11. 解放への糸口
「…………う、ん……?」
妙に強い光が瞳に入り込んで、眼を覚ます。
「起きたか」
起きた時に明黎がいるのは珍しいな、とぼんやり思ってから、眠る前の状況を思い出して、即座に身を起こす。
枕元にいた明黎が落ち着いているから、とりあえず危機的状況では無いようだけど、既に明確に日が登っている。
「……おはよう?」
「遅い」
「ごめん。状況は?」
「呪詛師は帰った」
「え?」
帰った。帰った?
いや、呪詛師はここを僻地と言って嫌っているから、用さえ済めば早々に帰るのは分かる。日の光の入り方からして、もう昼の時間帯のようだし、既に出立していてもおかしくは無い。
「うん。うん? でも、見送りは? 悠長に寝てたら引き摺り出されるでしょ?」
「お前はまだ動けないと判断して、俺の<幻影術>で誤魔化した」
明黎の持つ刻印、<幻影術>は、確かに、錬成具の≪幻影≫よりも遥かに精度が高い幻を作り出すことが可能だ。
≪幻影≫は単なる幻像を映し出すだけだが、明黎が<幻影術>で作り出す幻は、本物同然に動くし、短時間なら音や匂いを作り出したり、触覚を誤魔化すことすら出来る。
もちろん、精巧に作れば作るほど霊力の消費は激しくなるし、術を維持するのに集中力を割く以上、どうしても他の動きは鈍くなる。
「どうせアイツは俺たちになんざ興味無ぇしな。カケラも気付かねぇで帰って行ったぞ」
軽く嘯いているが、明黎がそんな不確定要素を許容したあたり、随分と心配をかけてしまったらしい。
「…………ありがとう。ゆっくり休養させてもらえて助かったよ」
霊力がまだ回復しきっていないせいか、多少怠いものの、他の不具合は感じない。
寝ている間に回復薬でも飲まされたのか、身体的な損傷は回復済みのようで、動くのに支障は無さそうだ。
ただ、着ているものは、当然ながら昨日のままだ。
明黎に軽くことわって、柱の影で昨日散々に汚した服を着替えていく。
緊急事態だったとはいえ、こんな汚い格好で錬成したり、寝具を使ったことにため息が出る。
今日は一日掃除と洗濯だな、と算段をつけながら、汚した服や衾を抱えて、明黎と連れ立って櫓を出る。
「ところで、哲金は?」
明黎がここにいるし、昨日の呪詛師の言動からして、任務に連れ出された可能性は低いけど、姿が見えない。
「偵察、っつーか監視だ。今回は異例なことが多過ぎたから、呪詛師どもが確実に引き返して来ない位置まで移動するのを確認するんだと。妙に張り切ってたからアイツに任せた。何度か通信機で連絡してきたが、特に問題無く遠ざかってるみてぇだな」
「なるほど」
通信機の有効範囲は、そこまで広くなくて、せいぜい十町(約1km)程度だが、こういう時は非常に便利だ。
「夕方近くまで、アイツらの動向を監視して、何もなければ、帰り際に若菜を連れて戻ってくるはずだ」
「じゃあ、食事はその時間に合わせて作ろうか。兵糧丸は?」
「朝食った。お前も食え。霊薬で治っちゃいるが、身体ん中グチャグチャにしてんだから、少しでも栄養を補給しとけ」
「はぁい」
常備している霊薬の中には、兵糧丸という栄養補給の為の丸薬もある。一粒で一日分の栄養が取れて、かつ空腹感も感じないという優れ物だ。
空腹というのは、体力だけでなく思考力をも奪っていくものだから、この霊薬が完成した時は全員で喜んだものだ。
言われた通り、私も胴乱から兵糧丸を一つ取り出して口に放り込む。甘い。が、あまり美味しくは無い。
次の改善点は味だなぁ、と考えるものの、それが出来るのはだいぶ先になるだろう。
流石に数ヶ月は準備期間があると思いたいが、いつ再度の霊薬の提供を要求されるかわからない。
今回のは呪詛師の横領だろうから、頭領宛の霊薬はいつも通り要求される可能性が高いのだ。二ヶ月程で、再び全ての霊薬を揃えなくてはいけないことに、再度、ため息を吐く。
