第五話 実行あるのみ③
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「署長……納得出来ません」
「出来る出来ないの話ではない。するしかないんだ。どれだけ不満だろうと、飲み込め。押さえ込め」
信楽 憲時警視はデスクに座し、組んだ両手に顎を乗せながら部下を宥めていた。
しかし、そんな彼の言葉を真面に聞こうとしているのかも分からないくらい、目の前にいる部下――吉門 海斗警部補は腸を煮え繰り返していたのだった。
「署長はいつまで課長の好き勝手やらせる気なのですか? もういい加減、上に報告してどうにかすべきだと考えますが」
「好き勝手やってるのはお前も同じだと思うが……確かに、最近の榮森課長の勝手は目に余る」
「でしたらっ」
吉門は、上司の同意が得られた事に少しでも勢いが付いたと感じたらしい。遂には両手を署長デスクの上に乗せて身を乗り出していた。
しかし、そんな期待に満ちた眼差しを向けられたところで、信楽は首を横に振る。
「だが、無理だ。もっと上から、奴に一任せよ、或いは不問に処せとの指示が飛んできているのでな」
「……!? 上、と言いますと」
「無論、上だ。警察署長の上なんだよ。こちらとしても、それには従わざるを得ない。下手な事をしてみろ、もしかしたら俺が更迭されてより窮屈な署長が来るかもしれんぞ」
「…………」
信楽というこの市の、特に中心市街を管轄とする警察署の長がそう言っては、警部補の吉門にこれ以上どうこう言える筈もない。
「本当にダメなのですか?」
「ああ。奴は上からの書類まで持っている始末だ。一体、どこからそんなものを取り付けて持って来たのか……」
「榮森、と言えばキャリアに何人かいますからね。その辺の伝手ではないでしょうか。全く、碌な事に使いやしない」
吐き捨てる様に言って見せる吉門は、もはや話題に上がって居る人物への敬意など、形ですら払う気が無さそうだった。
「その言い草だと、僻んでいるようにしか聞こえんぞ。そもそも、仮にも自分の上司だろうに」
「とっとと俺とアイツを配置換えしてくれると嬉しいんですがね。このままじゃ、周囲を巻き込んで不愉快が撒き散らされますよ」
「撒き散らさないように努力して欲しいんだがな」
疲れたように苦笑し、溜息を吐いた信楽はデスクの上に置かれた紙に視線を落とす。
「……今回の件、話は聞いている。山中で木が焼け焦げ、倒木が白い軽乗用車を押し潰したそうだな」
「はい。乗っていた夫婦が死亡、同乗していた娘だけが生存という、痛ましい結果となりました。原因は調査中ですが、これまでの事件がそうであったように、根本的な究明は難しいかと……」
痛ましい事件の事を思い出して沈痛な表情を浮かべる吉門に、信楽は顎の下で組んでいた両手を解いた。
「ふむ。これは、いよいよこの警察署の首が挿げ替えられる未来も近い、と言ったところか」
「げ、原因自体は掴めています。鑑識や他に調査依頼した科学者の知見から、落雷によって木が焦げて倒れた様です」
「だが、それにしては範囲が広すぎないか? 一瞬にしてこれだけの範囲の木々を黒焦げにするとなれば、とんでもない落雷だぞ、それは」
事故の経緯については、信楽も聞いている。本来なら署長である彼に情報が回って来るのはもう少し後になってもおかしくないのだが、即日で事件の詳細が送られたのである。
「お前が一番納得いっていないのは、この生き残った女の子の処遇、か」
「ええ。そちらにも書いてありますが、榮森課長の預かりとなりそこから先は全く不明。この場だから申し上げますが、その女の子の身柄がどこでどうなっているのか、彼に聞いたところで全く教えてくれません」
不満を堪えようがないのか、説明する口調には明確な苛立ちが乗っている。
そんな彼の気持ちが分からないでもない信楽も同情するように一度頷いてから、紙面に落としていた視線を持ち上げる。
「……なるほど。現場に無理言って資料を取り寄せて正解だったな。その代わり、彼らには迷惑をかけてしまったかもしれんが」
「いえ、捜査資料を余分に印刷しただけですので、そこまで気になさることではないかと……」
「そうか。だが、無理を聞き入れてくれて感謝している。貴様の部下にもその事は伝えてくれよ」
「ええ、その様にさせていただきます」
両者の会話と態度は、おおよそ警視と警部補として見た時に、全く相応しいものではない。
純然たる階級差がある以上、それ相応の礼儀や態度が求められる筈なのだが、吉門は一向にかしこまる態度を見せないのである。
「しかしお前は相変わらずだな、吉門」
「元より出世に興味はありませんからね」
「家族が居るんだ、給料が増えるに越したことはないだろうに……と、今はそんな事を話している場合じゃないか。とにかく耐えろ、吉門係長。良いな?」
「……それがいつまで続くかは分かりませんが、承知いたしました」
まるで子供に言い聞かせているような信楽の言葉に、渋々ながらも従う吉門は、一度敬礼してから部屋を後にする。
「……榮森。アイツ、何を企んでるんだ?」
今回の件は、吉門をしていつにも増して事態が大きいように感じられる。
それこそ、実際に二名もの死者が出てしまっているのだから、小さい話で済む筈がないのも当然として、その上で何より榮森の周到さが目立つ。
