第三話 悪夢の顕現➈
◆◇◆
『実行だ、“アドラー”』
個別回線で届いたその言葉が彼の鼓膜を揺らした時は、丁度機材の細やかな調整に一段落が付いた時だった。
「実行? もう良いのか“ゼー”?」
『ああ、もう整った。筋書きはこうだ。百鬼組の二人組の人間に計画の内容を勘づかれたので、抹殺の為に俺が動いた。すると増援を呼ばれて戦闘に発展しそうになったから独自判断でシステムを起動、と』
かなり強引さが滲んでいると思った“アドラー”だが、それでも否とは言わない。代わりに、念の為に確認する。
「あんなでも指揮官だ、“アーベント”に連絡だけでも入れなくて良いのか?」
『事後報告でも良いだろ。ついでに増援を申請してやれ。事が起こってしまえば奴だってどうする事も出来ないさ。そうなったらもうあとはお前の手柄だ。失態も不問になるだろうな』
「……ああ、そうか。そうだったな」
これしかないのだと、これが正しいのだと、“ゼー”が囁けば“アドラー”の心はまた彼の意に染まっていく。
液晶のタッチパネルを操作して機材を起動させ、確認工程を続々と済ませていくのだ。
「だが監視カメラの方はどうする? 映像を見られたら、お前のでっち上げた筋書きもすぐにばれるぞ」
『問題ない、そっちは俺の魔法でちょちょっと締め上げて、破壊するだけだ。全部を破壊する訳じゃねえから、余裕だぜ』
意気揚々として語って見せる“ゼー”の態度に、問題がないという事を確信した“アドラー”には、もはや迷いがなくなっていた。
「そこまで言うなら否もねえ。魔力投入、“錨”を展開。“歪”の生成を開始……“門システム”、起動」
『順調そうで何より。アーベントへの連絡頼むぜ。俺は戦闘中って建前なんでね』
「注文の多い男だな……良いぜ、どうせ後は眺めてるだけだ、俺の方からアイツに連絡は入れといてやる」
『助かるよ。本当に何から何まで……』
最後の方は、アドラーには聞き取れなかった。
どうせ大した事ではないのだろうなと思いながら通話を終えて、常時開かれている“ノクス”だけの回線に戻る。
「こちら“アドラー”、“アーベント”応答求む。聞こえるな“アーベント”?」
『どうした、さっきの今で? 随分と余裕がなくなっているみたいだが』
不機嫌になる訳でもなく、純粋に怪訝そうな声音で訊ねてくる彼に対し、“アドラー”は静かに笑みを浮かべた。
「百鬼組が動き出しやがった。こっちの動きを掴んでいたのかは知らんが……二人組にこちらの狙いを知られた。だから知らんが、増援を呼ばれている。“ゼー”が交戦中だが、独りではどこまでやれるか……」
『何だと? 警察は? 特務課も協力している筈だ、現場での対応をさせろ』
「所詮は無能力者じゃねえか、勝負になるとでも?」
そう言ってやれば、冷静な“アーベント”と言えどスピーカーの向こうで戸惑っているのが手に取るように分かる。
「公務執行妨害でも盾に取れば敵の妨害くらいは……」
「向こうには紅床が居るのは知ってるだろ? 透明化能力を付与されたら警察なんて笊みたいなもんだ」
『分かった、すぐ救援に赴く。特務課には被検体を数体出して貰う。ここで邪魔される訳にはいかないからな。私と“クリュザンテーメ”が急行するから、それまでは堪えてくれ』
向こうから、ゴソゴソとした音が聞こえる。実際に急いでいるのだろう。“アドラー”の言葉一つで彼の動きが左右されている事実に、彼はどうしようもなく昏い優越感に浸っていた。
「へいへい。っても、今頑張ってる“ゼー”は返答している暇もねえだろうがねえ。取り敢えず急いでくれ」
『言われなくてもそのつもりだ。で、装置は無事なのか?』
「無事は無事だ。だが、起動した」
『何だと!? あれほど勝手な真似は慎めと……! まだ調整だって完璧でも無ければ、安全装置の組み立てだって完全ではない筈だ! 不慮の事故が起こればどんな事態が起こるか!』
「いやいや、悪いとは思ってるぜ?」
思っても居ない事を口にしながら、“アドラー”は更に強烈な優越感に浸り、酔っていた。
――ざまあない、他人をいつまでも意のままの制御下に置けると思うな。そんな事だからこんな目に遭うのだ。
今すぐにでも高笑いの一つでもしてやりたい気分だが、まだ早いと彼は自分に言い聞かせる。
「お前の指示を守れなくて申し訳ないとは思ってるんだが、敵に工作されかかってね。流石はヴィオレット・オーバンだ。こっちの知らない技術を持っているらしくて、危うく暴走させられて破壊される所だったんだ」
『……っ』
「だから仕方なく起動して、溜め込まれ過ぎた魔力を消費しているのさ。そのせいで当初の予定より大きな“歪”が出来上がって、それが“門”になりそうだけどよ」
我ながらよくこんな嘘がぽろぽろ出てくるものだと、“アドラー”は喋りながら自分に感心していた。何より優秀なのは、その嘘――特にヴィオレット・オーバンによる妨害の部分――を嘘か真か立証する手立てが現状無い事だ。
