第一話 看過せざる事態③
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美才治 綾音は疑っていた。百鬼組を、そして幼馴染の百鬼 護を強く疑っていた。
だから何を隠しているのかを突き止めたくて、はぐらかされてもめげずに食い下がって、そうして遂には警察を頼った。
でも、美才治 綾音は訝しんだ。警察を、そして榮森 晋太郎の行動を訝しんだのだ。
『美才治さん、見ての通り私達警察の仕事はこの国の治安を守る事にある。つまり、不安の芽は早めに摘み取っておかなければならないのだ。こんな風にね』
体の自由を奪われた幼い女の子を横目にして、良心の呵責と言った類を一切感じさせない榮森の姿に、綾音が違和感を覚えない道理はなかった。
『おや、そんなに私の言う事が信じられないかね? だが、君だってあの山道で見ただろう? 黒焦げになった倒木、それに潰された車、そしてそこで戦う能力者――百鬼 護という存在を』
詰問しても、榮森は肩を竦めてそう言うばかりだった。
でも、その程度の答えで綾音が納得出来る筈も無くて、ここでもまた彼女は何度も食い下がった。
『榮森さん、それだけじゃ納得できません! 幾ら能力者だからって……こんな小さな子まで捕まえるなんて!』
『幾ら小さかろうが能力者は能力者。私のような人間とは違う。車の中でもその異質さを目にしていたと思うがもう一度見せてやろう、これがこの女の子の能力だ』
榮森が不意に取り出した折り畳みナイフは、ベネチアンブラインドの隙間から差し込んだ陽光を反射して、鈍色に光る。
そしてその刃を意識の無い女の子の肌に当てれば、当然のように切創が出来上がり、小さな血の雫が膨れ上がってから滴った。
『何て事を……!?』
『落ち着きたまえ。能力を見せると言っただろう?』
『…………』
まるでマジシャンみたいに両腕を広げて朗々と語る榮森の言葉に、疑念の色を携えたまま綾音は女の子の傷口を注視して――。
『傷が、本当に塞がっていく? 夢じゃなかったんだ……』
『そうだ。この子の能力は異常な回復力。あの山道での戦闘の最中にもそれは発揮され、瀕死の重傷から回復している』
『瀕死の、重傷!?』
その話を聞かされて、綾音は目を剥いた。何せ、この時点で山道での戦闘から日が浅かったのだ。なのに、瀕死の重傷者の体に負傷の痕跡が見受けられないのは不自然極まりなかった。
『そうだとも。君だって焼け焦げた倒木に押し潰された軽自動車は見た筈だが? あの車に乗っていたのだ。他に彼女の両親が乗っていたが、どちらも致命傷を負って死亡が確認されている。“普通の人間”なら、間違い無く死んでいた』
『普通の、人間……』
綾音が再度見れば、もう女の子の肌に出来ていた筈の傷は血痕だけを残して完全に塞がっている。それは、もう人間としての一般的な自己再生能力を明らかに凌駕していた。
『だから、この子は普通ではない。能力者なのだ。故に、我々で保護しておく必要がある』
『保護だなんて……こんなの、捕獲みたいなものじゃないですか! 人をこんな風に扱うなんて、明らかに非人道的です!』
ストレッチャーに固定され、四肢の自由は完全に奪われている幼い女の子の姿は、痛ましさしか感じられない。一体この子が何をしたのかと、綾音にしてみれば義憤が湧き起るばかりなのだ。
でも、榮森は変わらず淡々として女の子に対する申し訳なさなど微塵も見せなかった。
『仕方あるまい。この特異な回復能力を持った女の子を天涯孤独なまま放置したらどうなるか、君に想像はつくかね?』
『そ、想像って……普通の生活を送れば!』
綾音がそう言った瞬間、榮森は失笑を漏らす。
『ふん、夢の見過ぎだ。いや、考えないようにしているのか? こんな特異な回復能力が何かの拍子に周囲へ知られてみろ、四方八方からその身柄を欲しがる輩は出てくるぞ』
『じゃ、じゃあその時に警察が助けに入れば良いだけなのでは!?』
『それで間に合わなかった場合はどうする? この回復能力を欲しがる者はごまんといるだろう。それこそ、外国だってそうだ。もし仮に軍事転用出来たら、それだけで軍隊の運用も変わって来るだろうな。確かに単純な医療技術の向上にも繋がる筈だ。だが、この現代社会においては悲しいかな、あらゆる分野が軍事に繋がるのだ』
