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CORRECTORS ~生きた異物~  作者: 新楽岡高
第十章 斯くして人は消えた
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第五話 朱塗りの記憶⑪

◆◇◆



「何だ……何なんだこれは!?」

「そんな事を訊かれても、私だって知りたいくらいよ。先行したマモルも当惑しているみたいだし」

 濃密な血の匂い。それは通路のいたるところから漂い、吐き気すら込み上げてくる程だった。

 実際、月夜野(つきよの) 和馬は青褪めた顔をしながら口元を押さえ、(たお)れた人の抜け殻を見下ろしていたのである。

「誰がこんな事を……!」

「その辺はこれから追々調査する事になりそうね。遺体の収容、生存者の救助と治療、それから事情聴取……正直、今こうして貴方の見学の監視をしている場合ではないわ」

 膨大な死体を前に言葉が出てこない月夜野の背を見遣りながら、褐色肌の美女――プサッフォーは冷たく言い放つ。

 それにムッとしたか、月夜野は(おもむろ)に振り返ると反駁する。

「お前らだってこの状況下では人手が欲しい筈だ。俺をそう邪険にする必要もないと思うが?」

「警察官と百鬼(なきり)組がここで協力していたら、目撃された際に繋がりを疑われるわよ。それで貴方という情報源を失いたくはないし、死なれてしまったらそれこそ寝覚めが悪いわ。これ以上、死体を増やす気?」

「……っ、そう簡単に死ぬ気はない」

「ここでこうして殺されている人たちも、そう思っていた筈よ」

 即座に切り返しながら、プサッフォーは家族連れと思しき遺体のそばに屈む。それは、買って貰ったと思しき玩具を抱えた子供の亡骸だ。そしてそれを守るように、二人の男女が折り重なっている。

 見開いたままになっているその瞼を閉じてやりながら、プサッフォーは月夜野に首を巡らせるのだった。

「見たいものが見られたなら、撤収で良いかしら? それとも、これだけの死体では不足?」

「……その言い方はないんじゃないか? 俺だってこんなものを見たくて中に入れろと頼み込んだわけじゃない。今この街で何が起こっているのか、その一端をこの目で確かめたかっただけだ」

「ならもう十分でしょう。私達が警察や“ノクス”と繰り広げているのは、こういう(・・・・・)なの。人の命が懸かっている、だから見学なんて暢気な事をいつまでも許しておける余裕なんて無いの」

 死体から立ち上がったプサッフォーは、帰りを促すようにゆっくり歩きだした。

 それに、渋々と言った足取りで続いた月夜野は、念を押すように問うた。

百鬼(なきり)組の総意か?」

「これは私の私見よ。そしてそれは、今よりも人の死が軽い時代に生きた人間の、生の言葉。貴方は聞いた事も無いでしょう、都市の陥落がどういう事か」

「……急に何の話をしている?」

 月夜野にしてみれば、それは話が飛躍した以外の何物でもなかった。だから、困惑した様子で眉根を寄せながら彼女の後ろを歩いていた。

「女は犯され、物は奪われ踏み躙られる。それは尊厳すらも例外ではなく、男は殺され、敢えて抵抗しなかった者は奴隷となる。住んでいた家は瓦礫となり、滅亡の狼煙を上げる故郷を背に、新たな“奴隷たち”は市場へと運ばれていく」

「いつの話をしている!? 下らん戯言で、それこそ無駄な時間を……!」

「私も、幸運にして実際の光景は知らないわ。でも、色々な人から話を聞いた。それが、あちこちであった当たり前(・・・・)だから。アッシリアのニネヴェが陥落した際なんてそれは酷かったそうよ。(おびただ)しい人の死が、溢れたとか」

 倒れた人の亡骸の隙間を縫うように、時には跨ぎながら、プサッフォーは先頭を歩く。勿論、その目に油断はない。周囲を絶えず警戒し、奇襲に備えている。

 それを知る由もないらしい月夜野は、相変わらず困惑しながら後に続くのだった。

「人の死って、こんな風にありふれているのよ。気付かないだけで、少ないだけで、ほんの少しのきっかけで簡単に瓦礫と死体の山が出来上がる。血の川が流れ、生き残った者が慟哭して地を這い(つくば)る。貴方が呑気に真実を見分ける云々と言っている間にも、人は死んでいた。マモルだって、救えなかった命に無念を噛み締めていた」

「急に説教臭い真似を……人の命が懸かってるのなんざ、俺だって分かってる! 吉門警視が亡くなって、何も思わない訳ないだろ!」

「なら真実をその目で確かめるとか言っている場合では無いのではないかしら? そんな事を言っている間に、このザマよ?」

 足を止めたプサッフォーが両手を広げる。言うまでもなく、周囲には死体が転がっていた。どこまで行っても血の匂いは消えず、床を踏むたびにべっとりとした嫌な感覚が付き纏う。

 現出した地獄だった。

「間違えるのが怖いのは、分かるわ。でも貴方にはもう既に十分過ぎる判断材料はあった。この期に及んでこの目で確かめたいとかほざく必要はなかった筈なのよ」

「随分な言い方だな。俺の機嫌を損ねて協力関係が解消されるかもしれないとは思わないのか?」

「足を引っ張る協力者に価値はないわ。協力関係そのものを脅しに使う様な愚か者にも興味はないわ。サネユキが貴方の要求を呑んだのも、ただの善意でしかないという事を知りなさい」

