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第35話 デレ始めた花婿

 ルドベキアはランドルフの『逞しい男になる!』宣言を聞いた夕食後は、入浴を済ませて、与えられた部屋で寛いでいた。肩は丸出し、しかもやたらと薄い布地で膝丈しかないアノ妙な夜着姿で。


 できれば寝汗を掻いても快適な素材で、ゆったりと全身を覆うタイプがいい、と使用人達に主張すべきかもしれない。夫が「実は、定期的にムラムラする」と白状したので、安心安全な夜着を早急に用意してもらうべきだろう。


 本調子には程遠いくせに、数日後には夜伽を命じてきそうな夫をどうかわすか悩んでいると、その本人がひょこひょこ訪ねて来た。


「話がしたい」


 夫を追い返すわけにもいかず、ガウンを羽織って部屋に招き入れる。杖をついて現れたランドルフは、ルドベキアと同じく夜着の上にガウン姿だ。

 ドアを開けた瞬間から、一緒に寝る気満々の怨念のようなものが背後に見えた。


 体調的に今夜いきなり夫の権利を主張されるかは不明ながら、ルドベキアは本日の同衾だけは避けるつもりでいた。明確なけじめをつけずに身体を許したから、初夜がとんでもないことになったのだ。

 同じ轍を踏むのは、愚か者のすることだろうと。


「明日の朝、お義父様の出発のお見送りがあるので、お話(・・)()ベッドで伺います」 


 同衾はしないが添い寝はしてもいいと誘うと、ランドルフは固まりながらも頷いた。来客用のベッドなので二人で寝るには十分とはいえないが、さも当然のようにベッドに上がろうとするので、ルドベキアは手を貸すことにした。


 二人で寄り添うように横になると、何となくではあるが、夫の操縦法を会得した気になる。気のせいかもしれないが。


「俺の考えを褒めてくれて、嬉しかった。少し前から考えてたけど、笑われそうで嫌だった」

「呑気なことを言っていられるのも、今だけです。お義父様が家庭教師を手配されたら、自由になる時間なんてありませんよ。一日10時間以上の勉強漬け生活が始まります」

「げえっ、そんなにやるのか? でも……ルドベキアも一緒だろ」


 ランドルフに手を取られて、繋がれた。


「嫉妬されるのは悪くない、でも拒絶は辛い」


 嫉妬、また与太話かとルドベキアは呆れた。初夜でのことはあまりにも辛過ぎて、ランドルフに対しては生涯慈悲の気持は持てないと信じ込んでいた。

 死ぬまで恨むはずが、いつ何がどうしてこうなったのか。


 夫は、名うての奇術師のようだ。


「鉱泉がある」

「こちらの領地にですか? もしかしてお義父様はそこであなたの身体を治すつもりもあって、領地への移動を決めたのですか?」

「父親の仕事関係の者達が任務の古傷を癒したり、痛風に苦しむ領民の痛みを和らげたり、する湯治場があるんだ。ウエスト家の人間は、ここから馬車ですぐの別荘の庭にある鉱泉を使うけどな」

「行ってみたいです!」


 ウエスト家はそんなものまで備えているのかと、ルドベキアはつい大声を出してしまった。


 ウエスト家所有の鉱泉は、木々に囲まれた小さな沼を天然の浴槽にしたような、心地よい空間になっている。茶色のとろみのある湯に浸かると不調が和らぐ効能があり、ガウンを羽織って入ればいいそうだ。


 ランドルフは長年動かしていなかった部位がまだまだあるので、効果的なのではないか。これから勉強の合間に利用すれば、気持ちも解れて気分転換にもなるだろう。


 そして二人で出かける話になったことで、ランドルフの表情がぱっと明るくなったことにルドベキアは最も驚いた。


 ──先に頭を下げることが、必ずしも負けとは限らない


 いつの間にかじゃれつくように抱き締められていた力が強くなり、ランドルフの胸の鼓動が身体を通じて響いてくる。その心音が心地よく感じられて、ルドベキアはゆっくりと目を閉じた。


