第三話 罠に嵌って木立に入って③
◆◇◆
夕焼け空の下で、“アーベント”の指示が飛ぶ。
『捕捉に成功したのはこの前に取り逃がした紅床だ、今日こそは絶対に逃がすな』
「了解、言われずともってね。んじゃヘンリーとローダさんよ、悪いんだけどアンタらの千里眼能力、十全に活躍して貰うよ?」
「当然だ。俺らも元の世界に戻る為に、約束は反故にはしない」
気安い笑みをヘンリーとローダに向けるのは、緑髪緑眼の男――“ゼー”だ。彼は視線や態度に一歳の侮蔑の色などを見せず、終始好意的に見える態度を取り続けていた。
「……アンタは、俺らの事を馬鹿にしないのか?」
「俺を“アドラー”と一緒にしないでくれ。“アーベント”も言っていたが、協力者である以上は仲間だ。それに仲間を尊重しないと、背後から撃たれるかもしれないだろ? 一緒に仕事するなら互いにとって良い環境でってね」
「そうか……」
ここへやって来てそれなりの日数が経つものの、ノクスの面々の多くはヘンリーとローダに対して相変わらず一定の距離を保ち続けている者が多い。
特にアドラーについては強硬派とも言える様な態度を取っているだけに、彼らにしてみれば“ゼー”の態度は肩透かしを食らう気分にさせる程だった。
「時にお二人、散弾銃の調子はいかが?」
「好調だ。試し撃ちをして見たが修復前よりも性能が向上したようにも思える。あの“アドラー”とか言う奴も、本当に腕は確からしいな?」
「伊達に金属魔法の使い手じゃないからな。それこそ、俺らの所属する組織は生え抜きエリートばかりだ。特に能力的な部分ではその辺の人間を遥かに上回ると思ってくれていいんだぜ? どうだ、驚いたか」
自慢そうに右腕で力こぶを作って見せる“ゼー”は、先頭を走りながらも後ろを振り返り続けるという非常に器用な真似をしていた。
「そりゃ、碌な機械もある様に見えないあのアジトで、あっという間に銃が修復されれば驚きもする。騙されているんじゃないかって考えるくらいにはな」
「騙してねえから安心しな。その銃は本物、ちゃんとその銃身に見合った弾丸も調達してある。弾切れの心配もなく存分に使ってくれ。あ、でも標的の紅床を射殺するのは止めてくれよ?」
指でバッテンを作りながらニシシシと笑って見せる“ゼー”は不整地かつ斜面となっている山肌を、躓く事なくひょいひょいと登っていく。
そんな彼の身体能力の高さに舌を巻きながら、ヘンリーらも続いて、木々の隙間を縫って落ち葉を踏み締める。
「そのクレトコとか言う奴にはそもそも撃つなって話だろ? その代わり……」
「ああ、それ以外の奴には存分にぶっ放してくれていいぜ。例えばそう、この前に交戦したって言ってた百鬼 護とかな」
「念のため確認だが、本当に撃ちまくって良いんだな? 銃の使用はこの地域では強く規制されていると聞いているが」
「平気平気! 紅床も警察から逃げてる指名手配犯って奴でね。だから今回見つかったのも人気の少ない山の中って訳。仮に警察へ通報されたとしても駆け付けるまでに時間も掛かるからさ」
実際、ヘンリーが見渡しても周囲に人の気配はない。山とそれを覆う木が広がり、ここが人の住む世界でない事を強調しているみたいだった。
「さてさて、もう少し!」
「……思ったんだが、どうしてここに俺らが駆り出されたんだ? お前らのその訳わからん能力があれば、一人ででもどうにか出来るんじゃねえの?」
微かに川の流れる音が聞こえてくる事を確認しながら、ヘンリーは感じた事をそのまま口に出して問う。
すると、“ゼー”は軽く指を鳴らしてから特に口籠る様子もなく簡単に教えていた。
「それもそうなんだけどねえ、紅床の能力をその目でも見たでしょ、透明化って。流石にあれは追跡する側からしたら相性が悪いんだ。万が一も考えて戦力を整え、そして君らの力も必要ってな寸法よ」
「んじゃあ、戦力を整えてって言うと……」
