第三話 罠に嵌って木立に入って①
人里離れた耕作放棄地、その中で一見すると完全な廃虚と化した建物の戸を、銀髪三白眼の男が開く。
「……戻ったぞ」
「お、“アーベント”! 首尾は?」
自身の帰宅を告げる男――“アーベント”を見るや、寂れた外装とは打って変わった洋風な室内のソファーで寛いでいた、緑髪の男が目を輝かせながら問う。
すると、それに対して彼は顔色一つ変えず淡々と答えていた。
「途中までは上々だった、と言ったところだろうな」
「んー、その口振りだと不首尾って感じか。たった一人の野良能力者を捕まえる為に、今回は新戦力まで投入して追い込んだんだろ? それでも出来ないってなると……連中か?」
「察しの通り百鬼組が介入して来た。お陰で標的は取り逃がし、目的は達成できなかった」
緑髪の男――“ゼー”の問いに、尚も“アーベント”は機械的に応えて見せる中、不意に室内を誰かの失笑が掻っ攫う。
「へっ、あれだけデカい態度を取っておきながら失敗? おいおい、“アーベント”……これで何度目の失敗だ?」
「やめろ“アドラー”。お前だって以前、一時的に作戦を立てたけどその時も失敗に終わっただろ。他人の事を笑える立場かよ」
壁に背中を預けて、腕を組んで嘲笑を浮かべるのは、“アドラー”。そんな彼の態度を“ゼー”が空かさず窘めるものの、それは焼け石に水でしかなかった。
「黙れ。俺に任せれば今度こそ失敗はしねえ。俺達は“ノクス”だぞ? もしもこれが元の世界での任務だったら、俺ら全員が不適格と見做されて良くて降格、悪けりゃこの世から解雇される。中央との連絡が途絶しやすい特殊環境だからこそ、俺らはまだこの立場にいられるって事をよく考えろ」
「逆に言えば、連絡が途絶しやすいからこそ有効な支援も受けられない訳なんだがな。私達は先遣隊であり、必要最低限の人員と装備しか持っていない。現状から判断するに、我々だけで任務を遂行するのは不可能だ」
「…………」
また始まった、と言わんばかりに“ゼー”が両者の間で頭を抱え、溜息を吐いた。もっと言えば、他のノクスの面々も同じ様な反応で、明らかに辟易としている様だ。
だが、そんな彼らの反応に両者は目もくれず、論戦は続く。
「だからってこの世界の人間の、それも警察組織と手を組むなんざ……おまけに、魔法の事まで伝えたんだろ? こりゃいよいよ失敗は許されねえ。任務の達成、不達成に関わらず、撤退する際には俺らと関わったこの世界の人間を抹殺する必要すらある」
「そこまで大袈裟にする必要もないだろう。既に、百鬼組を中心に、この世界での能力者が生まれてきているのだ。その流れを留める事は出来やすまい」
開け放たれていたドアが完全に閉め切られ、建物に入り込み続けていた冷えた風の流れが途切れる。
しかし、論戦に途切れる気配は一向に訪れない。それにうんざりした調子で口を開くのは、“ゼー”だ。彼はとっととこの会話と空気を終わりにしたいのだろう、”アーベント”の肩を持って言っていた。
「だな。現に“アーベント”に引っ付いて帰って来たそこの二人だって純粋なこの世界の人間だぞ。だってのに、二人して千里眼なんて能力をこさえやがった。俺らにはどうしょもねえよ」
「……原住民共が。しかし、これらを投入しても在野の能力者一人捕まえる事は出来なかったんだろ? この原住民なんざ利用価値もないようなもんじゃないか。とっとと殺処分したらどうだ?」
面白くなさそうに、心底見下した目で“アドラー”が視線を向ける先には、男女二人組が立っている。
彼らはそんな侮蔑的な“アドラー”の視線に対して強い抵抗と非難の色を示しながら睨み返し、言った。
「……おうおう、俺らを殺処分とは言ってくれんじゃねえの。まるで家畜でも扱うみてえな言い草、気に食わねえな」
侮蔑的な視線を受けた事に対する怒りから破損した散弾銃の銃身を強く握り締めながら、髭面の男は獰猛に笑う。
