第三話 そうだ東京行こう②
「よお、お前何をジロジロ見てんだ?」
「……気のせいじゃないですか?」
むしろ視線を感じ取った俺がジロジロ見られた側なのではないだろうか? とは、流石に言わない。どう考えたってそれは火に油を注ぐ結果にしかならないからだ。
「さっき、隣の列車がやけに騒がしかったんだが、あれお前か?」
「あー、すみません。それについてはもう今後無いようにするんで。以後気を付けますね」
「気を付けますねじゃねえんだよ。既に俺は迷惑を被ってんの。それについてどう落とし前つけてくれんの? ええ?」
「落とし前って言われても困るんですが……」
「何が困るんだよ。他人に喧嘩売ってる目つきしやがって。気に入らねえな」
それは生まれつきだよ。
明らかにロックオンされて、いちゃもんを付けられている状況下にあって、俺は今にも爆発しそうな感情を押さえ込むので精一杯だった。
「とっとと慰謝料出せよ。有り金全部」
「慰謝料って……今時こんな場所でこんなカツアゲあるのか」
「うだうだ言ってねえでとっとと出せって言ってんだろ!?」
「…………」
酒と煙草の匂いが混ざった臭気に、俺は思わず顔を顰めた。恐らくこの男、電車に乗る前から酒を摂取していたのだろう。目が据わっていて、かなり酒に酔っているらしい。
「若、駄目だぞ、堪えろ。ここでの面倒事はマジでヤバいって」
「……分かってるよ」
すっかり安全圏に逃走を終えた迅太郎さんが野次にも似た制止の言葉を寄越してくるけれど、そんな事をするくらいなら間に入って仲裁役を務めて欲しい。
けど、彼にはそんなつもりが毛頭なさそうだ。気が利かないのか、或いはわざとなのか……恐らく後者だろう。
「騒ぎを起こすのは不味いんじゃないのかよ……」
「何を訳わかんねえ事言ってんだぁあ!? 慰謝料出せってんのが聞こえねえのかよ!?」
「……うるせえなコイツ」
ごくごく小さな呟きが漏れた。
恫喝してくる様子からして、この男は慣れている。これまでもどこかで似たような事をやって来た人種なのだろうか。
だけれど、この程度の怒気で怯む俺ではない。
周囲の乗客が注目し、或いは逃げていく中で、自分の気持ちを落ち着ける様に息を吐き出した。
「お前人の話聞いてねえのか!? さっきっから人の顔も見ねえで……誠意が感じられねえんだよ!」
「…………」
男の我慢が限界に達したらしい。俺目掛けて、遂に振り抜かれる男の拳。
だけど、見え見えで大振りなその動きを見切るのは容易くて、一歩斜め前に踏み出しただけでそれは外れた。
「んだよ、このガキ……!」
「…………」
ならばと繰り出される男の蹴りは、しかし酔っ払いであるせいも相俟って、ローキックの成り損ないみたいなものだった。
それも後退してあっさり躱して見せれば、男は更にむきになって躍り掛かって来る。
「舐めてんのかお前ええええええッ!」
「…………」
ひらり、ひらりと躱して、往なして、やり過ごす。
一向に痛撃へ繋がらない事に、男は一層の苛立ちを募らせているみたいであった。
「良いぞ若! もっと避けろ! 芸術点高めに!」
「見世物やってるんじゃないんだがな……」
時間にして、一分もないくらいだ。
しかし酔っ払っているせいもあって男の息はあっという間に上がり、今や彼は膝をついて肩で息をしていた。
「……まだやりますか?」
「……っ、おま、えっ……!」
苦し紛れに振り回された左腕を、俺は右手で受け止める。それから間髪入れずに捻り上げれば、男はそれだけで情けない悲鳴を上げていた。
「まだやりますか?」
「いで、いでででっ!? はな、放せ……」
「まだやりますか?」
「わ、悪かったから! 放してくれ!」
「缶とか吸い殻とか、ちゃんと拾って下さいね?」
「分かった分かった! 片付ければ良いんだろ!?」
その返事を聞いてから手を離してやれば、男は蹈鞴を踏みながら捻り上げられていた腕を摩っていた。
「約束、ちゃんと守って下さいね」
「……っ」
男の顔は、屈辱に歪んでいた。
でも、そもそもこの男が悪いのだから自業自得だ。早速興味を無くした俺は踵を返すと、元の席に戻ろうとして――。
「舐めてんじゃねえぞぉぉぉぉぉお!」
「……おっと」
背後からまた殴り掛かって来た男は、その一撃をあっさり俺に躱されて、躓いて前のめりに転倒していた。
おまけに転倒した際に相当強く顔面を強打したのか、彼は顔面を押さえて床の上で悶絶していたのだった。
「綺麗に決まったな若。芸術点高いぞ。避けると同時に足を差し込んでさり気なく躓かせたところとか特に」
「……そんな感想述べるくらいなら、こうなる前に仲裁してくれても良かったんじゃないの? 現に動画撮られちゃってるし」
「なーに俺が仲裁入ってても、既に撮られてたよ。諦めろ」
ぽん、と俺の肩を軽く叩いてサムズアップする迅太郎さん。だが、俺からすれば仲裁に入らない理由を後から漬けたしている様にしか思えなかった。
「穏便に終わるかそうじゃないかで注目される度合いも段違いだと思うんだけど……」
「まー、撮られちまったもんはしょーがない。There is no ginger! 生姜無い!」
「何それ寒い」
「暖かいだろ、生姜なんだから。血行促進されてポッカポカだぜ」
「……もういいや」
これ以上は追及しても限がない。ただでさえ疲れているのだ。何せ、今日の俺は学校から帰って来たら準備を整えて東京行の電車に乗っているのだから。
「……着いたら起こして」
「着いたらって、あとちょっとで乗り換えあるから起きて貰わなきゃ困るんだが」
「うん、もうそれで良いから……寝る」
とは言ったものの、窓から差し込む夕日のせいで碌に眠れなかったのは言うまでもない。
◆◇◆




