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第36話 花婿にとって、非の打ち所がない花嫁

 悪化の一途をたどっていた体調が改善して、ランドルフの気分は最高潮に達していた。逆に絶不調に陥ってしまったルドベキアは、毎夜毎夜部屋を訪れる、定期的にムラムラする()を名乗る男と同じベッドで眠るのだ。


 当然、大好物の同衾再開を迫られることになる。


「まだまだお身体に違和感があるにしても、私に対する触れ方が乱暴なのです」

「ごめん」

「勢い勇んで、さ、最中に苦しそうにされたり、息を詰められると心配になります。もし途中で呼吸が止まったりしたら、と、とにかく私はふ……じょ……だけは嫌なのです」


 ウエスト家で生きていくと決めたのだから、ルドベキアには夫の求めに応じる義務がある。それなら一人で勝手に盛り上がって、腹上死するのだけは止めてくれと厳重注意したはずが。


 よけいな心配をして、ルドベキアはうっかり失念してしまった。ウエスト家に嫁いで以来、ランドルフは奇天烈な言動によって『自分に都合のいい解釈しかしない男』だったということを。


 ルドベキアとランドルフが事を起こすと、なぜか波乱の展開になる。


「お前が、裸でしたいとか言うから。これまで一度も手を握り返してくれなかったのに、首にしがみつかれたんだ! 盛り上がって興奮するだろう!!」


 乱れたシーツの上でうつ伏せになり、そのまま寝落ちしそうになったルドベキアの頭上で夫がひどく騒ぐという事態になった。


 どうして同衾時に着衣なのかとわだかまりを募らせ、ランドルフを受け入れたくないと、意地になって避けていた。それは認める。

 だからといって、身体が心配だから無茶をするなとあれほど注意したのに、どうして守れないのかが謎だった。


 やはり、男の前で肌を露わにしてはいけない。


 抵抗する隙を全て封じられての大暴走を始めたので、とっさに「や、優しくして……」と首に縋りついてしまった。すると夫は感極まったように「好きだ! 分かった!!」と言葉を発して、ルドベキアをすっかり狼狽させるに至った。


 久しぶりの同衾は、無秩序状態で幕を閉じた。


「怒ってもいいけど、拒絶は辛いから嫌だ」


 ルドベキアの身体に、ランドルフがぎゅうぎゅう縋りつく。

 怒る気力など残っていなかった。スウィフト家再生のための道程は、やはり険しいということなのだろう。


 生まれ育ちの違いなのか、言葉のある、なしは関係なかった。もう生涯分かり合えない夫婦として、やっていくしかない二人だった。



 *



 名門伯爵家の一人息子の子守りに追われていると、ほどなく王宮の検査員がウエスト家の領地の屋敷を訪ねてきた。詳細は伏せた上でルドベキアの身体を丹念に調べ、唾液と血液を採取する。

 どういった部署の何の担当者かも、相手は一切名乗らなかった。


 その日以降忘れた頃にやって来る検査員に、何も告げられないまま指示に従う、が繰り返されるようになる。手荒な真似をされるわけではないので、うろたえることなく淡々と対応するのみだ。

 不安に襲われたり怯えたりしても、ルドベキアには拒否権はないのだから。


 義父が手配した、『文官登用試験合格請負人』の看板を掲げた家庭教師も到着した。


 やせ気味の細目の外見はいかにも神経質そうで、名門貴族家の嫡男相手といえど、あやふやな態度で接したりはしないだろう。自分の受け持つ生徒にはノウハウを惜しみなく注ぐタイプだ、がルドベキアの持った印象だった。

 同時に優秀だと自負しているからこそ、やる気のない生徒は最終的には見捨てるだろうな、ということもひしひしと感じ取っていた。


 ランドルフは騎士になるはずだったので、学力が散々というのは致し方ない。まずは国立学院に入学するための学力、さらには学院在学中の4年間で取得すべき知識、を短期間で身につけさせる単純明快な作戦がスタートした。


 ところがルドベキアと家庭教師で試験合格のためのロードマップを作成し、実際にランドルフを教え始めると、この男はこの程度で文官のトップを目指すつもりだったのかと、呆れるぐらい万事低水準なことが判明した。


「分からない」のではなく、「分かろうとしたことがなかった」という大問題を抱えていた。


 ルドベキアは競争に打ち勝って国立学院に入学し、在学中は他者と切磋琢磨しながら好成績を収める優等生だった。学院内の低位の学生達でも、それなりの学力を有している。

 それなのにランドルフは頭を抱えてしまうぐらい、何もかもが酷かった。勉強する習慣どころか、じっと座っていることすら身に付いていないのだ。


 文官登用試験に合格させるためにやって来た、敏腕家庭教師の顔が強張るほどに落ち着きがなかった。


 平民で教育に縁がなかった、などではない。名門貴族家の子息に、自国語で長文を書く、簡単な計算問題を暗算で解く、という「常識」が欠落している人間がいるとは。

 この全くもって誇張のない事実に、ルドベキアと家庭教師は愕然とした。


 とにかく初歩的なことから覚えさせるしかない。疑問を持つな、とにかく暗記しろだ。「そのうちに内容が理解できるようになるから」と、ランドルフにはルドベキアと家庭教師で繰り返し言い聞かせた。


 非常に難解な勉強を、毎日10時間を超えて詰め込まれるのだ。ランドルフは大口を叩いていた割にはすぐに挫折し、気持ちが折れた。

 苦肉の策として、室内を歩き回りながら声に出して覚えるように指示すると、恥ずかしいと抵抗する。時間が押しているので、ルドベキアが叱り飛ばしてやらせるしかなかった。


 少しでも否定的な言葉を口にすれば、冷ややかな声で斬り捨てる。


「今夜はもう、一緒に寝たくないです」

「このような調子が続くなら、しばらく鉱泉に行くのは控えましょう」


 止めは「文官になるまで、同衾は致しませんよ!」で、徹底的に従わせた。


 勉強は躓くと嫌になる、停滞すると投げ出したくなるものだ。ルドベキアはランドルフの傍で常に補助し、泣き言も聞いてやった。


 義父母が本来躾けるべきであったことを、ルドベキアが一から行わなければならなかった。ただの子守りではなく、劣悪な労働環境で働かされる下働きの子守りに逆戻りだ。


 ルドベキアは気づいたのだ、見方を変えると自分は玉の輿婚ではなかった(・・・・)のかもしれないと。


 義母は「二人の仲睦まじい様子に安心した」と言い残し、ルドベキアに全てを押し付けて、さっさと王都に旅立ってしまった。

 気苦労から気鬱の病を患っていると承知しているが、義母の病はどうやら都合が良くなると改善し、都合が悪くなると悪化する、という非常に便利な新型の気鬱の病だった。


 貴族には同じ病に苦しむ者が多いと小耳に挟むし、やはり病と名のつくものは健康な者からすると、想像を絶する苦痛があるのだろうが。どうにも納得できず、不条理を感じる。

 金の多募(たか)で人の幸せが決まるわけではないという意見もあるが、やはり『金満は得をし、貧乏人は損をする』ということなのだ。


 ウエスト家の領地で家政の仕事を受け持ちながら夫の世話に追われていると、ルドベキアこそが発狂しそうだった。


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