第三話 そうだ東京行こう➉
◆◇◆
東京、多摩地区。
場所にもよりけりであるが、そこはオフィス街というよりは住宅街の多い土地だ。
背の高い建物は駅やその周辺にばかり集中して、そこから少し離れれば一面を住宅が埋め尽くし、大小さまざまな道路が縦横無尽に駆け巡っている。
「……この辺まで来ると、やっぱ東京に来たって感じしないな」
「規模とか人口密度で言ったら松ヶ崎とは比べるまでもなく大きいんだけどね。ほら、あちこちに集合住宅もあるくらいだ」
電車を乗り継ぎ、目的の宿に最寄りの駅で下車した俺達は、他愛の無い会話をしながらアスファルトの歩道を歩く。
頭上では月と極僅かな星だけが煌めいていて、晴れている筈なのに満天の星空とは程遠い光景がそこにはあった。
「新宿もそうじゃったが、ここはおかしな空じゃのう。松ヶ崎よりも更に星が見えぬ。どうなっておるのじゃ?」
「人工灯の明かりが強いんだ。街灯とか、色んなところの照明の光が強すぎて、弱い光だと隠れちゃうんだよ。後は単純に、空気が綺麗かどうかとかもあるかもしれないけど」
コンスタンディノスと一緒になって夜空と睨めっこしている吉政にそう説明してやれば、彼は面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「文明の進歩も、考えものだな。風流の欠片も無いではないか。睦月に入り、草木の芽吹きが香り始めて、星々も顔触れを変えつつあるというのに……」
「今の時代、星の並びに注意を払う余裕も、興味も無いのさ。人からの評価だったり、給料だったり、娯楽だったり……人口の絶対数が増えて、社会がより複雑化して、やるべき事と出来る事が広がった結果だよ。日常風景の移ろいを見て、しみじみ感傷に浸る奴なんて、もう少数派だ」
「ああ無常」と肩を竦めて笑う迅太郎さん。思えば、俺も季節の移ろいとかを気にするのは本当にふとした時、ふとした瞬間、ほんの一瞬だけだ。
次の瞬間には忘れていて、もう他の事に注意が向いてしまっている。その考えを改めるつもりは全くないけれど、迅太郎さんの指摘は得も言われぬ感情を湧き立たせてくれるのだった。
「……堯、舜の時代はまだ貧しく、貴族も門番もその生活に大差は無かった。しかし時が経てば貴賤の差は歴然とし、貧富の差もまたそれに倣う。やがて法も変わり、変化した社会を改めて規定する。その変化は遂に、天をも変えると言うのか」
「うむ、良く分からんがモウリ殿の言う通り凄まじいものであるな、人の歩みは。我の居た時代と比べて圧倒的に激変したこの世界を認識する度に、背筋が凍る感覚に似たものを覚える。アダムとエウアの時代から比べたら、まるで人間が神と言わんばかりの振る舞いではないか」
「じゃ、二人は元の生活水準の方が良かったと思う?」
住宅街の中にポツンと立つ、一軒のビジネスホテル。本当に駅が近いとは言え、住宅街のど真ん中にこんなものが立っているのは違和感を禁じ得ないけれど、俺達からしてみたら丁度良いのだ。
何故なら、ここは“ノクス”と警察の一部が使用している研究施設からも比較的近く、何かあれば即応できる距離にあるのだから。
その小綺麗なエントランスに入り、フロントに預けていた鍵を受け取っていると、吉政がさっきの俺の問いを否定する。
「元の生活に戻りたいかは、また別の問題じゃな。衣食住、何から何に至るまで、この時代の勝ちじゃと思う。この時代に来たからには、存分に享受させて貰う腹積もりでおるわい」
「我もだ。筋トレが捗る」
「さいですか……」
非常にどうでも良いコンスタンディノスの返事には適当な返事をしてやりながら、階段を登って二階の部屋へと向かう。
因みに、部屋割りはオーバンが一人部屋、残りは四人部屋である。
「どうせなら私も、皆と一緒の部屋が良かったのだがな」
「年頃の女子が野郎しかいない部屋に一人で泊まるのは外聞的にも宜しくないだろ。そうでなくとも、毛利さんやコンスタンディノスさんも煩いし」
この二人のどちらも、元々は男女の別を強く設ける事が普通であった時代からやって来たのである。現代的な価値観とのギャップをそう簡単になくせる筈もなく、当然ながら彼らは強硬に反対した。
俺としても、羞恥心や常識の大きく欠落したオーバンが一緒の部屋に泊まるのは心臓に良くないので賛成に回り、部屋を二つ取る事に相成ったのである。
「それじゃオーバン、また夕食の時間にな」
