第五話 噴出する秘密①
「松ヶ崎警察署が襲われた!?」
仰天した迅太郎さんの声が、我が家に響き渡る。
もっとも、その驚きも無理のないものであるだけに、俺も父も、この場の誰もが彼の狼狽ぶりを咎めはしなかった。
「金……お前、それ本当なんだろうな?」
「今も大手と電話繋がってますけど、確認してみますか?」
「ああ、代わってくれ」
金さんが手渡す携帯端末を受け取った迅太郎さんは、そのままスピーカーの向こう側と話始める。
そうして通報者の口から直接話を聞き出している彼の様子を確認してから、俺は父に目を向けていた。
「今から現場に向かう。オーバンとプサッフォー辺りには声を掛けるから、それで良いだろ?」
「ああ、護は先行してくれ。俺としても集められるだけの戦力と装備を整えて、後から送る」
「了解」
プサッフォーは、まだオーバンと一緒に居間にいる筈だ。彼女に事情を話して協力して貰えれば、すぐにでも現場へ到着する事が出来るだろう。
「ったく、何でよりにもよって警察署なんか襲うんだよ……!」
ややうんざりしながら呟いた俺は、廊下を走り出す――。
◆◇◆
目の前に立った小太りの男を視界に捉えながら、吉門は戦慄する。
――何だ、この得体の知れない力を持った男は?
ぞくりとした感覚と共に全身から嫌な汗が吹き出し、本能がこの場から逃げるべきだと警鐘を鳴らす。
そしてその警鐘を裏付けるように、吉門の靴先は不自然に切り取られて消滅しているのであった。
「こりゃ、どっきりか何かなのか? 趣味の悪い……!」
「どっきりで留置所の壁ぶっ壊したりされたら堪ったもんじゃないですよ。係長だってそこのところは百も承知でしょう?」
「煩い、俺だって偶には現実逃避の一つもしたくなるんだ」
部下が呆れた調子を露骨に見せるを、怒りもせずに乾いた笑みを浮かべて受け流す吉門は、もうそれだけ細かい事に拘る余裕がないという事を示している。
「つーか、俺にそんなこと言ってないで早く応援呼んで来い。ボヤボヤするな」
「ですけど、これだけの騒ぎとなれば遅かれ早かれ人は来ます。それに、さっきの訳の分からない現象……もしかしたら人を集める方が得策じゃなかったりしそうなくらいですが」
「馬鹿言え、囲って押さえるのは物事の基本だぞ。数だって俺らの方が多いんだ」
「だとしても、催涙ガスの使用などで無力化すべきかと」
上司の言葉に対し、あくまでも慎重な提案をしていた月夜野だが、当の上司からの反応は芳しくない。
たった一人を相手にして催涙ガスまで使用するのは大袈裟すぎやしないかとの認識が、まだ拭えないのだ。
実際、提案している月夜野自身もやり過ぎなのではないかと思うくらいの安全策である。
一方で、そんな遣り取りを黙って眺めていた男はここで我慢の限界が来たらしい。苛立ちを舌打ちに変えて、言った。
「……何だお前ら、俺を無視していつまで話してんだ? うぜえなあ、もう良いよ。死ね」
「不味いです、また来ます!」
その瞬間、月夜野は己に迫る何かの気配を感じ取って、声を荒げる。だけれど、吉門からしてみれば何の事だか分からなくて。
「だから、来るって何が!?」
「逃げましょう、とにかく!」
「警察官が犯罪者放置して逃げられるか! ……くそ、拳銃の一つでも持って来るんだった」
迂闊に発砲したら始末書もの。だが、威嚇用にでも拳銃を用意して置けば対応手段ももう少し多くなっていた筈だと、吉門はその場に踏み止まりながら後悔していた。
「係長!」
「駄目だ、お前だけ下がってろ!」
「死にますよ!? 冗談抜きに!」
「じゃあお前は、ウチを荒らしに来た男を街のど真ん中で放置できんのか!?」
「…………」
吉門とて、月夜野が警告してくれている理由は分かっている。先程、彼が警告してくれたからこそ、吉門は革靴の先端部分を失うだけで済んでいたのだ。
しかし、いつまでもこの訳の分からない状況から逃げる訳にもいかない。何せ、署の周りには野次馬が集まり始めている気配すらあるのだから。
「月夜野、お前は野次馬を遠ざけて来い。良いな」
「で、ですが……」
「行けと言ってんのが聞こえないのか? 早く従え」
「……承知しました」
時刻はもう夕方である。
暗くなってきた事もあって見通しが良くないせいか、野次馬の中には近くで見ようと近付いて来る様子すら見られるのだ。
余計な被害を出さない事も重要であるだけに、上司の剣幕に気圧された月夜野は動いていた。
その気配を、一瞥もくれずに感じ取っていた吉門は、真っ直ぐに目の前の男を見据える。
しかし、いかにも小汚い中年の男は警部補の眼力を真正面から受け止めたところでたじろぐどころか嘲笑を浮かべていたのだった。