「現在、俺らだけじゃなくて、更にもう二方向からも紅床のいる位置に迫ってるってな感じ。逃げ場はないぞ、的な」
またもニシシシ、と子供っぽい笑みを浮かべた“ゼー”だったが、すぐにその表情は一変する。
「お、はっけーん!」
「……どこに?」
「静かに、ほらあそこいるでしょ? 見える?」
“ゼー”が静かにするようにとのジェスチャーをした後に、人差し指をそのまま伸ばして一方向を指差せば、果たして一人の男が倒木に腰掛けていた。
「さてさて、紅床くーん? こんな植物だらけの場所に逃げ込んだ自分の判断の愚かさを呪うんだな」
「お、おい、お前は何を……」
「そう言えば、アンタらには俺の能力について一度も紹介して無かったっけか? 俺は植物魔法の使い手なのよ。だからほら、こうやって――……」
にんまりと笑って地面に手を置いた瞬間、足元で何かが動き、魚雷みたく紅床と思しき影へ驀進する。
そして、地面から一斉に飛び出した木の根が、土を巻き上げながら人影を一瞬にして包み込んでいく。
「これでほら、はい捕まえた!」
「……待て、捕まってないぞ」
「あれ?」
任務完了! と右の拳を突き上げる“ゼー”だったが、ヘンリーの指摘を受けて間抜けな声を上げて目を凝らす。
すると果たして、どうだろうか。
「ふふふふふ、掛ったな愚か者共が! 今日こそ、この毛利 豊前守 吉政が貴様らを撫で斬りにしてやる!」
「あの野郎……まさかこれ罠だったのか!?」
人影に襲い掛かった木の根はことごとくが輪切りにされてあっという間に地面へ落ち、日本刀を抜き放った男は呵呵大笑する。
「孫臏殿の策略通り……見事に釣れたのう! 儂の変装にこうもあっさり引っ掛かるとは、暗愚以外の何物でもないわい!」
「あの声、あの喋り方……顔だけ違うが、前にも戦ったな、ウザったい侍が。俺らを罠に嵌めやがったのか」
山中に響く吉政の笑い声に、“ゼー”は足を止めて苦々しい顔を隠そうともしない。そんな彼の様子を見て、ヘンリーは怪訝そうな顔をしながら問うていた。
「知り合いか、“ゼー”さんよ?」
「へっ、知り合いも何も、アイツもまた百鬼 護と同じ百鬼組の人間だ。殺していい奴……いや、アンタが帰るためにも殺さなくちゃいけない奴の一人だね!」
そう語る“ゼー”が視線を向ける先では、吉政が紅床の顔に擬したマスクを剥ぎ取っていた。
マスクの下から全く別の顔が出てきたことを確認して、ヘンリーは右の人差し指に力を込める。
「そうかい、そうかい……んじゃあ遠慮なくぶっ放せて貰おうかね、行くぞローダ!」
「あいよ!」
そうと決まれば話が早い。
ヘンリーとローダの二人は連携して散弾銃の有効射程距離まで走っていくが、対する吉政も不敵に笑った上で距離を詰めてくるのだった。
「おいおい、アイツは剣一本で散弾銃二丁を迎撃するってのか?」
「正気の沙汰じゃないわね。精々、蜂の巣にしてやろうじゃないの!」
急迫してくる侍――吉政の持つ刀は、何故か黒い。だが、斬撃が飛んで来るようなふざけた性能を持っている様子も見受けられない。
この分ならヘンリー達の方が射程距離も長い分だけ有利である。
「奴がこっちの射程に入ったら即ぶっ放せ」
「ええ、任せて」
放っておいても勝手に近付いて来る相手なら、銃を構えて待った方が迎撃するにも簡単である。故に足を止めたヘンリー達は、吉政が射程に入るのを黙して待つ。
五、四、三、二、一……。
「撃てッ!」
その瞬間、二丁の散弾銃が火を噴いた。
しかし、出来上がる筈の侍の死体は、そこには無い。
「面妖な種子島が二丁……馬鹿正直に突っ込んでいたら、今頃儂は蜂の巣か。あな、恐ろしきかな」
「ぐっ!?」
「……っ、ローダ!?」
目にも留まらぬ速さで側面に回り込んでいたらしい吉政の蹴りが、ローダの体を吹き飛ばす。ヘンリーはそれに対して慌てて銃弾の再装填を行おうとするものの……。
「この距離で弾込めなど、愚か極まれり!」
