第9話 花婿と過ごしてみましょう
新婚生活も3週間目に突入すると、夜と朝の口づけに加えた世話役の使用人夫婦に助けてもらいながらのゴロゴロリハビリも、かなりの出来栄えになっていた。
最初は及び腰だったルドベキアも、ゴロゴロリハビリの所要時間の短縮と回転数の増加と共に、俄然やる気が出てきたのだ。
よってランドルフに対しては難しい年頃だろうと、妻への何らかの感謝の言葉はあって然るべきだと不満が募る。しかしこれ以上のスキンシップを求められて、大学の図書館通いに支障をきたしてもそれはそれで困ってしまう。
体裁だけの夫婦関係を受け入れながらも、ルドベキアは二人の関係性に相反するものを感じていた。
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最近のランドルフは、午前中は医者と共に身体を動かしたり、発声練習をしたり、午後は家庭教師と共に勉強も始めている。寝てばかりの生活から一転、なかなかのハードスケジュールなのだ。
食事も流動食から、聞くところによると少しずつ形のあるものを食べているらしい。栄養が摂れるようになると、滋養が染み込むように顔もふっくらし、身体つきも変わりつつあった。
「ランドルちゃんも身体が起こせるようになって、少しは話せるでしょう? せめて一日に一度くらい一緒に食事がしたいのよ。ルドベキアちゃんが食べさせてあげれば、あの子きっと喜ぶんじゃないかしら?」
「あまり色々と要求し過ぎて、ランドルフ様に負担を強いるのはよくないかと」
「そうかしら、そうよね。7年間も待てたのに、いつの間にか欲張りになってしまって。でもでも、一度頼んでみてくれない?」
義母にあたる人からは、一緒に食事をとせっつかれるようになっている。気持ちは理解できるが、本人が忌避していることを強要するのは、ルドベキアとすれば気が進まない。何よりランドルフとは、意思の疎通が皆無なのだ。
──余計な責任を負いたくないなら、お節介は止めるべき
溺愛する息子が7年間も目覚めなかったのだ、ウエスト夫妻には言葉では言い表せない苦悩があっただろう。さらには、夫妻を支えた世話役の使用人夫婦のランドルフへの介護の傾倒ぶりは、仕事だからでは済まされないレベルのものだった。
夜中に行われる、数時間おきの体位入れ替え。全く自力で食事を取れないランドルフに、水や栄養価の高いスープを、時間をかけて少しずつ少しずつ気の遠くなるペースで含ませる行為。血行が滞らないように、温めた手でゆっくりと、何度も行う全身へのマッサージ。
こうした身辺の世話を延々と繰り返していた。
入浴は週に二度だったそうだが、さぞかし重労働だったに違いない。自分で自分の身体に力を入れることができない人間は、恐ろしく重い。
ランドルフが痩身でもやたらと扱いが大変だったことは、ルドベキアもゴロゴロリハビリで実体験済みだ。
半端なリハビリに付き合うだけでも骨が折れる。使用人ならやって当然などでは済まない次元の献身だったはずだ、とルドベキアは確信を持っている。
7年間もの長期間、40過ぎであろう夫婦二人が毎日丁寧に心を込めて介添えしていたからこそ、ランドルフは生き続けることができたのだろう。
「ただ7年間が過ぎたように考えていたけど、壮絶だったのね。介護の仕事の負担と重圧は相当なもので、眠る隙さえなかったんじゃないの?」
「そうだと思います。ランドルフ様が目覚められたことが、こちらのお屋敷にとってどれだけ大きなことだったか。喜ばしいの一言では、とても語りつくせないのでしょうね」
グレタからランドルフが眠り続けていた7年間の一端を聞いたことで、ルドベキアはようやくウエスト家の人々の不可思議な喜怒哀楽を理解した。
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食事を共にするハードルが高いなら、庭の散歩と外でお茶はどうだろうか? たまには息抜きもいいのでは。そう考えたルドベキアは、朝の口づけとゴロゴロリハビリの後にそれとはなしに、夫になった男に提案してみた。
ルドベキアは苦労人だけあって、情け深い、根っからの善人だった。さらに意外なことだが、ランドルフは誘いを断るどころか、心なしか嬉しそうに頷いたから驚きだ。
せっかく曇りなく晴れている空が、いきなり雨催いになってはいけない。
大急ぎで傍にいる世話役の使用人夫婦に様々な手配を頼み、ルドベキアは午前中に大学の図書館通いを済ませることにした。
「車いすは私が押します。夫婦二人きりで過ごしたいので、三人は準備を終えたら休憩で構いませんからね」
庭の木陰にテーブルを出し、グレタと世話役の使用人夫婦によってお茶と軽食の準備が整えられる。
ウエスト家の広い敷地には、武官の屋敷らしく武芸の訓練場や馬場も擁している。中庭には美しい薔薇園もあり、散歩をしながらあちらこちらを見て回るには事欠かない。
ただあまりにも、「あなたの奮起を促しています」を匂わしてもいけないだろう。いかにもではない庭の片隅の木の下に、茶会の場を陣取ってもらった。
車いすに乗せられたランドルフを押して散歩しようとするが、これがなかなかうまく進まなかった。ただ車いすを押すだけでも、腰に大変な負担が掛かるのだ。
物語のように庭を二人で巡るのはさっさと諦め、ルドベキアは皆から少し離れた場所で、車いすの正面に回ってしゃがみ込む。
「ちょっとリハビリのお手伝いをしてみてもいいですか? 痛かったら言って下さいね」
あらかじめランドルフが普段どんなリハビリをしているのかを、グレタを通して世話役の使用人夫婦に聞いておいた。それを記憶力抜群の頭で思い出しながら、ゆっくりとやってみる。
それぞれの手でランドルフの足を片方ずつ持ち、慎重に上げたり下したりを反復してみる。動かない足を持ち上げるだけなのだが、これがまた非常に重く困難な作業だった。
「ご自分で持ち上げられますか?」
などと促すと、ランドルフも動かない足を持ち上げようと試みる。ほんの少しだが、何と自力で浮いている。
2週間前には微動だにしなかったのだからすごいではないかと、ルドベキアの心も高揚した。
「手もやってみましょう」
さらにルドベキアは立ち上がって両手を繋ぎ、手も上下左右に動かしていった。
「疲れていませんか? 皆の元に戻りますか?」
「大丈夫だ。目覚めた時には上からのすごい圧迫感で苦しかったのが、日に日に楽になっている」
ランドルフが突如長文を喋り出したので、思わずえっ、と二度聞きしそうになるのを何とか耐えた。
「外に出ると気持ちいいな、またつき合ってくれ」
「今度はご両親をお誘いしましょう!」
日差しを避けて位置どった頭上の大きな木の枝から、風で木の葉が擦れ合う音がしてルドベキアはハッと我に返る。
気をよくしてついつい心配をかけている親への配慮を迫ってしまったが、ランドルフは案外あっさり肯いてくれた。体調が上向くことで、頑なな心も解れてきているのかもしれなかった。




