第五話 実行あるのみ➉
「どうした?」
「いや、今さっき背後から風が吹いて来たような……」
「訳の分からんことを……ここは室内だぞ。どこから風が入り込む余地がある? 仮にあったとしても換気扇だし、この辺にはそんなモンないぞ」
「だよな。気のせいか」
後頭部を摩りながら、研究者の男は同僚を連れて立ち去っていく。そんな彼らの背中を、紅床は睨み殺さんばかりの勢いで見送っていた。
「……落ち着いたか、紅床」
「ああ、悪い。ちっと頭に血が上ってしまった」
「自分の仲間を獣の如き扱いと言われれば気持ちが昂るのも無理はない。コンスタンディノス殿も、彼を押さえるのに手助け感謝する」
「気になさるな、モウリ殿。我とて必要に駆られたからやったに過ぎぬ。ここで騒ぎを起こされるより、出来る限りは透明化の能力を活用して隠密に行動しておきたいからな」
透明化した三名の姿は、誰の目にも見えない。
だが、もし仮に可視化したとしたら、それは拳を振り上げた紅床を吉政とコンスタンディノスが二人掛かりで押さえ込んでいる姿が目に付いた事だろう。
まだまだ荒い呼吸をしている紅床の気配を感じながら、吉政は小さく呟くと携帯端末を懐から取り出した。
「だが先程の会話を聞くに、もういよいよ疑う余地はないという事だろう。ここに能力者とその関係者が幽閉され、人体実験の材料とされている。百鬼殿も聞こえていただろう?」
『……ああ、しっかりとな。これでもう何かあった時に躊躇う必要も無くなったと言って良い。必ず救い出せ、救い出せるだけな』
「うむ、承知した」
全員、とまでは言わない百鬼組棟梁――百鬼 真之の言葉に頷いて返した吉政は、同時に彼がこの場にいる潜入組の安否を気遣っている事を察していた。
だが、敢えてそれに対する礼は口にしない。今は潜入中であるのだから、必要以上な会話を電話越しで続ける理由も無かったのである。
『では、私は引き続き黙って事の成り行きを聞かせて貰う。孫臏も聞いているから、何かあったらこちらの方で増援派遣なども判断する。ただ、もし本当に救援が必要ならすぐ言うようにしてくれよ?』
「忝い」
それだけ返事をすると、吉政は和服の懐に携帯端末をしまいこむ。
「……被服だけでなく、手に持っている物まで透明化してしまうとは、お主の力は驚異的だな。何度、目にしても慣れん」
「特訓の成果だよ。アンタんところに助力を頼んでからも、練習を怠った訳じゃない。それに、上手く能力を使いこなせば、また“ノクス”とか言う連中に襲われても一人で逃げ切れるだろ?」
体に籠っていたら力を抜いた紅床に、吉政とコンスタンディノスはこれ以上の危険が無いと判断して、彼を拘束していた腕を離す。
途端、紅床を拘束していた万力のような二つの力は消え去って、彼の体は自由を取り戻す。
「絶対に助け出す……俺一人でも、仲間だけは」
「その気や、良し。しかし、囚われている者共を助け出すにしても、ここからどこへ行く? お主とて、内部構造全てを把握している訳ではあるまいて」
「確かにそうだけど、さっき通り過ぎた研究者が来た道を遡れば、或いはって感じだろ。こっちだ」
そう言って、紅床は前方にある角を指差そうとして、自分の体が透明化しているので止めた。
「アンタらなら、俺の気配の後をつけるくらいはどうって事なさそうだしな。さっきも見事に俺が暴走しかけたのを押さえ込んだし……」
「偶々じゃ。お主の殺気が膨れ上がったからすぐに分かったまで。ところで、お主はそこまで仲間意識が強いのは称賛に値すると思うが……どうして窃盗団などという愚かな真似をしていたのだ?」
「おーおー。その辺訊いちゃうの? 潜入中だっていうのに涙流しちゃうかもしれないぜ?」
足音を殺し、周囲の気配にも気を配りながら、三人は会話に興じる。これは、三人が三人とも気配の察知能力に優れるが故に出来る離れ業でもあった。
「……話すのが辛いというのなら、話す必要はない。ただ、儂の興味本位でな」
「別に話しづらい訳じゃねえよ。簡単に言えば俺らは不良集団みたいなもんでさ。親からの育児放棄とか、家庭の事情で親から殆ど顧みられないとか……ま、寂しいガキどもの集まりだった訳よ」