「ああ」
まだ納得いかない様子の彼女と別れ、俺達は鍵を開けて部屋に入る――が。
「……っ!!」
「どうした、若?」
「静かに」
部屋のドアを開けた瞬間、俺は動きを止めた。
一向に部屋へ入らない俺の背中が不自然なのか、迅太郎さんが背後から怪訝そうな声をかけてくるけれど、そちらを振り返る余裕は無い。
じっと入り口から見える範囲の室内を睨み付け、呟くのだ。
「……何かが、この部屋に居る」
「何じゃと? まさか、“ノクス”の連中だとでも?」
「奴ら、もう我らの動向と居場所を掴んでいたと言うのか? ええい、何と鼻の利く奴らであるか」
吉政もコンスタンディノスも瞬時に身構え、その体に闘志を漲らせる中、迅太郎さんは呟く。
「こんな所で戦闘になるのは不味いぞ……いや、それは“ノクス”の方も同じ筈だ。なのにここで仕掛けてくるってのか?」
「そんなの俺も知らないよ。もしかしたら、“ノクス”じゃなくて警察が動いてるのかも。ほら、そこのキャリーケース、開けた覚えがないのに開いてる。誰かが物色してるんじゃないか?」
「そりゃあ何とも……仮にそうだとしたら、警察が俺達の退路を断とうとしている可能性もある。とっととズラかった方が……」
冷たい汗が、頬を伝う。
何かが起こっている。そしてこれからも、何かが起ころうとしている。そこで判断を一つ間違えば、全てを失ってしまいそうな、強烈な緊張感が俺達を包んだのだ。
「止むを得ん、三榊殿よ。ここは荷物を放棄して一旦離脱を図るべきじゃ。可能であれば真っ先に松ヶ崎まで撤退し、家で孫臏殿や棟梁殿と改めて作戦の協議を行った方が良い」
「左様。もしも敵が包囲を仕掛けてきた場合、我とモウリ殿で血路を開く。これしかあるまい」
「だな。俺も今の内に棟梁に電話で一報を……」
一様に、そして素早く、彼らは真剣な表情で今後の行動について協議し、もう動き出そうとする。
彼らのその迅速な対応に置いてけ堀を喰らい、俺はただ何かの気配がある客室内を眺めていた、そんな時。
――――。
出し抜けに、室内でトイレの水の流れる音がした。
「……?」
緊迫した空気の中で、拍子抜けする場所から拍子抜けする音が聞こえて来て、俺達の誰もが言葉を停止させる。
何故だ? どうしてこのタイミングでトイレの水が流れる? 部屋に侵入した何者かは、悠長に用を足していたとでもいうのだろうか? もしくは、何かの罠か合図なのでは?
様々な思考が頭を駆け抜け、惑わされて何が正解であるのか皆目見当もつかない。
結果、俺は苦笑しながら呟いた。
「ひょっとして、幽霊とか?」
「た、戯けた事を抜かすでないわい! そんなもの、居て堪るか!」
「そ、そうであるぞ! マモル、このコンスタンディノスを驚かそうなどと、百年早いわい!」
「…………」
ビビってる。明らかに俺が口に出した言葉を耳にして武者と騎士がビビっていた。
こんな状況だというのに俺も迅太郎さんも、必死に込み上げる笑いを堪えていたのだった。
だけど、それも程々に改めて俺は話題を振り直す。
「で、迅太郎さん。どうする?」
「仮にこれが敵の仕業だとしたら手遅れになりかねない。俺はオーバンの嬢ちゃんを呼んで別口から離脱する。若はその二人を連れて真っ先に脱出を」
「了か……ん?」
素早く下されたその指示に返事をして動こうとした矢先だ。
トイレの扉が軋み、開かれる。
「…………」
その瞬間。誰もが息を止めてドアから姿を現す存在を注視する。ごくりと、俺は固唾を呑んだ。
――やがて。
にゃあ、と声がした。
「え?」
間抜けな声が、思わず喉から漏れた。
再び、にゃあと声がする。
「…………」
今度こそそれは、聞き違いでないと確信した。
誰もが自分の耳を疑っていたけれど、やはり僻耳ではない。
間違い無くそれは、猫の鳴き声だ。
しかも、聞き覚えのある鳴き声だ。この俺が、聞き間違える筈もない。
そうだ、この声は――。
「……三毛衛門?」
俺の問い掛けに応えるみたいに、にゃあと猫が鳴く。
一拍遅れてドアの隙間から雄の三毛猫が姿を現した。
「…………」
それを目にした俺達は、体を硬直させたまま絶句する。
しかし、そんな俺達の驚愕を知る由もない彼は小首を傾げながら、ちょこんと“尻尾巻き座り”をしていたのだった。
どこから紛れ込んだのか、我が家で飼っている筈の子猫が出先の宿で出現したのである。
もう、意味が分からなかった。
◆◇◆