それは宛ら猛獣のようであったが、アドラーは真面に相手をする態度も見せずに嘲笑を続けていた。
「お前ら原住民なんざ家畜そのものだろ。元来、誰一人として魔法も持たない劣等人種だ。俺らとお前ら、どっちが優れているかなんて一目瞭然じゃねえか」
「俺が今までにぶち殺しまくった連中も似たような事をほざいてやがったな。黒人だの、インディアンだの権利は認められないとかふざけた事を抜かすクソ野郎どもだ。“アドラー”とやら、お前の体にも風穴開けてやろうか?」
散弾銃を持っていない方の手を、髭面の男はポケットにある拳銃へ伸ばす。
その動作から臨戦態勢を見て取ったアドラーもまた好戦的な笑みを浮かべながら身構え、応じて言った。
「面白ぇ、やれるもんならやってみろよ原住民。お前如きの持つ豆鉄砲で、俺の魔法が破れんのか、ああ?」
「よせヘンリー、“アドラー”。今は互いにとって協力者、仲間なんだからな。こんな場所で内輪揉めを起こしている場合ではない。我々にとって、ヘンリーとローダの戦力は貴重だ。君達にとっても、元の場所へ帰る上で我々の協力は必要不可欠。違うかね?」
“アドラー”の口論相手が“アーベント”から髭面の男――ヘンリーに移っただけでなく、一触即発の険悪な空気になってしまった。
その事実に、放置はしておけないと判断した“アーベント”は真っ先に制止の声をかければ、両者の殺気に揺らぎが生じる。特に、ヘンリーと呼ばれた髭面の男は拳銃へ伸ばしていた手を離して臨戦態勢すらも解いていたのであった。
「“アーベント”さんよお……何度も確認しているが、本当にお前らへ協力すれば俺らは元の場所へ帰れるんだろうな?」
「勿論だとも。話を聞くに、君達は偶然にも空間の歪みを通って未来の時間軸へやって来てしまったのだろう。なら、同様の歪を発生させれば元の時代へ帰る事も可能さ」
「その話、信じるぞ」
もう何度も念を押したか分からないその言葉。しかし、それはヘンリーが“ノクス”そのものに対して強い猜疑心を抱いている証拠でもあった。
故に、“アーベント”は彼の疑心を少しでも氷解させるように笑みを作る。
「信じてもらうしかない。そしてそのために、君達には我々の行動に手を貸してくれればいい。我々の目的が達成されれば、君達も自然と元の時代へ帰る手段が確立されるだろうからな」
「その為には、年若い者も撃てという訳か」
「年若い……ああ、先程交戦したあの少年か。気に病む事は無い、彼は百鬼組の人間、言ってしまえば敵組織の所属だ。彼を始めとした者達をどうにかしないと、君達の帰還という望みは果たせないと思った方が良い」
ヘンリーのやった事は正しいのだと、仕方のないことだったのだと“アーベント”は肯定をするが、それでもヘンリーから猜疑の色が消え去る事は無かった。
「果たしてどこからどこまでが本当で、信じて良いのかは分からんが……もし仮に嘘だった場合、俺はお前らに鉛玉の返礼をしてやる。受け取る覚悟はいつでも持っておくんだな」
「そう急かないで貰いたいものだ。一朝一夕に行くものではないのだから。それに君自身の意志で彼に銃撃をして、負傷させていたではないか」
「それは……ただ簡単にあしらわれて、ちっと頭に血が上って……」
暗にヘンリー自身のやった事を突き付けて、あたかも彼から精神的な逃げ道を奪うかのような“アーベント”の指摘。甘言と合わせて巧妙に逃げ道を塞ぐ彼の言葉に、ヘンリーは口籠り、その肩に“アーベント”は優しく手を置いた。
「百鬼 護を負傷させたその銃の腕前、今後も期待している。“アドラー”、この二人の散弾銃の修復をして欲しい」
「はぁ? 何で俺がこんな奴らのぼろっちい壊れた散弾銃なんざ直さなきゃいけねえ? こんな原始的な銃身、自分らで何とか出来んだろ?」
唐突に話題の中へ引き戻された“アドラー”は流石に驚いた様子を見せ、それから一瞬遅れて挑発的で侮蔑的な表情に変えていた。
だけれど、“アーベント”は逃がさないと言わんばかりに更に言葉を続ける。
