第四話 魔の力①
「……無事であってくれれば良いんだがっ」
坂を飛び降りて、俺はグネグネとした九十九折の山道をショートカットする。
眼下には、炭化した倒木の下敷きになってしまった白い軽乗用車が一台、スクラップと化していた。
こんな大惨事を巻き起こした張本人は殴り飛ばしたものの、俺はその敵が死んだのかどうかを確かめる手間すらも惜しかった。
「大丈夫ですか!? 聞こえていたら返事を!」
赤葡萄酒色をした魔力で宙に生み出した足場を用い、飛び石の要領で段々と焼け焦げた山肌を下り、同時に呼び掛ける。
だが、返事はない。
ぐんぐんと近くに見えてきた軽自動車は運転席から後部座席に至るまで焼け焦げた倒木で潰されていて、全身から噴き出る嫌な汗は病を追う毎に増していった。
「まさか……冗談じゃねえっ」
『――護、返事をしろ! さっきから呼び掛けてるのに返事がないぞ! 何があった?』
不意に、無線イヤホンから父の声がする。
さっきまでの戦闘の余波で電波が乱れていたのか、或いは単純に俺がそれに気付けなかっただけなのかは分からないが、そこについてそれ以上考えているだけの余裕はなかった。
「……父さん。ごめん、実は戦闘の余波で無関係な車が巻き込まれた。今は木の下敷きになっちまってる」
『巻き込まれただと? 状況はどうなっている?』
「まだ何とも。俺と交戦してた敵は殴り飛ばしたけど、この状況じゃ車に乗ってた人の生存は……」
崖を勢いよく降る体を、風の抵抗が肌を撫でる。ともすればそれは肌寒さを覚えさせるものだったけれど、じわじわと体から湧き出る汗を吹き飛ばす事は無かった。
『……そんなに酷いのか?』
「うん。車の上の部分って言えば良いのか、窓硝子がある所は等しくぺしゃんこだ。ドアから下だけが原形を保ってる」
アスファルトの上に、着地。
目的の場所に到着して、まじまじとそこを目にして、現場の酷さに俺の心は沈んだ。
炭化して脆くなっている木々とは言え、その数は多い。おまけに、それらは山肌の下へと位置エネルギーを伴って叩き付けられたのだ。幾ら焦げた木々が脆くても、破壊力が低い道理などなかったのである。
『護、無理はするな。今からプサッフォーに金達を送らせるから、救助作業はそっちに任せろ。お前は周囲の警戒を……』
「目の前で人が怪我をして、まだ生きてるかもしれないのに放っておけるかよ」
『待て、護! それはつまり、場合によっては……』
「分かってるよ、そんくらい。って言うか、現場で出来事を目撃した俺が予想出来ない訳ないだろ。でもやるよ。やるべきなんだ」
父が言わんとする事くらい、簡単に想像出来る。まだ高校生のガキに凄惨な光景を見せてはいけないとか、そんな要らない配慮をしているのだろう。
でも、今の俺からしてみれば鬱陶しい配慮に他ならなくて、父の言葉を遮りながら炭化した倒木に手を伸ばしていた。
「聞こえますか? 返事をしてください! 今助けますからね!」
押し退け、それが無理なら砕き、同時に呼び掛ける。
車を押し潰していた倒木は見る見る内に車の上から姿を消し始め、隙間からは人らしき者の影も見え始めていた。
まだまだ倒木が上に重なり、曇り空もあって内部は見通し辛いものの、光明が差した気がして俺は努めて明るい声で呼びかけるのだ。
「今、今助けます! 聞こえていたら返事を……っ!?」
だけど、そこで俺は己が言葉を切った。切らざるを得なかった。
その事実に、父は異変を感じたらしい。無線イヤホンからは即座に彼の声が聞こえていた。
『護、どうした!? 何を見た!?』
「…………」
女性と思しき体の首筋から、指先まで伝う鮮血。それはポツポツと助手席のシートに染みを作り出し続けていた。
頭部はダッシュボードと車の屋根を押し潰した倒木に挟まれていて、見るからに即死だった。
「クソっ……何でだよ」
後悔している暇は、無い。
この女性が助手席に座っていたという事は、間違いなく運転席にも誰かが居る筈なのだ。
吐き気すら込み上げる血腥さの中で、俺は運転席側に回り込んで倒木を押し退け、破砕する。
「……大丈夫、ですか!?」
「貴方、は……?」
幸いにして、運手席に座っていた男性は出血しつつもまだ意識を保っている様だった。
その事実に、沈んだ心がほんの少しだけ上向いたような気がした。
「救助の者です! すぐに病院まで連れて行きますから、良いですね!?」
「き、救助……? 私を、ですか? 妻と……娘、は?」
「……っ」