事は個人の権利だ何だと言ってられる場合ではなくなってしまうのだと、榮森は冷徹に指摘するのだが、それでも綾音は食い下がった。
『だから、ここで保護って言う名目で捕まえるんですか!? もっと言えば、当の貴方達がそれを利用しないと言い切れますか!?』
『全くしない、とは言えないさ。だってそうだろう? 例えばこの能力が完全に解析出来て、活用出来たら、それだけで一体どれだけの命が助けられると思う? 君は、その助けられるかもしれない命を見捨てると言うのかね?』
『それは……!』
複数人の命と、一人の命。
複数人の権利と、一人の権利。
それは、どちらを取るかという選択の話だ。大多数の人は、最大多数の幸福を取るだろう。だって、大多数の人はそちら側に含まれるのだから。
綾音も当然のように言葉に詰まってしまえば、畳みかけるみたいに榮森は言葉を続けていた。
『酷な話かもしれないが、ある程度の協力を能力者に求めるのは止む無しだとは思えないのか? この世界の為に、な。ひょっとすれば何かあった時、君の家族だってそのお零れに預かって助かる事だって夢ではないのだよ?』
『…………』
『君も、そう思うだろう? そう思わずにはいられまい。ならば、今の君が取るべき舵は一つ。私達に力を貸し続けたまえ。そうだな……平たく言えば百鬼組に対するスパイとして活動して欲しいのだ。勿論、報酬も弾もう。幾ら欲しい、何が欲しい?』
ぽん、と綾音の肩に手を置いて囁くように唆す榮森の言葉に、綾音の心は掻き乱され、揺らぐ。
だってその誘いは、その口車は、彼女にしてみればとんでもなく魅力的に見えたから。
『わ、私は……』
『そう難しい話ではない。君にとっては、どちらの方がこの社会の為になると思うのか、という質問なのだから。社会の為になると思う方を選べばいい』
『…………』
俯いて、足元を見つめる綾音には榮森の表情を知る事が出来ない。知ろうとも思えないくらいに、動揺が心を埋め尽くしていた。
彼女の感情は揺れ、震える。
百鬼組を、そして幼馴染を裏切るべきか否かの鬩ぎ合いで苦悩し、決めあぐねて綾音の頭は今にもどうにかなってしまいそうだった。
その有様に対して、榮森は冷め切った声で見下すように言った。
『……そんなに悩むのなら、どうして私に全てを話せなどと詰問したのかね? そんな風になるくらいなら無理に深く聞き出そうとする必要もなかっただろうに』
『それは、だって……こんな話だとは思わなくて。こんな、非人道的な話だったなんて!』
『そうだとしても知ってしまった以上は逃げる事など許されないと思え。吐いた言葉は飲み込めず、来た道を取って返す事など全く出来ないのだ』
選べと、榮森は決断を迫る。
冷徹で冷酷に、無慈悲に、嘲りの色すら覗かせる彼は綾音を追い詰めていた。
『多くの人を幸せに出来ると考えれば、どちらを選ぶかなんて明白だ。報酬が出る事を考えれば、得なのはどちらなのかも良く分かるだろう。それでもまだ納得できないのなら……君のご両親や弟くんまで巻き込んでみるかね?』
『か、家族を!? どうするっていうんです!?』
『いや、君に踏ん切りがつかないみたいなのでね。その背中を押してあげる材料を更に一つ追加してやろうかと。どうかね?』
ハッとして榮森の顔を見上げる少女に、彼は左眉を持ち上げて見せながら言葉を続けていた。
『君が何を想像したのかは知らないが……そこまで心配しなくて良い。これからもこの街を騒がせ続ける能力者や百鬼組に対抗する為に、その家族にもご協力をいただくって話なだけだからねえ』
『脅しですよね、それって。警察がやる事なんですか?』
『はて何の事か。私は警察官の端くれとして、この街の、ひいては日本の治安を守る為に打てる手を打とうとしているまでの事。その直向きさは褒められる事はあっても非難される謂れは無いと思うがね』
『自分でそこまで言うなんて……!』
白々しいにも程がある榮森の言葉に、綾音の心は反骨心が湧き起る。だが、それを見透かしてか彼は機先を制して言う。