 ここから先はこの腕の中が、身を寄せる場所になるのだ。愛情には程遠いが、いつまでも恨み節だけで夫に接してはいけない、としっかりと心に刻む。


「俺がスウィフト家の領地に行くと言ったんだ、お前に会いたかったし。スウィフト家の領地では勝手が分からず証拠を取り逃がす、と父親に押し切られた。ごめん」


 夫も生死の境を彷徨って人生観が変わったのだろうか。将来への夢を語り、妻の名を口にし、死ぬ前に会いたかったなどと歯の浮くセリフを吐くなんて。


 ルドベキアはおずおずと頷いておいた。早く俺の力でルドベキアを守れるようになりたいな、と聞こえたので顔を上げようとしたら、頭の後ろを抱え込むように胸に押し付けられた。


 その小さな決意に応えておく。


「大いに期待します。私の心を満たしてくれる理想の夫になって下さい」



 *



 いきなり妻の寝室にやって来て、唐突に鉱泉の話を始めた時点でそのつもりだったのだろう。義父が王都へ戻ると、すぐに夫は出かける手配を開始した。


 やっと熱が下がったというのに大丈夫なのかとルドベキアは心配したが、ランドルフは意欲に満ち溢れていた。ベッドでゴロゴロしている姿しか見たことがなかったので、俄かには信じ難い光景だった。


 馬車で少し走った森の中に、ひっそりとウエスト家所有の別荘は佇んでいる。


 小ぶりながらも外観が小洒落た別荘は、使用人を引き連れて出向けば、湯治宿泊が可能な代物だ。木々や草花の緑に囲まれた小さな沼のような鉱泉は、別荘の庭に広がる自然を楽しめる趣向になっていた。


「これぞ貴族の、優雅なたしなみというものですよねぇ」

「何だそれ」


 ガウンを着たままとはいえ、ついに夫婦で一緒に入浴か!? との緊張が走ったが、ランドルフを湯船に入れたり出したりは世話役の使用人夫婦に任せ、ルドベキアはお一人様で鉱泉を堪能する。


 独特の匂いは気になるが、浸っているとじんわりと身体が温まる。全身の血の巡りがよくなり、身体をよじると圧がかかって内臓にもいい影響を与えそうだ。

 この鉱泉には何が含まれているのか、薬草と組み合わせればどうなるか、とあれこれ思索に耽ってしまう。


 別荘と自然と鉱泉が一体化したロケーションで、良質な湯に身を任せながら、視界一面に広がる贅沢な景観を満喫する。清涼な木々の空気が頭上から降り注ぎ、これまでのストレスと疲労を解消する絶好の特効薬となるはずだった。


 しかしながら、ルドベキアは気づいたのだ。

 見方を変えると、自分はもしかして玉の輿婚だったのではないかと。


 次は馬に乗って二人で来ようとランドルフはやたらとはしゃぐが、ルドベキアはそれどころではなくなっていた。

 婚姻後、実はウエスト家のおいしい食事で体重が増えている。さらにこのような堕落した暮らしを続けていたら、一般通念がマヒするのでは……と突如として大きな不安に襲われた。


「お茶を飲もう、用意させた」


 偽装離縁をした時にランドルフに渡したピンクの薔薇のジャムが、いつの間にやら「再会した時に、紅茶に入れて一緒に飲みましょうね」に、改ざんされるいう事態にも見舞われる。


 ルドベキアは、そんな風には言わなかったはずだ。


 高熱が続いていたランドルフ、しかも原因不明の発疹が出ていたと聞いている。そんなが男が肌身離さず握り締めていたジャムなど、もう腐っているのではないだろうか。


 さらに世話役の使用人夫婦の妻に「体調が悪化されて、心細く思われておられたのでは。ずっとジャムの小瓶を握り締められて」と、ランドルフへの同情を引くようにすすり泣かれてしまう。


 夫の繰り広げる不可思議な目くらましに、ルドベキアは引っ掛かりまくっていた。


 名門伯爵家の一人息子として甘やかされて育ち、我儘気まま、短気で、女性に対する気遣いがなく、子供っぽくて、頭の悪い夫の世話。

 私は下働きの子守りか! と以前は不満を募らせるばかりだった。


 それがただの不器用なロマンティストが、思うようにことが進まず駄々をこねていただけだと種明かしされたのだ。

 ランドルフ自身が使用人達に「ルドベキアに仕え尽くすように」と颯爽と指示していたと耳にすると、これまでのことは察しの悪い妻が悪かったのだろうかと、錯覚まで起こす始末だ。


 夫は名うての奇術師、なかなかどうして卑怯な手口を使う。

 対して妻は、贅沢に不慣れな根っからの善人だった。


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