10. 明黎と哲金
皓理は、回復薬の完成と同時に意識を失った。
腕の中の皓理の顔に手を当てて呼吸を確認し、同じように首に触れて脈を確かめる。呼吸も脈も、乱れて弱々しいが、とりあえず、生きてはいる。
体温もかなり下がっていて、小刻みに震えていた。すぐに自分の小袖を脱いで皓理に巻きつけ、体温を分けるように抱え込む。
霊力が枯渇している時は、下手に霊薬を与えればかえって命を脅かしかねないので、安静に寝かせておくしかない。
「兄さん、姉さんは……?」
哲金が寄ってきて、不安そうに皓理に手を伸ばすのを、一歩下がって避ける。
「とりあえず、息はしているし、脈もある。霊力枯渇だ、寝かしとくしかねぇ。櫓に連れて行くぞ」
「えっ、待っ…………ああ、もうっ」
外の冷気に晒されてこれ以上体温が下がらないように、皓理をきつく抱き締めて、足早に櫓に向かう。
哲金は、工房の中の火の始末をしていたようだ。片付けを終えたら、クズ揃いの護衛連中に荒らされないような処置をしてから追いかけてくるだろう。
櫓の二階に上がり、足で雑に布団を敷く。その上に一度慎重に皓理を横たえると、血涙と鼻血、喀血で血塗れになった顔面を、手拭いで拭いていく。
その後で、もう一度自分の身体の上に抱き上げ、全員分の衾を巻き付ける。火を焚いて温めてやりたくても、呪詛師がいる以上こちらに注意を引くようなことは出来ない。
自分の鼓動が耳に響くような静かさの中で、少しでも腕の中の身体を温めるために抱きしめていると、しばらくして哲金がやって来た。
「姉さんはどう?」
「呼吸は安定してる。体温も少し戻ってきた。死にはしない」
そうだ。皓理は死なない。
ひとりで死ぬことなど許さない。絶対に。
無意識に力が入ったらしく、締め付けられた皓理が呻いた。その拍子に口元を伝った血を拭い取り、意識して力を抜く。今の皓理には、僅かな負荷が致命傷になりかねない。
再び呼吸が安定したことを確認して、眼を眇める。
大丈夫だ。体温が戻ってきているなら、霊力も少しずつ回復してきているはず。ある程度霊力が戻ってきたら、手持ちの回復薬を飲ませることが出来る。そうすれば、負荷のかかった身体の損傷も治るだろう。
……飲ませるのは、昨日こいつが作った百薬酒とやらの方がいいだろうか。あれならば、完全に回復するまで酔って大人しく寝ているだろう。
哲金が近寄ってきて、隣に座る。
互いに夜目が効くとはいえ、まだ夜明けには少し時間がある。腕の中にいる皓理の様子を見たいのだろう。
僅かに緊張した顔でこちらを伺うので、少し考えた後で皓理の顔を見せてやる。間違いなく呼吸をしていることを確認したのか、哲金の肩から力が抜けるのが見えた。
「……錬成、間に合うとは思わなかったよ」
かなり複雑な表情の哲金を見て、返事代わりに鼻を鳴らす。
皓理は、やると言えば必ずやる。
……自分の身を投げ打ってでも。
「チッ」
まったく持って忌々しい。
そもそも本来なら、呪詛師のクズ野郎がどんなに知能の足りない馬鹿なゴミでも、俺たちを私用で使うことのマズさは理解していた筈だった。
特に、齢七つにして頭領と同じ<錬成術>と<解析術>の刻印を獲得した皓理は、絶対に使い潰すなと厳命されていた。
にも関わらず、この有様だ。
例え、頭領がこの曲輪を使い捨てる判断をしたのだとしても、皓理だけは絶対に回収するだろう。自己陶酔と誇大妄想に取り憑かれている呪詛師は気付いていないが、あのゴミより皓理の方が、遥かに価値が高いのだ。
「隷属の首輪さえ無ければ、あんなゴミクズ、一瞬でブチ殺してやるのにっ……」
思う端から、殺意に反応して首輪が絞まる。
再び舌打ちして、無理矢理思考を打ち切る。犬死にをする気は無い。
大広間で皓理と目があった時も、呪詛師への殺意はあったが、自分の命と引き換えに皓理を助けるとか、そんな高尚な気持ちは無かった。俺が行動するのは、いつだって自分のためだ。
(……なのに、何を勘違いしたのか、俺を庇ってこんなにボロボロになりやがって……)
俺は皓理とは違って、利己的なゴミクズだから、他人の為に自分を犠牲になんかしないし、誰かを傷付けるのも殺すのも、罪悪感なんか感じない。