これによって“アーベント”は、“アドラー”の話が本当に嘘であるという証明が出来ない。ヴィオレット・オーバン以上に魔法や空間に関する見識を持つ者がいないのだから当然だった。
『後々、厳しく調査させて貰うからな、“アドラー”?』
「怒るなよ。デカい“門”が開けば一気に増援が来られる。ヴィオレット・オーバンを捕まえるのもそう難しくなくなるだろうさ。ここの野蛮人の言葉を借りれば、怪我の功名って奴だよ」
もうすっかり己の功績を誇る様な“アドラー”の言葉に、“アーベント”はもう語る言葉を無くしたか沈黙する。
それが、この上なく“アドラー”の自尊心をくすぐり、承認欲求を満たし、彼は笑い声を噛み殺すのに必死だった。
「何にしろ、増援は早めに頼むぜ。そうじゃ無きゃ“ゼー”がやられちまう、これ以上、同僚がやられるのは俺も嫌なんでね……」
『今向かっている、下らない無駄な急かしは止めて貰おうか』
「テメえっ!?」
得意気になっていた“アドラー”の鼻をへし折るように割り込む、“アーベント”の冷たい声。
冷や水でも浴びせかけられた気持ちになった“アドラー”が声を荒げるものの、対する“アーベント”の声は不機嫌さが滲んで、それを隠そうともしていないようだった。
『なぜ私が頑なに巨大な“門”の展開をさせなかったのか……その理由も考えやしないで、安全装置すら設置しないで、得意気になるな。今、自分がどれだけ危険な橋を渡っているのか分かっているのか?』
「はぁ? お前、急に何なんだよ……」
『私がリュテス大学でヴィオレット・オーバンを拘束し損ねた際の顛末は耳にしている筈だ。空間転移・転送技術はまだまだ未解明な部分が多いとな』
普段滅多に見えない怒りを露わにした“アーベント”に対して、“アドラー”は鼻白む。さっきまで良い気でいたのに、それに水を差されて彼が良い気分でいられる筈はないのだ。
でも、珍しい“アーベント”の怒気にあてられて、いつものように強く言い返す事が出来ずにいた。
『今、“アドラー”が渡っている橋はそれくらい危険なものなのだ。今その瞬間にもお前の四肢が別々の場所へ転送されてもおかしくないんだぞ?』
「……ふん、それがどうした。今までだって散々命の危険を覚える場面はあったんだ。いまさらそれが何だと?」
鼻を鳴らしてそう言って見せる“アドラー”だが、その目は装置と液晶画面の数値とを行ったり来たりしている。それ以外へ視線が動く事が全くなくなっていたのだ。
『お前一人だけが死ぬならまだ良い。だがもし爆発の規模が一部屋程度で済まなかったらどうなる? どれだけの人間が犠牲になると思っている? その場合、我々はこの国の警察組織に対してどれだけの譲歩を迫られる事になるか……分かっているのか!?』
「こ、この世界の野蛮人がどれだけ死のうと知った事か! 我が国に掛れば、この程度なら幾らでも制圧できる筈だ」
『そういう話をしているのではない! 貴様はいつからそんな短絡的な思考に陥った!? 我々の行動一つで、下手したら国家間の関係に亀裂が入ってもおかしくないのだぞ!? その重みを理解しろ!』
いつになく激しく怒鳴る“アーベント”に、とうとう“アドラー”は気圧された。この無線を聞いている他の“ノクス”の面々も、その怒り振りに目を瞠っていた。
ただ一人、“ゼー”だけは覆い隠した口元を歪めていたが、“ノクス”にそれを知る者は一人としていなかった。
「そ……そうは言うが“アーベント”、現状の数値と様子を見ている限り、進行は順調そのものだ。お前の心配も杞憂の様だぞ? もう間もなく、“歪”が生成される」
『気を抜くな……いや、もうどちらでも同じか。急変する時は一瞬だからな。その状態では途中で止める事も出来ないのだろう? “アドラー”、お前は精々自分が次の瞬間も生きている事を願っていればいい』
冷たく言い放った“アーベント”は、それっきり無言になる。突き放された“アドラー”は不貞腐れたように舌打ちをしてから、再び視線を忙しなく機器と数値に向け続ける。
「……進行率九十五パーセント、あと少しだ……あと少しッ! 見てろ“アーベント”、俺の判断は間違っちゃいねえんだ。あのスカした面を崩してやる!」
ぶつぶつと独り言を呟く“アドラー”の声は、指は震えていた。ソワソワと足が踏み鳴らされ、呼吸の音すらも普段より煩い。
誰が見ても、彼のその姿は緊張そのものだった。もしもそれを“ゼー”が見たら、さっきの強がった台詞も込みで捧腹絶倒していた事だろう。
しかし、極度の緊張と興奮状態にある彼は、自己を客観視する余裕なんて無かった。
「九十八……九十九……百! 完了だ! どうだ“アーベント”、俺はやったぞ、やって見せたぞ! 所詮、貴様のそれは脅しでしかなかったようだな!?」
両の拳を振り上げる“アドラー”の言葉通り、液晶画面の表示は完了を示している。そして彼自身も絶命する事なくその場に立ち、喜びを噛み締めていたのだ。




