第四話 折り重なった抜け殻②
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轟々と、風を切る音がする。
男にしてはやや長めの銀髪を風に靡かせながら、その男は空を駆けていた。だが不意に、彼に密着する少女が小さな声を上げる。
「……“アーベント”、ちょっと風圧が」
「すまない“クリュザンテーメ”、カバーが甘かったな」
言われてすぐ、“アーベント”は己の脇にしがみ付いている少女――“クリュザンテーメ”への対風圧防護を強化した。
(自分で思っている以上に余裕がないらしいな。我ながら、らしくもない)
自嘲しながら、彼は眼下に広がる松ヶ崎の街並みを無表情に眺めた。人の大きさが米粒に見える程の高さだ。
雲が赤く染まる空の下、彼は自身の風魔法を駆使して一直線に空を飛ぶ。目の良い者はそれを目撃する事が出来たかも知れないが、よもや人だとは思うまい。
「こちら“アーベント”、もうじき“オメガ”に到着する。“シュピーゲル”、状況に変化は?」
『変わらずだ。監視カメラの映像を見る限り、鼠は最初の出現位置から一切動いていない。不気味だな』
「装いは?」
『少なくとも現代的ではない。趣味の良くない仮面を被っている上に近代以前のものに見える。外套を羽織っているから詳細は分かりにくい。ただ、恐らく帯剣しているな。体格は“アーベント”よりも大きい。一体どこの世界から紛れ込んだのやら』
目的地の中にいる目的の存在に関して、現状で得られる情報を集めておく。少しでも不測の事態を減らす為の当然の手だった。
「……聞いていたか、“アドラー”? 今のが現状で得られる情報だ。外套の中に何を隠しているかも分からん、油断するな」
『へっ、近代以前の服装って事は未熟な技術の塊じゃねえか。んな奴にどうやったら俺が敗けるって? こっちは変な事ばかり起こってストレス溜まってんだ、気が済むまで嬲ってやらぁ』
「程々にしろ。出来れば情報も得たいからな、殺すな」
『そんなヘマ誰がするか。ちょっと触れただけで死んじまうなら話は別だけどな』
くつくつと、イヤホンを通して“アドラー”の笑い声が聞こえる。勝ちを確信している姿に相変わらずな彼の性格を見て取って、“アーベント”は誰にも聞こえない溜息を漏らした。
「鼠は理論がどうであれ、こちらの機器に無理矢理クラッキングを仕掛けてくる存在だ。舐めてかかると痛い目を見るかもしれんぞ」
『舐めてかかってんのは鼠の方だろ? 俺達との実力差も確かめずに利用しようなんざ、そんな甘いことをさせる訳ねえだろが!』
きっちりと利子の取り立てをするつもりでいるらしい“アドラー”だが、“アーベント”はその自信のほどを聞いても尚、不安が拭えなかった。
「“シュピーゲル”、特務課から何か連絡は?」
『慌ただしい様子で説明を求められた。トラブルが発生し、現在調査中とだけ伝えてある。判明次第報告するとは言ってあるが、どうやら向こうも混乱しているらしい』
「当然だな。といっても、どこまで解明できるか……」
そればかりは終わって見なければ分からない。
“アドラー”の暴走次第では、全く何も分かりませんでしたで終わる可能性すらあるのだから。
「“ゼー”が百鬼組とも交戦しているのだ。やる事は山積みだが、とにかく速やかに私も戦闘に参加して事態の解明を図らねば……」
『不味い!』
唐突に、彼の言葉を“シュピーゲル”が遮った。それはもう、余裕など欠片も無いもので。
『この反応、結界だぞ! 何て大規模なんだ!?』
「……結界だと? 誰が?」
状況が一気に動いた事実を感じ取って、怪訝な顔をしながら目的地に目を向けた“アーベント”は、目を剥いた。
「あれは……黒い結界? それも、あの大きさで!?」
『反応を見る限りでは、“オメガ”全体が覆われている筈だ。違うか?』
「ああ……巨大なショッピングモール施設が丸々黒塗りになっている。棺桶のようだな」
得体の知れない事態に、“アーベント”は手頃な位置にあったビルの屋上に足を降ろす。彼の脇についていた“クリュザンテーメ”も、珍しくその顔に驚きの色を露わにしていた。
しかし、彼がそんな珍しい彼女の表情に感心する真は無かった。
「結界は内と外とを隔てる障壁だ。望みは薄いが……“アドラー”、聞こえるか?」
あの黒塗りの棺桶のようになった建物の中にいる同僚へ呼び掛けても、返事は来ない。二度、三度と繰り返しても、梨の礫だった。
『内部との通信、完全に途絶だ。監視カメラの映像も見られそうにない。特務課も今頃大騒ぎだろうな。内部に居る警官との連絡が全く取れないのだから』
「“シュピーゲル”へ引っ切り無しに質問が飛んできそうだな?」
ショッピングモールの周りにいた人々の騒めきが、段々と大きくなる。いきなり建物が黒く覆われたのだから、当たり前の反応であった。
その当たり前の反応から予測できる未来に、“シュピーゲル”はやや疲れを滲ませるのだった。
『こちらに訊かれても困るんだがな。結界が解けるまで何も分からん。その為の結界だ』
「無いとは思うが……破れそうな場所はあるか?」
『無いな。魔力同士の結合を断ち切れるアンチコーティングが施された物なら或いは、だが……何本必要になる事やら』
「それは業物でなければ難しいだろうな。結界は市販のナイフでどうこう出来るものではない」
対魔力加工の施された刃物自体は、“アーベント”も持っている。が、それは刃渡りも性能も決して既製品の域を出ないものだった。
「一度、ショッピングモールの屋上に向かう。そこならある程度は好き放題に結界を攻撃出来る筈だ」
『強引に破れると?』
「望み薄なのは知っている。だが、負荷を加え続ければ結界の維持時間は短くなる筈だ。運が良ければ破れる」
それが本当に極僅かな可能性でしかない事を、二人共知っていた。それでも、“シュピーゲル”は止めなかった。ただ、意外そうに問うのだ。
『露骨に嫌われているのに助けるのか? 前々から何かと甘い“アーベント”はお人好しだとは思っていたが』
「同僚だからな。諜報員一人を育てるにも、金だってかかっている。人材は無駄遣いしてよいものではない」
『……分かった、出来得る限りの支援はしよう。と言っても、情報収集くらいだが』
呆れ返った声が、“アーベント”の鼓膜を揺らした。
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