「お前は金属魔法の使い手だ。綺麗な形に作り直す事くらい造作もないだろう。今回の戦闘で彼らの武器が壊れてしまったままでは、今後の作戦に支障が出ないとも限らないからな」
「……チッ、これで碌な成果も出さなかったら許さねえからな。お前らも、“アーベント”もな」
「ああ、気を付けよう」
相も変わらず泰然とした態度を崩さずにいる“アーベント”の受け答えに、舌打ちをした“アドラー”は一睨みを利かせた後でヘンリーたちの手から破損した散弾銃二丁を引っ手繰っていた。
そうしてそのまま、彼は何も言わずに別室のドアを開けて引き籠もるのであった。
「私の仲間が済まないなヘンリー、ローダ。不愉快な思いをさせてしまった。だがあれでも腕は良い、不良品を渡してくる事は無いから、そこについての安心はして貰いたいものだ」
「そら、ご丁寧にどうも。俺らももう疲れたから、部屋に引っ込んで良いか? あのガキの攻撃のせいで、全身が痣だらけだ」
「ああ、自由にしてくれ。どの道、一日二日くらいは君らの急用の時間は与えるつもりだからな。ゆっくり傷を癒すと良い」
「お気遣いどーも。そんじゃ、じっくり休ませて貰うよ」
そう言って背を向けたヘンリーとローダは、互いに身を寄せ合いながら割り当てられた部屋の中へと姿を消した。
やがて彼らの部屋のドアが閉められたのを見計らって、ソファーに腰掛けたままの“ゼー”がわざとらしく口笛を鳴らす。
「やれやれ、見せつけてくれるねえ、現地参加の新人君は……」
「あの二人は夫婦だと言っていたから、それも無理はあるまい。彼らのプライベートにまで踏み込むのは野暮というものだろう」
「そうは言うけどなぁ……だって、ほら」
“アーベント”の言葉に顔を顰めた“ゼー”は、口元に人差し指を当てて静かにするようにとのジェスチャーをして見せる。
自然、リビングルームの面々は口を閉じて耳を澄ますのだが、すると聞こえてくるのは官能的でなめまかしい男女の囁き合う声だった。
「ナニをやってんのかは知らんし、知る気もないけどよお……これは流石に何とかならんのか? “アーベント”が二人を連れて来てからずっとこんな調子なんだぜ?」
「……防音設備の部屋でも、新設すべきだろうか」
「ずっとこんな調子なら一考の余地ありだろうな。頼んだぞ“アーベント”」
「やれやれ……仕事が増えていく」
はぁ、と多分に疲労の色を滲ませた“アーベント”だったが、不意にそんな彼の服の袖を誰かが引く。
何かと思ってそちらに目を向けてみれば、そこには純粋無垢な色を瞳に宿し、小首を傾げてアーベントを見上げる少女の姿があった。
「……何かあったか、“クリュザンテーメ”?」
「気になる」
「何がだ?」
普段から言葉少なな彼女は、感情表現にも乏しいだけに、明らかに好奇心の色が見て取れる今の姿は“アーベント”にとっても意外なものだった。
それが故に、誰もが興味を引かれて彼女の次の言葉を待っていた、が。
「あの部屋で、ヘンリーとローダは何をしてるの?」
「…………」
純真な彼女の口から飛び出た死球に、その場にいた“ノクス”の面々は言葉を詰まらせていた。
誰もがどう打ち返したらいいのか分からず、“アーベント”が助けを求める様に周囲を見回したところで“ゼー”を始めとした者達は一斉に顔を逸らしていたのだった。
「ねえ、アーベントってば。あれ、何してるの? すごく楽しそうに聞こえる。不思議」
「……さあ、どうしてだろうな」
「嘘。さっき、“ゼー”と話している時に何か知ってる風だった。“アーベント”、何か隠してる」
分かり易く頬を膨らませて半目になっている“クリュザンテーメ”の表情は、この上なく新鮮なものだったが、今の“アーベント”にしてみればそちらに驚いている余裕はなかった。
「おい、“ゼー”……」
「あーあ―聞こえなーい」
余りにも純粋過ぎる彼女に対してどう答えたものかと、アーベントは最も親しい同僚に支援を求めるも、現実は非情だ。
