのかは分からないが、呪詛師が死んだので、≪相続≫の効果が発動した。これはほぼ間違い無い。
結果、隷属の首輪の使用者権限が装着者である私達に移動し、私達自身の意志に反応して即座に解除された、ということだろう。
「なら、本当に、僕達、自由なの?」
「うん……そう。もう、私達を縛り付ける制約に、従わなくていい」
哲金に答えながらも、自分でも何処か信じられない。声を上げて笑いたいような、背筋が寒いような、妙な感覚だ。
「おい、ならとっととこんな場所からズラかるぞ」
いつの間にか近くにいた明黎の声に、はっと顔を上げるる。
「そう、そうだよ! 早く行こう!」
咄嗟に、今にも走り出しそうな哲金を制止する。
「待って! 逃げるなら、追手がかからないように最低限の偽装はしないと。頭領が表社会でもある程度の影響力があるのなら、逃げたことが発覚たら、またすぐに捕まりかねない」
ぴくっ、と明黎と哲金がその言葉に反応してこちらを見る。
圧の強い視線を見返して、生唾を飲み込む。想定外のことが起こった時ほど、冷静にならなくては。
一度大きく息を吐いて、現実的な問題について思考を回す。
「明黎、悪いけど、今からすぐに周囲に人……組織の関係者がいないか確認してきて。哲金と若菜は隠し畑から幻影装置を回収して、出来れば畑にしてたのが分からないように荒らしてきて。私は、自分達の……死体、の、身代わりをつくる」
目線で、かつての仲間達が眠る、敷地の一角を示す。意味を正確に汲み取ったのだろう、明黎に鋭く睨まれるが、必要な事だ。
「わかった。いってくるね」
真っ先に、若菜から返事が返る。幾分声が硬い気はするが、きっと若菜が一番平常心に近いのだろう。頼もしい。
「……了解。幻影を切って、錬成具は回収。畑は石とかと混ぜる……より、周りの木を適当に倒した方が早いか。ある程度倒木で埋めとけば、一見すればわからないでしょ。もし何かあれば、通信機で連絡する。若菜、行くよ」
若菜を見て多少平静を取り戻した哲金が、斧を取りに倉庫へと向かう。
それを見た明黎も、舌打ち一つで踵を返す。
「……すぐに戻る」
三人を見送る間もなく、私も直ぐに作業に取り掛った。
外壁に囲まれた敷地内の北東の端には、柵で区切られた一角がある。霊薬用の植物だらけのこの曲輪で、この場所には何も生えていない。ただ、七つの盛り土の上に、何の変哲もない大きめの石が置いてあるだけで、それ以外、何も無い。
日の射さない、薄暗いこの場所には、百二名の亡骸が埋まっている。かつてこの場所に連れてこられて死んだ、九十六人の子供達と、呪詛師と対立して殺された六人の大人達。頭領の六度の覚醒実験と、呪詛師の暴挙による被害者達だ。
まともな墓標も無い。まともな埋葬もされていない。
それでも、ここは墓だった。
(ごめんなさい)
目を瞑り、手を合わせる。
(ごめんなさい、ごめんなさい)
(貴方達を助けられなかったのみならず、死した後の身体まで利用します)
(ごめんなさい。赦してください。どうか、私達が生き延びるのを、赦してください)
謝罪と言うには余りにも身勝手な言葉を、内心で語りかける。そんな自分に反吐が出るが、私の頭では、これ以上の手立てを思い付けない。
「ごめんなさい」
歯を食いしばり、一番手前の盛土に向かって、鋤を突き刺した。
しばらく黙々と土を掘り返していくと、ふと感触が変わる。骨を埋めた深さまで行き当たったのだろう。
更に慎重に掘り進めて、土まみれの骨を取り出していく。明黎と哲金はもう大人の体格に近い。呪詛師に殺された大人の内、二人分の骨を取り出して、欠けの無いように並べていく。
それが終わったら、私の分だ。若菜の生存を頭領は知らないはずだから、若菜の分は用意しなくていい。
死んだ大人に女性はいなかったから、子ども達の方の墓から、一番大きかった子の骨を探して、掘り出す。
計算高くて、強かで、綺麗な顔が自慢だった、三つ年上の女の子。呪詛師の身勝手な野心に巻き込まれた挙句、妖魔に殺されてしまった、かつての仲間。
(ごめん、一華)
一華の骨を探している途中で明黎が偵察から戻ってきた。
「確認出来る場所には誰もいねぇ。少なくとも、丸一日は大丈夫だ」
墓を荒らしている私を見て顔を顰めたものの、端的に偵察結果を告げた後は、掘り出していた大人達の骨を洗いに行ってくれた。
太陽の光がやや長くなったあたりで、やっと目当ての骨を掘り出し終わった。バラバラのそれらを広げた布に包んでから、墓を埋め戻す。
ちょうど哲金と若菜が戻ってきたので、持ち出す荷物の整理と、私達の生活の痕跡を消す細工をお願いする。元々、五日後には明黎と哲金が出立する予定だったから、二人分の荷造りはほとんど終わっている。私達の荷物も、基本的な物はほとんど変わらないから、任せておいて大丈夫だろう。
明黎と私は、門からギリギリ見えるあたりに三人分の骨を並べていく。
「死因はどうするつもりだ。妖魔の襲撃か?」
「ううん。呪詛師の呪いで狂って、お互いに殺し合った事にする」
明黎が再び顔中から嫌悪を放出するが、口に出しては何も言わずに、互いに黙々と手を動かす。
縁起でも無い話だが、ありそうだと思ったのだろう。実際、あの男はここに滞在する間はずっと、私達の自我を消すための微弱な呪術を行使し続けていた。あいつが私達に付けるのを強制していた白面は、呪術の媒体なのだから。
その白面と、改造した部分を取り外した隷属の首輪、ぼろぼろの服を適当に切り裂いて、骨の周囲にそれっぽく配置した後に土を軽く被せる。
見る者が見れば直ぐにバレる程度の拙い擬装だが、これ以上時間をかける訳にもいかない。折角死を擬装しても、生きている私達が見つかってしまえば何の意味も無いのだから。
もう一度だけ、並べた骨に黙祷を捧げ、踵を返す。もう空は赤みががってきている。光があるうちに最低限の支度を済ませたい。明黎の話では、丸一日は大丈夫だという話だったが、明日になって事態が急変する可能性もある。
何とか夜明け前にここから逃げ出さなくては。