「まるで、いずれこうなる事態が発生する事を見越していたかのような……奴め、状況を予測、いや誘導しているのか?」
署長室を後にして、松ヶ崎警察署の廊下を一人歩きながら、誰にも聞こえない声量の独り言が口をついて出る。
「やはり、情報が足りないか……ん?」
考え事を続けながら自分のデスクがある刑事課のある階へ向かうべく、エレベーターに乗り込もうとして、ポケットに入っている携帯端末が着信を知らせる。
取り出して発信者の名前を確認してみれば、そこに表示されていたのは「百鬼 真之」の文字で。
「……何の用だ?」
『思っていたよりも早く出たな。忙しい中済まない。今時間があるのなら、少し話したいんだが』
「……良いぞ。時間なら今は丁度余っている」
電話の相手は、百鬼組の棟梁たる男だ。
この街の治安維持に貢献してくれている組織の長なだけあり、吉門自身も彼らの助力に感謝しているし、信頼もしている。
ここ最近は、何かと話題に上っている関係で若干だけ信頼に罅が入りかけている気がしないでもないが、勿論そんな事はおくびにも出さなかった。
「それで、何を話したいんだ?」
『……榮森 晋太郎という人物に心当たりは?』
「……!」
出し抜けにスピーカーの向こう側から飛び出して来た、聞き慣れた上司の名前を耳にして、吉門は息を呑む。
しかし、その動揺を気取られないように取り繕いながら、彼は平静を装って答えていた。
「ある。俺の直属の上司だからな。……が、急にそんな話を持って来るとは、お前は何を知って、何を探ろうとしている?」
『警察官であるお前には関係の無い事だ。別に機密情報を漏らせとは言わないさ。ただ、職場での様子などを知りたいと思ってな』
「そうか。なら、代わりにこちらからも条件がある」
まるで自分から情報だけ引き出したら用済みだとでも言わんばかりな物言いに、吉門も露骨にむっとした。
故に、思いついた条件を出して交換交渉に持ち込もうとしてみれば、スピーカーの向こう側からは怪訝そうな調子の声がしていたのだった。
『条件? 何だ、現金での報酬は露骨すぎて流石に無理だが……名店の食事券や高級食材くらいなら手配してやるぞ』
「そんなものの見返りなんざ求めない。ただ代わりに、お前らがどうして俺の上司の事を探ろうとしているのか、教えてくれねえか?」
『……それは出来ない。他の条件であれば応じられるぞ』
少しの沈黙の後、明確な拒絶の意志を突き付けられて、吉門は乾いた笑みを浮かべつつ、廊下の壁に背中を預けた。
「頑なだな。お前、何を知って、何を隠している? ここ最近、榮森課長も動きが活発になって、何やら不穏な気配もする。それとお前らに何か関係でもあるのか?」
『何度も言わせるな、これはお前にしてみれば関係の無い事だ』
「関係あるか無いかを決めるのは俺であってお前じゃない。話せ、何を隠している?」
『……他の条件なら応じるぞ?』
「諄い。この条件以外には無いからな。早くお前が隠しているであろう事について、吐いて貰おうか」
『だから、それは無理だと言っているだろ。そもそも、話したところで信じては貰えないだろうしな』
「……ほう?」
意味深なその物言いに、吉門は脳裏にここ最近目撃した様々な怪奇現象を思い浮かべていた。
「もしかして百鬼、お前はあの赤っぽい靄を操る大柄な男や、その周囲にいる連中について、何か知ってるんじゃないか?」
『……っ!』
スピーカーの向こう側で、声の主が息を呑む気配がする。狼狽えるような気配を察知して、吉門は己の疑念を確信へと置き換えていた。
「百鬼……いや、百鬼組は一体どこまで知っている?」 あの赤い靄を操る少年は、本当にお前のところの息子なのか?
『……何の事だか分らんな』
「惚けるな。俺は現場で職務に当たる人間として、既に何度か見ているんだぞ。それを相手にしらばっくれたところで白々しいだけだ」
苛立ちと、威嚇の意志を滲ませてそう告げてやれば、顔が見えなくとも百鬼 真之も察したらしい。溜息を吐きながら言った。
『そうか……だが、その様子だとまだ事象を目にしているだけ、と言ったところだな?』
「ほうほう、その口振りをして見せるという事は、やはりお前は……」
『余計な詮索はするな、吉門。そこで踏み止まれ。それがお前の為だ』
「何だと……?」
得意気になって、更に真之を問い詰めようとした矢先、吉門の思考を冷め切った鋭い声が断ち切る。
まるで冷や水を頭から被せられたような気持ちになりながら眉を顰めた吉門は、問う。
「百鬼、何が言いたい?」
『命を失ってからじゃ襲い。戻れなくなってからでも遅い。踏み止まれ、吉門』
「だから、何の事だとっ……」
一際強い苛立ちを発露させながら声を荒げかけた吉門は、しかしその途中で言葉を切った。
それもその筈で、声を荒げるべき相手との通話状態が切れてしまったのだから。
「踏み止まれって……言われてそれだけで黙り込める訳あるか、馬鹿が」
通話終了を告げる液晶画面の表示を眺めながら、吉門 海斗は眉間に皺を刻んでいた。
「こうなりゃ、意地でも探り当ててやる。榮森も百鬼も、お前らの抱えてるもん全部、曝け出してやるからな」
用済みとなった携帯端末をポケットにしまいながら、ここにはいない者達へ向けて、彼は宣言する。
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