第四話 魔の力⑤
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気付けば、俺の視界は一変していた。
落葉した山林と木の焼け焦げた匂いは、何度か紙芝居の様な風景の切り替わりを経て、木造家屋の畳と天井、そして藺草の匂いに置き換わっていたのである。
ついでに言えば、卓に肘をついて険しい顔をしている俺の父――百鬼 真之が真っ直ぐにこちらを見据えていて。
「……あれ、ここは?」
「百鬼組だ。護、お前さっきは何をするつもりだった? 自分でもとっとと撤退する旨を主張していたと思ったが、その言葉を翻して継戦しようとしていたよな?」
「何って、俺は“アーベント”の奴を……」
ここは、我が家の居間。泥と地に汚れた者が座っても良いようにブルーシートの敷かれた箇所で、土と地に汚れた俺は無様に尻餅をついた姿勢のまま室内を見回した。
急に場面が変わった事で、俺はまだまだ混乱しながらも必死に頭を整理する。だが、その一方で父を始めとした面々が何だか怖い顔をしていて、思わず顔が引き攣った。
「な、何としてでもあそこは撤退しちゃ駄目だって思って……」
「その為に、こちらが何度も声をかけても無視をして、挙句の果てにはそんなに怪我をこさえたってのか?」
「……え、えーと」
ずい、と更に父の顔が近付いて来る。よく見なくても彼の顔には青筋が浮いていて、とっても良く怒っている事が伝わっていたのだった。
「プサッフォーが転移能力を行使してお前を強引に撤退させていなかったら、どうなっていたか分かっているのか?」
「どうなっていたか、って……」
今更ながらに、戦場から我が家に戻って来られた理由をプサッフォーのお陰である事を察して、俺は横に立つ褐色肌の女性を見上げた。
「既にプサッフォーから簡単な話は聞いているぞ。“アーベント”に良いようにやられて捕縛される寸前だったらしいな」
「…………」
父の指摘を受けて、何となく気恥ずかしくて、情けなくて、子供っぽいとは分かっていても顔を背けてしまう。
実際、あのままであれば確実に俺は捕えられていた。言ってしまえば、“アーベント”にしてやられて完敗したのである。
「もし、捕まったらどうするつもりでいた? 脱出する手段について、当てはあったのか?」
「さ、最悪暴れれば何とかなりそうかな、とは」
無理だ。誤魔化し笑いを浮かべながら、俺は自分の発言がどれだけ無理のあるものであるか、承知していた。
ただ、口をついて出たその言葉はただ意地を張った結果の、子供っぽい拗ねのようなものでしかない。
それをとうに見抜いているであろう父は、しかし声を荒げる事はせずに溜息を吐いていた。
「それが無理だったら、お前を救出する為の負担がこっちに寄って来るんだぞ。というか確実にそうなっていただろうな」
「や、やって見なきゃ分かんないだろが!」
我ながらまた子供っぽい事を言ってしまった。
分かっていながらも、負け惜しみ染みた事が口をついて出てしまう己の不正直さに、自己嫌悪すら湧いて出た。
「やって見なきゃ分らない……か。そのくらいのことも予見できないのか? なら、お前にもう百鬼組の仕事を任せるのは不適格と見做さざるを得ないな」
「ちょ、そりゃ待ってくれよ父さん!」
「待たん。お前は自分の身を案じてくれる人間の事を軽視し過ぎている。責任感があるのは良い事かもしれないが、何でも自分で背負いこもうとするのは仕事や自分自身を壊す要因の一つだぞ」
「……っ」
正論だ。強すぎてぐうの音でも出ない。
これが、最初から臍を曲げたような言動をしていなければまだ違ったのだろうけれど、転ばぬ先の杖でしかなかった。
「護、無期限の謹慎だ。組の仕事に参画させる事はないから、大人しく高校生活をして居ろ。お前が組の活動に復帰する時期は、俺の方で判断する」
「……そ、それは!」
事実上の戦力外通告、とでも言えば良いのだろうか。
無表情でそれを言い渡す父は、本気だ。冗談ではないと俺は腰を浮かしたが、彼は冷静に俺を見据えて言った。
「今回の件でお前がまだまだ約束を守れない事が露見したんだ。そもそも、若すぎるお前をウチの戦力として数えていた俺の判断ミスだった。悪かったな、護」
「……っ、でも俺は!」
「言い訳になど興味はない! 文句は決まり事や規律を守れるようになってからにしろ」
飛んで来た一喝に、俺は身を竦めた。
その剣幕たるや凄まじく、俺の横に立っていたプサッフォーもびくりと肩を跳ねさせていたし、もっというなら居間全体の空気が凍り付く。
