プロローグ
血と、硝煙と、泥の匂い。
木々の隙間を縫って散発的に響く銃声は、また一つ誰かの命を奪っていく。
追われる足音と追う足音はどちらも付かず離れず、されど前者は明らかに追い込まれている様だった。
「……南部のクソッタレ共が、ご丁寧に俺らを一人一人潰す気らしい。皆仲良く一緒にあの世へ送ろうっていう格別の配慮のつもりなんだろうさ」
「それはまた、心の底からご配慮痛み入りますって言ってやりたいものね」
また一つ、銃声が響く。誰かの短い叫びが聞こえたかと思えば、そこで更にもう一発の銃声。
これでまた、足音が一つ消えた。
それを聞きつけた髭面の男は、木の幹に寄り掛かりながら舌打ちをしていたのだった。
「お礼に連中のケツへ散弾銃をぶっ放してやれば、満足してくれると思うか?」
「嬉しくて昇天しちゃうんじゃないかしら」
「だよな。奴らみたいな糞共はとっとと昇天させてやるに限る。親父やダチの仇だし、一刻も早く地獄へ送って俺の善行の一つとさせて貰うぜ」
着々と近付いて来る足音の存在を知覚しながら、男と女は不敵な笑みを向け合い、それぞれが持つ銃の引き金に指を掛ける。
「行くぞ、ローダ」
「ええ、いつでもどうぞ。ヘンリーに合わせるわ」
「……!」
直後、ヘンリーと呼ばれた髭面の男が身を隠していた木の幹、その表皮が弾け飛ぶ。
「居たぞ! ローリーとその仲間だ!」
「たった二人だけ? 楽勝だな、こりゃあ!」
ガヤガヤと、そしてドスドスと油断し切った様子で駆け付けてくるのは、武装も装備も年齢もまちまちな白人の男達、その数は十五人ほど。
ヘンリーたちが二人しかいない事と比べれば、それは絶望的な戦力差があると言えたのだが、髭面の彼は全くそう思わなかったらしい。
「…………」
笑みを更に深くしたヘンリーが左手でハンドサインを示した瞬間、彼の意を受けたローダが動く。
そしてそんな彼女に、無数の銃口が向けられるのだ。
「動いたぞ、女だ! 構わず撃て撃て!」
「往生際の悪い残党が……たった二人で俺ら相手に何が出来る!?」
リーダー格と思しき中年の男の言葉に鼓舞されたように、けたたましく森に銃声が響き渡る。
だが、それら弾丸は彼女に掠りもしない。
「素人でも人を簡単に殺せる兵器が、銃。でも、所詮は素人ね。先読みも何もあった物じゃないわ」
「なっ……!?」
お返しと言わんばかりにローダが構えるのは、散弾銃。当然その照準は敵である十五人に向けられていて。
「さようなら」
乾いた銃声。
引金一つ、引いただけで飛び散った散弾が彼らを纏めて死傷せしめていたのだった。
しかし、たった一発の散弾で全てを制圧出来たかと言えば、流石にそれは出来なかった。
「この女……よくもっ!?」
「あら、運が良いのね」
銃創を負いながらも即死を免れた運の良い男が銃を構えて、ローダを捉える。一方、銃口を向けられた彼女は射撃直後で再装填しなければ再び撃つ事は叶わない。
それはつまり、この状況ではどうあってもローダは撃ち負けるという事であり――。
「……!?」
だけど、ローダが撃たれる事は終ぞ無かった。
「往生際が悪いのは、果たしてどちらだったのかな?」
歯を見せて笑うその男――ヘンリーが横合いから散弾銃を撃った事で、辛うじて生き残っていた者もまた全て打ち倒されたのである。
敵全てが物言わぬ骸となった事を確認して、散弾を再装填しながらヘンリーは嘲笑を浮かべていたのだった。
「……へっ、訓練された動きも何も無い、如何にも素人丸出しな動きを晒しているテメエらに、俺らの相手が務まるかってな」
「痺れる登場の仕方だったわよヘンリー。もう、惚れ直したわ」
「妻の危機を見過ごす様な薄情者じゃないんでね。何より、古くからこの地に住まう者達の為にも、俺らはここで負けられない。まだ死ぬ訳にゃいかんのだ。そうだろ?」
そこまで言いながら、ヘンリーはローダの顎に指を触れ、それから唇と唇を触れ合わせる。
両者の仲の深さを窺わせる熱烈な接吻は、見る人が見れば口笛と野次でも飛ばしたくなるようなものだが、この場には彼ら二人しかない。
