第一話 看過せざる事態⑤
さっきまで俺が立っていた空間を、灼熱の炎が焼き尽くす。
肌を叩く熱気に冷や汗を蒸発させながら、俺は乾き切った唇を舐め取った。
「この炎は……って、おいおいマジかよ。お前、まさか」
「ひ、久し振りなんだな、その喋り方、その身のこなし……顔が隠れてても、み、見覚えがあるんだな」
「そりゃ俺の台詞だぞ、追着 聖也。連続放火魔として、とうの昔に裁判所送りになった筈だが……何でここにいる?」
体格は、以前に会った時よりも明らかに痩せこけている。けど、無精髭は相変わらずで、その男が身なりに無頓着である事を明確に示していた。
「そ、そんな事なんかどうでも良い! い、今は……今は、お前を今度こそ焼き尽くす!」
「上等! こっちは時間が無いんだ、この前みたいに返り討ちにしてやらぁ!」
忘れもしない。忘れられる筈もない。
追着 聖也と言えば、この街で怪奇事件が連発し始めた頃に街を騒がせた連続放火魔だ。それも、彼は発現した特殊能力を悪用して四方八方を放火して回っていたのである。
それを解決する為に、俺達はどれだけ四方八方を駆けずり回った事か。でも、その甲斐あって事件は無事に解決した筈……なのに。
「この火力……能力の質が上がってんのか?」
「ふひひひひひひひ! これも全部、お前を焼き尽くす為に俺が得た強化された力だ! し、死ねよ、死ね! 黒焦げになれ!」
「強化、された力? って事は、お前がここにいるのはつまり……」
瞬間的に脳裏にフラッシュバックしたのは、この製薬会社の敷地内でさっき目撃した人体実験場だ。詳しく設備を見る間も、実験体扱いを受けた人々から話を聞く間も無かったが、彼もまたそういうことなのだろう。
「ああ、そうさ! 俺はここで強くなったんだ! 更にな! 嬉しくて嬉しくて、堪らないよ! お前を……そして俺を馬鹿にした奴ら全員を、今度こそ焼き尽くせる!」
「そんな事をやる前に……お前は逮捕された身だった筈だが?」
俺達に捕まった後、追着は“どんまい”を始めとしたオカマバーの面々に蹂躙されてトラウマを植え付けられて、真っ白に燃え尽きた状態で警察に引き渡されたのだ。
聞いた話ではボロボロと犯行を自供して刑事事件の中ではスピード判決に分類されるくらいスムーズに結審して刑も確定したのである。
「まだまだ暫くは刑務所に閉じ込められてる筈のお前が……まさかとは思うが、あの榮森課長とか呼ばれてる奴の仕業か」
肌を叩く熱気に顔を顰めながら、俺は眼鏡をかけた神経質そうな中年の男の顔を思い浮かべる。
まだ数える程しか遭遇していないが、あの男ならこんな事もやりかねないのは何となく理解出来た。
「時間もないってのに、邪魔しやがって! 退け、追着! 俺は……その扉の向こうに用がある!」
「と、通す訳がないんだなコレが!」
深紅の炎弾が二十、三十を俺へ殺到する。その全てを展開させた赤葡萄酒色の盾で受け止めつつ、俺は直進する。
「そんな威力で、俺が止まるかよ!」
「ふ、ふざけるんじゃない! 俺は、お前をここで黒焦げにするんだな!」
「火力が上がったところで、戦い方は変わらず素人丸出しじゃあ……俺の相手にゃならないね!」
至近。そこまで到達して、俺は展開していた盾を霧散させる。代わって、その霧をサッカーボール程の球体に凝集させるのだ。
「沈め、一発だ!」
「お、お、おおおおおお!?」
追着から繰り出される炎弾は、距離が近すぎて彼が焦っているせいもあり、当たらない。狙いも見え見えで躱すのだって簡単だった。
それとは対照的に俺の一発は、必中の軌道を辿って追着の腹を捉えて――その寸前で、止められた。
「……!?」
「よぉ、また会ったな?」
「お前はッ」
小柄な体に、まだあどけなさ残る顔立ち。年齢は、まだ高校生にすら上がっていないくらいだ。
そしてその顔にも、俺は見覚えがあって。
「加藤海 稀紘、だったよな。お前、能力を失ったと思ってたけど?」
彼の事だって、忘れもしない。ついこの前、この少年と戦闘した俺は、その動画をSNSに拡散されてしまう事態にまでなったくらいなのだから。
だけど、そんな事態も既に、終わった事の筈だったのに――。
「お生憎様。俺の能力はここに連れて来られてから完全復活……いや、それ以上だぜ!」
「……っ!?」
こちらの虚を衝いて繰り出された彼の回し蹴りが、防御に動かした俺の左腕を打ち据える。
その余りの威力に左腕が痺れて一瞬だけ使い物にならなくなった瞬間、加藤海は更に追撃を掛けて来るのだ。
「まさかこうしてお前とまた戦えるとは思ってなかったよ! それも、こんな絶好調の時に!」
「絶好調、だと? お前、この前の戦闘で無理をして能力を喪失しただろ!? 一体何をしたら元通りに取り戻せる!?」