「親に捨てられた、か。やはり不躾な質問だったな。済まぬ」
廊下を進み、角を曲がる。やはりそこもさっきまでと変わらぬ廊下が続いていたものの、複数の部屋の扉が目に付く。
果たして先程擦れ違った二人の研究者はどの部屋から出て来たのか……こうなっては、虱潰しに開けて探すほかはなかった。
「だから毛利さんがそこまで気にするようなもんじゃないって。で、俺らは集団作って群れて、強くなった気になって自分の不満を周囲にぶつけて、警察の世話になって……そんな事をやってたら食うに困った。そんだけだ。今思い返しても見っともねえ話だけどさ」
「……確かに見っとも無い話だな」
「おい。自虐はしたが馬鹿にして良いとは言ってないぞ」
ドアの一つをゆっくりと開けて、中を窺う。だがそこは誰も居ない、電気も点いていない資料室か何かだった。
すぐに空振りだと判断して、三人はまた別の部屋へと続くドアノブに手を掛ける。
「失礼。だが儂が見っとも無いと思ったのはお主らだけの事ではない。結局どれだけ時代が変わっても、見っとも無い世界は見っとも無くあり続けるのだと感じただけの事じゃ」
「はあ? ……何の事か良く分かんねえけど、まあ良いや。次、開けるぞ」
「良かろう」
吉政とコンスタンディノスは、それぞれの武器の柄に手を伸ばし、何かあっても即応できるように備える。
そしてそれを確認した紅床がゆっくりとドアを開けるのだ。
そして――。
「いかんッ!」
「ぐぇ?」
紅床の襟首が掴まれて、一気に引き戻される。
直後、そこを一発の水で出来た弾丸が駆け抜けるのであった。
「――――ッ!!?」
虚空を横切ったそれは紅床達の背後の壁に直撃して、それを破壊する。
ただの水の塊である筈のそれが、コンクリートもひっくるめて粉々に砕いていたのである。その現実を見せつけられて、紅床は尻餅をついた姿勢のまま思わず声を上げていた。
「なっ、何だぁ!?」
「敵じゃ! 紅床、気を引き締めよ! お主の気が緩んでは儂らに掛けられた透明化も効果が薄れてしまう」
「あ……わ、悪い」
吉政から空かさず飛んで来た声に、はっと引き戻された紅床は、慌てて立ち上がりながらそっとドアの向こうを窺う。
するとそこに立っていたのは、水色の髪をした小柄な少女だった。
「不可視の敵の存在を察知……迎撃を開始する」
「ちょっ、な、あんだこりゃ!?」
電気の点けられた無機質な室内は休憩室だったのだろう。テーブルと椅子が複数置かれたそこは、夕食途中だった少女だけが居るばかり。
だが、彼女は透明化している筈の三人の存在を明確に認知しているみたいだった。そして、しっかりと紅床の立つ空間を睨み据えながら、頬に米粒をつけた少女は誰かに話しかけていた。
「……“アーベント”、応答して。侵入者を発見。休憩室にまで入られて……絶対に駆逐する必要あり」
「ちぃッ! 増援を呼ばれたか。だがっ、来る前に叩けばいいだけの話である!」
「儂も貴殿と同意見だ。しかし相手は“クリュザンテーメ”と呼ばれる“ノクス”の一味。努努油断せんようにな」
硬質な床を蹴り、コンスタンディノスと吉政は一気に室内へと踏み込んでいく。
それに対して、少女――“クリュザンテーメ”は水で出来た壁を作り出して防御姿勢を瞬時に整えた、が。
「甘いのう! 儂らの剣はその程度では止まらぬ!」
「ぬははははは! 童と言えども我は容赦せぬ! 大人しく沈め!」
造り出された水の壁は一瞬のうちに切り刻まれて、ただの水として重力に従って床に水たまりを作っていた。
その有様を見て、“クリュザンテーメ”は乏しい表情ながらも呟く。
「黒い剣……前にも見た。魔力を斬る厄介な武器!」
吉政とコンスタンディノスの持つ剣は、オーバンによって特殊加工の施された魔力を断ち切る特別仕様だ。ただし、その効果のせいで抜身の刀剣だけは透明能力が無力化されている。
つまり誰の目にも、黒い刀身だけが宙に浮いているという奇々怪々な有様を目にする事が出来るのだ。
