第四話 望まぬ再会、再戦⑥
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無機質な室内は、どこを見回しても面白みに欠ける。
収容されて三秒で見飽きた独房の中で、体育座りをした少女――美才治 綾音は、凹凸の一切ない灰色の天井に溜息を向けていた。
「いつまで居れば良いのさ、ここ」
あても無く口から滑り出したその言葉は、鉄格子の向こうへ溶けて消える。
周囲に人の気配はなかった。
「配膳か、訳の分からない実験で連れ出される以外は誰も来ないし……せめて何か、暇潰し出来る物くらい配布して欲しいんだけどね」
ずっと同じ姿勢で座っているのも飽きたのか、綾音は体を横に倒して部屋の一角に視線を向けた。
そこには無言で天井からぶら下がる監視カメラが一機、無機質な硝子の瞳で室内を見下ろしていたのである。
「はーやーくー、私をここから出せー!」
無生物から答えが返って来る事はないと、とうに知っていても彼女は叫ぶ。叫ばずにはいられない。
どこに位置するのかも分からない施設の独房に移されてからこの方、綾音は碌に人と会話をした記憶も無いのだ。彼女にしてみれば、ずっと無言でいたら気が狂ってしまいそうだったのである。
「私が大事な実験体だって言うんなら、もう少し丁重に扱ってくれてもいいんじゃないですかねー……と?」
不意にどこかで扉の開かれる音がする。
次いで足音が聞こえたかと思えば、見慣れた男の顔が鉄格子越しに目につくのだった。
「この期に及んで、相変わらず騒がしいな」
「そりゃ騒がしくもなるってもんでしょ。私の気が狂いそうなんだから」
「よく言う。それだけの図太い神経の持ち主が早々狂って堪るものか」
コツコツと硬質な足音を響かせながら姿を見せたのは、銀髪三白眼の大柄な男――“アーベント”だ。更には彼の背に続いて水色の髪をした少女と、神経質そうな顔をした眼鏡の男が続く。
「クリュザンテーメちゃんに、榮森さん? 三人揃って、私に何か?」
「そう言う事だ。少し出て貰うぞ」
綾音の両腕に手錠も掛けられぬまま、独房の鍵が開けられる。普通であればそれは、逃亡の危険が極めて高い行いである筈なのだが、綾音は逃走する素振りを見せる事は無かった。
「口と態度は悪いが……聞き分けは良いみたいだな」
「そりゃそうでしょ。榮森さんはともかく、貴方とその子を相手取って逃げ切れると思えないし」
「小娘の分際で私を軽んじる事を……」
綾音の言葉を受けて、神経質そうな見た目の男は顔を引き攣らせる。だけれど、彼女はそちらに一瞥もくれず告げるのだ。
「実際に軽んじてるんだけどね」
「このっ……!」
「榮森課長、ここは抑えていただけませんか? 彼女は貴重な被験体の一つだ、ここで感情に任せて被験体のコンディションを悪化させるのは望ましくないと承知している筈でしょう?」
「ええい邪魔だ、放せ!」
「いいえ、放しません」
激昂した榮森 晋太郎は、その感情の赴くままに腕を振り上げるものの、間に割って入った“アーベント”はその肘を掴んで離さない。
つまり、榮森は振り上げた腕を振り下ろせなくなっていたのであるが、それでも榮森の頭は冷えた様子が見られなかった。
「放せと言っているんだぞ、貴様……!」
「看過出来ません。どうしてもというのであれば、私にも考えがあります。どうですか?」
三白眼の鋭さが更に増したように感じられる低い声は、それだけで榮森に冷静さを取り戻させるにあたって充分だったらしい。彼は不満そうに鼻を鳴らしながら腕の力を抜いていた。
「っ……ふん、そこまで言うなら仕方ない、今は引き下がってやろう。それで良いのかね?」
「ええ、賢明な判断です。互いの協力関係は、罅を入れないに越した事がない」
自由になった肘を摩る榮森に背を向け、“アーベント”は余裕に満ちた態度で歩き出す。
その背中を黙って見送っていた綾音だが、不意に脇腹を軽く突かれるのだった。
「ふぁ!?」
「早く、行く。“アーベント”に、置いて行かれる」
「あ、ああ、ついて行けって? 分かったよ仕方ないな……」