調合三昧なのは望む所なんだけど、今回大量に消費した事もあって、材料が足りないものもあるし、畑の世話も増えてくる時期だ。
「はぁ、しばらくは忙しくなるね。明黎と哲金が連れていかれなくて、本当に助かったよ」
「ああ、そのことだが、呪詛師が帰り際に妙な命令をしていったぞ」
「妙? って……?」
呪詛師は行動原理が理解不能だから、その命令はだいたい妙だと言えるが、明黎の言い方からして、今回のは意味不明度合いが酷いようだ。
「『六月から十一月までは曲輪を離れる許可を与える。その間に標的を始末して、帰還しろ』だとよ」
「……つまり、二人が曲輪を離れるのに、呪詛師が同行しないってこと?」
「だろうと思うぜ。しかも、指定された標的も一人だけ。頭領の命令の仕方じゃ無ぇな」
確かに、効率と確実性を重視する頭領なら、絶対しないような杜撰な命令の仕方だ。
「『私は、大きな仕事を任され、遠方に赴くため、お前達のお守りをしている暇は無い』んだとよ」
「……じゃあ、その間は基本的に自由行動なんだ?」
「そうなるな」
「えぇ……?」
今まで、金銭や人脈といった、逃亡に繋がる要素は徹底的に排除されてきた。
絶対に呪詛師の独断だろうけど、それを許す事自体が異常だ。
それに、呪詛師がそんなことを言い出すあたり、その間の頭領から二人への任務は無いということになる。
頭領は、ついに曲輪を破棄するつもりなのだろうか?
「……いや、うん。私達にとっては都合が良いんだから、いいか。そういうことなら、呪詛師も当分はここに来ないつもりなんだろうし」
もちろん、呪詛師ではない人員、それこそ頭領本人が来る可能性だってあるから気は抜けないけど、呪詛師がここに来ないのは望むところだ。
「うん。じゃあ、六月までに色々と用意しないとね。やっぱり当分忙しいなぁ」
とはいえ、先程よりは気分は軽い。
手始めに、洗濯と掃除をするべく、揚水機で水を汲んだ。
明黎と二人、連れ立って狭い螺旋階段を上がっていく。最低限の洗濯と掃除が終わったので、地下書庫に隠した物資を取りに来ていた。先に下で防衛機構の点検を済ませたので、今は上に戻っている。
地下書庫は、防衛機構のある最下層の部屋との中間に位置しているのだが、こちらにも仕掛けがあって、簡単には開かない。
「この辺に……あった」
外側の壁のかなり低い位置にある、外国の文字を模った凹凸を指でなぞる。
『人は皆愚者、人は皆罪人、故に他者を皆赦すべし』
出鱈目に並んだ文字列の中で、意味が繋がるように短い句をなぞると、ゴトリと音がして岩壁の一部に穴が開く。中にあるのは、鍵の鋳型と、その内側を満たすとろみを帯びた液体、そしてその奥にある鍵穴だ。
液体……混合樹脂の錬成陣を展開し、組成式を組み替えて液体から固体へと形状を変化させる。
「次は、この鍵を……」
奥の鍵穴に挿す……のではなく立ち上がり、階段を上っていく。薄暗い中で岩壁を軽く叩いていき、僅かに音の違う部分を奥に押し込む。凹んだ部分を下から覗き込み、上部にある小さな穴に鍵を挿して解錠する。すると横の壁がまたしても動いて、別の穴が開く。何も無いその空洞の中に鍵を入れて、再び錬成陣で樹脂を液体に戻す。液体に戻った樹脂が底に空いた小さな穴を伝い落ちていって無くなると、再びゴトリと音がして穴が閉じた。
そこまでして、ようやく書庫の鍵が開く。それも手早く開かないとまた勝手に閉まるから、急いで扉を全開にして、ついでに扉の下に楔を挿して勝手に閉じないようにする。
「相変わらず、面倒臭ぇな」
「うん。絶対に入れるものか、っていう強い意志を感じるよね」
正直、上の隠し扉の仕掛けより何倍も面倒臭い。私も見つけられたのは、単なる偶然と好奇心の結果だ。