 ばっさりと、容赦の欠片も無いプサッフォーの言葉に、月夜野は絶句した。どう言い返す事も出来ずに硬直してしまった彼に一瞥をくれてやった彼女は、人差し指を突き付ける。

「これだけの時間を使ってあげたのよ。まだ迷ってるとか、真実を見抜くとか、言わないわよね?」

「……こんな訳の分からないものだけ見せられて、何を納得しろと?」

「事実を抽出なさい。迷えば人が死ぬ、それもこれだけ。まだ理由を欲するの? 何故? 貴方は、何様なの?」

 一歩、二歩とプサッフォーが月夜野に迫る。それに気圧されたか、彼はのけぞっていた。

「……お、お前こそ何様だ。何の権利があって人のことをここまでぼろくそに言ってくれる?」

「私はプサッフォー。レスボスのプサッフォー。今の時代の人達はサッフォーと呼んでいるそうね。こういう言い回しは好きではないのだけれど……先達の言葉は聞いておくものよ。どれだけ時代が変わろうが、そこに人が住む限り、所詮は人のやる事なのだから」

「サッフォー……?」

 ここで急に名乗った彼女に、その名前に、どこかで聞き覚えがあるのか月夜野は黙考する素振りを見せる。

 が、その先を待つ気はないのか、プサッフォーは手を差し出していた。

「自己紹介はこの程度で良いでしょう。貴方の(はら)は決まったかしら? 今後の行動は? 敵となるならそれも良いでしょう。それでも今は、貴方をしっかり外まで移動させてあげるわ」

「……分かった。こちらの要求を呑んで貰って、感謝する。迷惑をかける」

「こちらこそ、碌に喋った仲でもないのに説教臭い真似をしてしまった失礼は詫びなければならないわ。気分の良くないものを見せられて、気が立ってしまったみたい。ごめんなさい」

 プサッフォーから差し出された手を取りながら、月夜野は謝罪の言葉を口にする。まだまだ彼の内心では様々な感情が渦巻いていたが、それをすぐに爆発させるほど、子供ではなかった。

「何カ所か、経由してから人気(ひとけ)のない場所に転移するわ。一瞬でも見られないように、顔は隠してね」

「行きがそうであったように、か。了解だ」

 一度頷きながら、腕で顔を隠して転移出来る体勢を整え始めた、その時だ。

 ふと目についた違和感に、月夜野は隠して顔を上げた。

「……おいプサッフォー、これは何だ?」

「何って……ただの死体じゃないの。何を見ているの?」

「言ってなかったかも知れないが、俺は霊感が……いや、魔力が視える。その魔力が、死体から煙のように漂い始めているんだ」

 きょろきょろと辺りを見回す月夜野に続いて、プサッフォーも周囲に視線を配る。だが、彼女の眼には先程と何も変わらない血腥(ちなまぐさ)い景色が広がっているだけだ。

 揶揄(からか)われているのかとすら思った彼女だったが、月夜野に嘘を吐いている気配は見出せなかった。

「どういう事? その魔力はどこに行っているの?」

「煙みたいに消えてる。霧散してるって言うのかな。何かこう、感じないか?」

「いえ、何も。魔力が本当に漂っているというなら、多少なりは魔力の気配を感知できる筈だけど……」

 雨が降っているかを確かめるみたいに(てのひら)を天井に向けてみても、プサッフォーには何も感じられない。彼女自身が能力者なのだから、魔力が感じ取れないというのはおかしな話なのだが、そんな疑問が解けない内に事態は新たな局面を迎えるのだった。

「おい、これを見ろ!」

「っ、何よこれ……!」

「死体と、血と……全部、消えていく! 何が起きてる!?」

 じわじわと、とうとう死体も血糊も光粒となって消えていくのだ。今度こそプサッフォーの眼にも見える様になったのか、彼女もその目を(みは)っていた。

 煙のように立ち上る金色の粒子は、微妙な明るさをもって付近を仄暗(ほのぐら)く照らしている。血腥(ちなまぐさ)ささえなければ、それは幻想的な光景だった。

「どうしてこんな事が……百鬼(なきり)組で何か情報はないのか!?」

「駄目ね、マモルもモウリも混乱している。恐らく、この内部全体で起こっている事みたい。結界が消え始めているのに、合わせて起こっているみたいだけど」

 無線イヤホンから聞こえてくる情報から、素早く現状を分析したプサッフォーは、内心はともかく見かけ上冷静だった。

「コンスタンディノス、外の状況は?」

『うむ……結界がいよいよ崩れ始めている。そう長くないぞ。建物が崩落する気配はないが……内部も大変なのだろう? 脱出しなくて良いのか?』

「今のところ私たち自身には何の影響もないわ。光の粒になって消えているのは、死体とその血液だけ。念の為、後退するけど……」

 これでは、生存者は一度見捨てて撤退する他なさそうだった。その結果どうなるかは分からないが、死ぬ事はあるまい。

「モウリ、そちらは?」

『既に後退して……今、最初の穴に戻った』

「了解。じゃあ私は、マモルも回収してそちらに向かうわ。発信機の位置からして、近いから」

 光粒は、屋外における煙や霧がそうであるように立ち上るにつれて薄くなって消えていく。何処に消えるのか、天井で密集する事も無く、どこにも見当たらなくなるのである。

「全く、こう次から次へと……!」

 月夜野を伴って転移しながら、プサッフォーは小さくぼやいていたのだった。



◆◇◆


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