「お、おおおおおおおっ!」
振り被られた漆黒の日本刀を目にして、ヘンリーは咄嗟に散弾銃を横一文字にして防御態勢を取る。するとなんの偶然か、吉政の両手が握っている柄の隙間へ噛み合うように銃身が入り込んだのであった。
「ほう、見事……まるで曲芸のような受け太刀であるな」
「な、何の事だ……!?」
偶然にしろ何にしろ、間一髪で斬られる場面を回避したヘンリーに、吉政は一瞬だけ瞠目しながら感心を示す。
しかし、そんな賞賛を受けている間にも、吉政の刀は徐々に下がって来ていて、ヘンリーの脳天に刃が迫りつつあった。
もっとも、その危機もまたすぐに去るのだが。
「やらせるか、首狩り侍が!」
「……おっと、もう少しと言うところで邪魔をしてくれる」
横合いから急速に迫るのは、まるで生きているかのように伸縮自在となって迫って来る木々の枝だった。
当然のようにそれを躱した吉政は、木々の隙間を縫って追撃も凌ぎ、距離を取ったところで刀を中段に構えた。
「お主は確か……“ゼー”とか言ってたかのう? まあ、名なぞどうでも良い。その首、叩き落とすまで!」
「ほーほー、デカい口利いてくれんじゃねえの。たった一人で俺らを相手に、そんな事が簡単にできると思ってんの、なあ?」
両手を広げ、自己を誇示するようにゼーが言えば、吉政を包囲するように“ノクス”の面々が三角形を作り出していた。
つまるところ、三方面からの包囲であるが、しかし吉政もまた不敵に笑うばかりだった。
「……相手をするのが儂だけと思うか、莫迦どもが」
直後、“ゼー”はハッとして上空に目を向けた。
……そして。
「つい数日振りだな、“ノクス”! 俺が貰った鉛玉のお返しだ、受け取れぇぇぇぇぇぇぇえッ!!」
「百鬼 護、他にも増援……! “アーベント”、ちと不味いかも知んねえぞこれ」
枯れ木のような枝の隙間から見えるのは、この場目掛けて落下してくる二人の少年少女、それに大剣を背負った大男だった。
それを目にして飄々とした、お調子者の色は鳴りを潜め、“ゼー”はその緑の瞳に明確な殺気を乗せていた。
『罠に嵌められたのか……ここまで完璧に迎撃に出て来られたとなると、満を持してと言った感じだな。即時撤退だ、ここで無理に戦闘をする理由はない。ゼー、現場の指揮は引き続き任せるぞ』
『その判断、確かに間違いじゃないんだろうが……悪いな“アーベント”、ここでの撤退は難しいかも知れん。現行戦力のままでは逃げ切れないって意味でな』
冷静沈着な“アーベント”の指示は、ここではない別の場所から戦場の情報を聞いているからこそ下せるものだ。
しかし、遠くから聞いているからこそ、視えないものも、当然ある。
例えば現場での敵の戦意、練度。何より、吉政が紅床の振りをした囮であったと判明した段階で、状況を判断して撤退指示を下せていたら違ったのだろう。
だが、プサッフォーの転移能力で一瞬のうちにごっそりと移動して来た百鬼組の戦力は、ノクスに容易な撤退を許す筈がなかった。
「“アーベント”め、タイミングの判断をしくじりやがったな……!」
「いや、今回に関しても“アーベント”は何も悪くないと思うが……どうする、“アドラー”?」
三方に分かれていた内の一角である“アドラー”は、今も警察署に出向いているであろう三白眼の男の顔を思い出して、舌打ちをする。
「どうするもこうするも、“ゼー”がさっき撤退を一時見合わせるべきとの判断を下したんだ、ここは俺らも包囲を解いて合流、しかる後に撤退するしかねえ。良いな、“シュピーゲル”?」
「ああ、文句はない。しかし、敵も戦えば戦う程嫌らしくなっていくな……」
「感心してんじゃねえ!」
そのツッコミを飛ばした直後、黒塗りの大剣が両者の空間を切断する。
「ほほう、我の斬撃を避けるとは……汝ら、やるではないか!」
「“アーベント”の言ってた筋肉剣士……ちょっと見ない間に戦力を無駄に強化しやがって! しゃらくせえ、俺が全部ぶっ壊してぶっ殺してやる!」
