第三話 罠に嵌って木立に入って⑤
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松ヶ崎警察署、その一室。
人気もなく広々としたその場所には、男と少女の二人だけがテーブルを挟んで椅子に腰かけていた。
「……まさか、わざわざ私の所にまで来てくれるとはね。別に、電話でも良かったのだが」
「そ、その、何と言うか……直接話は聞いた方が良いかなって思って」
「確かに、このような内容だ。ただ声だけで色々と説明されたとしても、納得や理解をするには難しいだろう」
警部、榮森 晋太郎課長はそう言って笑いながら背凭れに体を預け、足を組む。
対する少女――美才治 綾音は、かしこまって、そして緊張した様子で膝の上に握り拳を置いていた。
「ところで榮森さんは、その喋り方って……」
「ああ、済まない。豹変した様に見えてびっくりしたかな? 確かに、君と初めて会った時は丁寧な口調を心掛けていたが……正直、あそこまで堅苦しいのは疲れるのでね。君さえよければ、この口調で話をさせて貰いたい。宜しいかな?」
気遣っている風を装って、その実は榮森に他者の事を考えているつもりは毛頭ない。
何となく、そんな気配を感じ取って綾音は硬い表情のまま言っていた。
「私は、特に構いませんけど……それで、検査の結果はどうなんですか?」
「ふふふふ、まあまあ落ち着き給え。そんなに急かさずとも、じきに知れる事だ。まずは、これを見てくれ」
開いていたノートパソコンを操作してから、榮森はその画面を綾音に見せる。
するとそこには、以前話題になったある動画が流れていたのだった。
「……これって」
「ああ、君も良く知っているだろう。SNSやニュースでも盛んに取り上げられていたからな」
そこに映っていたのは小柄な少年と大柄な男性が睨み合い、そして映画さながらのアクションをして見せる姿だった。
「去る一月に橋の袂で撮影された映像だ。この時、少女一人が不良集団に暴行されそうになっていたとの報道もなされていたが……君は、この事を信じるかね?」
「私は……信じ、ます。これだけ見た時は何だか信じられなかったんですけど、この時に保護された女の子が私の知り合いで……」
言葉を選びながらの綾音に、榮森は何やら感心した様子で眉の片方を上げていた。
「ほー……世間は狭いとはよく言ったものだ。こんな所でそんな繋がりがあるとはね。ところで、その襲われた君の知り合いも、百鬼 護とは知り合いなのかね?」
「はい。中学時代の同級生って言ってました」
「なるほど、なるほど。だからここで助けに入ったのか……」
合点がいったと言わんばかりに何度も頷いている榮森は、何だか嬉しそうに見える。
しかし、綾音からしてみれば彼のその頷きが何を意味しているのかなど分かる筈もなく、怪訝そうな顔をしながら問うていたのだった。
「待って下さい、何に納得しているんですか?」
「ああ、そう言えば君にはその辺のことを何一つとしてまだ話していなかったな。そうかそうか……では、何から話したものか」
「全部です、全部お願いします。その為に私は榮森さんに協力して、護のDNAを取るための唾液採集にだって手を貸したんですから」
ここまでやったのだから、無関係ではないと言わんばかりに、机から身を乗り出す綾音。
必死さすら見える彼女の態度を前にして、榮森は足を組んだ格好のまま目を細めた。
「ほう、全部……全部と来たか。知る覚悟は持っているのかね?」
「はい。護は私にとって幼馴染です。その幼馴染が何かを隠している。もしそれが危ない事だったら、止めてあげたいって思うじゃないですか。幾ら百鬼組が平和的な組織だって言っても、最近はおかしいし……」
「健気なものだ。実に眩しい。では、全てを知ってしまった場合のリスクもある程度は承知の上、覚悟の上という事で良いのだね?」
「お願いします」
幾らか芝居がかった、役者のような言い回しで念を押す榮森に対して、綾音の意志は固かった。
二度と念を押しても揺るがぬ彼女を見て満足した様に瞑目した彼は、どうとでも取れる溜息を吐いてから口を開く。