「おいおいおい、そんなざまで俺に歯向かおうって? 殺してくださいって言ってるようなもんじゃねえか。望み通り食い殺してやるから、そこから動くんじゃねえぞ」
「……お前みたいな奴にそんなこと言われて、警察が従ってやる必要を感じないな。確保する」
この男を、野放しには出来ない。
良く分からない男の攻撃、そのトリックも明らかにはなっていないが、吉門からしてみれば取り押さえる以外の選択肢はなかったのである。
「吉門係長、何が起きているんですかこれは!?」
「鳳主任、いいところに。この男を器物損壊罪の現行犯で確保する、手伝ってくれ」
「器物損壊って……たった一人で留置所の壁あんなに壊したんですか? どうやって?」
「知らん、そんなのは俺が教えて欲しいくらいだ。それと訳の分からんトリックもある様だし、細心の注意を払ってくれよ」
「良く分からんトリックって……了解しました」
ぞろぞろと署に詰めていた職員を背に連れてこの場へ駆けつけたのは、鳳 彰吾主任。吉門からすれば直属の部下である彼は、他部署の人間も引き連れて男を半包囲していたのだった。
「……一気に出て来たな、警察」
「警察署を襲ったんだ、出て来ない方がおかしいだろ。こんな真似して、ごめんなさいで済むと思うなよ」
「ふん……止めだ止めだ、お前らを纏めて相手になんざしてられるかっての」
「お前……!?」
面白くなさそうに踵を返した男は、留置所の壁に開いた穴の中へと消えていく。それを、誰もが慌てて追いかけようとした、その矢先。
……外壁が盛大に崩れ出した。
「うわ、何だ!?」
「あぶねえ、さがれ! 巻き込まれるぞ!?」
細かな破片や埃、塵が煙となって立ち込める中、吉門たちは崩落の落ち着いた留置所を注視し続ける。
時間が経つにつれて煙も晴れてみれば、崩落の規模は酷い有様で、上階部分の廊下まで露わとなってしまっていたのだった。
「どこまでも好きかってやりやがって……係長、奴は何が目的でこんな真似を?」
「良く分からんが、能力者がどうのと言っていた。俺の聞き間違いでなければ、だが」
「能力者……何の事です?」
「さあ? あの男をひっ捕まえて詳しく話を聞く必要があるのは間違いなさそうだ」
能力者、などという現実味に欠けた単語が吉門の口から聞けるとは思わなかったのだろう。鳳は当惑した表情で首を傾げ、吉門もまた苦笑を浮かべていた。
「この前確保した窃盗団と言い、留置所にはまだ結構な人数が拘留されている。下手に怪我なんかを負わせたら面倒だ、早目に取り押さえるぞ!」
「ええ、勿論です」
鳳のその返事に続いて、多くの者もまた応じて見せてから崩落した壁より留置所へ雪崩れ込む。
警察組織に属す者として、明らかな犯罪者に自分達の敷地内で好き勝手やられる事が、幾ら何でも我慢ならないのだろう。
故に彼らの士気も高く、物怖じする気配も見られないのだった。
一方、そんな事は男からしてみればどうでも良いのだろうか。迫ってくる警官達の足音を背にして、留置所の廊下を足早に歩いていた。
「ここでもねえ、違う……どこだ? 魔力は、どこだ?」
血走った目で、余裕もなくそう呟いている彼は、獣のように鼻を鳴らしながら目当てのものを探していたのである。
そして不意に、一つの牢の前で足を止めた。
「……見つけたぞ」
「は? 誰だお前? つうか外の騒ぎは何だったんだよ? 知ってんなら教えてくれって」
「…………」
突如として牢の前に姿を現した小太りの男を目にして、収容されていた男は怪訝な顔をする。
だが、その問いかけに小太りの男が答える事は無かった。ただ代わりに、両者の間を隔てていた鉄格子を消滅させていたのである。
「え? 何、何だよ、何の手品だ? 俺を逃がしてくれんのか?」
「…………」
いきなり牢の格子が無くなった事に面食らっていた男は、再度小太りの男に目を向けても、やはり彼は血走った目を向けるばかりで反応を見せてはくれない。
その様子は明らかに不穏であり、男の勘も危険であると告げていた――故に。
「良く分かんねえけど、サンキューな!」
そう言いながら、男は脱兎の如くそこから逃げ出していたのである。それこそ、小太りの男が反応出来ないほど素早い動きで、捕える事すら間に合わない。
「待て……待ちやがれよ!」
「うわ、やっぱ追って来やがった! 来るな気持ち悪い!」
遅れて追いかけてくる小太りの男を確認して、脱獄した男は素早く周囲に目を向け、呟いた。
「あのオカマ共にバレたらどうなるか分からねえけど、今は頼るしかねえ……」
その瞬間、男の姿が独りでに消える。