「その意気や、良し! 我の敵足り得る存在として認識してやろうぞ、光栄に思うが良い!」
「訳わかんねえ事ほざきやがって……身の程を知れ、原住民の分際でッ!」
筋骨隆々な大男の高飛車な物言いが、“アドラー”の癪にどうしようもなく障る。戦場はもはや、乱戦の様相を呈し始めていた。
『予備戦力の“クリュザンテーメ”を投入する。彼女も合流して態勢を整え終えたらすぐ撤退するように。もしそれでも駄目なら私も出る。良いな』
『おう、助かるぜ“アーベント”』
「……戦況は五分、いやちょっとこっちが不利って感じかな?」
無線イヤホンの情報からある程度の状況を把握したヘンリーは、木陰に身を隠しながら弾丸の再装填を終えていた。
「聞こえてくる情報の限りじゃ、すぐに増援が来るみたいだけどね。どうする、ヘンリー?」
「どうするもこうするも、こうなった以上は戦うしかあるめえよ。味方に当てねえように細心の注意を洗いながらな!」
そう言い終えるが早いか、一射。
放たれた散弾は木の幹を穿ち、着弾地点の落ち葉と土を巻き上げる。が、やはり標的を仕留めるには届かない。
「くそ、ちょこまかちょこまかと……何て素早さだ!?」
「この世界に来る前の儂なら、その妙な種子島の前では手も足も出ないだろうが……今は違うからのう。その程度で、儂が仕留められると思うでないわい!」
「チッ!」
いつの間にやら間近に迫って来た吉政の斬撃を、間一髪で躱す。同時に牽制の拳銃を一発放ってやれば、しかし吉政は体の一ひねりで躱してしまう。
「はっ、散らばらぬ弾丸なぞ……それこそ見切るのは容易い!」
「ヘンリー!」
拳銃の一撃を躱して、お返しと刀を腰だめに構える吉政だったが、それを振り抜くよりも早くにローダの拳銃が火を噴く。
今度は流石に後退せざるを得なくなった吉政を見て、ヘンリー達も即座に態勢を立て直すのだった。
「ヘンリー、怪我はしてない?」
「ああ、ローダのお陰だ。元の場所へ戻る為にも、こんな所で死ぬ訳には行かねえんだ」
「ほう……お主ら、元の場所へ戻る、とな?」
不意に、ヘンリーの言葉を耳にした吉政が眉を跳ねさせる。
「そう言えば確認しそびれていたが……もしや貴様ら、ここ最近になって“ノクス”に加入した者達か?」
「別に俺達は加入した訳じゃねえ。一時的な協力関係にあるだけだ。こんな訳分からない場所から、故郷へ帰るためにな」
「……なるほど、そういうことかのう。やはり孫臏殿の読み通りという訳か。恐ろしき深慮遠謀じゃのう」
「……何笑ってんだお前? 喜色悪い」
唐突にくつくつと笑い出した吉政を前に、ヘンリー達は露骨に気味悪いものを見る表情を浮かべていた。
「いや、失礼をしたのう。まさかここまで予想通りだとは思いもよらぬでな」
「予想通り? ……何がだ」
尚も何が面白いのか笑い続ける侍――吉政を前に、怪訝な顔をして問い詰めるヘンリー。
すると吉政はそんな彼に対し、俄かには受け入れがたい宣告を口にする。
「残念だがお主らが元の場所へ帰る事は、もはや能わぬ事ぞ。戻れぬのだ。もう、絶対にな」
「……ふ、ふざけるな! 根拠のない事を言って、俺らを動揺させようってのか!?」
「ふん、根拠ならここにある。何を隠そう、この儂……毛利 豊前守もまた、元の世界へ帰る事の出来ぬ人間の一人なのだからのう!」
「っ!?」
その言葉が、聞かされる側の者からしたらどれだけ衝撃的で受け入れがたいものであるのかを知りながら、彼はその事をはっきりと伝えていたのだった。
「大方、お主らは協力の見返りに帰還する約束でもしているのだろうが……無駄ぞ。帰る手段、方法、そのものが無いのだ。その事は、儂がここにいる時点で証明されている」
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