背後から“クリュザンテーメ”にせっつかれるがまま、綾音は人気のない無機質な通路を進む。頭上から降り注ぐ蛍光灯の光は廊下の隅から隅まで詳しく照らし、身を隠す場所がない事を突き付けていた。
「それで、今度は私にどんな実験をする気? いや、今までさせられた実験も良く分かんなかったけど……」
「今まで通り、君が知る必要はない。黙ってあてがわれた部屋で待機して居ろ」
「詰まんないの。知り合いとかにそう言われない?」
「よく言われる。だが私はそれを気に入っていてね」
背後を一顧だにせず答える“アーベント”の表情は、窺い知る事が出来ない。だがその声音は、強がっている素振りがどこにも見られなかった。
その反応に、心底詰まらなそうな顔を作った綾音は、彼の背中を指差して振り返るのであった。
「ねえ“クリュザンテーメ”ちゃん、この人ホントにこんな感じなの?」
「ん。いつも“ゼー”とかに呆れられてる」
「あららー……」
まるで残念な人を見るかのような視線を露骨に向けている綾音に、“アーベント”は小さな舌打ちを漏らしていた。
「おい“クリュザンテーメ”、喋り過ぎるな。相手は被験体だぞ。万が一の情報漏洩も考えて話せ」
「……ごめん、気を付ける」
「うひゃー、怖い。良いじゃんねえ、それくらい」
「“アーベント”がそう言うなら、そっちの方が正しい。貴女には同意しかねる」
「何それ詰まんないのー。じゃあ榮森さんで良いや」
「何が“じゃあ”で、何が“良いや”なのかね?」
消去法に消去法を重ねた末に向けられた水の先に居たのは榮森だ。余りにも雑な扱いに、今度こそ彼の感情が爆発しそうになっていた。
「君が用済みになった暁には是非、この鬱憤を張らせて貰うから、そのつもりでいて欲しいものだね」
「えー、貴方みたいなおっさんの奴隷にでもされちゃうのかなぁー? 参ったなあ、あんな事やこんな事をやらされちゃうの? 変態じゃーん!」
「……身の程も弁えず好き放題言ってくれるじゃないか」
見る見るうちに顔を真っ赤にさせて拳を震わせる榮森の姿を目の当たりにして、綾音は震え上がるよりも先に笑う。
「顔赤いよ? もしかして色々想像しちゃったのかな?」
「減らず口を言っていられるのも今の内だぞ小娘……!」
目を血走らせて凄む榮森だが、それでも綾音には何の牽制になっていないらしい。あっさりとその殺意すら籠った視線を受け流し、今度は“アーベント”に話を振っていたのである。
「で、どこまで歩くの私は?」
「ほんのもう少しだ。……ほら」
丁度そこで立ち止まった“アーベント”は、振り返ると榮森に視線を向ける。
「では課長、お願いします」
「ああ……私としてはこんな小娘、今すぐに外の川へ突き落してしまいたいくらいだがね」
「そうもいかないでしょう。課長の更に上からの指示なのですから」
「分かっているっ、何度も言わずともな」
乱暴な足取りで扉横のタッチパネルに立った榮森は、その液晶画面を覗き込みながら画面に触れ、最後に身分証のようなものを掲げていた。
すると即座にその扉が開かれ、内部の様子が明らかとなると同時に、綾音はその背中を押し込まれる。
「っ、ここは……?」
「暫く、君はここで待機して貰う。コイツを装着した上でね」
「装着って……何をっ!?」
ハッとした時にはもう遅く、綾音の首には何かが巻かれていた。すぐにそれを外そうと手を回したところで、しっかりとはめ込まれたそれは、彼女の力だとビクともしなかった。
「これ、何?」
「首輪さ、見ての通りだ」
首輪をつけた張本人である“アーベント”を、綾音は強く睨みつけながら問い詰めていた。
「……ただの首輪じゃなさそうね?」
「その通りだ。悪い子にお仕置きをする機能が付いているよ。あんまり悪い子だと、破裂してその首を吹き飛ばす代物だ」
「っ!!」
「そう怯えるな。あんまり悪い子だと、という話でしかない。例えばそうだな……何度も脱走を企てたり、実際に脱走に成功してこの研究施設から離れ過ぎたら……」
その先は、言うまでもないと告げたいらしい。敢えて明言しないアーベントの嫌らしさに、綾音は顔を歪めていた。




