第二話 散弾銃バンバン!⑫
「おはよー」
「おう、おはよ」
松ヶ崎高校、一年C組の教室の朝。
そこはいつも通り朝練を終えた運動部が集結し始め、汗拭きシートなどに含まれるツンとした香料が鼻腔を刺激する。
いい加減、嗅ぎ慣れて辟易とするその匂いに顔を顰めつつ、暇潰しに数学の教科書をパラパラ捲っていた、そんな時。
「あ、護じゃねえか! どうしたんだお前、杖なんかついて」
「やぁー……ちょっと色々あってなあ。右の太腿に怪我しちゃって」
教室に入って来るや、中学からの同級生である土喰 真成が驚いた調子で話しかけてくるのだった。
「怪我? 車に跳ねられたとか?」
「ん、そんなとこ」
「そんなとこって、はぐらかすなよ。車に跳ねられたにしちゃ他に怪我してる様子も無いし、おかしいじゃんか」
無駄に勘の働く土喰の指摘に、一瞬だけ顔が引き攣りかける。だが、それをどうにか堪えて俺は平静を保ったまま言うのだ。
「はぐらかすどうこうを言う前に、昨日返って来たテストの結果はどうだったんだ? 赤点は免れたんだろうな?」
「……昨日早退したくせして偉そうに。何だよ、俺の点数が悪かったら何かあんのか!?」
「ああ、点数悪かったんだな。春休み中も補修とは可哀想に」
「んだとこのヤロウ護ぅー!?」
昨日、俺は早退してしまったので自分のテストの点数は知らないが、確実に土喰よりは良いだろう。もっと言えば、平均点以上を取れた自信もある。
だからこそ、余裕を持って友人を弄ってやれば、あっという間に話題は移ろい、変わっていくのだった。
そうしていればあっという間に時間は過ぎ去って、気付けば我がクラスのやる気がない担任――功刀 英次が手を軽く叩く。
「……ほーい、お前らそろそろ朝のホームルーム始めんぞー。無駄な体力は使いたくないから、早く席着け」
「うぃーっす」
けだるげな担任の言葉に生徒たちもけだるげに応じながら着席する中、不意に功刀の目が俺に向いた。
「何だ、昨日体調不良で早退した百鬼は杖なんざ携えて、怪我でもしたのか?」
「そんなところです。それよりほら、ホームルーム始めるんでしょ? 出席とか取らなくて良いんですか?」
「……そんなところ、ね。んじゃ、出席とるわ」
相も変わらない面倒臭そうな視線は、しかし一瞬で俺から外れ、彼は出席を取り始めていた。
その後の一日は、クラスメイトからも特に深く突っ込まれる事もなく、何事もなく過ぎ去ってあっという間に放課後になる。
「じゃあな、護」
「ああ、またな」
各々の班に割り当てられた掃除個所も終え、クラスメイトは続々と部活や帰途に着いていく。
そんな彼らを下駄箱で見送り、苦労して靴を履いた俺は、松葉杖をついてノロノロと校門の外に出る。
迎えの車が来た時にすぐ分かるように、そして迎え側も俺の存在にすぐ気づくようにそこに立った俺は、校門の壁に寄り掛かる。
「ベンチとかあれば楽なんだけどなあ」
そんな益体の無い事を呟きながら、時間潰しに携帯端末をポケットから取り出そうとして、まだここが教師の目に届く場所である事を思い出して、止める。
下校途中とは言え、流石に校門前で堂々と携帯端末を弄るのは校則に違反して、面倒な先生に見つかれば没収されるかもしれないのだ。
もうそんな時代じゃないだろうにと思わなくもないが、こういう事は文句を言うだけ無駄なのである。それこそ俺は、ヤクザと勘違いされやすい百鬼組の人間だ。
生徒指導の教師にも目を付けられているし、無駄に目立つか騒動を起こす様な真似は控えるに越したことはなかった。
「…………」
結果として、俺は西日の差す校門で一人ポツンと立ち、目の前を行き交う車の流れを眺める事でしか時間を潰せないのであった。それは余りにも退屈で、だから他に何か暇を潰す手立ては無いかと思い始めて、出し抜けに視界の端で人の影が映る。
学校の敷地と歩道を隔てる為の石垣の陰から姿を現したのは、俺にとってなじみのある一人の少女で、彼女は親し気な笑みを浮かべて話しかけてくるのだった。
「護」
「……綾音? 何でここに」
見たところ、学校帰りだろうか。松ヶ崎女子高校の巫女服を模した制服は西日に晒されて赤色のスカートが映えていた。
彼女は自転車を押しながら、にっこりと笑って言うのだ。
「んー、気が向いたから、かな?」
「気が向いたからこっちに来て、それで何をしに? 言っとくけど、これまでも言ってるように……」
