第五話 実行あるのみ⑤
「まあまあ、サネユキさん。マモルの肩と脚の傷も殆ど治って来ているのです。ここまでの謹慎期間もしっかり守っていましたし、そろそろ良いのでは?」
「甘い顔をすれば付け上がる。特にコイツには、基準は厳格でなくてはならない」
「そんなこと言って、下手に厳しくし過ぎて不満が爆発されたら、もっと困る事になってもおかしくないのでは?」
「…………」
降って湧いたようなプサッフォーの弁護に、父は沈黙して思案している様だった。
そして更に追撃を掛けるみたく、彼女と同じく居間にいた吉政が口を添えていた。
「いざとなれば護の力が必要になるのは当然の話でござろう。百鬼殿もその辺りの事についは重々承知なさっているのではないかのう?」
「……結局そうなるか」
沈黙の末、絞り出すようにそう呟いた父は、視線をこちらに向けると無言で入室するように告げていた。
与えられた許可に従ってオーバンを抱えたまま入室してみれば、途端にプサッフォーが自身の隣の座布団を頻りに叩く。
言外にここへ来いと強く主張しているのが見て取れて、俺は先程の弁護もあってそこへ腰を落ち着けるのだった。
「良い子ね、マモル。もしよければ貴方が抱えているオーバン、預かろうかしら?」
「駄目だ。アンタに渡すとどんな事態になるか分かったもんじゃない」
「あら残念ね。じゃあ、何を見返りとして要求しようかしら」
和装をした褐色肌の古代ギリシア人は、妖艶な笑みを浮かべて俺の体をジロジロと見ていた。
居心地が悪くて引き攣った笑みを浮かべていると、プサッフォーは良い事を思いついたと言わんばかりに手を軽く鳴らした。
「もしよかったら、太腿の傷の治り具合を見せてくれるかしら? ほら、ズボンを脱いで!」
「止めろ変態! どうせズボン脱がせる事が目的だろ!?」
伸ばされた彼女の手が、俺のズボンを掴んで離さない。鼻息も荒く迫る彼女に対して、俺が必死に抵抗しているのを父は頭を抱えて溜息を吐いていたのだった。
「まだ会議前だって言うのに……舞美、何とかしてくれ」
「良いじゃないの。護も元気そうだし」
「母親としてそれで良いのか」
「そう思うなら真之が止めれば良いでしょ? 父親なんだし」
「……面白そうなものを見る顔をしやがって」
処置なし、と言わんばかりの父の溜息が再び溜息が室内を満たす。
が、そんな事をしている間に三榊 迅太郎や金 実政、更には年配の重役までもが居間へとゾロゾロ入って来るのだった。
「あら、今日は普段中々見ない顔が多いわね。マモル、何か知ってるかしら?」
「知る訳ねえだろ、こちとら謹慎中だったんだぞ」
不思議そうに首を傾げて俺に目を向ける彼女にそう答えてやりながら、俺は正座した太腿の上にオーバンの頭を乗せてやる。今もすやすやと眠っている彼女が目を覚ます事は、もう暫くなさそうだった。
すると、その様子を見咎めた孫臏が眉間に皺を刻みながら言った。
「豎子、その娘を起こすか、さもなくば余所へ出せ。このような真剣な場で小娘が寝ているのは相応しくない」
「そう言うなって。コイツだって疲れてんだぞ。それに、会議の内容次第ではオーバンに出番が回って来るかもしれないだろ」
「なら起こせ」
「無理だ。聞いた話でしかないけど、ここ暫くコイツ徹夜だったんじゃねえか? なら出来る限りの仮眠は取らせてやらないと」
流石に俺だって鬼ではない。苦労には相応の見返りを与えてやるべきなのだ。
実際、父もこの遣り取りを聞いている筈なのに、孫臏の肩を持つ事はしていないくらいなのである。
そして、そんな事をしている間にこの場に面子が揃い、時間になったのだろう。
「……呼びかけていた顔は揃い、定刻にもなった。では、議題を順次取り上げていくとするか」
「はい。では、司会はこの金 実政が努めます。よろしくお願いいたします」
立ち上がり、A4サイズの紙を片手に名乗りを上げる金さん。そして彼の仕切りを合図とするように、大手さんが出席者に茶の入った湯呑を配っていた。
そしてその茶に口をつけながら、俺は金さんの次の言葉を待っていると、彼は途端に衝撃的な事を口にしていた。
