第8話 花婿とゴロゴロリハビリ始めます
ルドベキアが卒業した国立学院とこれから入学する国立大学は、王宮の敷地内に存在する。威厳を象徴する真中に天を衝く尖頭の建物群には、貴族なら誰もが憧憬を抱く。
そこで学ぶことで、王宮主催の文官登用試験を突破し、上級役人になれば富・権力・名誉が必ず手にできる。だからこそ貴族は先を競って、我が子を国立学院や国立大学に入れたがる。
ただしルドベキアは上級役人になって得る地位など、どうでもいい。ウエスト家の馬車で送り迎えをしてもらい、国立大学内にある図書館で、学費の心配なく勉強に打ち込める妻の座にしがみつきたいだけだ。
図書館の重厚な扉を開けると、窓から採光が得られる閲覧場所があり、何百人規模で利用できる大型テーブルと椅子がある。
好きな本を好きなだけ積み上げての調べ学習が、十分に可能となっている。
手前の閲覧場を過ぎると、今度は天井まで届く本棚が、部屋の奥まで整然と並ぶ。その全景には、大いに圧倒されることになる。
蔵書も薬草学だけでなく、古文書、建築学、算術、哲学、芸術、錬金術に関するものまで、幅広い分野の専門書が取り揃っていた。
学ぶには、ルドベキアにとって最高の環境だった。
ウエスト家の財力によって入場許可証を手にしているルドベキアは、いつでも図書館が利用できる。
貸出し可能な本は手続きを済ませて持ち帰り、屋敷の自室で読むことも可能なのだ。ウエスト家万歳! この一言に尽きるだろう。
婚姻前にウエスト伯爵が確約してくれた同条件で、引き続きランドルフの話し相手のような妻でいいと決まったからには、何としてもスウィフト家を救う手立てを探さなければならない。
大学入学までの1か月間は、仮死状態の夫の傍でぼーっとする予定が、図書館への日参に書き換えられたのだ。
スウィフト家の領地で新種の薬草栽培を始めるためには、もっともっと専門知識が必要だ。ランドルフは大切な金づる、もう好きだ嫌いだなどと言ってる場合ではない。
ルドベキアの父親にも長年の薬草栽培の知識と経験はあったが、形勢逆転を狙って手に入れた『一日に100回交尾する羊が食べている草』イカリソウは、残念ながらスウィフト家の領地では根付かなかった。
やはり適切な気候条件、うってつけの土壌、肥料や水をどうすればいいかなどの、本質的な何かを見誤った可能性が高い。運搬方法にも問題がなかったかなど、検証材料は山積している。
同じ轍を踏まないためにも、ひたすら勉強あるのみだ。
イカリソウに限らず、スウィフト家しか栽培方法を知らない価値ある薬草。皆が欲しがる、そのような薬草を栽培する。それならガーフィールド公爵家から嫌がらせを受けようと、それを他国に売るぞと脅せば王家も動かざるを得なくなる。
一番の狙いどころとしては、解毒に関する新種の薬草がいいだろう。軍事目的で利用されるようにでもなればれば、商品価値は一気に跳ね上がる。
甘っちょろいことでは、スウィフト家の側面支援はできない。利用できるものは全て利用する。そのためなら名義貸し婚だろうと、不自由な身体の夫の話し相手だろうと、何だってやる。
ルドベキアはそんじょそこらの貴族の令嬢ではありえない、確固たる信念の持ち主だった。
*
その夫ランドルフはベッドの上で、流動食のようなものを、世話役の使用人夫婦に食べさせてもらっているとのこと。妻なら食べさせろと命じられれば、ルドベキアとて吝かではない。
あくまで本人が望まないから手出しはせず、食事はウエスト夫妻と共にしているのだ。
今のところ一緒に就寝し、夜と朝の口づけだけがルドベキアの仕事で、あとは好きにしていいという天国にいるような毎日だ。もうこのまま甘えておこうではないかと緊張感を緩めていると、新しい仕事が舞い込んだ。
「就寝前にベッドの上でランドルフ様と体を重ねた状態で、上になったり下になったりするのですか?」
「実際にやってみますね」
ルドベキアが呼び出しに応じて夫婦の寝室に出向くと、医者が「リハビリの一環として、若奥様にもぜひとも共同作業に取り組んでもらいたい」と言い出した。ランドルフのモチベーションを引き上げるため、辛いだけでなく楽しく取り組むためのリハビリを考案したらしいのだ。
