第6話 話せず、動けずの花婿
結婚式を終え、新婚初日を迎えた朝。
閉じられていたカーテンがいつの間にか開いており、室内はすっかり明るくなっていた。
4年間の国立学院での寮生活で、就寝前と就寝後で、部屋の状況が一変するような暮らしからは遠ざかっている。それでもルドベキアも貴族の令嬢の端くれとして、使用人がいつの間にか世話を焼いてくれることには耐性はある。
天蓋、寝心地のいい枕、触り心地が段違いの毛布、光が満ちるウエスト家の夫婦の寝室。
のはずが……身をよじった瞬間見知らぬ男と目が合えば、誰だって恐怖で全身が総毛立つだろう。
「ひええっ!? いやあぁあぁぁぁあぁああああああああぁぁあぁああぁぁ!!」
ルドベキアは戦慄のあまり、大声で叫び続けた。
何ごとかとグレタやランドルフの世話役の使用人夫婦、さらにはウエスト夫人や屋敷中の手の空いた使用人達が夫婦の部屋に大挙する。
顔面蒼白のルドベキアはすでにベッドから這い出し、一人取り残されていたランドルフのグレーの瞳が開いているのだから、それを見た一同は大声を上げながら騒ぎ出す。
夫婦の寝室は「坊ちゃまが目覚めた! 7年ぶりに目覚めた!!」の大合唱だ。
ウエスト家の屋敷は、上を下への大騒ぎになった。
すでに屋敷を出てしまったウエスト伯爵には早馬で知らせが送られ、ランドルフのかかりつけ医も往診依頼で呼び出された。
医者の診察によると、意識ははっきりしているものの、ランドルフは7年間も寝たきりだったことで全身の筋力が低下し、身動き一つ取れないらしい。顔の筋力も当然ながら低下しているので、上手く話すことができないとのことだ。
それでも「質問には目の動きで理解を示すので、脳の損傷はないようです」と医者が告げると、ウエスト夫人と長年ランドルフの世話役を担ってきた使用人夫婦は、涙を浮かべ手を叩いて喜んだ。
「皮膚を強く刺激すると反応があるので、リハビリをすれば動くことも可能になるのではないでしょうか」
この言葉を聞いた夫人は、ついに世話役の使用人夫婦に縋りつくようにして泣き崩れてしまった。
脚が丸出しになる丈の短い薄い布地の夜着姿のルドベキアは、大急ぎで隣の自室で顔を洗い、着替えを済ませて髪を整え、再び夫婦の寝室に顔を出した。
隣の部屋で身繕いをしていても、よほど劇的なことが起こっているであろうことは伝わっていたので、ルドベキアも笑みになる。
「愛の力が勝ったのよ! あなたがお嫁に来てくれてよかったぁ!」
ウエスト夫人はルドベキアの姿を認めると、駆け寄ってぎゅうぎゅう抱き締めてきた。
「明日は目覚めるように、って祈りを込めてランドルちゃんに口づけてくれたからの奇跡よ!」
7年ぶりに意識がなかった息子が目覚めたのだ。この国の流行小説には、よく『この国中が泣いた』などとチープなあおり文句が添えられているが、よほど夫人の言動の方が感動的だった。
ウエスト伯爵も帰宅すればさぞかし歓喜するだろう。
そして医者からランドルフ本人に、7年前に倒れてから眠ったように時が過ぎてしまった詳細が伝えられた。ランドルフ自身は今一つ何を言われているのか理解できていないようだが、光が戻ったグレーの瞳がゆっくりと見開かれていった。
あまりにも精神的ショックが大きかったのか、ランドルフはガクガクと震え始め、ついには全身を痙攣させて意識を失ってしまう。
医者が落ち着いてランドルフの身体を横にし、上側の肘と膝を曲げて呼吸ができる状態を確保したことで、事なきは得た。
*
部屋を出されたルドベキアは、ウエスト家が晩餐会も開くやたらと大きな食堂で、一人朝食を食べていた。たっぷりハチミツを染み込ませて焼かれた白パンには、色とりどりのフルーツまで添えられている。
熱いミルクティーを飲んで一息つき、よくよく考えてみると、ウエスト夫人は医者と共にランドルフにつきっきりなのだ。名義だけ貸している妻とはいえ、無理にでも残るべきだったかとルドベキアは首を捻る。
それにしても、どうしてランドルフの意識が突然戻ったかだ。
愛の力などではないので、婚姻が何かのショック療法に繋がったのか。潜在意識が体裁を取り繕うだけのこの婚姻を、拒否したのか。
もしくは昨夜のルドベキアによるくしゃみで、大量の唾液が口元に飛び散ったことが不快で目覚めたのか。
何にせよ、7年前非常に感じの悪かった男が目を覚ました。
親の都合で、いつのまにか妻帯者になっているのだ。頭脳は13歳で身体は20歳なのに成長不良で外見は16・17歳! の男は、場合によっては離縁を言い出すかもしれない。
大学には学費の支払いが済んでいる半年間は通えるが、それ以降はどうなるのだろう。
懇願されて嫁ぎ、息子は7年ぶりに目覚めたのだから、離縁だと言い張るならウエスト家には残りの学費を出してもらえないだろうか。
交渉の余地があるなら、大学卒業のための権利だけは捥ぎ取りたい。
たっぷりハチミツを染み込ませて焼かれた白パンに、色とりどりのフルーツが添えられたステキな朝食も、これが最後ならかなり無念だ。
ウエスト家はよほど凄腕のヘッド・ベイカーを置いているに違いない。実家に戻されることになるなら、妹達へのお土産に、白パンを山のように持たせてほしいと頼まなければ。
ルドベキアにはやるべきことがたくさんあった。
今後の身の振り方を考えながら2時間近くかけて朝食を済ませると、グレタからウエスト伯爵が戻ったらしいとの報告がきた。
与えられた自室に戻って薬草学の本でも読みたいところだが、隣の夫婦の寝室で「離縁だ、やっぱり離縁だろ。どうする! どうする!」祭りが繰り広げられているなら憂鬱になる。
じっとこのまま食堂で待つべきかとルドベキアが悶々としていると、ウエスト家の使用人からついに声が掛かった。いよいよ離縁が申し渡されるのだろうか。