邪魔する者もなく、銃声の聞こえる森で暫しの愛を交わした二人は、不意に唇を離す。
「続きは、また今度な」
「そうね。今は程々にしておかないと」
濃密な血の匂いがシミの様に森の中に広がり始める中、二人は銃撃の音が聞こえる方に目を、そして足を向けていた。
「自警団だろうが何だろうが、先住民の圧政に味方する奴らは敵だ。ラムビーやタスカローラの権利は、誰も邪魔して良いものじゃねえ」
「全くその通りだと私も思うわ。連合国だ合衆国だと……そこに巻き込まれる私達は堪ったものじゃないから」
素早く、木々の隙間を縫って二人は銃撃戦の行われていると思しき場所へ急行する。
「自警団の連中も俺らの掃討に本腰を入れて来たようだが……甘い。所詮は素人集団が、俺らを壊滅なんざさせられる訳ねえんだ」
「誘い込まれたとも知らない哀れな人達……いや、先住の人達を足蹴にして踏ん反り返る様な連中に哀れも何も無い、か」
先程斃した自警団の死体から剥ぎ取った銃を担ぎ到着した銃撃戦場は、激しいものだった。
ローリーの仲間達を、多数の自警団員――つまり敵――が数の多さに恃んで押し込もうとしているようだ。
「放置してたら俺らが押し切られて負けるな」
「けど放置する筈がないじゃないの。そもそも、私達が動き回って背後を攪乱する作戦なんだから」
「そして今が連中のケツに散弾銃をお見舞いする時だ。奴らを昇天させるぞ」
ヘンリーのその言葉に、ローダが吹き出す。
「果たして、あの世で新しい性癖に目覚める人がどれだけ出るのかしらね? いずれ私達も死んだ時、数えてみるのも良いかもしれないわよ」
「そりゃあ妙案だ。最後の審判とやらが来るまでの暇潰しになりそうじゃねえか」
悪戯を思いついた子供みたいな笑みを浮かべた二人は、それから無防備な敵の背中に向けて発砲する。
すると、当然のように敵兵が二人崩れ落ちた。
「お、おい!?」
「何だ!? どこからの攻撃だ!?」
いきなり二人の仲間が撃ち殺された事に敵が浮足立っているのを確認して、銃弾を再装填しながらヘンリーは気怠そうに息を漏らしていた。
「密集してくれれば散弾銃で一発なんだがな……」
「激しい撃ち合いをしている時に密集は、素人でもやらないわよ。狙撃でチマチマ削るしかないわ」
「一人一人丹念に野郎のケツ掘りかよ……嫌になるぜ」
「自分で言った事じゃないの?」
再装填が終わったら即、発砲。
また二人、敵が斃れる。敵は更に混乱に拍車が掛かり、ヘンリーたちを探して周囲を見回していた。
「おーおー、俺らを探してるぜ」
「こんな木の多いところで、しかも銃撃戦をしているんだから簡単に見つかりっこないのものなのにね。そんな事をしたら……ほら、私達の仲間も敵の異変に気付いたみたいよ」
ローダの言う通り、敵である自警団部隊を引き付けていた彼女らの仲間が動きを変える。
やや守勢気味で、銃撃が消極的だったものが、敵の混乱に乗じて激しいものへと移行していたのだ。
「……寄せ集めの素人部隊でしかない敵に、この状況から崩壊を免れる手はねえ。軍務経験者が混じっていたとしても、焼け石に水だろうさ」
「つまり、ここで私達も畳みかける、と」
「そう言うこった。なるべく大人数が連中のケツを掘ってると勘違いさせるくらい、激しく撃ちまくらないとな」
「貴方って本当にその手の例え話が好きよね。飽きないの?」
「お前だって好きだろうが」
呆れたようなローダの言葉に、ヘンリーもまた呆れた調子で応じてやれば、両者ともに堪え切れず笑みを浮かべた。
だけどどちらも引き金を引く指は止めず、恐ろしく正確な射撃は着実に敵の数を減らしていく。
両者が撃ち方を止めた時、敵は斃れるか潰走してこの場から居なくなっていたのだった。
「今回も呆気なかったな。しっかし、割と数が多かった事を考えると次以降はもっと厳しい事になりそうだ」
「誘い込んで……ってやるにも限界はあるものね。その内、州兵とか本格的に出て来たら流石に厳しいわよ?」
「そこだよなあ。これからも俺達が活動を続ける上で、この辺は問題山積みも良いところだ。おう、お前らもお疲れさん! お陰で今日も大勝利の戦利品パーティーだぜ!」