ただしそれは物理的に消滅したのではなく、視覚的に見えなくなったのであって。
「鉄格子を物理的に消しちまうなんて、あの男は何もんなんだ……?」
物陰に身を隠し、息を殺し、追い掛けてくる小太りの男をやり過ごす。今や透明人間となった男は、その目論見が上手く行く事を真剣に願っていた。
だが、その願いは届かず。
「そこだなああああっ!」
「うぉわあああああああ!?」
どんな仕組みなのか。透明人間と化している状態の男を、小太りの男は明確に追尾して見せたのである。
その事実にド肝を抜かれた男だったが、しかし全くその事を想定していなかったかと言えばそうでもなくて。
「この前のおっさん二人と言い……何で透明化した俺を見付けられるんだよっ?」
思考停止する事もなく、男は透明化した状態のまま廊下を走る。そして走りながら、男自身が捕縛される原因となった家での出来事を思い出す。
場所は何を隠そう、百鬼組。
男の透明化能力にかかれば余裕で金目のものを盗めると思っていたのに、あっさりと返り討ちに遭って男とその一味は逮捕されるに至ったのである。
ついでに言うと、彼らが百鬼組に確保されて警察に逮捕されるまでの間には、想像を絶する出来事があったのだが……男はそこまでで考えるのを止めた。
「この棚ぼた的な状況、利用しない手はないってね!」
彼にしてみれば今は何よりも優先してこの留置所から、そして追い掛けてくる小太りの男から逃げなくてはいけないのだ。
特に、今も猛烈な勢いで追って来る男は目が血走り、口元からは涎が垂れている様に見える。余りにも異様な気配は、最悪警察には捕まってでも逃げ切る必要がありそうだった。
「二人分の足音が聞こえるぞ!」
「こっちだ!」
「……警察さんもお出ましか。ま、俺には関係ないね」
廊下の角から顔を見せた二人の警官は、しかし姿の見えない男の通過を用意に許す。姿が見えないのだから当然だし、何よりも小太りの男の異様さが目を引くのである。
「止まれ!」
「お前を器物損壊罪で現行は……うっわ!?」
「邪魔だあああああああ!」
がらがら、と何かの崩れる音がして警官が視線を上げてみれば、そこには今まさに落下してくるコンクリートの天井があった。
「お前は食う、俺が……全部、魔力、食う!」
「何だか良く分かんねえけど、どんどんヤバさが増してる!?」
天井の崩落すらもすり抜けて飛び出した小太りの男の姿に、驚愕しながらも男は諦めず逃げ回り、そして――行き止まりに突き当たる。
「うわ、マジか……」
慌てて振り返ってみれば、もう後戻りできない所にまで小太りの男が迫っていて、完全に袋の鼠となってしまっていた。
追い込まれた男は透明化の能力を解除し、笑みを浮かべて呼び掛ける。
「お、落ち着けよ。アンタが何を欲してんのか知らないけどさ、俺を追い掛けて何がしたいんだ?」
「食う……食う。食わせろ」
「食うって、何の事だよ? 食い物が欲しいのか? ならここを脱出した後に幾らでもくれてやる。な? だから取り敢えず今は……」
「お前は……その魔力は、美味そうだな。もう我慢できねえんだよ」
「……っ!」
その瞬間、小太りの男の周囲に蜃気楼のような揺らめきが見え始める。
追い詰められている男としては己の目が疲れているのかとも思ったが、どうも見間違いではないらしいと気付いて、渋面を作っていた。
「なるほど、アンタも俺と同じ変な力を持ってる人間って訳だ……そりゃ、鉄格子も消し飛ばせる訳だよ」
どこか他人事な調子で三度頷いて見せた男は、しかし諦観を滲ませているのかと言えば違った。
尚もあちこちに視線を向けて、どうにかしてこの追い込まれた状況を切り抜けようと知恵を巡らせていたのである。
だが、もうどこにも逃げ道は無い。
加えて男の能力は透明化するばかりで、それ以上に特殊な効果は何も無いのだ。
強行突破を図ろうにも、これでは少し心許なかった。
「くそ、こりゃ駄目か……?」
じわじわと迫って来る蜃気楼のような揺らめきは、やがて男の体全身を満たす事だろう。そうなった時、男の身に何が起こるのか彼にも想像はつかなかったが、きっと碌な結果ではない事だけは確信していた。
それこそ、己は先程の牢の鉄格子が消し飛ばされたようになってしまうのではないか――。
もう目前に迫った揺らめきを視認しながら、男が天を仰いだ、その時である。
「そっこだあああああああ!」
留置所の壁を派手に突き破って、赤葡萄酒色の靄を纏った人物がその場に割って入ったのだ。
ただ、場違いな事にその闖入者が“ひょっとこ”の面を着けていたのは、男からしてみれば理解に苦しむ装いであった……。
◆◇◆