「この距離まで来れば儂の場所がバレようとも問題ない。許せ、小娘。戦場に出た以上、剣の錆となる覚悟はあるものと見做す!」
「……この間合いは、不利」
あっという間に距離を詰めて、吉政がテーブルに足を乗せ、刀を脇に構える。そのまま振るえば、“クリュザンテーメ”の体は斜めに両断される事だろう。
対する彼女も、そうはさせじと水の弾丸を生みだして応戦の構えを見せていたが、如何せん間合いが近すぎた。
故に、その水の弾丸が撃ち出される前に、そして仮に撃たれても躱してから“クリュザンテーメ”を斬り倒せると、吉政は確信していた、が。
「真正面から応戦してやる理由は、無い」
「……見事な判断じゃ」
彼女から撃ち出された水弾は、部屋の天井を破壊して崩落を引き起こす。
その崩落から逃れた吉政は、敵の素早く的確な判断に感嘆の言葉を漏らしながら紅床の立つ廊下まで後退していた。
「い、一瞬過ぎて何の事か……どうなってんだ!?」
「敵ながら天晴という事じゃな」
「だからどういう事だ!? コンスタンディノスさんが瓦礫の下敷きじゃねえか!」
「問題あるまいて。彼は特別頑丈であるからな」
自信ありげに吉政が言い切って見せた直後、瓦礫の山を押し退けて筋骨隆々とした大男が姿を見せる。
とは言え、彼の体も透明化していて誰の目にも見える事は無いのだが。
「やってくれるな小童。この我を瓦礫の下敷きにして見せるとは……だが、この程度でローマ皇帝が止まると思うてか!?」
「素早いのと、頑丈なのと……相性も悪い。その上で透明化。だとすればこの場に紅床が居る筈……そこ?」
水色をした目を、三カ所に忙しなく動かした“クリュザンテーメ”は、誰も居ない筈の廊下、その一点を見据える。すると、水色の双眸に睨み付けられた紅床はすっかり顔を青くして縮み上がっていたのだった。
「ひえっ、嘘だろ……何で分かるんだよ」
「消去法。気配が三つあれば簡単。それより、私の夕ご飯が台無し」
「己の身よりも夕餉の方を気にするとは……大した胆力であるな。まあ、最後の晩餐であるから仕方のない事か」
天井が落ちた事で仄暗い月明かりだけが頭上より降り注ぐ中で、コンスタンディノスは黒い大剣の切っ先を“クリュザンテーメ”に突き出す。
当の彼女はと言えば、相変わらず快も不快も読み取れない表情で自身の周囲に水の弾を幾つも生み出していた。
「前々から思うておったが……ずっと変化の乏しい顔じゃのう。お主は一体何を生き甲斐にしておるのかのう?」
「生き甲斐? 私はただ、組織の為に存在する。それだけ」
「何とも面白味の無い……そこには忠義も無い、信念も無い! それだけの力を持ちながら、惜しい事よ」
床を蹴った吉政は、再び動き出す。彼の持つ刀の黒塗りの刀身も、今や月明かりしか差し込まない室内に置いては保護色の役割を果たしていた。
それは“クリュザンテーメ”にしてみれば敵を視認する上で難易度が上がった事を示していたのである。
「……当たらない? 何故ここまで?」
「一思いに斬り殺そう。案ずるな、辛くはない」
撃ち出される水弾の悉くを躱し、或いは斬り落とし、吉政は一気に距離を詰める。そこにコンスタンディノスまで続いているとなれば、“クリュザンテーメ”に圧し掛かる精神的重圧は相当なものだった。
だが、感情に乏しい彼女は自分自身が焦っているという認識すらないのだろう。その動揺を見て取って、吉政は今度こそ必殺を悟る。
「幹竹割りとゆこうか!」
「っ……!」
大上段に振り被った剣の一撃は、そのまま展開された水の壁を縦一文字に斬り裂いて、しかし“クリュザンテーメ”には届かなかった。
届く前に、押し寄せた人為的な強風圧が吉政を吹き飛ばしたのである。
「ぬぅううううっ、この風……またか天狗!」
「……寄って集って少女一人を袋叩きにしようとは、どんな不届き者かと思えば、また貴様か首狩り族。おまけに姿を消しているという事は紅床がそちらについたな」
三白眼の男が、纏う風に銀色の髪を靡かせながら崩落した天井より姿を現したのであった。
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