勝利した事を確認して、木陰からぞろぞろと姿を現す味方に手を上げて呼び掛けてやれば、ヘンリーにとっても見慣れた顔が近付いて来る。
「スティーブ、こちらの損害は?」
「死者三、負傷十。殺した敵の数に比べたら圧倒的に少ないが……かと言って損害軽微とは言えねえな。で、これからどうすんだ兄貴?」
「どうもこうも、まさか死傷者に怖気づいてここで抵抗を止めるって訳にもいかねえだろ。今まで通り、他者を抑圧してぶくぶく肥え太った連中から奪って分配する、これ以外にやる事なんざありやしねえ」
スティーブと呼ばれた、ヘンリーとよく顔の似た人物にそう答えてやってから、彼は戦利品の分配と負傷者の手当てなど子細な指示を下す。
「全部俺らで山分けですかい?」
「流石はヘンリーさんだ! おい、ラムビー族のアンタも好きなの選んで良いんだぜ。ボスの許しも出たからな」
「ああ、感謝する」
「……仲良く分け合えよ」
勝利に沸く部下たちの様子を見て相好を崩すヘンリーは、それから不意に肩を突かれる。
「何だよ、ローダ?」
「状況も落ち着いたし、ちょっと二人で歩かない? 川とか見ながらゆっくり話すのも悪くないでしょ?」
「ああ、悪くない」
「おーおー、中々にお熱い事で! ボスと姐さん、末永くお幸せにってね!」
「うるせえぞ! お前は分け前無しだ!」
「そんなあ!?」
茶々を入れて来た部下の男に冗談交じりの宣告をして場を賑わせてから、散弾銃を担いだヘンリーとローダは一団を離れる。
「で、お前は俺に何を話そうって?」
「ふと思ったのよ。この戦いが終わったらって。先は長いと思うけど、どうやったって終わりは来るものでしょ?」
川と、それによって出来上がった沼地を眺めながらローダが言えば、ヘンリーは瞑目して首を横に振った。
「……この戦い、先は長いなんてもんじゃねえぞ。何せ、黒人の他にもラムビー族と言った先住民族に対する強烈な差別意識が、この国には蔓延している。コイツを取っ払うのは果たして、俺らが死んで百年経ったところで難しいだろうさ」
「私もそれは良く分かっているわ。鞭打たれ、その痕が鮮明に残った黒人奴隷を目にした事は、一度や二度じゃないもの。こんな野蛮な風習、早く取っ払わなくてはいけないって何度思ったか」
悍ましいものを見たと、肩を震わせるローダ。そんな彼女の体を抱き寄せながら、ヘンリーは尚も話を続ける。
「エイブラハム・リンカーンが奴隷解放を宣言した所で、それは結局表面的なものに終始した。何故かと考えれば、社会構造が奴隷なしで簡単に成り立たなかったからだ。今でも、奴隷身分は存在しないが差別は根強い。先住民に対する意識もそうだ」
「差別をしないと、社会が成り立たないという事?」
「おかしな話だがな。差別対象は不満の捌け口となり、先住民に対する迫害と差別は白人がこのアメリカ大陸に居座り続ける上で必要な事と考えているんだろう。強盗殺人犯だって物を奪い取る前の所有者が誰であるかなんて分かり切ってるから、後腐れ無いように元の所有者を殺すのさ」
「先住民が所有権を主張したら、道理で言ったら白人には都合が悪い……だから差別して、迫害を続けたのだものね」
「七年ほど前に奴隷解放を宣言したリンカーンですらそうだった。彼だって先住民族の土地を奪い、命を奪い、誇りを奪い続けた。本来の所有者が完全に居なくなれば、白人の所有権に口出しする者は誰もいなくなるからな」
河原に転がっていた手頃な石の上に腰掛け、二人は川の流れを、そして森を眺める。
「いずれはこの土地も、川も、完全に白人のものとなって先住民族の所有権も、存在も無かったことにされる……そんな事は、絶対にあってはならない」
「その為に、ヘンリーは死ぬまで戦い続けるの?」
「ああ、そのつもりだ。ローダ、もしお前はそれが苦しいと思ったら、遠慮なく言ってくれ。これはラムビー族の血を引く俺の出自の問題でもある。お前まで無理に巻き込む必要はないからな」