「そこまで警戒しなくたっていいでしょ、別に。今日は護に根掘り葉掘り聞き出す為に来た訳じゃないし」
「……っていうと?」
「素直に、普通に話したいなあって思っただけだから。本当にそれだけ」
「良いけど、でも話せるのは車の迎えが来るまでだからな?」
「そんな何時間も話す気なんて無いよ。これ、食べる?」
「……食べる、けどこの時期にアイスかよ。三月に入ったって言ってもまだ寒い日も多いんだぞ」
「堅いコト言わない! それに、この季節だからこそアイスも簡単に溶けないんだし」
「確かにそうだけど……用意の良い事で」
差し出されたのは、チョコ味の棒アイスだ。
それも若干高めで、内側のバニラをチョコでコーティングされている甘い奴。
「護、甘いの好きだよね」
「程良く甘いのがな」
「とか言って強がって、昔からずっと変わってないくせに」
にししし、と悪戯な笑みを浮かべる彼女が近付いて来て、軽く手を払ってその指摘を否定する。
「うっせ、勝手な事いうな。あと、やっぱ止めたとか言うなよ。貰った以上はもう俺のもんだからな」
「今更没収なんて言わないよ。食い意地張っちゃって、可愛いのう」
「ガキ扱いすんな」
「実際、私より一歳ガキだし?」
「たかだか一歳で偉そうにすんな。相変わらずだな綾音も」
「護だってそうだよ。そうやって反発するところとか、何も変わってない」
こうして彼女と本当に気の置けない会話をするのはいつ振りだろうか。
ふと、話ながら考え込んで彼女との記憶が遠くなっていた事に愕然とする。思えばここまで自然な、中身も無い会話だけをするのは余りにも久し振りなのだ。
「望むなら君の頭をなでなでして進ぜよう」
「謹んで辞退する」
俺を取り巻く環境が激変してから、彼女と真面に話す機会は激減して、我が家に突撃してくる頻度も今となっては皆無となった。
見る人が見れば、それは疎遠になったと言っても過言ではないのだろう。
そしてだからこそ、彼女と話ながら俺は驚いていた。
「護の家のニャンコどもは元気かね?」
「元気も元気だ。綾音だって、事前に連絡くれれば会いに来てくれてもいいんだぞ。ちゃんと懐いてた訳だし」
「えー、そっかあ。じゃあまたお邪魔しちゃおっかな」
彼女の為とは言え、あれだけ綾音を避けてしまっていたというのに、まだ嫌われていなかったという事実は驚くには充分だろう。
勿論、俺だって嫌われたい訳ではないけれど、ここまで自然な笑顔を向けられて、不安が一つ消え去った様な気がした。
「金さんと大手さんは最近、どうなの?」
「んー、変わらずって感じだな。大手さんは奥手だし、金さんは鈍いしで」
「大手さんってあれだよね。ちょっかい掛けてるところとか男子小学生みたい」
「……言わんとする事は分からんでも無いな。まあ、大手さんのアプローチが甘いってのもあると思うけど」
楽しい。楽しくない訳がない。
だって彼女は、俺からしてみれば初めて出来た友人で、彼女をきっかけに友達も増えていったのだから。
これがやすらぎという奴なのだろう。自然、ジワリと心の底が温かくなっていくような気がした。
「あ、迎え来た」
「あの車……大手さんが運転して、助手席に金さんかな?」
「それっぽいな。ホント、あの二人は一緒にいる割合が高いっつーか、仲良しっつーか」
車の流れの中に見慣れた我が家の所有する車の一台を見付けて、俺と綾音は呆れの伴った笑みを互いに浮かべた。
「あ、護。そのアイスのゴミ貰うよ」
「え? 別に良いよ。買って来てくれたんだから、ゴミくらいはこっちで処分させてくれって」
「私は好きでやったんだから、こっちで捨てとくって。ほら、この袋に入れちゃって」
「……そこまで言うなら、サンキュ」
コンビニで買って来たから、アイスを包んでいたビニール袋を差し出す綾音。そんな彼女の善意に、今回は甘えさせて貰ってゴミを渡す。
「それじゃ、またな」
「うん、また」
校門前で停車した車は、もはや一々確認するまでもなく、俺を迎えに来た我が家の車で、迷いなく後部座席のドアを開く。
最後、こちらに手を振り返す綾音の表情は、変わらず親し気で楽しそうなものだった。
「……若、綾音ちゃんと一緒だったのか?」
「まーね」
「どうせなら一緒に帰れば良いのに」
「無理だろ、アイツは自転車だし。この車には乗らないじゃん」
あっという間に遠くなっていく綾音は、尚も手を振ってくれている。