「……そこまで言うなら、一から話そう。まずはこの街の現状からだな」
「この街の……?」
本題に入ったと思ったら、予想外の方向から話が始められて、綾音は鳩が豆鉄砲を食ったような顔を見せていた。
「そうだとも。急に規模が大きくなって戸惑ったかね? だがこれもまた必要な話なのだよ。ここ最近、本当に不可解な事件が連続して起こっているとは思わないかね?」
「それについてはまあ……疑う余地もないくらいには」
「だろう? 実際、我々警察も手を焼き、頭を抱えているのだ。何せ、科学的な手法をどう用いても犯人が簡単に割り出せないのだから」
「はぁ……」
当然と言えば当然だが、綾音はまだまだ話の全体が掴めない様子で歯切れの悪い返事をする事しか出来ない。
そんな彼女の微妙な表情を見て、榮森は意地の悪い嘲笑の感情を抱えつつ、尚も語り続けていた。
「そんな馬鹿な事がと思うかも知れないが、実際にそうなのだから仕方あるまい。おまけに未解決の事件はどんどんと増えていく。言ってしまえば、情けない事に手詰まりも良いところだったのだ」
「手詰まり、ですか。でも犯人は捕まったって話は何回か聞いた事もありますけど」
「それは外部に協力者が出来たからに他ならない。我々とは異なる思考を持った協力者がね」
「……異なる思考?」
綾音の表情にはまた新たな困惑の皺が刻まれるが、聞いていれば分かる、とでも言わんばかりに榮森は彼女の言葉を冷静に首肯した。
「そうだ。科学的な思考によらない、魔力、魔法に対する造詣と言ったところかな」
「魔力、魔法って……ちょっと待って下さい! 一体何の話をしているんですか!?」
己が耳でもおかしくなったのかと疑って、綾音は頭に手を当てながら、少し大きな声を発する。
彼女が明らかに混乱し始めている様子を察知して、とうとう榮森は口端を緩めて見せるのだった。
「無論、この街で起こっている不可解な事件についての話だ。そんなに信じられないかね? 実際にこれまで、それを裏付けるような不思議な映像が出回っているのだよ」
そう言いながら榮森が顎でしゃくっているのは、綾音に向けられたパソコンの画面だった。
「この映像、警察の方でも調査したが、編集が入っている痕跡はない。もしかしたらより高度な編集技術があるのかもしれないが……そんな技術があるのなら、映画などの映像作品に引っ張りだこだろうな」
「編集の痕跡がないって……でも、じゃあ仮にそれが事実だとして、どうしてこの街でこんな事が起こっているんですか!?」
「それについては、私が説明するよりも私の協力者から説明して貰った方が説得力や現実味があるというものだろう。“アーベント”、入れ!」
「はい」
頃合いを見計らって榮森が若干大きな声でそう告げれば、部屋の外で待機していたらしい人物が一人、入室する。
その人物は、欧米系の彫の深い端整な顔立ちに銀髪、銀色の目は三白眼を作り、長身である事も相俟って威圧感に拍車をかけていた。
「どうも初めまして、私の名は“アーベント”。美才治綾音さん……貴女の名は榮森課長からかねがね伺っております。我々にご協力いただき、感謝の言葉もございません」
「び、美才治 綾音です……い、いえ、私は大した事なんて……それにしても、一体どこの国の方なんですか? 日本語も、全然発音に不自然さが無いし……」
「私の出身についてであれば、そもそも地球ではありません」
「……え?」
意味が分からない、を体現するように綺麗な首の傾げを見せる綾音。だが、彼女なりに“アーベント”の言葉を理解しようと努めたのだろう。
少しの時間を置いて、首を傾げたまま質問していた。
「う、宇宙人ですか?」
「違います」
「じゃあ、電波が入っているとか……」
「違います」
「だとしたら何なんですか」
「並行世界、とどのつまり異世界人です」
「……ちょっと待って下さい」
質問に対して爆速で返って来る“アーベント”の答えに、またも綾音の脳味噌が理解の限界を超えたらしい。
椅子に座った状態で両手で頭を抱え、自身の太腿に視線を落としながらぶつぶつと独り言を唱えていた。