「馬鹿ね、今更ここで降りるなんて言う訳ないでしょ。私だって間違っている事を指摘しないで、不満を抱え続けて生きるなんてごめんだわ。それに、愛する人を置いてどこかになんていけないもの」
ヘンリーへとしなだれかかるローサは煽情的に微笑み、二人の視線が合致する。
「愛しているの、私は。貴方の事を本当に愛しているの。だから何度も言うけど、ここで諦めるなんて事は絶対にやりたくないのよ。もう二度と、貴方から私を遠ざける様な発言は止めるようにしてね?」
「……ああ、分かったよ」
降参だというように両手を広げて、それからヘンリーは右手でローダを抱き寄せ、左手で後頭部を掻いていた。
両者の間に何とも言えない、甘い雰囲気が漂い始める中、不意にヘンリーは気付く。
「……ローダ、あれは何だと思う?」
「あれって、何の事?」
「ほら、あれだ。何か変にグニャグニャとしている……」
「本当ね。何かしら? 私も初めて見るわ」
二人して怪訝な顔をしながら腰掛けていた石から立ち上がり、河原を歩く。彼らが目にしたのは、まさに複雑怪奇な硝子細工のようなものだった。
“それ”は浮かんでいて、無色透明で、でも硝子細工や水面を通して物を見ているかのように、向こうの景色が歪んで見えるのだ。
「変なの……」
「おい、待てローダ! 迂闊に触ったりなんて……っ」
「う!?」
ヘンリーが止めるのも遅く、既に彼女の手は“それ”に触れて、飲み込まれていた。
慌ててその飲み込まれた手を引き戻そうとするが、もはやビクともしない。ヘンリーも一緒になって彼女の手を引き抜こうとしていたものの、二人は徐々に“それ”へと引き込まれていたのである。
「くそ、何だこれは!? どうしたらこんな事がっ!」
「ヘンリー、私は大丈夫だから、だから手を放して!」
「馬鹿野郎、俺がお前をどうして見捨てなきゃいけねえんだ! 妻を見捨てたら俺にとっちゃ一生の恥だ、後悔になる! そもそも、妻一人救えないで先住民族が救えるとは思えねえんでね!」
言いながら、彼は歯を食い縛ってローダを引っ張る。だが、その努力の甲斐も虚しく両者は徐々に“それ”と吸い込まれ、遂にローダは体の半分が、ヘンリーも両腕までが浸かってしまっていた。
このままではいずれと思ったそこで、ふとよく知る声が辺りに響く。
「おい兄貴、戻り遅えから呼びに来てやったぞー。何処で何してんだぁ?」
「スティーブ!?」
「兄貴……? って、何だよそれは!?」
「俺も良く分からんが、ローダが……」
「わ、分かった! すぐ助ける!」
「いや、来るな!」
「兄貴!?」
目を疑うような状況に遭遇して、しかしすぐに救出へ動こうとしたスティーブだったが、ヘンリーに制止されて面食らっていた。
「何のつもりか知れねえけど、早く助けないと……」
「来るなと言っただろ、スティーブ。もう間に合わねえ。そもそも、俺が引っ張っても引き抜けなくて、巻き込まれてこのザマだ。お前まで巻き込む必要はないからな」
「そんなこと言って、じゃあこれから俺達はどうすれば良いんだよ!? 先住民たちの権利は、誰が勝ち取れば良いんだ!?」
「おいおいスティーブ、お前何をそんな必死になって騒いで……っ!? ボス、何ですかそれは!」
異変に気付いた仲間が更に複数人、姿を現してから河原に広がる光景を見て絶句していた。
そんな彼らの顔を眺めて、ヘンリーは軽く笑ってから言った。
「済まねえ、もしかしたら俺とローダはここで終わりかもしれねえ。後は頼んだぞ、スティーブ」
「待ってくれ兄貴! 父さんやウィリアム兄さんが吊るされたあの日……一緒に仇を取るって決めたんじゃなかったのか!?」
「ああ、取るさ。この場を切り抜けて生き残ったなら必ずな。だから、これは保険だ。もし俺がこのまま死んだりしたら、お前に後を託す。仮に生きていたら、俺が戻ってくるまで頼んだぞ」
「兄貴!?」
「じゃあね、スティーブ。私の可愛い義弟」
「姐さんまで! 待ってくれよ、俺は……」
そこから先の言葉を、ヘンリーとローダが耳にする事は無かった。
グニャグニャとして宙に浮いた“それ”に呑み込まれ、彼らの姿は跡形もなく消えてしまったのだから。