そして医者自ら、ベッドの上に横たわるランドルフにガバッと覆い被さった。
ランドルフの腰を両手で抱えるようにして、「よいしょ!」の掛け声と共に横に転がり、ランドルフの身体を自らの上に勢いよく乗せた。さらにもう半回転して、今度は医者自らランドルフの上に乗っかった。
ベッドの真ん中から端っこに、繰り返しゴロゴロゴロゴロ移動する。
「さあ若奥様、やってみましょう!」
「はい……」
医者の指示で困ったとばかりにグレーの瞳を揺らすランドルフの上に、ルドベキアはドレス姿で寄り掛かった。さらにガシッとランドルフの身体の下に両腕を差し込み、抱き込んで転がろうとするが動かない。
ごわつくドレスがじゃまをしているのか、微動だにしなかった。
「タイミングです、若奥様! 腕だけでなく両足でも抱え込んで!」
医者は簡単に言うが、どうにもこうにも動く気配すら感じられない。
「仕方がありません。ランドルフ様の世話役の方々に、足を持ってもらいます。若奥様は頭を上げて横になるのです、ランドルフ様にしがみついたままで! 使用人のお二人は、ランドルフ様と若奥様が転がるのを補助してあげて!」
掛け声に合わせて何とか半周し、ルドベキアの上にランドルフが全体重を預けてくる。それが重い、痩せ細っているはずのランドルフが異常に重い。
「先生、ラ、ランドルブ様が……重っ、ぐっ苦じい!!」
「頑張って若奥様、もう半周!」
世話役の使用人夫婦の手助けによって、ルドベキアはどうにかこうにかランドルフの上になる。
楽しく取り組めるリハビリだと医者は言ったが、これのどこが楽しいのかと怒りさえ湧いてくる。興味本位でいきなり取り組んだが、こんな圧迫死するような真似は二度とごめんだ。
ランドルフは大丈夫なのかと顔を覗き込むと、表情がやけに険しい。頬も耳も真っ赤ではないか。つい最近まで意識がなかったランドルフの方が圧迫死しそうだったのではないか、とルドベキアは慌てて飛びのいた。
「自力で身体を動かせないランドルフ様は、赤子より重かったはずです。大丈夫ですか? 若奥様」
「大丈夫ですが、始める前に仰って下さい。このリハビリは私には無理です。手伝ってもらってもこれを繰り返していたら、ランドルフ様も私も死んでしまいます」
この国一の名医とうたわれる40前後の医者は、ルドベキアに穏やかな口調で語り掛けてくる。しかし、名医は人を死に至らしめてはいけない。
「死にませんよ、そのうちに慣れます。ランドルフ様にはまず、寝返りを打てるようになっていただきたいのです。そうすれば、皮膚が赤くなったり、爛れたり、腐るようなこともないでしょう。全身の血の巡りも改善し、熟睡が可能になりますよ」
「先生のように上手くできません。ランドルフ様にケガをさせたくないので、もう嫌です」
夜と朝の口づけとは違い、ゴロゴロ転がるリハビリは世話役の使用人夫婦の手を煩わせ、あられもない姿を見せることになる。ランドルフは嫌がるだろうし、ルドベキアも気恥ずかしい。
「やる。夜も朝も」
突如、ランドルフが声を出した。どうやら7年ぶりの発声だったらしく、ルドベキアだけでなく、医者も世話役の使用人夫婦も驚いた顔をしている。
「ランドルフ様が喋った! ランドルフ様がお話しになりましたぁ!」
ウエスト夫妻にすぐさまランドルフが喋ったことが報告され、グレタや屋敷中の手の空いた使用人達が、わらわらと夫婦の寝室に押し寄せた。
夫婦の寝室は「坊ちゃまが喋った! 7年ぶりに坊ちゃまが喋った!!」と、また涙を流しながらの大合唱になる。
「愛の力が勝ったのよ! あなたがお嫁に来てくれて、本当によかったぁ!!」
事の顛末を聞いたウエスト夫妻がルドベキアに駆け寄って、またまた喜びを爆発させる。
いやもう分かったから、さすがにこの異常なテンションでのお祭り騒ぎにはついていけない。ルドベキアは『人の心を忘れた変わり種』などと、家族から揶揄されるぐらい感情の振り幅が少ないのだ。
「ルドベキアちゃん、お願いよ。夜と朝の口づけだけでなく、ゴロゴロリハビリも追加して!」
「そうだな、私からも頼もう」
頭脳は13歳で身体は20歳なのに成長不良で外見は16・17歳! の息子の花嫁に、過保護な両親はまた一つ新たな仕事を課したのだった。