頭から血を流しながら、三十代半ばと見えるその男性は自身の家族を真っ先に気遣って見せた。
しかしその言葉を耳にして、俺はついうっかりと助手席の方に目を向けて、それから逸らしてしまった。
「……無事、ですよ。奥さんも、全員無事、です」
「嘘が下手だな、君は。私の気を遣って励ましてくれるのは有難いが……正直、そんな辛そうに嘘を吐かないで欲しい、な」
寂しそうに微笑む男性の目は、気付けば焦点が合っていない。恐らく、殆ど何も見えていないのだろう。
「娘だけでも……助けてもらう事は、難しい、か?」
「娘さん……必ず、助けます。当然、貴方も」
ちらりと、後部座席に目を向けてみれば、確かに幼い女の子のものと思しき被服と、手が見える。
「なら、娘を優先してください。私よりも……」
「どちらも最優先です! 今そこから引っ張り出しますからね!?」
「無駄です。私はもう、体の感覚が殆ど無い。まずは……娘を助けてから……」
力無く告げる男性の体は、見た限りでは他に外傷も見当たらない。だというのにここまで重傷そうに見えるという事は、それだけ頭部や臓器の損傷が甚大なのだろう。
思わず、悪態が漏れ出した。
「――っ、クソッ!!」
「……も、し仮に娘も助からなかったとしても、君が気に病む事じゃありませんよ。私と妻と娘と……三人が一緒なら、あの子も怖がることはないでしょうから」
「そんな事にはさせません! 俺は、俺はそんなものを見る為にここにいる訳じゃない!」
何はともあれ、赤葡萄酒色をした魔力を展開させた俺は、それを操って潰れた車の屋根を押し上げ、圧し掛かっていた倒木を粉砕する。
一気に車の周囲がすっきりした事で容易になった救助活動は、まず重傷の男性を運転席から引き摺りだした。
「私のことは、良い……から……」
「貴方は自分の事だけを気にしてください! 娘さんもすぐ助けます……っ!!」
「どう、しました?」
「いえ……何でも」
そうは言ったが、後部座席は思っていた以上に酷い有様だった。今は倒木を退かし、魔力で潰れた屋根を押し上げたから良いものの、破滅的な破壊の痕跡が残っていたのである。
その女の子が、今にも死にそうなくらい弱々しい呼吸をしているだけでも奇跡といえた。
彼女の損傷は頭部だけでなく全身に及び、外傷だけでなく内出血も相当箇所で甚大な怪我を負っている事が見て取れる。
「娘は……ダメ、でしたか?」
「そ、そんな事はありません! まだ辛うじてですが、息だってあります! 病院に行けば……」
女の子を後部座席から救出してそう言いながらも、分かっていた。この女の子は、男性よりも重傷で、致命傷を負っていると。
手の施しようがないのではないかと思いながら、俺は自分の願望すら込めて助かる可能性を口にする。
けれど、それを聞いた男性はただただ微笑するだけだった。
「……ですか。けど、先程も言いましたが君が気にする事ではありません。偶々通りかかっただけの人が、責任を感じる様なものではないのです」
「何をそんな諦めた事を……それに、偶々通りかかっただなんて……違うんです! 俺は……」
こんな状況を生み出してしまった原因の一端は、自分も担っている。
それこそ、こんな場所で戦わなければここまでの事態を引き起こす筈もなかったのだから。
「俺のせいで……」
「君のせいで……と言いますが、いきなり焦げた木が倒れてくるなんて、誰にも予想できない事ですよ。魔法じゃあるまいに」
一笑に付す男性は、知らないのだ。魔法の存在を。
だからそんな事を言える。呆れた風に笑う事だって出来る。でもそれは、紛れもない事実で。
「……魔法って、あるんですよ」
「ははは……ここで急に、何を言い出すんです?」
「確かに、信じられないかもしれません。でも、あるんですよ」
どんどんと呼吸が弱くなっていく男性に、今更能力を見せたところで、碌に視えやしないだろう。
だから、言葉だけで彼にその事を知らせる。
「この上の木が纏めて一瞬で黒焦げになって、倒れてきたのも……魔法のせいなんです。そしてその木の下敷きになった貴方達を助け出せたのも、魔力があったから」
「……これから死ぬ人間を揶揄ってるんですか? 全く……ところで、娘は……芹那は、どこに?」
「今は貴方の横です。ちゃんと息もしてますよ」
言ってやりながら、俺は女のこの手と男性の手を繋がせる。両者とも、もう長くはないだろう。
このままでは、確実に助からない。
直感して、俺はイヤホンの向こう側にいる父へと言葉を飛ばす。
「父さん、プサッフォーさんはまだ?」