殺される前に殺してやるし、生きるために他人を利用する。ずっと、そうやって生きてきた。
皓理だって、それを知っているはずなのに、何故かコイツはいつだって俺を何か綺麗なもののように扱う。
腕の中の皓理の白い髪を撫で、眦に残った乾いた血の跡を拭う。
血の気の失せた顔は、いつにも増して青白い。そのせいで顔立ちの繊細さと色素の薄さが強調されて、陶器の人形のようだ。
皓理は、何処もかしこも、白く、美しい。
……忌々しいほどに。
顔から血を流して死にかけている姿に、七年前の記憶が蘇る。
覚醒式の直後、あの時も、霊力枯渇で皓理は死にかけていた。
命こそ取り留めたものの、覚醒式のせいで皓理はほとんどの記憶を無くし、髪も色が抜けて白髪に変わった。明らかに細く小さい体格も、おそらくはあれのせいだ。
「早く……早く、目を覚ませ」
起きて、警戒心のカケラも無い顔で微笑い、「おはよう、明黎」と好意に満ちた月色の瞳で俺を映してくれ。
反射的に揺さ振り起こしたくなるのを堪え、苦しくないように抱き寄せれば、喘鳴混じりの弱々しい呼気が耳に届く。
瀕死の皓理を前に、思い浮かぶのは自分の望みばかりだ。
我ながら、身勝手極まりないな。
……皓理は、いつになったら気付くのだろう。お前が後生大事にしている俺は、何の価値も無い、薄汚れて腐ったゴミなのだ、と。
◇
「じゃあ僕は、回復薬を樽に詰めてくるね」
「……ああ。悪いが、頼む」
全く悪いと思っていない声音で返答が来る。しかも視線は、抱き上げた姉さんに固定されたままだ。
……姉さんの容体が完全に安定するまでは、あのままなんだろうな。
まあ、あの状態の姉さんを一人にするのは、僕も不安だ。姉さんの護衛は兄さんに任せて、物資の準備くらいは請け負おう。
工房に戻り、簡単に扉を固定していた縄をほどいて中に入る。
先程姉さんが水瓶に錬成した大量の回復薬を、桶で掬って樽に詰め替えていく。敢えて少し小さめの樽を選んだので、回復薬は結局少し余ったが、せいぜい自分達が使う分くらいの量だろう。何より、素材を置いてある棚の一角がほとんど空だ。次の頭領からの物資要求がどうなるのか、今から憂鬱だ。
……素材も霊薬も、樽とかの容れ物だって、無料じゃ無いんだっての。
曲輪を出られない姉さんに実感は無いだろうけど、回復薬なんて高級霊薬、普通に買うなら、一回分で庶民の一月の食費が飛ぶ。
それを小さいとはいえ、樽に三つ。だいたい六百回分ほどだろうか。これだけで、家が建つほどの財産だ。
それを何の苦労も無く持ち去っていく、呪詛師が心底憎い。殺してやりたいくらいに。
「はぁ…………ヤメヤメ。僕は荒事向きじゃ無いんだってば」
首の隷属の首輪が反応したのを感じて、口に出して自分の殺意を否定する。
こういう、自己認識のすり替えによる隷属の首輪に対する防衛方法も、姉さんが見つけ出したものだ。
こうやって自分の意志を保てる方法を知らなければ、今頃僕も、あの従者や護衛の一人の様に、動く屍になっていただろう。
姉さんには本当に、心から感謝している。
(でも、そもそも普通はさ、隷属の首輪に締め上げられながら「制約の抜け道を探ろう」とか考えつかないんだよなぁ)
隷属の首輪を嵌められた時に与えられたのは、「逆らえば首が締まって死ぬ」という説明と暴力だった。
殴られ蹴られ、反撃しようとすれば首が絞まる。普通はそれで心が折れて、逆らおうなんて考え無くなる。
僕もそうだった。
(……なのに、姉さん、何か、本当に平然としてるんだよね)
何か、こう、躊躇いが無さ過ぎて、「え?」ってなることが多い。隷属の首輪のこともそうだし、他にも、色々。
恐怖心が存在しないとしか思えない。
普段傍若無人な兄さんは、恐怖心、ちゃんと有るっぽいのに。
そもそも、警戒心が強いのは、恐怖心の裏返しだ。
今もたぶん、姉さんが死んでしまわないか、すごく怖がってる。
誰にも……僕にも、姉さん触らせないように抱え込んで、周囲全てを警戒して殺気立っていた。
しかも、瞳孔が開ききってて、なんか、こう、気配が妖魔染みて禍々しくて、ヤバかったな。
なんて言うか、姉さんに万が一があれば世界を呪って滅ぼしそうな雰囲気…………?