「今回、多くの重役の方々を呼んだのは他でもありません。我々百鬼組は、これより警察と事を構えます」
「……えッ!!?」
金さんの口からサラッと飛び出したとんでもない発言に、俺は口に含んだ茶を噴き出しそうになっていた。
「な、何を言って……!?」
「若は静かにしていてくれ。これはもう、既定路線なんだ」
「いや、いやいやいや、既定路線て……本気で!?」
警察と事を構えるとなれば、それはもう国を相手にしているも同義である。幾ら何でも、この百鬼組が敵う相手ではなかった。
だけど、そんな俺の確認を無視して、金さんは司会として会議の話を進めていく。
「現状、警察組織の一部が魔法の存在に気付き、後ろ暗い行いに加担している事はもう疑いようがありません。故に、我らとしてはその研究施設の襲撃、実験体とされている能力者や人々の救出に当たります」
「なるほどな……この前からその旨は聞いていたが、改めて鳥肌が立つような話だ。この組織に身を置いて、久しく感じていなかった感覚だよ」
「私もだな。ここ最近の百鬼組は、目立つ事をしている印象が薄くてな……いや、私達が仕事に忙しくて、運営に関わっていなかったから、か」
百鬼組の重役と思しき老年の男達は、そう言って顔を見合わせ笑い合い、そして頷いた。
「こちらとしては否もない。魔法などについての話も既に聞いて、その危険性も十分認識しているつもりだからな。相手が警察組織だろうと、存分にやってくれたまえ」
「それで、私達は組がこれから派手に動く上で何をすればいい? 資金援助かね? それとも情報統制や警察への牽制かな」
「はい。可能であれば特に警察への牽制をお願いしたく考えております。資金については現状問題もなく……何かあれば、また頼らせていただくかもしれません」
にっこりとした笑みを浮かべる金さんの姿は、堂に入っていた。普段、ここまでの話をしている姿を見る事が少ないだけに、俺からすればギャップに驚かずにはいられなかったくらいである。
「警察への牽制……具体的にどうすれば良いとかはあるかね? やはり百鬼組へ捜査の手が及びそうになったら圧力をかける、などで良いのかな」
「ええ。それに、可能であれば捜査情報の入手もお願いいたします。こちらの伝手も、どうやら一つ潰れてしまったみたいでして」
「ほう、情報網の一つにそっぽを向かれたか」
「どうせ、情報を求めるだけ求めて、見返りを疎かにしたのだろう。迂闊だったな、真之くん」
年配の重役たちは、泰然とした態度を微塵も崩さずにこの組織のトップたる男――父に目を向ける。
他方、視線の集中砲火を受けた父は瞑目しながら短く答えていたのだった。
「はい……返す言葉もございません」
「そこまで強く反省する事でもないさ。情報の一つが潰れたくらいで組織の諜報網は機能不全に陥ったりはしない」
「ああ、その通りだとも。我々に任せてくれればいい。それくらいの恩を、百鬼組からは受けたし、出来る限りでの協力は惜しまないとも。それより肝心なのは、その抗争遂行計画はどうなっているのかね?」
若干、老人たちの目が輝いている様に見えるのは俺の気のせいだろうか。
とんでもなく剣呑な会話をしている筈なのに、どうしてか彼らの声の調子に重苦しさが感じられないのである。
「この者ら……大した胆力だな」
「孫臏殿もそう思われるか。実は儂も些か驚いておる」
ふと横から聞こえてきた会話からして、同様の感想を孫臏と吉政も抱いていたらしい。俺も自分の感性が間違っていなかった事に安堵していると、その間にも会議は進んでいた。
「抗争……といっても、そこまで全面的な事にはならないでしょう。こちらとしては絶対的に頭数や諸々で不利なのです。奇襲して即座に目的を達成、速やかに撤退してこちらの正体を探らせる余地を残さない……これに限ります」
「ほうほう、だが言うは簡単だ。楽観的過ぎると思うがね。全てが仮定の上で成り立った作戦は、一つ破綻すれば全て破綻する」
「ご心配は無用です。我らの誇る頭脳は、その辺りの事について考えを巡らせておりますから」