『忘れてはいけないのは、能力者の放置は治安に関わるという事。現に、この前の山道での倒木で死人が出たのも見ただろう? あんな事態を看過するなど絶対にあってはならない。その為に、何度も言うが私は打てる手を打とうとしているというのだ。愉快だ不愉快だと、君の感情で物事を左右するような判断は下さないで貰いたい』
『……今更、何を! 綺麗ごとばかり並べて』
『だが事実だ。放っておけば死人が出る事も証明されている。現に出ている。百鬼組はこの街の治安を守る上でも絶対に潰さなくてはならないのだ』
はっきりとそこまで断言する榮森。
だがそれでも、綾音は首を縦に振りはしなかった。
『……榮森さんがそうやって敵視する百鬼組は、私の家族を人質に取る事を仄めかすような真似はしません。これではどっちが正義なのか、もっと分からなくなってきました』
『それは百鬼組が良い顔を君に見せているからではないかね? 裏ではどんなことを企んで実行しているのかなど、想像も出来ない。一面だけを見て信じる様な安直な真似は避けた方が良いと思うが』
『話をそこに持っていってしまったら、警察にだって当て嵌まる事じゃないですか。しかも、こんな小さな女の子を拘束までして!』
声を荒げながら、綾音は拘束されたままの少女を指差す。その女の子は相変わらず目を覚ます気配はなく、微動だにせず拘束され続けていた。
対する榮森はそちらに一瞬だけ目を向けたかと思えば、疲労を吐き出す様な溜息を漏らしていた。
『それこそ、物事を一面でしか見ていない典型だ。さっきも言ったが、これは必要な事なのだよ』
『私の知ってる百鬼組は、“仕方ない”で誰かに一方的な犠牲を強いる真似はしません。都合の良い言葉を都合の良いように並べ立てている貴方の言葉は、何だか薄っぺらくて信じられないんです』
『ほう? そこまで言ってくれるかね。では君は、私達警察に手を貸す事は出来ないと? ここまで情報を知って、協力しておきながら“やっぱ止めた”と投げ出すのだな?』
『そうとも、言えます』
毅然とした態度で真っ直ぐ榮森を見据える綾音は、その念を押す様な問いかけにも視線を逸らさない。
……存外に一筋縄ではいかない小娘だったか。
微笑みを貼り付けた顔の裏でそう吐き捨てているような姿を見せる榮森は、部屋の扉に目を向けて言った。
『“アーベント”、この少女を取り押さえろ』
『かしこまりました』
『……っ!』
返事と共に部屋へ足を踏み入れる銀髪三白眼の男は、それだけで威圧感が服を着て歩いているようなものだった。
綾音にしてみれば唐突に入って来たその人物に気圧されつつ、でも思考を止めない。もっと言えば体も止めず、自身の置かれた状況を素早く判断して動き出したのだ、が。
『見上げた胆力だな、美才治 綾音。だが、心に体が追い付いていない。実力が絶望的に不足している』
『は、放してよ……!?』
『残念だがそれは出来ない相談だ。ここまで話を知ってしまった存在を野放しにするのは危険度が高過ぎる。君が大人しく榮森課長の提案を呑んでいれば万事問題なかったのだが』
純粋な体術で、呆気なく綾音は組み伏せられる。
俯せに倒され、頬を床に押し付けられた彼女にこの場を脱出する手立てはもはやなく、幾ら暴れても“アーベント”の体はピクリともしなかった。
『私を、どうするんです……!?』
『そうやって言うくらいなら、何故にこちらの提案を拒絶する?』
『ふん、あんな小さな女の子を拘束するようなところに協力なんて出来ないね!』
『……だ、そうです。榮森課長、処遇はどうしますか?』
組み伏せられているにもかかわらず、変わらず毅然とした態度を貫く綾音。そんな彼女の態度から意志が固い事を見て取った“アーベント”は、神経質そうな男に水を向けていた。
すると、榮森は組み伏せられた綾音を見下ろし、判断を下す。
『葬っても良いが……いや、それだけでは勿体無い。実験体に加えとけ。丁度良い材料調達だ』
『承知しました。ではその様にいたしましょう』
『実験体? 何の話で……』
『今に分かる。寝ていろ』
出し抜けに、彼女の首元でチクリとした痛みが走った。何かが刺さったのだと認識した時には、美才治 綾音の意識は闇に沈んでいて――。