(……あれ? あれは、怖がってる、よね? たぶん…………???)
何だか考えているうちに、自分の感性に自信がなくなってきた。
頭を振って余計な思考を散らし、霊薬の梱包を終わらせる。回復薬の他にも、治癒膏・活力薬・数種類の解毒剤・鎮痛剤・宵見玉毒・睡眠薬・麻痺毒・肉体増強の麻薬など、多種多様な霊薬の箱や樽が積み重なっていた。
「うーん。本来なら霊薬を台車に積むために玄関前まで運んだ方がいいんだろうけど……」
可能性は低いが、玄関前に無防備に置いていた場合、呪詛師や護衛連中が、低俗な悪意で霊薬を破損する危険性は無視出来ない。
特に今回は、指定の霊薬が足りなければ、姉さんにどんな影響があるかわからない。夜明けまでは、この場所に保管して、警戒しておいた方がいいだろう。
「……そもそもこれ、全部積めるのかな?」
確か、護衛達が曳いていた荷車はあまり大きくないのが一台だけだった。たぶん、こちらに運んでくる荷物に合わせて選んだのだろう。
そもそも護衛は護衛であって、荷車を曳くのは本来の役目じゃない。山の悪路で大きい荷車を曳くのは嫌だろうし、あの呪詛師が荷車の大きさ云々を指示するとも思えない。
どうせ呪詛師は、自分が乗る馬に荷物を乗せたりなんかしないだろうから、結局一部は残していく事になるんじゃないかな。下手に全部積んだら、途中で崩して大惨事だろうし。
「……はぁ、何か上手く積む方法を考え、て…………?」
いや、待てよ。今回は…………
(ああ、うん! もしも崩れたりした時は、背負ってでも! 運べるように! しておかないと!)
思い至った想定に、思わず唇が吊り上がる。
今回呪詛師が来たのは、どう考えても頭領の命令じゃ無い。
つまり、今回のは、物資の横領で、立派な背任行為だ。
呪詛師は<呪術>という特殊な刻印のおかげで、ある程度優遇されているとはいえ、物資や資金について口を出せるような、上級幹部みたいな立場じゃ無い。
そして、僕と兄さんが夏場に任務に就く時は、隷属の首輪はそのままでも、管轄的には頭領の直属になる。曲輪にいる時はまだしも、外で勝手に僕らを連れ回していれば、頭領に正面切って喧嘩を売ることになる。
そこらへんは、流石に呪詛師も理解しているだろう。
呪詛師が物資の横領を頭領に隠したいのなら、僕達が今回曲輪から連れ出される可能性は、ほぼ無い。
ついでに言えば、僕は主人に設定されてる呪詛師に不利益を与えることなんか出来ないけど、首輪に関係ない護衛達が、ちょぉっっと苦労すれば済むことなら、別にそれは護衛達自身の問題だ。持っていく荷物が積めなかったり、途中で崩れたりした場合は、存分に自分達の忠誠心を示せばいいと思う。
愉快な想像をしながら、壁にもたれてしばしの休息を取る。
夜明けには、まだ少し時間がかかりそうだった。




