第四話 折り重なった抜け殻➈
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目に見えない風圧が、俺――百鬼 護の眼球を叩く。
急速に乾燥した眼球は水気を希求して、それに応えた肉体は涙腺からじわじわと水を供給していた。
「……今度は何を企んでいる、“ノクス”!?」
「こんな事になったのは、私としても想定外ではあるんだがな」
また強い風が顔面に叩き付けてくる。
一度に分泌された涙の一部が、その風圧に攫われて後方へと連れ去られた。勿論、それは知った事ではない。
「よく言う! お前らは中で何をする気だ、何が起こっている!?」
「落ち着け、百鬼 護。私とてそれは分からないのだ。内部との連絡が完全に途絶しているものでね」
「それがお前らのせいなんだろうが!」
俺が放った赤葡萄酒色をした杭の三撃を、“アーベント”は宙に浮いたまま滑らかな動きで躱していく。
それはまるでエアホッケーの弾のように機敏で、滑らかな動きだった。
「それもこれも、お前らが居なければこうはならなかった筈だ、違うか!?」
「君達が無駄な抵抗をしなければこうもならなかったのだがね。どちらにしろ、今は何を言っても詮の無い事だ」
「仕出かした人間の言う事がそれか!?」
とんだ開き直りだと、俺は腹の内にある怒りを吐き出す。
「手加減なんざ期待すんな! テメエらはここで全員、討ち取る!」
「たった一人で大層な怪気炎だな。こちらは三人、君一人でどうやって勝つのだ?」
冷ややかな“アーベント”の声が頭上から降り注ぐ。同時に俺の左右からは水と蔓が挟撃を仕掛けて来るのだった。
「んな攻撃で、止まるかッ!」
瞬時に予備の魔力を左右に展開して、受け止める。真正面から二人分の魔法攻撃を防いだのだから、その威力は強力だ。
でも、俺はもうその程度で頭痛なんて起こさない。
思考が攪拌される感覚だって、もう慣れたものだ。脳裏に思い浮かべる壁や杭、砲丸のイメージは些かも揺るがない。
「いつまでもそうやって、俺を翻弄できるとか思ってんじゃねえ!」
「……また技量を伸ばしたのか。呆れた伸び代だな」
目に見えない、圧縮された空気の弾丸が、刃が、俺を襲う。でもそれは魔力によって不自然に密集しているものだ。
目に見えなくとも、魔力として感知する事くらいは出来るのである。難なくそれを受け止めながら、俺は問う。
「アンタらにしてみてもこれは想定外だって言ってたな。じゃあこの黒い結界は何だ? これもお前らの仕業じゃないのか?」
「無論、違う。こちらの解析の話では、かなり古く原始的な術式に則った結界らしい。とっくに断絶したと思われる技術を使っているとの事だ」
ちら、と俺は足下に目を向ける。
真っ黒く覆われたそれは、ショッピングモール全体を隈なく覆い、外と内とを完全に分断している。電波も何も通さず、内部の状況を一切窺い知る事が出来ないのである。
「……アンタらの世界の技術なのか?」
「解析の話ではな。もしかしたら、別の世界の別の似た技術なのかも知れん。“歪”を介して起こったものだから、確たることはまだ何も」
本当に手の打ちようがないのか、“アーベント”が肩を竦める。“ゼー”と“クリュザンテーメ”に目を向けても、どちらも同じなのか、隠している様な素振りは見えない。
「……なるほど、良く分かった。アンタらは自分のケツが拭けない連中だって事がな。じゃあ尚更、ここから出て行って貰おうじゃねえの。いつまでも俺達の邪魔をしてんじゃねえ!」
「私達をここから排除したとして、君達にこの事態を収拾できるのかね?」
「出来てねえ奴らの気にする事か!?」
僅かな予備の魔力を残して、俺は一度に動員できる魔力の殆どを攻撃に回す。
杭、砲丸、目くらましの礫。何かしらの防御を行わねば無傷ではいられない。
実際、“アーベント”達は大きな攻撃は回避して細かい攻撃には防御で応じるしかなくなって、脚が止まる。
(ここだ……!)