その様子を金さんはバックミラーで確認して、ニヤニヤしながら言った。
「歩いて帰ればいいんじゃない?」
「松葉杖で!? 金さんも中々鬼畜なこと仰るね?」
「まあでも、綾音との仲も悪化してないみたいで安心したよ。私も金さんも実は心配してたし」
「いやいや、二人が俺らの心配してどうすんだよ」
若干うんざりしながらそう言えば、大手さんが平然と言い放った。
「おや、私達だけじゃないぞ。棟梁たちも心配してたくらいだ。それが問題ないって分かったのは大収穫だよ。今日は赤飯かな?」
「キメェな! 何で急に赤飯炊くんだ!?」
明らかに俺と綾音の関係を面白おかしく茶化してやろうと言わんばかりの言葉に、俺はいつぞやみたく強くツッコミを入れていた。
◆◇◆
「…………」
護の乗った車が、遠くなって見えなくなった。
その頃には少女――美才治 綾音は手を振るのを止めて、スカートのポケットから携帯端末を取り出していた。
『……君か。待っていましたよ? それで、首尾はどうだったかな?』
「はい、榮森さんの言ってた通りに護の唾液サンプルはとれたと思います。これで、良いんですよね?」
『勿論だとも。上出来も上出来。君のやってくれた事には感謝しかないですよ』
彼女の電話の向こうから、上機嫌な男の声がする。
そんな声の主に対し、綾音は焦りのような感情を浮かべながら言った。
「じゃあ、護達が何を隠しているのか、そろそろ私に教えてくれても……!」
『おっと、落ち着いて下さい。それはもう少し待っていただきたい。ただ、時機が来れば必ず教えますから、良いですか?』
「そうですか……必ず、約束は守って貰いますよ?」
『ええ、当然です。私は警察官、警察の信用を落とすような真似はいたしません』
念を押す綾音に、スピーカーの向こう側の声はねっとりとした声で応じていたのだった。
【幕間】
護「そういや、金さんと大手さんって、いつから知り合いなの? ってかいつ出会ったの?」
金「いつからって……そうだな、大手が中学生の頃からだが」
護「中学生かあ。……え、中学生?」
大「ちょ、金さん!?」
金「別に良いだろ。過去の話をしたって何かが減る訳じゃあるまいし」
大「良くない! 良くないですよ!」
護「そんな態度を取ればとる程、俺にしてみれば知りたい欲が刺激されるって言うか……」
金「マジで大した事ないよ。この大手、当時はこの辺で有名なやんちゃ娘でな」
大「こ、金さん!? だから止めて下さいって!」
護「その話を聞いても別にそこまで驚かないけど……何となく、そんな面影あるしね」
金「目つきも鋭いからな。きつめの顔立ちでヤンキー系のジャージファッションだったりするから、今でも隠そうとしたって隠しきれてないのは面白いところだ」
大「そ、そんなに変ですか!?」
金「別に変じゃねえって。ただ、ちゃんとした格好すれば結構様変わりするだろうなって。顔は可愛いしな」
大「か、可愛いって……!?」
護「……乙女か。ちょろ過ぎだろ。さてはチョロ手さんだな?」
大「う、うるさい!」
金「何だ、若と大手でコソコソと……ここに来て俺だけ仲間外れにすんなって」
大「何でもないですって!」
金「何だ和子、顔真っ赤だぞ」
大「~~~~~~っ!? もう、下の名前で呼ばないで下さい! 恥ずかしいんですから!」
護「え、和子? 和子って誰?」
金「大手だよ、大手。大手 和子ってんだ。笑っちまうよな、元ヤンキーで、今もわりと好戦的で、それでいて下の名前は和子だぜ?」
大「だから止めて下さいって! 私だって気にしてるんですから! もうちょっと今っぽい名前にして欲しかったなって!」
金「海みたいな?」
護「……それもう誤字ってレベルじゃねーぞ」
金「じゃあ天使とか愛理とか?」
護「DQNネームから離れたらどうなの? つか初見殺しじゃねえか」
大「若の言う通りですよ金さん! 私としてはそんな読めない名前より、瞳路夢みたいな名前が良かったんです!」
護「お 前 も か」
金「冗談はその辺にして、俺は別に和子って名前も悪くないと思うけどな」
大「き、急にそういうことケロッと言ってのけるの狡いと思います! 止めて下さい!」
金「何でだよ。良いだろ別に、なあ和子? どうした和子?」
大「止めて下さいって言ってるじゃないですか! 恥ずかしいんですよ!」
護「……とか言って、顔真っ赤で嬉しそう」
大「若は黙っててくれ!」




