プロローグ
お待たせしました、一カ月ぶり投稿です。
「“向こう”の世界に向かった“アーベント”達からの報告は?」
「はい、届いております」
「そうか。では要約して読んでくれ」
「承知いたしました」
デスクの上で脚を組み、背凭れに背中を預けた茶髪の男――“シュトローム”は、入り口付近に立つ女性の部下に目を向ける。
秘書の彼女は手に持っていた資料を捲り、目当てのページを見つけると読み上げていた。
「我々のみでのヴィオレット・オーバン確保は困難と判断し、現地の警察組織と協力関係を構築して事に当たる……です。事後承諾となってしまい、申し訳御座いませんとの文言も添えられてはいますが」
「ほう? “アーベント”ら七人も派遣して、小娘一人もまだ捕らえられないと。怠慢だ、これは。由々しき事態だ。そうは思わないかね?」
「はい。ですが、私も現場を存じ上げないので、確たることは言えませんが……」
表情を変えず、毅然とした態度で“シュトローム”に物申す女性秘書に、彼は眉をピクリと動かした。
「ふむふむ。つまり君は……結局私の言葉を肯にす、と? 気骨のある女性だな」
「恐れながら申し上げます。彼らが向かった向こうの世界はこちらと異なる並行世界。思わぬ要素が原因となって作戦が遅延する可能性は十分に考えられるかと」
「ふん、どうかな。事前調査と以前の“アーベント”からの報告で、向こうの世界に魔力が存在しない事は調べがついている。だというのに苦戦するというのは、どう考えてもおかしな話だと思うが?」
秘書との会話を楽しむみたいに、口端を緩めた“シュトローム”はゆっくりした動作で席を立つ。それから、彼女の方へ一歩一歩と近付いていくのだ。
それを、秘書は変わらず無表情で眺めながら己が考えを述べていた。
「ヴィオレット・オーバンが地元の組織と手を組んでいる話はその以前の報告でも述べられていた事です。私も直接“向こう”の世界へ向かえる訳でもないので、彼らが手古摺っている具体的な真相は分かりませんが」
「向こうとこちらの世界との橋頭堡が確保でき、簡単に行き来が出来れば話は早いのだがね、連中はそれすらもまだ出来ていない。お陰でこちらに上がって来る報告は不定期で短い。これでは現場など把握できないのが困ったものだね。下手をすれば怠け放題じゃないか」
「あの真面目な“アーベント”がそんな真似をするとは思えませんが」
秘書がそこまで言ったところで、出し抜けに伸ばされた“シュトローム”の手が彼女の頬に触れる。
その動作に、秘書は驚いたように目を見開き、微かに体を戦慄かせていたのを見て、“シュトローム”は自身の顎をしゃくって彼女を見下ろす様な態度をつくっていた。
「分からんさ、人の心は変化する。全てを推し量る事など不可能。何かの拍子にコロッと変わるのが人間であり、物事なのだよ」
「……っ」
つつ、と女性の頬を伝うシュトロームの手は、まるで猫でもゆっくり撫でているみたいだ。
「それにしても、現地の警察組織と協力関係を構築したのか……まさか“アーベント”め、こちらの機密を知られるようなヘマをしなければ良いのだが」
「……そうならない事を見越して、長官は任務にあの七名を選抜したのではないですか?」
頬から顎に続き、“シュトローム”の人差し指が秘書の首筋に流れる。それを、彼女は視線だけで抗議していたものの、“シュトローム”は真面に取り合おうともしなかった。
「その通りだとも。だが、機密というのは我が組織だけの事に留まらない。例えば魔法一つとってもそうだ。協力関係にあるという事はある程度のノウハウを渡す事になると思うのだが……どの程度の割合まで我々の世界の技術を流したか。魔法が無いという“向こう”の世界に対して、我々は魔法技術で圧倒的なアドバンテージを持つ訳だからな」
「報告書、ご自分で目を通されますか? 短いとは言え、それなりに内容の詰まったものですし」
「まるで最初からそうしてくれと言わんばかりの口振りじゃないか。冷たい事を言ってくれる」
「決してそのようなつもりでは……」
“シュトローム”の人差し指が秘書の鎖骨付近に到達しかけたところで、彼は指を離す。そして相変わらず微笑を湛えたまま手を背中で組んで、身を翻すのだ。
「気にするな、少し戯れたくなっただけだ。だが、この報告は参ったな……このまま上に送ってしまった場合、私がまた叱責を受けかねない。適当に書き換えてくれないかね?」
「それで何かあった場合、困るのは長官ですが?」
「無いさ、その時は“アーベント”が虚偽の報告をしたと説明するだけだ」
「そ、それは……」
「ん? 何か問題でもあるかね?」
全く問題を感じていない様子の“シュトローム”は、振り向いて首を傾げる。
「私は忙しいのだ。君にはこれから時間を与えるから、やってくれないかね?」
「……かしこまりました」
「宜しい、ならば行け。ああ、報告書については原本と修正したもの、どちらも私の方に送るように」
「はい。失礼いたしました」
一礼して退出していく秘書の姿が、扉に遮られて見えなくなる。
優秀な遮音性を誇る室内に、廊下の音は一切聞こえず、だからこそ“シュトローム”は一人になって呟いた。
「あの女……やはり美しいな。決めた、私のものにしてみるか」
椅子に座り直し、途中だった職務を再開する“シュトローム”は、パソコン画面に映し出される文字の羅列を一瞬だけ目を通してスクロールする。
それはまるで流し見しているみたいであったが、決して手を抜いている訳ではない事は、気になる点を見付ける度にスクロールを止めている事からも明らかだった。
「……つまらない仕事ばかりだ。これでは想定外が起こる事をますます期待したくなるではないか」
目にも留まらぬ速さで文字を打ち込みながら、“シュトローム”は己に向けた独り言を溢していた。