が、その冷え切った空気をものともせず、車椅子の男が冷静に口を挟んでいた。
「親が子を思うその姿は見事。豎子も、もう少し百鬼殿の気持ちを慮るべきである事は疑いようもあるまい。しかし百鬼殿、その謹慎処分は少し待って貰いたい」
「……孫臏さんか。待てとは、如何様な理由で?」
俺とよく似た凶相から、鋭い視線が孫臏に向けられる。その辺に居る一般人ならそれだけで怯え上がりそうなものだが、そこは歴史上に名を残す大人物である孫臏に気後れした気配は微塵も無かった。
「まず、やはり豎子は戦力として欠かす事が出来ない。故に、こやつを謹慎にするのはノクスを利するばかりとなる」
「分かっている。かといって、これで護に好き勝手をやらせるのは規律やこれからの作戦行動にも支障を出しかねない。コイツは、まだまだ色々な面で未熟だ」
「豎子が青臭いのは私とて承知している。だが今回に関しては事情が事情ではないかな? 例えばそうだな。何故に冷静さを失う事になったのか、とか」
「原因を追究すべきだと?」
「…………」
ふと、居間の襖が開けられて、包帯や薬品などを持って来た金さんの姿が視界の隅に映る。
彼らの視線の向きからして、負傷している俺の手当てをする為にやって来たのだろう。
「原因が明らかにならなければ、時間が経とうともまたこの豎子はやらかすぞ。戦闘の状況について、今しばらく整理・加味してから処分を下しても、遅くはあるまい」
「……なるほど。確かに、俺も頭に血を登らせ過ぎていたかもしれん。孫臏殿、諫言に感謝する」
「気にしないでくれ。私としても気になっていたのだ、戦闘の詳細がな。現場にいなかったのだから、実際にその場にいた者から話を聞くのが最も確実性が高いのは間違い無いであろう」
その遣り取りを聞きながら、俺は金さんに促されるがままに上着を脱ぐ。アーベントの魔法攻撃で敗れた衣服には血が張り付いていて、傷口からは未だに血が流れ続けていた。
今頃になって肩口の傷口の痛みに顔を顰めながら、俺は自分を弁護してくれた孫臏に顔を向け、言う。
「孫臏さん……ありがと――」
「豎子に感謝される謂れは無い。それよりも早く、現場で起こった事についての説明を。何故にあそこまで冷静さを失う事態になった?」
「弁護された身で言うのもあれだが、相変わらず素直に善意を受け取れない人だな……。ま、でもいいや」
普段通りの素っ気ない態度についつい顔も渋いものになるけれど、それはそれこれはこれだ。
気を取り直して咳ばらいをしてから、俺は今にいる面々へ視線を配った。
「……で、俺はまず何から話せばいい? 全部とか言われても、どこからどこまで話せば良いのかも分からなくてな」
「何だ、豎子は相変わらず話すのが下手なのか」
「うっせえ! いきなり好きに話していいですよって言われても困るのは当たり前だろうが! っと、痛ててて……」
肩の傷に消毒液が当てられて、汚れが落とされていく。直後に清潔なガーゼが押し当てられるが、同時に引き起こされる鋭い痛みは呻き声が漏れるのには十分なものだった。
そんな俺の有様を見て、小馬鹿にした様な溜息を吐いて見せた孫臏は、車椅子のひじ掛けに頬杖をつきながら言っていた。
「仕方のない奴だ……では、何故に豎子は後退をせず継戦しようとした? 直前までの豎子は百鬼殿も言っていた通り、後退する旨を伝えていたと思ったが」
「それは、生存してた女の子の身柄を“ノクス”の連中に奪われたからで」
確か、彼女の名は芹那とか父親が呼んでいたような気がする。今にして思えばエキゾチックな顔立ちをしていたので、どこかで欧米系の血が入っているのだろう。
もっとも、今はそんな話などどうでも良いのだが。
「確かに、聞こえてきた会話の中で戦闘中に巻き込まれた一家の事を頻りに気にしていたな。だが、別に身柄を奪われたくらいでそこまで大袈裟に構わなくても良いのではないか? それよりも、亡くなる寸前とは言えその父親に能力者について喋ったのは不用心だと言わざるを得ないと思うが」
「確かに、機密保持って意味じゃ迂闊に話すべきじゃなかったかもしれないけど……って、問題はそこじゃないんだ」
我ながら、孫臏が指摘する通り軽率な行いであったと思う。でも、自分の中ではあのまま何も話さずにはいられなかったし、話して後悔はしていない。
だが、これもまた真っ先に孫臏へ話さなくてはいけないものでは無くて頭を振れば、彼は意外そうな顔をして訊ねてくるのだった。