「“レーヴェ”、“エーデルシュタイン”、“シュピーゲル”私を助け……居ない、だと?」
「答えて“アーベント”。あの二人、部屋に籠って何してる?」
ナニに決まっているだろう!? と直截的に言ってしまうのは何だか憚られて、“アーベント”は己が過去最大級の危機に陥っている事実を悟る。
今まで垂れた事の無い類の冷や汗が彼の頬を伝い、首筋を撫でる。
「私は試験管から生まれたデザイナーベイビー。この組織で働き、国の為に生まれてきた存在。それ以外のことは必要ないと思っていた私に、一般常識の大切さを丁寧に説いたのは“アーベント”。なら、責任は果たすべき。あの二人は、部屋で何してるの?」
「……そうだな。ああ、確かにそうだ」
ここに来て、自分の言葉が長大なブーメランを描く事になるとは、“アーベント”にしてみれば全く予想し得なかった事だ。
どうしたものかと言葉に窮して窮し続けていると、“ゼー”が呑気な調子で言った。
「“アーベント”、話してやってもいいんじゃねえの? “クリュザンテーメ”だって肉体年齢は十六歳だ。そのくらいの歳頃なら知っててもおかしくない内容だしな。彼女の好奇心を不意にするのは、今後も一般常識を教える上で邪魔になると思うんだが」
「ならお前が話したらどうだ?」
「嫌だねー。彼女の御守り兼先生役はお前だろ。俺が邪魔する余地はないね」
全く関与する気はないと態度でも示す“ゼーは”、遂にソファーの上で寝っ転がって大きな欠伸をしていた。
「そうは言うがな……“クリュザンテーメ”にはまだ倫理観その他諸々も欠如してるんだぞ。そんな状態で下手な知識は怪我の元だ」
「つまり、それって私へ絶対に教えてくれないって事?」
全く表情に変化はないが、愕然とした雰囲気が自然と伝わって来るのは、“アーベント”が彼女とよく会話をして来た成果なのだろう。
彼は即座に彼女へ弁解の言葉を送っていた。
「いや、別に、そういう訳では無いんだが……“クリュザンテーメ”、お前にはまだ早い。もう少し一般常識を蓄えてから、教えてやるよ」
「……そう」
尚も、彼女の機嫌は斜めになったまま治らない。
そんな微妙な空気を引っ掻き回すように、無駄に明るい調子で“ゼー”が言った。
「なーに、そんな凹むなって“クリュザンテーメ”。時機が来たら“アーベント”が直々に、手取り足取りマンツーマンで教えてくれるって言ってんだ。その時を楽しみに待ってればいいんだよ」
「楽しみに……うん、待ってる」
「“ゼー”……貴様、勝手な事を」
“クリュザンテーメ”からしてみれば、“ゼー”の言った言葉の意味が全く分かっていないようだ。いつも通り、安心して嬉しそうな雰囲気を無表情の中に見せている。
そんな彼女の純粋無垢さを面白おかしく眺めているみたいな“ゼー”に、流石の“アーベント”も口端をひく付かせていたが、当の本人は惚けた顔をするばかりだった。
「あれ、違った? この日本って国の古い虚構でも小さな女の子を理想の妻に育てる話があるくらいだ。尋常ではない変態趣味だとは思うが……友人としてお前のことは応援してやるぜ?」
「私にそんな趣味は無いと何度言わせたら分かる。その内、窒息させるぞ」
「止めてくれ。俺はまだ死にたくない。もっと面白いものをたくさん見ない事には死んでも死にきれないんだ」
そう言ってから、“ゼー”はそそくさとした動きでリビングルームを後にして行く。
“アーベント”としては今すぐにでも追い掛けて締め上げたいところだが、今も“クリュザンテーメ”が服の裾を掴んでいる以上、それは難しそうだった。
「“アーベント”、直接教えてくれるの楽しみにしてる」
「……しなくて良い」
ヘンリー達の部屋に目を向けながら、“アーベント”は早急に防音設備を整える必要がありそうだと決意を固めていた。
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