『もう少しだ。彼女の転移能力だってそこまで便利じゃない。距離があればあるだけ、途中で中継地点を挟まなくちゃいけない場合がある。特にさっき、お前らを戦場まで輸送したばかりだぞ。負担が大きすぎる』
「そんな事を言ってる場合じゃない! 人の命が懸かってるんだぞ!?」
『分かっている! だから今出来る最善の手を打って、最速でそっちへ向かって貰っているんだ!』
目の前で、命が消えようとしている。
その事実に、俺の言葉は荒くなり、父の言葉もまたそれに呼応していた。
「じゃあ俺は、この人達の危険な状況を指咥えて見てろってのか!?」
『転移能力を持っていない、医療技術も素人のお前にそれ以上何が出来る!? あともう少しだ、黙って居ろ!』
「……っ」
出来るならば、己に知識があるのなら、ここで彼らに応急処置の一つでもしてやりたいところだ。でも、そんな高度な知識なんて高校生でしかない俺に持ち合わせている筈もない。
出来る事と言えば精々が助手席にある女性の亡骸を、魔力を操作して車から救い出し、アスファルトに寝かせて顔面に布を被せる事くらいしかなかったのである。
そんな、情けないくらい無力な己に打ちひしがれていると、男性が不意に口を開く。
「……最期に、私達家族を救おうとしてくれた、君の名前だけでも……冥途の土産にしたいと思います。もし、宜しければ、教えていただいても……構いませんか?」
「俺のせいで、こんな事になったんだって、さっき言ったと思いましたけど?」
「まだ、言ってるんですか? 仮にそうだとしても……そうじゃ無かったとしても……ここへ駆けつけて来てくれたのは、揺るぎの、無い事実……では無いですか。……そこまで、卑下するものでは、無い、ですよ」
「でも……」
「お名前を、教えてください。……土産がなくちゃ、あの世で話せる事が一つ、減ってしまうじゃないですか。どうしても嫌だと仰るのであれば、諦めますが……」
「……護です。百鬼 護。でも、この名前を冥途の土産にするのはもっと後にすべきです。まだ助かる望みが……」
「ありませんよ、そんなもの。私の体の話ですから、私が良く知らない筈はありません。だからもう、助かりません。けど、娘は……まだ、暖かい。私の右手が、火傷しそうなくらいに、暖かい。そんな気が、します」
「…………」
焦点の合わない目で曇天を見上げながら語る男性は、先程と比べて明らかに血色が悪くなっていた。呼吸も浅くなっている所を見るに、心拍数にも変化が生じているのだろう。
「百鬼さん……百鬼 護さん」
「はい」
「娘を、頼みます。……この子は何故だか知りませんが、まだ生きる気がします。だから、お願いします」
「お、お願いしますって……貴方だって、まだ生きて……っ!」
「…………」
魂が、抜けていく。
瞳から光が失われていく有様は、そう表現すればしっくりくるのだろう。
抜けていく。何かが抜け落ちて、それはかつて人であった遺体へと成り代わる。
そうはさせじと、俺は男性の肩に手を触れて揺さぶって、引き戻そうとする、けれど。
「駄目です、まだ娘さんを残して……!」
「…………」
「畜生ッ!!」
実体のないものを、手にも触れられないものを、掴んで引き戻す事など出来やしない。
分かっていた事を目の前で突き付けられて、俺はアスファルトに握り拳を叩き付けた。
衝撃で蜘蛛の巣状の罅がそこに走ったけれど、構いはしない。
「救えなかったのか、俺は……っ」
半開きとなった男性の虚ろな瞳は無感動に曇天を眺め続け、俺は手を伸ばしてその瞼を閉じさせる。
暗い気持ちそのままに、俺は同じくアスファルトに寝かされた女の子へ目を向けて――。
――そして驚愕した。
「……っ、何だ!? どうなってやがる!?」
「…………」
その女の子はまだ、意識は取り戻していない。
でも、どういう訳かその体は血色を取り戻し始めていて、もっと言えば打撲痕や擦過傷、切創と言った数々の傷が、目に見えて癒え始めていたのである。
「自己再生……にしても、早すぎる!?」
どう見ても重傷で、すぐには治らない、それどころか致命傷にしか見えないものが、早送りの様な光景の中で回復していく。
「まさか、この女の子……」
凄まじい自己再生能力を目の当たりにして、俺が一つの可能性に行きつかない筈が、無かった。
サイレンの音は、気付けばもう間近に迫っていた。
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