繰り出される貫手、蹴り、手刀。
それらを往なし、躱し、捌き、俺は動揺を必死に押し殺して矢継ぎ早に問いかけていた。
しかし、対する加藤海は嗜虐的な笑みを浮かべて冷淡に答えていたのだった。
「百鬼 護、お前にそれを話してやる必要はない。大人しく頭砕かれて死んどけ」
「ふひひひひ! そ、そう言う事なんだな!」
「ちっ、立て続けに邪魔を……こっちは時間がないって言ってんだよ!」
加藤海だけでなく、勢いを取り戻したらしい追着までもが攻撃を再開して、その勢いに押されて俺が後退を余儀なくされる。
そうなればなるほど俺は焦燥感に駆られて、眉間に皺を刻んでいた。
「早く、早くしないと……!」
敵の増援が来ないとも限らない。もしくは、救出出来ていない人たちがどこか別の場所に移送されてしまうかも知れない。
「また余所見してんのか、いつかみたいに!? 余裕だな、百鬼 護!?」
「お、俺達を相手に随分とふざけてくれる、覚悟は良いんだな!?」
「……っ!」
現状、この二人を制圧するのは骨が折れる。単純に、どちらも以前戦った時より純粋な能力が底上げされているのだ。
おまけに数的不利まであるとなれば、一筋縄でいく道理が無かった。
「時間があれば勝てるだろうけど……!」
今、残された時間は少ない。そもそも、今回の作戦は動きが早ければ早いほど良いし、遅ければ遅いほど不味いのだ。故に、ここで時間を浪費する事は致命的な事態を招きかねなかった。
そして、その懸念を裏付けるように事態が動きだす。
「……っ、あれは!?」
「ん? ああ、気付いたのか。けど残念、もう遅い」
「遅いかどうかは俺が決める事だ。退けよ!」
「嫌なこったー」
目の前にまで迫った研究棟の裏口から、何やら複数の人がゾロゾロと出てくるのが月明かりの中でも目について、いよいよ俺の心は平静でいられなくなっていた。
でも、幾らそちらへ足を向けたいと思ったところで二人の敵がそれを許してはくれなくて。
「余所見、なんだな」
「――!?」
咄嗟に右側面へ展開した赤葡萄酒色の盾が、炎弾を受け止める。でも、出来あいの急造盾では強固な防御力が保てなくて、思考が揺さぶれると共に魔力は霧散してしまった。
我ながら、情けないくらいに動揺してしまっているらしい。
まさかこの程度の威力の攻撃を一発貰っただけで思考がぐちゃぐちゃにされて、盾のイメージが崩されてしまうとは思わなかった。
「畜生っ、綾音ぇ!!」
畳みかける様に繰り出される加藤海と追着の攻撃を防ぎながら、夜空へ向けて俺は咆哮する。
足を止め、防御に徹する他なくなった俺に打てる手はもう、そう無かったのである。
「はははは、見っともねえ叫び声だな百鬼 護!?」
「黙れ、ウザったいんだよ!」
「……!? んの野郎!」
嘲笑しながら攻撃を仕掛ける加藤海の一瞬の隙を衝いて、彼を弾き飛ばした俺は、地面を蹴る。向かう先は、研究棟から離脱を図ろうとしている団体で。
「綾音、いるんだろそこに! いるなら返事を!」
「い、行かせないんだな!」
「綾音、返事をしろ!」
背後から追撃してくる追着の炎弾を魔力の盾で防ぎながら、俺は一気に集団へ迫る。それを認めた護衛と思しき男達は蜂の巣を突いたように騒ぎ始めていたが、知った事ではない。
――この程度の数と質なら、簡単に制圧できる。
あっという間に戦力を評価し終えた俺は、集団の中にいた一人の少女へ届かぬ手を伸ばす。
「綾音!」
「……まも、る? 護なの? 護!」
「……!!」
振り向いた少女からその答えに、鼓膜だけでなく心が震えた。
あと、少し。強化した脚力なら、もう二度三度跳躍すれば届く距離に、彼女は居た。
だけれど、現実は非情だ。
「俺を弾き飛ばしたくらいで調子に乗んなよ百鬼 護!?」
「ぐっ――――!!」
横合いから飛び出して来た小柄な影が、アクロバティックな動きで踵落としを繰り出して来たのである。
咄嗟に額の上で交差させた両腕がその強烈な一撃を受け止めるものの、そのせいで脚が完全に止まる。止めざるを得なかった。
「はっはっはぁ! 残念だったねえ!?」
「どこまでも邪魔ばかりを……!」
伸ばした手は、引き戻すしかなかった。
届きかけた少女の姿が見る見る遠退いて、届かない場所へと消えていく。
連行されていく彼女が向こうで何かを叫んでいたけれど、戦闘の騒々しさが全てを掻き消してしまっていた。
「ここまで来たってのに……!」
無理して追い掛けたくても、敵の猛攻が酷くて叶わない。無理をしたところで、結局は自分がやられてしまうだろう。
何も出来ない苦々しさが、胸一杯に広がった。
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