その上で開くのは、実のところ、単なる一個人の私室だったりする。私は地下書庫と読んでいるけれど、たぶんそれは使用者の趣味嗜好で読み物と書き物が詰め込まれただけで、たぶん本当の用途は一人で寛ぐための部屋だったのだろうと思う。
中に入ると自動的に灯りがともり、雑然とした八畳ほどの室内を照らし出す。
「うん。じゃあ、運び出そうか」
「手前の方は俺がやるから、皓理は下がってろ」
扉も階段も狭いので、二人同時に作業は出来ない。まずは大きい荷物から上に運んだ方が効率がいい。
ある程度の荷物を、数度に分けて明黎が上へ運んでいる間に、私も細かい荷物を扉の外の階段へと出していく。
段差があって危ないのだが、外に繋がる隠し扉とこの地下書庫の扉は連動していて、どちらかの扉が開いていると逆側が開かないような構造になっているので仕方ない。
隠していた物資を部屋から出し終え、脇に避けていた机と椅子を元の位置に戻すと、三方を本棚に囲まれた、異国風の落ち着いた部屋へと戻る。
本棚に詰まった書物を見て、先日新しく思い付いた理論との照合をしてみたくなるが、流石に今日は時間が取れない。
忘れ物が無いか、もう一度室内を見渡した後、楔を外して扉を閉じた。
「明黎ー! もう上の扉が開くよー」
ちょうど階段の上の方にいた明黎に向かって声を張る。返事は無いが、聞こえてはいるだろう。近場にある荷物をいくつか抱えて、階段を上っていく。地下からの運び出しが終われば、次はそれぞれの荷物を元の場所に運ぶ作業もある。まだまだ忙しい。
「はぁ。夕飯は美味しいものが食べたいなぁ」
あまり手間をかける時間は無いが、今日くらいは少し美味しいものを食べても許されるだろう。
夕飯の献立に思いを馳せながら、ひたすら階段の上り下りを頑張った。
日が暮れる直前に、哲金と若菜が戻ってきた。
二人とも、怪我も無く、表情も明るい。
呪詛師も順調に遠ざかっているようだし、ひと段落したと思ってもいいだろう。
今日の夕飯は、哭角鹿の背肉の香草焼きだ。塩と山椒、柚子、唐辛子、生姜、釘木の蕾、護扇樹の葉の粉末を刷り込んでおいた塊肉の表面を軽く炙った後、茂草を下に敷いた鍋の中に入れて蓋を締めて囲炉裏の上に高めに吊るし、じっくりと火を通す。
その間に、次は雑炊の仕込みに取り掛かる。
大根の漬物と寒茸を刻み、浸水させていた米が入った鍋に入れて、鹿肉の入った鍋の下に吊るし、少し囲炉裏の火を強める。
「あー、いい匂い」
「もう少し待ってね」
ちょうど肉に火が通ったあたりで、身体をお湯で拭いていた、哲金と若菜が戻ってきた。
鍋から肉をまな板の上に取り出し、肉の端を少し切り取って味見をする。
「うん。いいかな」
肉を取り出した後の、肉汁と茂草が残った鍋に、下の鍋で作っていた雑炊と刻んだ野蒜の葉を入れて、一旦蓋をする。
まな板に置いた肉をやや薄めに切って、それぞれの皿に盛り付けた後、こちらをじっと見ていた若菜に切端を差し出す。
「若菜、はい味見」
「ん」
「どう? 辛くない?」
若菜は辛いのが苦手だから一応確認。という名目のつまみぐいだ。
「からくないよ。おにくのあじ。いろんなにおいがする」
「じゃあ大丈夫かな」
素直な若菜に笑いかけ、次は雑炊の味をみる。
「うーん? もうちょっと、何か……」
少しだけ味噌を溶かし入れ、再度味見。
うん、これでいいだろう。
鹿肉を入れた皿と、雑炊を注いだお椀をみんなに配り、手を合わせる。
「「「「いただきます」」」」
食前の挨拶を終えて、まずは鹿肉の香草焼きを一口。
「ん、美味しい」
低温でじっくり焼いた甲斐あって、柔らかく仕上がっている。香草の甘辛い香りが鼻に抜けた後に肉の旨みが口に広がって、とても美味しい。
「あー、美味しい。食べやすいのに、何か、肉! って感じ。ね、若菜、兄さん」
「おにく、おいしい」
「……悪くはない」
皆にも好評みたいで、何よりだ。
