第三話 そうだ東京行こう⑧
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『新宿、歌舞伎町で通報。かなり派手な喧嘩が同時多発的に二件起こっている。もしかすると暴力団同士の抗争である可能性もある。各員、注意して現場へ急行するように!』
無線を通して告げられる内容に、パトカーに乗っていた警察官は一様に顔を顰める。
「抗争って……二件もか? ただでさえ酔っ払いの相手とかで糞面倒臭いってのに」
「通報があった以上は行くしかないだろ」
「行きたくねえなぁー」
一台のパトカーではそんな遣り取りが交わされ、そうこうしている内に現場へ到着する。
「通報があった場所は……メモを見るまでもなさそうだな」
「派手にやってんのが丸分かりだ。そんな大人数が衝突してんのかよ……こりゃ、もっと応援呼ばないと」
ネオンの明かりの灯った建物の隙間を縫って、男の野太い悲鳴が聞こえる。更に言えば、何かが激しく衝突したような音すら聞こえてくるのだ。
しかも、通報があった通り二か所からである。
「こんなデカい音……まさか重機か何かでも持ち出してんのか……?」
「こんな狭い所にどうやって二台も? 何よりそんな事をしたら運ぶ時に目立って仕方ないだろ。その時点で人目に付くのに、何で急に重機が出て来られる?」
「そんなの俺が知るか!」
既に現場へ到着した警察官達も、余りに現実離れした轟音を耳にして、周囲の野次馬同様に右往左往としている。
「……取り敢えず、音のする方へ行ってみるしかないんだろうな」
「行きたくねえー、絶対あぶねえじゃん」
「諦めろ」
他のパトカーから降りて来た警察官と共に、ある程度纏まって、警戒しながら音の聞こえる一方へ向かう彼らの表情は真剣そのものだ。
いつもの新宿に聞こえる喧嘩とは、明らかに何かが違うから。もしかしたら、命の危険すらあるかもしれないから。
「はい、退いて退いて!」
「危ないから皆さんは退っていて下さい! 危険です」
野次馬の群れを押し退け、掻き分け、彼らは先に進む。
とは言え、その場に居合わせた人の大多数は危険を感じ取って、とうに逃げ去っているらしい。あっという間に野次馬の層を突抜けた警察官の一人は、絶句する。
「……な……ん、何だ、これは!?」
「知るか! とにかく事態の収拾だ、オイそこの二人、手を上げろ!」
「…………」
判断の早い警官の一人が素早く拳銃を抜き取り、突き付ける。その銃口の先には、無言で佇む背の高い男と、小柄な少女が立っていた。
薄暗い路地にあるせいでどちらも容貌がはっきりしないものの、見るからに只者では無かった。
何故なら、彼ら二人の周囲には意識なく、ぐったりと倒れ伏す屈強な男達の姿があったのだから。
「倒れた連中の中に刺青の入った奴が居るな……」
「って事は、暴力団同士の抗争で間違い無いのか?」
「そう決めつけるのは早いかも知れねえけどな」
ネオンの明かりが意識の無い男達の刺青を仄かに照らし、同時に彼らの胸が上下している事も確認させてくれる。
それを目にして、この場で倒れている者の多くが意識を失っているだけであるという事に、警察官達は若干だけ安堵していた。
だが、まだまだ気は抜けない。
「聞こえないのか!? 手を上げろと言っている!」
「…………」
目の前に立つ、この得体の知れない男女二人は一体何者なのか。もしや、たった二人でこんな大立ち回りを成し遂げたというのか。
そうだとしたら余りにも脅威で、そして非現実的な想像だった。でも、立っている者達と倒れ伏す者達の年齢差は歴然としていて、そこだけで二つのグループに括り分け出来るのである。
「た、助けてくれ……!」
「お前は?」
「お、俺は組のモンだ! あのガキ二人、あいつらはバケモンなんだよ! 仲間が……仲間があっという間に!」
「おいおい、マジであの二人がこの場の全員を制圧したってのか?」