その隙を逃しはしない。こちらは数が少ないのだ。少ない隙を衝いて一瞬だけ一対一に持ち込んで、各個撃破を狙うのは戦術として当然だった。
「敵接近……迎撃!」
「近距離戦が苦手なくせしてよく言うぜ、“クリュザンテーメ”!」
狙うは、まず少女だ。
魔力を巡らせて強化した脚力は、常人を遥かに凌ぐ速度での移動を可能にする。慌てて繰り出される迎撃の水魔法も、近すぎて狙いが甘い。好機だった。
手の上で、魔力を日本刀の形に生成する。諸手に握ったそれを腰だめに構え、横一線。
「狙い過ぎたな……!」
「損傷軽微、継戦能力に問題なし。戦闘続行」
切れたのは殆ど腹のあたりの被服だけ。他には薄皮を行けたかも怪しい。それくらい、手応えが無かった。
踏み込みが甘かったかとも思うが、あれ以上深いと他からの対応に遅れてしまう。
実際、剣を振り抜いた態勢の俺へと“アーベント”と“ゼー”の攻撃が殺到した。それを跳躍して躱した俺は、そこで一度距離を取る。
「“クリュザンテーメ”、傷の深さは!?」
「問題ない。腹部が少しヒリヒリする程度。痛いにも入らない」
「そうか……援護遅れて済まない」
そんな両者の遣り取りを前にして、俺は舌打ちをする。出来ればここで一人仕留めてしまえば、一気に楽になったのだが、残念ながら簡単にはいかないらしい。
「私達も時間が無いのだ、百鬼 護。可能なら捕獲してやりたいが……これ以上邪魔をするなら、消えて貰う」
「出来っこねえ事をぬけぬけと……脅しにもなりやしない」
「“クリュザンテーメ”に傷を負わせたのだ、これ以上の損害は看過できん。こちらもまた全力で君を殺そう」
じりじりと、“アーベント”らが距離を詰めてくる。そのまま、数の差で一気に押し込もうというのだろう。
俺もそう簡単にやられるとは思わないが、このまま長引けば不利になるのは明らかだ。
(まだか……!?)
ここは黒い結界に覆われたショッピングモールの、屋上駐車場。逃げるなら、足場を壊して階下に……と行きたいところだが、結界の強度が高すぎる関係で、そうもいかない。
かと言って飛び降りて後退しようにも、数十メートル下にある歩道では多くの野次馬が詰めかけて、大きく騒めいている。これでは人目に付いてしまって仕方ない。
(踏み止まってまだ戦う他、無しか……)
そもそもが自分の選択の結果ではあるのだが、いつまでも一人ではジリ貧だ。しかしそんな考えをおくびにも出さず、俺は敵三人を睨む。
「幾らお前らが本気を出したところで、俺をどうこう出来るって? さっきまで三人がかりでやっと俺と戦えてたじゃねえか」
「自惚れるな、強がるな。狙いは陽動だろう? だから速攻で君を潰す。あと三十秒と掛らずにな」
「増援が来る前にって? でも残念。それはもう時間切れだ」
丁度、耳に装着した無線イヤホンに情報が入った。
それを聞いて、俺は笑う。
何かの変化を感じ取ったかその瞬間、“ゼー”は叫んだ。
「……“アーベント”、伏せろッ!」
「む――ッ!」
出し抜けに、何かが黒い結界に弾かれる音がする。その数は二つ。チュィン、と間の抜けた音が辺りに響いて、消えた。
「狙撃だ、あのビルから俺らを狙ってやがる!」
「百鬼組の増援か……厄介だな」
再び、跳弾の音が二つ。一つは“ゼー”の足元で、もう一つは“アーベント”の肩を掠めたらしい。彼はその辺りを摩っている。
牽制としてこの上ない威力を発揮している事実に、俺がほくそ笑んでいると無線イヤホンに一人の男の声がする。
『どうだマモル、命中具合は?』
「掠ったのが一人。誰も倒れてねえよ。何にしろ、援護射撃に感謝する」
『良いって事ヨ。出来るなら、ここで三人とも撃ち抜いてやりたい所なんだが……そう格好良くはいかねえもんだ』
「上出来でしょ、この距離からの狙撃で近いところに当たってるんだから。流石はヘンリーさんとローダさん」
三度目の狙撃。今度はその一発が“アーベント”の脇腹を捉える。それがスコープ越しにも見えたのか、ヘンリーが歓声を上げる。
『っしゃ、命中! そのまま脳味噌ぶちまけやがれ!』
だが、続く狙撃は全て阻まれる。唐突に出現した水の壁が、弾道を捻じ曲げていたのだ。
「“アーベント”はやらせない。傷の具合は?」
「すまん、軽微だ。恐らく抗魔力加工の施された特殊弾頭だな。単純な風の防壁では防げん。注意しろ」
「ん、了解」
立ちはだかる無表情の少女は、完全に狙撃を無効化して見せていた。水の壁の中では強烈な水流が弾道を捻じ曲げているのだろう。流石と言うべきか、対応が早い。
「狙撃は無効化。これが切り札なら百鬼 護、貴方の負け」
「馬鹿言え、手がそれだけで終わりな訳ねえだろが」
直後、褐色肌の美女が俺の背後に姿を現わす。
それはまさに瞬間移動。実際にその通りであるのだが、それだけで“アーベント”は状況を悟ったらしい。
「増援の本命はこちらか……!」
「そういう事だ。ありがとな、プサッフォーさん」
「お安い御用よ。御用命の品々、輸送完了です」
妖艶な笑みを浮かべて彼女が腕を動かして指し示すのは、二人の剣士。
「毛利 豊前守 吉政、推参!」
「コンスタンディノス、参上である! “ノクス”よ、ここが貴様らの死に場所と知れい!」
日本刀と大剣、それぞれの得物を引き抜いた彼らは、その身に戦意を漲らせていたのだった。
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