第五話 実行あるのみ➈
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夜の闇など存在しないかのように、そこは明るく、白い。
しかし人通りは少なく、現に今も人の通過する姿はどこにもない。だけれど、微かな息遣いと足音は、耳をすませば聞こえてきて――。
「眩しくて敵わんな。この時間にここまで眩しい思いをするのは生まれて初めてかもしれん」
「同感である。我の宮殿にもこれくらい白く手入れの行き届いた廊下があれば、それだけでサラセン人どもに畏敬の念を抱かせる事が出来たやも……。何にしろ、今が夜の時間である事を忘れてしまいそうだ」
「まー、壁も床も天井も白いからそりゃそうだろうよ。しっかし、金のかかってるもんだな……新築かよ」
背後に連れている男二人の言葉に応じながら、男――紅床 悠太は壁を軽く叩く。
材質は病院などで見るものと同じだろうか。造りたてであるせいか汚れなど一切ない無機質さに、彼は悪態を吐いていた。
「人体実験の為に施設を増設……そこまでやるかね、胸糞悪い」
「そう言えば、お主の仲間もこの中に囚われていると前から言っておったな。儂らがお主ら窃盗団を壊滅させたばかりに、悪い事をしたのう」
「本当に反省してんのかそれ。どう考えても煽ってるだろ。俺らをあんな酷い目に遭わせておいて……」
「望むならもう一度、魔窟に送ってやっても良いぞ?」
「結構だ! あんな経験二度と御免だね!」
辺りに、紅床の声が若干だけ響く。
しかし、彼の姿はどこにも見えない。それもその筈で、彼を始めとした三名の姿は透明化して見えなくなっているのだから。
「汝、余り騒ぐでないぞ。下手に声を聞かれては、我らがここに入り込んでいる事を察知されてしまわないとも限らないではないか」
「アンタみたいに図体も声もデカい奴に言われたくないんだがな……分かってるっての。その代わり、アンタも何かの拍子にデカい声出すんじゃないぞ」
「ふふ、万が一声を聞き取られたとしても案ずることはあるまい。その為にこうして汝の能力で透明化しているのであろう?」
「確かにそうなんだが……ああ、不安だ。どうして俺とこの二人だけで潜入する事になってんだよ。人選、もう少し何とかなんなかったのか?」
誰も居ない廊下を透明化した三人で進みながら、ぼやきがちに紅床が問えば、それに吉政が応じて言った。
「仕方あるまい、護はこの前の失態もあって謹慎が解かれたばかり。棟梁殿も潜入部隊に組み込むのは不安があったのだろう」
「失態が何の事か知らねえけど、一般常識が無いお前ら二人を統率するのが俺一人って色々どうなのよ? しかも俺、窃盗団やってた犯罪者で、百鬼組から見たらよそ者で信頼も置けないだろうに」
言っていて益々理解が出来なくなったのだろう。本当に不思議そうな様子が紅床の声には滲んでいた。
だけど、吉政はそんな彼の疑念を尤もだと考えながら語る。
「疑うなら用いる勿れ、用いるなら疑う勿れ……そう言う事なのではないかな」
「どういう事だよ?」
「この作戦を立てた孫臏殿は、お主を少なくともこの作戦においては疑わずに用いる事が出来ると判断しているのだろうという事だ」
などと偉そうに語った吉政だが、その実際は孫臏の内心など彼にも分からない。本当にこの答えであっているのは若干不安になりながらも、説得力に綻びを見せない為にハッキリと言い切ってみせるのだった。
すると、それが奏功したのか紅床は更に疑問を投げかける事はせずに息を漏らしていた。
「はぁー……何をもってそう判断したのかは知らんけど、ありがたいこった。でも、その信用してくれたせいでアンタら問題児二名を引率しなくちゃいけないなんてな」
「儂を問題児扱いだと!?」
「ふざけるでない! 我のどこが問題だというのだ!」
「お前らのそう言うところだよ」
静かにしてくれ、と紅床は自分の口元に人差し指を立てる。が、透明化しているのでその姿は誰にも見えないので意味は無かった。
そして、そんな遣り取りをしている内に、紅床の耳が何者かの足音を捉えるのであった。
「静かにっ」
「「っ……」」
流石に今度こそは吉政とコンスタンディノスも空気を察して、口にしようとしていた文句の一切合切を飲み込んで黙り込む。
そうしていると更に近付いて来る足音が、二人分。
「何か、さっき廊下騒がしくなかった? この辺が」
「だよな? こんな時間だって言うのに、しかもこんな場所で騒ぐとかどんな馬鹿だと思ったけど……気のせいだったのか」
白衣を着た男が二人、角を曲がって廊下の向かいから姿を見せる。彼らは平素から仲が良いのだろう。互いに相好を崩しながら会話に興じていた。
「気のせいで済めばいいな。もし仮にそんな事をやってる馬鹿が所長に見つかってみろ、俺らも纏めて連帯責任取らされるぞ。なんたってここは機密の保持が第一優先のヤベェところだし」
「人の命よりも情報の秘匿性の方が大事、とか言われた時は目が点になったけどな。ここで実際に目の当たりにしたら納得だわ」
「もしかして、鼠か何かでもここに潜入してたり?」
「止めてくれよ。これでマスコミとかにリークされたらヤバいってもんじゃねえし」
人気のない廊下にあって、彼らの会話は程良く響く。そのお陰で紅床達が気配を消すのに一役買っていた。
「やってる事なんざ人体実験だしな。まー、俺らからしたらもう人間じゃなくてサンプルでしかないけど」
「超能力を使える奴なんてもう人間じゃねえもんな。そういや、聞いたか? 何の能力もない奴に能力発現の兆しがあるって話」
「小耳に挟んだ事はあるな。窃盗団の一味だった男の一人にその兆候があるって話だろ? まだ微弱みたいだけど」
この場に紅床を始めとした部外者三名が潜んでいるとは思っても居ない二人の会話は、どこまでも赤裸々だ。
何も知らない一般人からすれば妄想の話でもしているのかと思っても不思議ではないくらいのその会話は、終わる事なく続いていた。
「あれこれと試した甲斐があるってもんだろ。特殊能力の発現メカニズム諸々について、より詳しく分かるってもんだ。モルモット様様だぜ」
「ただの人間だから、それこそ言い訳出来ない人体実験だけどな。俺らも死んだら地獄行くのかねえ?」
「死んだ時に分かる事を今気にしてもしょうがねえ。それより俺は研究者として、この研究の続きが気になって仕方ねえのよ。お前は?」
「ぶっちゃけ俺も同意だ。地獄なんて知ったこっちゃないね。それに、ここで今更引けるかよ。人道的見地とやらに目覚めた研究者は秘密を知り過ぎたからって実験体行きなんだぜ?」
自分はそんな目に遭うのは勘弁願う、と男は冗談めかして笑う。それに、同僚も首肯して笑って見せるのだった。
「だよな。モルモットにならない為にも、モルモットには頑張って貰わねえと……ん?」
「どうした?」
「いや、今さっき背後から風が吹いて来たような……」
「訳の分からんことを……ここは室内だぞ。どこから風が入り込む余地がある? 仮にあったとしても換気扇だし、この辺にはそんなモンないぞ」
「だよな。気のせいか」
後頭部を摩りながら、研究者の男は同僚を連れて立ち去っていく。そんな彼らの背中を、紅床は睨み殺さんばかりの勢いで見送っていた。