腹を押さえながら、這いずって屈強な男が警官に助けを求める。その様子は何とも無様なものだったが、警察官の誰もそれを嘲笑する気にはなれなかった。
ざっと見ただけでも、この薄暗い路地に転がっている男の人数は二十を超える。それをたった二人だけで壊滅に追い込んだとなると……。
「…………」
一人の警察官が、固唾を呑んだ。
一人の警察官が、冷や汗を流す。
一人の警察官が、体を震わせた。
誰もが、背筋に冷たいものを感知して、肌を粟立たせた。
「こりゃ、機動隊の到着を待った方が良かったんじゃねえか?」
「今更だろ。誰がこんなヤバい奴らが居るって想像出来るんだよ」
構えた拳銃の先を微かに震わせながら、それでも彼らは得体の知れない男女に銃口を突き付ける。
それに対し、男女二人は視線を向け返しながら何かを呟き合っていた。警察官の耳にそれが届く事は無かったが、果たしてそれが何なのか――。
彼らの会話の内容を知るよりも先に、その男は少女を抱えて、跳躍した。
「……跳んだ!?」
まるでアクション映画でも見せられている気持ちになる跳躍力を見せた男は、そのままビルの看板などを足場にして夜の街並みに消えていった。
後にはただ、呆然と立ち尽くす警察官達と、アスファルトの上で倒れ伏す無数の男が残るばかりだった。
『こちらは正体不明の男女二人組の姿を確認……逃げられた。周囲には二十人を超える男が倒れていて、今から救護に入る』
「二十人!? こりゃ取り敢えず周辺の救急車を搔き集めないと駄目だな……了解した」
そこで一旦無線の会話を終えた警察官は、長く深い溜息を吐きながら頭を抱える。
「あっちもあっちだが、こっちの方も派手にやってくれたもんだ……」
さっきまで感じていた筈の眠気はとうに吹き飛んでしまうほど強烈な光景が、その警察官の前には広がっていた。
ガールズバーを名乗る店舗の内装は、粉々になった硝子片やテーブル片が撒菱の様に転がっていて、壁には刀が振るわれた様な痕跡すらある。
天井にあったであろう豪華な照明も、どうやったのか知らないが引き抜かれた痕跡があり、天井の一部は捲れ上がって配線が剥き出しになっていた。
「鬼でも暴れたのかここは?」
ぺしゃんこになったソファーが壁に突き刺さり、室内のあちこちには黒い背広を着た屈強な男達が、沈黙して倒れ伏している。
見た限りでは命に別状はなさそうだが、彼らからすぐに話を聴く事は叶いそうになかった。
「ここ、あれですね。前からぼったくりで有名な店みたいです。女性従業員の話では、支払いで三人組の客と揉めて、こうなったと」
「……どうしたらこんな事になる?」
「そんなのこっちに訊かないで下さいよ。現場にいたならまだしも……」
疲れ果てた様子の部下の言葉に御尤もだと納得した警察官は、頭痛すら覚えながら店舗の外に出る。
するとそこもまた、台風でも過ぎ去ったかのようなとんでもない有様が出来上がっていた。
「何度見ても思うんだが……電柱の一部が抉れてるのはおかしくね?」
「野次馬や女性従業員の話では、二メートルくらいの大男が、空振った拍子に拳で粉砕していたそうです」
「コンクリってそんな柔らかいもんだっけ?」
「人によるんじゃないですか?」
「果たしてそれで納得して良いのだろうか」
とは言ったものの、現にそうだという証言が集まっているのなら、それを警察官の彼が強く否定出来る話では無かった。
「路上で破損してるのはアスファルトと電柱、街灯、標識……周囲の建物の外装。どうしたらこんな事になると思う?」
「それが分かれば苦労しませんよ。取り敢えず、周囲の防犯カメラの映像があるらしいので、そちらも確認しませんか?」
「それで少しは事情が明らかになれば良いんだが……むしろ余計に頭が痛くなりそうだな」
そしてその予言通り、警察官達は防犯カメラの映像を見て頭痛に苛まれるのであった。
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