自信ありげに微笑む金さんが視線を向ける先に居るのは、額に黥を持った鋭い視線の男――孫臏だ。
「君か……話はかねがね聞いている。時空の歪を通って太古の中国からやって来た、脚を持たぬ賢者。こうしてお目にかかるのは初めてだな」
「過分な言葉、痛み入ります。友の裏切り一つ見抜けぬ愚か者を賢者と呼ぶは、不相応な話です」
そう答える孫臏は己の未熟さを恥じ、そして後悔するように俯きながら応えたかと思えば、横に座っていたコンスタンディノスに巻物を渡す。
「……何だ、これは?」
「鈍間が、早くそれ持って広げろ。今こそ汝の図体のデカさを活かす時だぞ」
「まるで我が体の大きさ以外にとりえのない無能みたいな言い草だな……」
あわや喧嘩勃発かとも思われたその遣り取りに、俺は仲裁の言葉を挟もうとしたが、幸いにして杞憂だった。
渋々ながらも孫臏の指示通りにコンスタンディノスが大きな巻物を広げれば、そこには松ヶ崎市の中心市街を示す地図が写っていた。
「今回、我々が襲撃を予定しているのはこの施設です」
「……製薬会社の工場、だと?」
「警察署などではないのか?」
どこから持って来たのか、教鞭のようなものを握った孫臏が指し示した場所が、多くの者から見て意外な場所だったらしい。
話を聞いていた者は誰も怪訝そうな表情を見せて首を傾げていた。
「警察と全面的な抗争……と言っていたが、今回に関しては全面抗争になる前に、そしてこちらの行動である事を大々的に気取られる前に決着させる心算です」
「気取られぬ内……とは言うが、警察もこちらの抱えている事情は知っているのでは?」
「はい。ですが、知っているのはごく一部。警察全体で見れば殆どの者は何も関与関知していません。“ノクス”と接触した一部警察官、そしてその警察官と繋がりのある一部の警察上層部、その上層部と繋がりのある企業……これが、現在我々と敵対している組織の全貌です」
はっきりとそこまで断言して見せる孫臏に、老人たちは感嘆の息を漏らす。
「そこまで調べをつけているとは……」
「そしてこれは私の個人的な推測に過ぎませんが、“ノクス”と警察組織の仲はあくまでも利害関係の一致によってのみ成立しています。そこにも付け入る隙がある。故に、対応される前の奇襲が最善策です」
「ふむ、具体的には?」
彼の説明に引き込まれる様に、老人たちは卓の上に肘を乗せるなどして身を乗り出し始めていた。
「潜入して奇襲をただ掛けるだけでは不確定要素が多過ぎる。なので、陽動を数カ所で掛けます。具体的にはそうですね……実銃に見える精巧な玩具をわざとそこに置いておく、などといったように」
「確かに銃社会ではない日本だと、それだけでも大事件だな。それが仮に数カ所で発見されたとなれば、対応する警察は天手古舞だ」
「陽動の内容はまた別の手も考えますが、四方八方にそれを行えば、松ヶ崎警察署内は対応力を削がれて、結果……ここは手薄になる。ただでさえ、多くの警官は魔法の存在すら知らないから、余計に増援も来なくなるでしょう」
とん、と孫臏が手に持つ鞭っぽい棒で軽く叩いて示すのは、先程も示した製薬会社の工場だ。
「あとはそこに突入を掛けるという事か……」
「大まかかつ、具体的にはそう言った内容です。人員の割り振りについては、ここで話しても無駄に長くなるだけですので、割愛させていただきます。ご容赦を」
「手薄な本命を叩くとなれば、まるで田楽桶狭間だな……後始末についてはこちらも請け負わせて貰おう。期待してくれ」
「うむ、うむ」
その言葉を皮切りに、老人たちの返答は色良いものばかりが届く。
彼らの様子を見て責任を果たしたと感じたらしい孫臏は棒状のものをしまい、席に座り直していた。だが、何も知らされていないコンスタンディノスはまだ街の地図を広げ続けている。
「のう、我はいつまで広げておれば良いのだ?」
「…………」
可哀想な大男の問い掛けに答える声は、一つもなかった。
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