雑炊の方も、今日は具沢山だ。茂草や野蒜の葉は少しクセがあるものの、味噌を溶かしているから全体の味が馴染んで食べやすい。
「兵糧丸で空腹は感じなかったけど、やっぱり、温かいご飯を食べると、生きてるって感じがする……」
食事をしながら、思わずしみじみとして言えば、明黎にやや呆れた視線をもらう。
「身体が弱ってるせいだろ」
「いや、美味しいもの食べると幸せってだけでしょ」
明黎の言い分も哲金の考えも、どっちも合っている自覚はある。
「うん。食事に意識を割けるのも、厄介ごとが片付いたからだよね。哭角鹿の肉の料理も、結局今日までまともに出来なかったし」
「ちょうど色々重なったからね……そういえば、若菜に百薬酒を飲ませる前の夕方って、姉さん、結局何してたの?」
哲金に問われて、そういえば三人に伝え損なっていたことを思い出した。
一昨日、つまり呪詛師が来る前日に、百薬酒の錬成陣を確認していて気付いた、新しい≪効果≫の追加方法。
「うん、それも言っておかなくちゃいけなかったね。ええと、百薬酒を錬成する時に、どうしても≪酒酔い≫が無くならなかったでしょう? その原因を分析をしていて気付いたことがあって」
あの時は、新しい錬成陣の描き方に夢中になって周りが全く見えなくなっていた。
今までも集中し過ぎると時々やらかしたことはあるけれど、正直今回は我ながらちょっと興奮の度が過ぎた気もする。
まあ、でも、仕方ないだろう。
「そもそも、何で≪酒酔い≫なんて意図しない効果が現れたのかってことなんだけど、術式を組み込む時に組成式の回路の重複が起こっていてそのせいだったの。この回路の重複って、本来はごく限定かれた条件下でしか起こらないのだけど、これを意図的に起せないか、その方法をあの時は検証していて。理論としては、術式を意図的に煩雑化することによって組成式の回路に干渉することは可能だった。それで、この技術を応用すれば、既に成立している術式に紐付ける形で新しい≪効果≫を追加する事が出来るようになるはずなのよ」
なるべく分かりやすいように説明したつもりなのだが、哲金は首を傾げているし、明黎と若菜は無反応で食事を続けている。
……あれ? かなり重要な説明をしてるつもりだけど、通じてない?
「あー、ええと、つまり、新しい錬成の技術を発見した? で合ってる?」
「あ、うん。だいたい合ってる。それで、この方法を使うと、隷属の首輪の改造が出来るんだけど……」
私達を縛る、最大の障害。
隷属の首輪に対して、初めて解除の糸口が見つかった、の、だけれども。
「「は?」」
明黎と哲金が、目を見開いてこちらを見る。
……あ、良かった。通じたみたい。
「そういうことは、初めに言え!」
「そうだよ! 最優先事項じゃん!」
「え? ええと、ごめん?」
なんか、怒られた。
分かりやすいように丁寧に説明したつもりだったけど、どうも逆効果だったらしい。
「いや待て。それは何か反動があったりする危険な技術とかだったりしねぇか?」
「危険は無いよ。多少霊力と集中力が多めに要求されるだろうけど、普通に錬成するだけだし」
何故か急に明黎が険しい顔で詰め寄ってくるから、きっちり否定する。
言うなれば、算術の新しい公式を知ったようなものだ。危険なんて無い。
「え? っていうか、え?? これ、外せるの?」
「確約できるのは、改造出来るってことだけかな。素材の問題もあるし」
せわしなく視線や手を動かして上擦った声をあげる哲金に、現実的な答えを返す。
残念ながら、今すぐどうにか出来るものではなくて、手段が見つかったというだけだ。
(……でも、きっと外してみせる)
その決意に反応して、首が絞まる。
咽せないように慎重に息をして、明黎、哲金、若菜に向けて、唇を吊り上げて笑ってみせる。
約束はしない。
守れない可能性があるから。
けれど絶対に、諦めることも無い。




